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カテゴリー「山口県」の記事

2016年10月23日 (日)

山口市散策(その5:龍福寺、山口サビエル記念聖堂)

大内氏館跡に建つ龍福寺にやってきた。

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もともとは別のところにあった龍福寺であったが、陶晴賢が主君大内義隆に対して起こした謀反、大寧寺の変で焼失してしまった。その後、毛利隆元により、現在の場所に建てられたのだ。

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さて、龍福寺であるが、山号は瑞雲山、曹洞宗のお寺で、本尊は釈迦如来である。

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大内義隆の供養塔

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こちらの本堂は室町時代に建てられたもので、重要文化財である。

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こちらは資料館

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

続いて、訪れたのは、山口サビエル記念聖堂である。

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なんとも前衛的な教会である。

かの有名なフランシスコ・ザビエル来日400周年を記念して1952年に建てられたが、1991年に焼失。1998年に現在の建物が再建された。

なお、この教会の名は、ザビエルではなく、サビエルである。濁らないそうだ。

内部は撮影禁止である。

中も斬新な感じである。

2階は聖堂である。メタリックなぼてっとした十字架吊り下げられている以外は、特に凝ったインテリアもなく、どこか無機質な印象すら受ける。しかし、単純に祈りということに特化しているのであれば、余計なものはいらないということなのだろうか?

1階は資料館となっており、キリスト教やザビエルについて学べるようになっている。

こうして、今回の山口の散策は終わりである。空いた時間に行った割りには、充実した時間を過ごせた。

2016年10月21日 (金)

山口市散策(その4:菜香亭)

菜香亭は明治10年ごろから平成8年まで営業していた料亭「菜香亭」を移築した施設である。

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ここ自体が歴史的建造物というだけでなく、明治維新からの歴代の政治家が訪れており、書を残おり、歴史ファン垂涎の施設である。

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入ると、すぐにある大広間には、著名人の扁額が数多く展示されている。

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たとえば、伊藤博文である。神戸出身の私としては、初代兵庫県知事も勤めた伊藤博文は尊敬する人であり、感慨深いものがある。

他にも、木戸孝允、井上馨、三条実美、後藤象二郎、山県有朋、寺内正毅、田中義一、松岡洋右、岸信介、佐藤栄作、田中角栄、竹下登、安倍晋三といったビッグネームの扁額が展示されている。

そもそも「菜香亭」という名前は、井上馨が命名したものだそうだ。

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こちらは食器などが展示されている。

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こちらの北客間は佐藤栄作がよく使っていたそうだ。

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後藤象二郎の額

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2階から中庭と大広間が見える。

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中庭。

ところで、大広間で扁額をしげしげと眺めていると、施設の係員が説明してくれた。

伊藤博文は好きだが、井上馨は好かんというと苦笑いしていた。

そして、松岡洋右に大いに反応すると、ちょっとびっくりされた。松岡洋右といえば、国際連盟脱退で、私の中ではかなり有名なのだ( ̄ー ̄)ニヤリ

近代から現代史に興味のある人は、結構テンションがあがる施設だと思われる。

さて、もう少し散策してみようか・・・

2016年10月19日 (水)

山口市散策(その3:常栄寺)

香山常栄寺は臨済宗東福寺派のお寺である。

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このお寺で有名なのは、

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この人!

雪舟の庭があるのだ。

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早速見学するで

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地蔵堂

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鐘楼門

鐘楼門前で拝観の受付を行い、いざ見学だ。

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左手に微かに見えているのは、本堂である。

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元々、常栄寺は毛利元就が長男隆元の菩提を弔うために安芸吉田郡山城内に建立された。その後、毛利家が萩、山口と本拠を移したのに伴い、現在の地に移った。

なお、鐘楼門と宝蔵以外は、大正時代に焼失しており、本堂は昭和8年の再建である。

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これはなかなか雰囲気のある庭ですなぁと、さすが雪舟と思いきや、

かの有名な重森三玲の作庭であった。南溟庭という。

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昭和天皇?

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本堂の北側が雪舟庭である。

雪舟庭は常栄寺の歴史より古く、大内政弘が別邸を建て、雪舟に作庭させたものだ。

あいにくお手入れ中であり、あまりいい絵が撮れなかった。

東西北が山林、南が開けており、中央に池という池泉廻遊式庭園というらしい。

庭園をぐるっと廻ってみると、

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大師堂があったり、

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薬師堂があったり、

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毘沙門天堂があったりした。

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大内政弘の母君の墓と雪舟の筆塚があった。

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広大な庭であった。

2016年10月18日 (火)

山口市散策(その2:洞春寺)

瑠璃光寺のすぐ近くに洞春寺はある。

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山号を正宗山。臨済宗建仁寺派のお寺であり、毛利元就の菩提寺である。

元就の孫、輝元が安芸にある城の中に建立したのが始まりで、その後、山口、萩、山口と移転している。

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こちら本堂。元の本堂は江戸時代に焼失したそうだ。

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観音堂は室町時代のものだそうで、その当時の特徴をよく表しているそうだ。国の重要文化財である。

