2月16日。二日目である。ホテルの近くでレンタカーを借りた。
最初に訪れたのは、旧海軍司令部壕である。これは、太平洋戦争において、最前線が南西諸島まで押し上げられたことにより、重要な拠点である小禄飛行場を死守するため掘られた壕である。
海軍の司令部として使われたが、米軍の上陸により集中砲火を浴びた。弾薬もほとんどあらず、歩兵による突撃を繰り返し、玉砕した。悲惨である。
現在、壕内が一般公開され、周囲も含めて海軍壕公園として整備されている。
ほそ~い、道を走っていくと、視界が開けた。海軍壕公園だ。
まず視界に慰霊塔が見えた。
見学にはまずビジターセンターに行く必要がある。
センター内の資料館を見学する。
壕内で発見された武器、遺品などが展示されている。

資料館で沖縄戦の壮絶さ、悲惨さを勉強した後は、壕内の見学になる。
この先から壕になる。異様な雰囲気が漂っている。
階段を降りていく。雨水が壁や床がびちゃびちゃだ。やがて、階段が終わり、トンネルが続いていた。
こちらに行くと、信号室とやらがあるらしい。
ここに通信機があったのであろう。大田司令官が自決前に残した、沖縄県民の献身的な奮闘を讃えた「沖縄県民斯ク戦ヘリ」の電報が有名だ。
作戦室である。重要な部屋だったせいか、白漆喰で固められている。
それにしても妙な湿気があり、気持ち悪い。
幕僚室である。
この穴ぼこは幕僚が手榴弾で自決した跡だそうだ。思わず、絶句する。
こんな狭い通路を多くの兵士が行き交っていたのかなあと考えると、不思議な感じがする。
暗号室は何か秘密めいていた。
医療室である。多くの負傷兵が収容されていたそうだが、どうみても何人も寝れそうなスペースはない。どうやって、寝かされていたのか?
下士官室である。最後は、ここに大勢の兵士が待機したため、立ったまま眠らなくてはいけなかったそうである。説明書きに当時の様子が描かれた絵があったが、信じられない光景であった。
この先の出口から、多くの兵士が突撃していったそうだ。
この先が司令官室である。
やはり司令官室は他とは違い、少し広く、白漆喰で壁が固められ、しっかりとした造りだ。ここで、大田司令官は自決されたんでしょうなあ。。。
こうして、見学を終え、地上に上がってきた。もし、自分が兵士として、最後の突撃をするとなったら、どういう気持ちで突撃するんだろうなんてことを考えていたら、かなりへこんだ。平和って素晴らしいですね。