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    1999年3月に国道2号線を使って、神戸から北九州まで旅をした伝説。帰りはフェリーで松山に上陸し、四国を横断して帰ってきた。
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    2005年12月。ホノルルマラソンに出走。人生を変えた旅。
  • 第三位:英国旅行
    飯は不味いが、とにかくお洒落な街と大英博物館、ストーンヘンジ、カンタベリー最高!
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    ベルリン、プラハ、ブタペスト、ウィーン、ヴェネチア、アムステルダムと6カ国の都市を主に列車で巡った。飯が美味かった。
  • 第一位:北部インドの旅
    2007年2月。とにかくカルチャーショックの連続だった。

カテゴリー「沖縄県」の記事

2012年4月16日 (月)

沖縄で感じたこと(その9:波上宮)

那覇まで戻ってきた。レンタカーを返すと、国際通りに行こうかと思ったが、一つ思いついた。折角だから、波上宮に行ってみよう。。。

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波上宮は、全国一宮会という団体が認定してい琉球国新一宮である。

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伊弉冉命、速玉男命、事解男命が主祭神で、熊野系である。

てっきり明治政府になってから、反強制的に作ったのかと思いきや、もっと古くからあったそうだ。少なくとも江戸時代には存在していたようだ。

例のごとく、戦火により鳥居以外は消失した。

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昭和27年から再建の道を辿り、昭和28年には本殿が、昭和36年には拝殿が再建された。

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今更ながら、沖縄総鎮守に旅の安全を祈願する。

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こうして、波上宮の散策を終えた。

これにて、今回の旅は終了である。旅の間中、戦争を意識することが多かった。私にとって、非常に意義深い旅であった。

2012年4月13日 (金)

沖縄で感じたこと(その8:座喜味城跡)

読谷村にある世界遺産、座喜味城跡にやってきた。

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駐車場に車を停めると、歩く。修学旅行生か他県かららしい高校生と思しき集団がいた。ちょうど帰るところらしいので、あまり騒がしくなくてすみそうだ。

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世界遺産の碑があった。

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城跡までは林を歩く。

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林が開けると、いよいよ城跡だ。

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アーチになった門をくぐる。

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15世紀に沖縄のスーパースター?護佐丸が築城したとされている。

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建物の基礎跡があった。どんな建物が建っていたのでしょうな。。。

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階段があった。城壁の上に上れるらしい。

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なかなかいい眺めじゃないですか。。。

のんびりと見学してから、帰路につく。

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最後のアーチのアップを載せておく。中央の楔石は、沖縄の他のグスクには見られないものだそうだ。

2012年4月12日 (木)

沖縄で感じたこと(その7:勝連城跡)

続いての目的地、勝連城跡へ行く前に、玉城で昼飯を食った。

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もずくそばの店くんなとぅの定食だ。もずくそばにもずくご飯、もずくの天ぷら、もずく酢ともずく尽くしだ。なかなか美味く、ボリュームがあった。

腹も膨れたところで、うるま市の勝連城跡にやってきた。

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駐車場に車を停めると、小高い丘を登っていく。

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世界遺産、勝連城跡である。

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見事な石垣だ。

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早速、上ろう。

13~14世紀に築城されたそうだが、その最後の城主は阿麻和利という。クーデターを起こし、この地の按司となり、その後、琉球統一を企んだが、王府によって制圧された。

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世界遺産に登録されたグスクの中では最も古いものだそうだ。

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これは、御嶽のようだ。

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むむ!?

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穴が開いとるげ!

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勝連城の守護神が居ます場所のようだ。

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二の曲輪跡である。基礎が並んでいる。グスクの中心的な建物が建っていたそうだ。

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まだまだ上に上がりまっせ!