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観音堂の中。

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こちらは鐘楼門。

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こちらは山門。何気ないが、これも室町時代のもので重要文化財である。

なかなか歴史を感じさせる、よい雰囲気のお寺であった。

2016年10月16日 (日)

山口市散策(その1:瑠璃光寺)

平成27年1月15日。所用で山口市に行ったので、余った時間で市内を散策してみた。

まずは山口市を代表する観光名所、瑠璃光寺である。山口駅の観光案内所で行き方を教わり、バスで訪れた。

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さて、行くか・・・

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門をくぐり、右手を眺めてみれば、いきなりクライマックスだった。

国宝の五重塔である。

いきなりのことでやや驚いた。五重塔はじっくり見学するとして、先に本堂に行こう。

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瑠璃光寺の前身は、室町時代に大内義弘が建立した香積寺である。その後、江戸時代に毛利輝元が香積寺を萩に移し、山口市仁保高野にあった瑠璃光寺をこの地に移転したのだ。

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門をくぐると、本堂が見えた。

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瑠璃光寺は山号を保寧山といい、薬師如来を本尊とする曹洞宗のお寺である。

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仏足石?

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こちらには金比羅さんがあるらしい

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あれか?

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こんなところで金比羅さんに出会うとは・・・

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こちらは鎮守石殿というそうだ。かつて瑠璃光寺が仁保にあったときに、時の和尚が寺の鎮守として建立したものをここへ持ってきたそうだ。

ひととおり、本堂を見学したので、メイン?の五重塔をじっくりねっとり見学する。

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うむ、かっこいい!

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この角度はどうだろうか?

さて、五重塔であるが、

大内文化の最高傑作といわれ、室町時代に建てられた。

屋外にある五重塔として10番目の古さだそうで、法隆寺、醍醐寺と並ぶ、日本三名塔の一つだそうだ。・・・でたよ!日本三大○○・・・

私的には、三名塔は、太陽の塔、PL塔、舞洲スラッジセンターの煙突なんですけどねぇ・・・

あれっ!?全部、大阪や!!!(゚ロ゚屮)屮

:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+

さて、境内のその他のエリアを散策してみよう。。。

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境内のど真ん中のあたりには大内弘世公像。

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この小道を行けば、

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露山堂という茶室。

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その前にある池。

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こちらは枕流亭。ここの2階で西郷隆盛ら薩摩勢が長州勢と薩長連合について密談したらしい。なお、この建物は移築されたもので、元々は別の場所にあったようだ。

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折角だから、入ってみた。

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1階は明治維新で活躍した人物の資料室になっている。

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2階。

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ここで、歴史的な企みが・・・

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こちらが香山墓所。毛利家の墓だ。

なお、ここの石畳であるが、鴬張りになっている。

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ここで、足踏みすりゃええのかな?ほなするで!

・・・

何となくぎゅっぎゅっと鳴っているような気がする。

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こちらが墓所。

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柵でよく見えないなあ。。。

毛利家13代か15代と先祖代々の墓があるようだ。

さて、そろそろ移動するか・・・

2012年3月12日 (月)

長府を歩く(その4:忌宮神社)

忌宮神社(いみのみやじんじゃ)にやってきた。

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忌宮神社は式内社にして、旧官幣小社、長門国二宮という、なかなかの神社である。ご祭神は、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇である。仲哀天皇が熊襲平定の際、行宮とした場所だそうだ。当初は、仲哀天皇のみが祭祀されていたが、後に神功皇后と応神天皇が祭られたそうだ。それぞれが神殿を持っていたが、火災のため、神功皇后を祭る忌宮にすべて合祀することになったことから、その名がある。

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鬼石なるものがあった。

かつて、ここを攻めてきた新羅の武将を討ち取り、その首を葬った場所だそうだ。ただの石にしか見えない。

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ほなお参りしまひょ!

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摂社で八坂神社があった。監督が呼ぶので、行ってみると、祭神を見よという。。。

八坂神社といえば、スサノオノミコトだろうが、その他にもやたらと神々が祀られていた。中には菅原道真の名も・・・

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境内の奥には、蚕種渡来之地を記念する碑が立っている。三代実録によれば、仲哀天皇の治世に、秦の始皇帝の子孫がやってきて、蚕の卵をもたらしたそうだ。それを記念して、建てられているのである。

なかなか歴史のある神社だが、社が新しく、雰囲気はあまりなかった。

こうして、長府の散策を終えた。

2012年3月10日 (土)

長府を歩く(その3:乃木神社)

古江小路を歩く。

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途中には、菅家長屋門がある。

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毛利家の侍医だった菅家の長屋門だそうで、下関市の有形文化財だ。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

乃木神社にやってきた。

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陸軍大将乃木希典を祀った乃木神社といえば、東京のものが有名だが、ここ長府にも存在する。なぜならば、ここ長府が生まれ故郷であるからである。乃木が幼少期を過ごした旧家を再建し、さらに神社を建立した。

乃木希典とは日露戦争の英雄で、旅順攻略が有名である。明治天皇が崩御された際、後を追って、自決したことでも有名である。

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とりあえず、参拝っと!