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石畳の坂道はごつごつして上りにくい。

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一の曲輪である。

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真ん中に御嶽がある。

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下を見下ろすと、他にも遺跡があるようだ。

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およ?こんな所に三角点が・・・

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いい景色ですなあ。。。

観光客もご夫人2人組みだけやったし、静かに見学できた。

2012年4月11日 (水)

沖縄で感じたこと(その6:沖縄平和祈念公園)

沖縄戦の終盤、首里の日本軍司令部は崩壊し、島の南端部まで追いやられた。この南端部は沖縄戦最大の激戦地にして、終焉の地である。糸満市から八重瀬町にかけての81.3k㎡(陸・海)は沖縄戦跡国定公園として、戦跡唯一の国定公園に指定されている。その一部、摩文仁の丘と呼ばれる場所は、平和祈念公園として整備されている。

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かつて激戦があったとは思えないほど、穏やかな雰囲気であった。

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この巨大なオブジェは平和の丘である。

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平和の丘から見渡せば、向こうに平和祈念堂が見えた。

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公園内を散策する。

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この先には、平和の礎がある。

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平和の礎とは国籍、軍人、民間人問わず、沖縄戦で亡くなった全ての人々の氏名を刻んだ碑である。県別に氏名が列記されており、そのあまりの多さに絶句した。

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平和の礎の先には、オブジェがあった。

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東アジアやね。

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公園からは海が見渡せた。

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続いて、沖縄県平和祈念資料館へ向かう。

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観覧料を払い、見学する。

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館内は沖縄戦へ至る歴史から、沖縄戦の悲惨さなどを伝える資料が展示してあった。戦中に避難場所及び日本軍の潜伏先になった洞窟(ガマ)内を再現した原寸大ジオラマなどは、何とも迫力があった。当時の資料映像も流れており、ベンチに腰掛けて、じっくり見たが、見終わった後は何とも暗い気持ちになった。

ショック状態が冷めやらぬうちに、平和祈念堂に行った。

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お堂の隣には平和の鐘があるが、鳴らさずにお堂に入った。

内部には、平和祈念堂の理念に賛同する画家のギャラリーがあり、その先にホールがある。

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平和記念像である。

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でかい。高さは12mもあるそうだ。

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上を見ろとな?

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クリスタルガラスが星のように瞬いているらしいが、よく分からなかった。

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記念像の下に潜れるようだ。霊石室なるものがあるらしい。

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文字通り、石が並んでいた。日本全国はもとより海外からも集めた石を陳列していたが、理由は私にはよく分からなかった。

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外にでて、裏手に廻るとビニルハウスがあった。蝶を飼っているらしい。

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蒸し暑いなあ。。。

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国内最大の蝶、オオゴマダラである。

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かなりでかいので、こっちに向かって飛ばれたときは、思わず気持ち悪くて、エビのように飛んで逃げた。

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蝶と平和祈念施設がどうにも結びつかない。どうにも疑問が解決せず、気分がもやもやする。そのせいで、良いのか悪いのか、戦争を勉強した後のショック状態から解放された。

2012年4月10日 (火)

沖縄で感じたこと(その5:ひめゆりの塔)

目的地はひめゆりの塔。ナビの通りに走ったら、何故かサトウキビ畑に連れて行かれた。

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どうやら図のように、ひめゆりの塔は用水路と林の向こうのようだ。うんこナビに憤りを覚えつつもどうにか大通りに戻ると、すんなり目的地に着いた。何をやっているのやら(;´Д`A ```

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ひめゆりの塔に向かう道中、小屋があり、献花用の花が売っていたので、買っていった。

ひめゆりの塔とは、学徒動員された沖縄県立第一高等女学校と沖縄師範学校女子部の生徒たちの慰霊碑である。それぞれの学校誌が「乙姫」と「白百合」であったことから、ひめゆり学徒隊と呼ばれるようになったそうである。

ひめゆり学徒隊は看護要員として従軍していたが、戦局が最悪になった状態で解散が命じられた。しかし、既に米軍が制圧しており、多くの生徒たちが犠牲となってしまったのだ。

最も被害の大きかった第三外科壕の上に立てられた慰霊碑がひめゆりの塔である。

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早速、献花し、冥福を祈る。

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あれ?この小さい碑が、ひめゆりの塔?

意外に小さかったので、びっくりした。

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この穴が第三外科壕である。

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この後は、ひめゆり平和祈念資料館を見学する。壕内の惨状などが紹介する展示物やビデオ上映がされている。第4展示室には、第三外科壕内から出口を見上げた様子が原寸大のジオラマで再現されており、迫力がある。また、第4展示室には、学徒隊犠牲者一人一人の遺影とプロフィールが紹介されている。まだ若くして亡くなった方々を思うと、あまりの悲惨さに目頭が熱くなる。かなりへこむが、現在の平和を実感し、今後の恒久的な平和を実現するためには必要なことだと思った。

2012年4月 9日 (月)

沖縄で感じたこと(その4:旧海軍司令部壕)

2月16日。二日目である。ホテルの近くでレンタカーを借りた。

最初に訪れたのは、旧海軍司令部壕である。これは、太平洋戦争において、最前線が南西諸島まで押し上げられたことにより、重要な拠点である小禄飛行場を死守するため掘られた壕である。

海軍の司令部として使われたが、米軍の上陸により集中砲火を浴びた。弾薬もほとんどあらず、歩兵による突撃を繰り返し、玉砕した。悲惨である。

現在、壕内が一般公開され、周囲も含めて海軍壕公園として整備されている。

ほそ~い、道を走っていくと、視界が開けた。海軍壕公園だ。

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まず視界に慰霊塔が見えた。

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見学にはまずビジターセンターに行く必要がある。

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センター内の資料館を見学する。

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壕内で発見された武器、遺品などが展示されている。

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資料館で沖縄戦の壮絶さ、悲惨さを勉強した後は、壕内の見学になる。

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この先から壕になる。異様な雰囲気が漂っている。

階段を降りていく。雨水が壁や床がびちゃびちゃだ。やがて、階段が終わり、トンネルが続いていた。

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こちらに行くと、信号室とやらがあるらしい。

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ここに通信機があったのであろう。大田司令官が自決前に残した、沖縄県民の献身的な奮闘を讃えた「沖縄県民斯ク戦ヘリ」の電報が有名だ。

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作戦室である。重要な部屋だったせいか、白漆喰で固められている。

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それにしても妙な湿気があり、気持ち悪い。

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幕僚室である。

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この穴ぼこは幕僚が手榴弾で自決した跡だそうだ。思わず、絶句する。

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こんな狭い通路を多くの兵士が行き交っていたのかなあと考えると、不思議な感じがする。

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暗号室は何か秘密めいていた。

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医療室である。多くの負傷兵が収容されていたそうだが、どうみても何人も寝れそうなスペースはない。どうやって、寝かされていたのか?

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下士官室である。最後は、ここに大勢の兵士が待機したため、立ったまま眠らなくてはいけなかったそうである。説明書きに当時の様子が描かれた絵があったが、信じられない光景であった。

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この先の出口から、多くの兵士が突撃していったそうだ。

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この先が司令官室である。

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やはり司令官室は他とは違い、少し広く、白漆喰で壁が固められ、しっかりとした造りだ。ここで、大田司令官は自決されたんでしょうなあ。。。

こうして、見学を終え、地上に上がってきた。もし、自分が兵士として、最後の突撃をするとなったら、どういう気持ちで突撃するんだろうなんてことを考えていたら、かなりへこんだ。平和って素晴らしいですね。

2012年4月 8日 (日)

沖縄で感じたこと(その3:首里城)

最後の坂道を上がると、

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世界遺産でもある園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)があった。この御嶽は非常に重要なもので、国王がちょいと出かけるときにお参りしていたそうだ。

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ちょっと守礼門を見てから、いよいよ首里城内へ潜入する。

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歓会門が入り口である。

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首里城を訪れるのは2回目である。詳しい説明は前回を参照してほしい。

また再び来ようと思ったのは、沖縄に来たならば、やはりここには訪れなければならないのではないかと感じたからだ。まー、奈良に行ったら大仏様みたいなノリだ。

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龍樋を見て、

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中山第一を見る。前回をトレースするような見学だ。

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瑞泉門

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漏刻門

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ド派手な広福門が見えた。

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首里森御嶽がありぃ~の、

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奉神門!