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境内には、乃木夫妻の像が・・・

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こちらが旧乃木邸である。信じられないくらい小さい。乃木家は長府藩の藩士であるが、藩士の暮らしって、こんなんなん?

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乃木一家。右手前が幼少期の希典だ。

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土間、狭っ!

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旧乃木邸の向かいには、宝物館がある。

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ほほう!「拝観料はおもいより」ですな!?

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おもいよりを入れておいた。

中には、乃木希典縁の品々が展示されている。センサーで展示室の電気がつくというハイテクさだが、時間がたつと勝手に消える。

監督と二人、あーだーこーだ能書きをたれながら、鑑賞した。正直、あんま興味はなかったが・・・

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おお!203高地の松ですか!?

2012年3月 9日 (金)

長府を歩く(その2:長府毛利邸)

功山寺からちょいと歩くと、長府毛利邸がある。

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長府藩という支藩がかつてあった。その藩主である毛利家の邸宅で、十四代元敏公が明治36年に建てた。

明治天皇行幸の記念碑があるが、明治35年に熊本での陸軍演習を視察した際、滞在したそうである。

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表門である。

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ほな入りまひょ!

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玄関である。ここから内部を見学できる。

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明治36年ということと、きっちり管理されていることで、かなり新しさを感じる。

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窓から庭が・・・。風流ですなあ。。。

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ほほお!ここに明治天皇がご宿泊されたのか!?

意外に狭い?

順路を追っていくと、外に出ることができる。

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外から建物を見るのも、乙である。

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池があった。

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振り向くと、監督がスマートフォンを弄っていた。庭はお嫌いか?

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こっちの庭は入れない。

再び、中に入る。

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この階段は?

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上に上がると、毛利家の皆さんの写真やら何やらが展示されていた。

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中庭である。

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こうして、長府毛利邸の見学を終えた。少し古い家ということで、寺マニアな我々にはテンションが上がる場面がなかった。

2012年3月 5日 (月)

長府を歩く(その1:功山寺)

平成23年12月25日。クリスマス。。。

前日は、世の中のリア中たちを呪いながら、夜が更けた。今日は、監督と長府に行くことになった。というか、家族サービスしなくていいのか?

長府は、山口県は下関市にある、地区である。古びた町並みや旧跡がある。長府までは、九州道で下関までやってきて、あとは一般道ですぐである。

まずは功山寺に行くことにした。

功山寺の近くで駐車場にとめる。この駐車場は係りの人もおらず、料金箱があるのみであった。ま、当然払ったけどね。。。

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金山功山寺は曹洞宗のお寺である。長府毛利家の菩提寺でもある。ここの仏殿は鎌倉時代のもので、国宝に指定されている。

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総門をくぐる。

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入ってすぐに左手にあるのは、地蔵堂である。

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山門が見えてきた。

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立派な山門だ。

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山門をくぐると、早速正面に仏殿が見える。

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おお!何やら雰囲気があるぞ!さすが、国宝である。

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この先に毛利家の墓所がある。

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うにょ?扉が閉まっておるぞ!?

隙間からのぞいてみた。

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あれが、墓か・・・

近くで見れないのは残念ですなあ。。。

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境内には、他にも輪蔵なんかがある。

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そして、これ!

高杉晋作像である。

ここ、功山寺は高杉晋作が長州俗論派(いわゆる保守派)の打倒のため挙兵した舞台なのである。高杉晋作ファンならば、垂涎なのであろうが、全く興味のない監督は、遠い目をしていた。私は、すこしくらいは興味があるので、ちょっとテンションが上がった。

何にせよ、国宝の仏殿だけでも必見の寺といえるだろう。。。

2009年6月 1日 (月)

下関決闘編!(その5:日清講和記念館)

赤間神宮のすぐそばに日清講和記念館がある。

明治28年、春帆楼というふぐ料理屋で日清戦争の後始末、日清講和会議が開かれた。そのときのセットを展示している施設なのである。

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てくてく歩いていると、伊藤博文と陸奥宗光の胸像が・・・

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こちらが記念館である。ま、せっかくだから入る。

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こんな風に椅子が並んでいるだけである。

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当時の様子が描かれている。

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伊藤博文と陸奥宗光の席である。

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こっちが清国代表の李鴻章の席である。

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日清戦争というと、日本と清の戦争を意味するが、実は清側が戦争に参加していたのは、李鴻章の私軍である。つまり、李鴻章軍VS日本軍という構図なのである。逆に言えば、李鴻章だけに頼るほど、清が脆弱化していたという見方もできるのでは?

ところで、日清戦争といえば、「まだ沈まぬや定遠は・・・」という名文句がある。

元阪神監督藤本定義が優勝戦線でこの台詞をつぶやいたとかつぶやかないとか・・・

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記念館の前の道は、李鴻章道とかいうらしい。。。

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何の変哲もない生活道路なんだが・・・

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今回の視察はこれでおしまいであるが、最後に門司に渡り、門司レトロで焼きカレーを食べたことを記しておく。

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