この先は、有料だ。

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立派な正殿ですな~

首里城は、14世紀末には創建されていたそうで、古い歴史を持つ。何回も焼失しており、一番最近は沖縄戦で焼失している。現在、18世紀から昭和20年までの姿を復元している。2000年には世界遺産に登録された。

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早速、内部の見学をするのだ!南殿の入り口から、南殿、番所と見学する。

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しばらくして撮影OKエリアにきた。この先は、書院だ。

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この先の王子が控えの間として使った鎖之間である。ここでは有料であるが、琉球菓子とお茶が楽しめる。歩き疲れていたので、しっかり休憩した。

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続いて、書院の見学に移る。

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書院の見学が終わると、正殿になる。

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1階は、下庫里といい、政治や儀式の場である。

奥の階段から国王が降りてきて、この御差床についたそうだ。

2階は、大庫里といい、王妃や女官の空間だそうだ。こちらの御差床も王の玉座として儀式などを行ったそうだ。

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正殿の見学を終えると、

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北殿である。

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この人、前もいたような気がするなあ。。。

北殿は行政の場だ。

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展示スペースになっている。

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往時はさぞかし、壮大であったろう。。。

北殿を出ると、いよいよ帰路である。

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首里城をでた。やはり、何回来ても面白いものだ。

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とぼとぼ歩いていると、弁財天堂があった。

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きもい鳥やなあ。。。

こうして、ホテルに帰り、1日目を終了した。

2012年4月 2日 (月)

沖縄で感じたこと(その2:首里金城町石畳道)

識名園の見学を終えた私、前回も訪れたが、首里城に行こうと考えた。

ソフトクリームを買った売店のオヤジに聞けば、バスはない、タクシーで行けと言う。。。そこで、識名園にあった観光案内図を眺めた。

・・・歩いていくか・・・

♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:

細い道を行けば、すぐであったが、安全をとって大きな道を行ったため、ずいぶんオーバーランしてしまった。

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この首里金城町石畳道を行けば、首里城に出るはずだ。

首里金城町石畳道とは、1522年に建造が始まったとされる真珠道の一部、大変歴史ある石畳の道だ。真珠道の大部分は沖縄戦で破壊されたそうだ。

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石畳、石畳~と歌いながら歩く。なかなか勾配がある。首里城は高台にあるのだ。

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しばらく歩くと、古い町家があった。ここは休憩所として開放されているが、子供がきゃっきゃっと遊んでいたので、休憩などできなかった。

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そのすぐ近くには、金城大樋川という井戸があった。樋川(ふぃじゃー)とは、湧き水をそのまま石で囲った井戸に引き込んだ共同井戸のことだ。かつて、この地区で絶対不可欠なインフラだったのだ。

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かなり歩いてから、横にそれて、少し歩くと、内金城嶽があり、そこにはアカギの古木が6本生えている。

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あれが嶽かな?

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ここは鬼餅(むーちー)の由来となる土地だそうだ。昔々、鬼になった男を退治するため、その妹が釘入り餅を食べさせたそうな。。。餅を食って弱った鬼を海に蹴り落としたことから、健康長寿のため、旧暦の12月8日に餅(釘なし)を食べるようになったとさ。。。

看板には、さりげなく、沖縄戦で3人の戦死者が出たとある。戦争の影が見えて、少なからずショックを受けた。

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このアカギはかなり大きい。下のほうに洞穴が開いている。

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なんかおった!

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再び石畳道に戻り、振り返ってみた。かなり上まで来たものだ。

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やがて、終点に着いた。首里城はもうそこだ!

2012年3月29日 (木)

沖縄で感じたこと(その1:識名園)

平成24年2月15~16日。沖縄にちょいと行ってきた。今回は、前回行けなかった世界遺産と戦争関連の施設を見学することにした。それでは始まりである。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

2月15日。昼過ぎに沖縄に着くと、国際通り近くのホテルに荷物を置いて、早速街に繰り出した。まずは識名園に行くことにする。識名園にはバスで行く。国際通りの入り口近くのバス停からトコトコやってきた。

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ここが入り口である。

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識名園は、世界遺産である。第二尚氏時代に作られた庭園であるが、その中の建物はほとんど沖縄戦で破壊されてしまった。その後、復元されたものである。

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早速、散策しよう。。。

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まず左手に見えてきたのは、番台という建物である。

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そして、右手に通用門が現れた。

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いかにも亜熱帯という雰囲気の木々が生えている。

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こちらが、正門らしい。門の外は住宅地で、内側は亜熱帯の林と不思議な空間になっている。

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順路を進むと、視界が開けてきた。

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でっかい池が見えてきた。

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こちらは育徳泉という。池の水源の一つだ。特筆すべきは、ここに生える淡水性の紅藻、シマチスジノリが特別天然記念物ということだ。

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シマチスジノリはよく分からなかったが、カダヤシが泳いでいた。

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なんか凄い橋やなあ。。。

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御殿(うどぅん)という中心的な建物が見えてきた。

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靴を脱いで上がれる。

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これは園内で拾われた沖縄戦で使われた砲弾の破片と思われる物体だ。言葉が出ない。

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御殿から庭園全体を眺める。なかなかのものだ。

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かつて中国からの冊封使を迎えた一番座だ。

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お台所だ。

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中庭ですな。京都なんかで見るのとは、えらく印象が違う。

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再び庭の散策をする。

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さっき見たごつごつした橋を渡る。

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六角堂が見えた。

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中国っぽさがある。

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高台から庭を望む。

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滝口?

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これかっ!?池の水が樋から落ちているだけだ。

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池を離れ、再び林の方へ進む。

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沖縄戦で掘られた壕があるそうだ。

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確かに穴があった。

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勧耕台碑なるものがあった。19世紀に冊封使が尚育王を讃えたものである。もともとの碑は戦争で破壊されたため、1980年の復元である。

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勧耕台という展望所である。

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那覇の街が一望できた。

こうして、識名園の散策を終えたが、所々戦争の傷跡が見えて、多少ショックであった。

2009年12月27日 (日)

琉球の雨(その9:食!)

那覇まで戻って、レンタカーを返した。今日は、暴風雨ですっかり濡れて、身体も冷えたし、単純に疲れた。沖縄最後の夜となるので、ちょっと豪勢にいってみますかね。

国際どおりからちょっと裏手に入ったところにある、なかむら屋という居酒屋にやってきた。

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ここは魚が美味いと評判であると、ガイド本に書いてあった。

早速入る。居酒屋に一人ではいるなんて初めてだ。ちょっと緊張して入ると、カウンターに通された。

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カウンターの前には、南国チックなお魚が並ぶ。

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頭上にはふぐ提灯。

注文をとりにきた。右も左も分からないので、店員さんのお奨めを聞きながら、注文する。まずは、泡盛は欠かせない。そして、刺身盛り合わせにグルクンの唐揚、煮魚を頼んだ。

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例によって、何がどの魚やら分からない。店員さんに聞いてみた。

左上:マグロ、右上:カンパチ、左下:アオダイ、真ん中下:ハマダイ、右下:イカだそうだ。

食ってみた。マグロ、カンパチ、イカはお馴染みの味だが、アオダイとハマダイは初めてである。

・・・美味い。普通に美味い。

刺身に舌鼓を打ちながら、泡盛を嗜む。

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グルクンの唐揚がやってきた。これも美味い。ま、唐揚にすれば、たいていの魚は食えるのだが・・・

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続いて、煮魚である。ミーバイとハマダイの煮付けである。ミーバイとはハタ類の魚である。早速食べる。

・・・うま~い!

これは、今回沖縄の旅、最大のクリーンヒットだ。特にミーバイは絶品であった。魚自体も美味いが、味付けがいい。なかなかいい腕してはる。

泡盛がどんどん進む。おや?ちょっと廻ったか?

お腹も満たされ、アルコールで脳内麻痺を起こし、最後の晩餐を終えた。あまりのご機嫌に、おばちゃんに煮魚の汁をズボンに零されたことなんて、気にしない。

ふらふらとホテルに帰り、ぐっすりと寝た。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

翌日早々、壷屋やちむん通りでシーサーを購入し、餅を食い、お土産を買って、空港に来た。

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空港でタコライスを食った。う~ん

相変わらず、天候が悪かったが、飛行機も無事離陸し、帰ることができた。

おしまい。

゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

おまけ

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沖縄のちゃんぽんは、ご飯にごちゃごちゃ乗ってます。美味いけど、重い 

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三笠という食堂で食べました。24時間なので大変便利!