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伝説の旅ベスト5

  • 第五位:第一次九州遠征(2号線の旅)
    1999年3月に国道2号線を使って、神戸から北九州まで旅をした伝説。帰りはフェリーで松山に上陸し、四国を横断して帰ってきた。
  • 第四位:ハワイのんびり旅行
    2005年12月。ホノルルマラソンに出走。人生を変えた旅。
  • 第三位:英国旅行
    飯は不味いが、とにかくお洒落な街と大英博物館、ストーンヘンジ、カンタベリー最高!
  • 第二位:中欧旅行
    ベルリン、プラハ、ブタペスト、ウィーン、ヴェネチア、アムステルダムと6カ国の都市を主に列車で巡った。飯が美味かった。
  • 第一位:北部インドの旅
    2007年2月。とにかくカルチャーショックの連続だった。

カテゴリー「広島県」の記事

2009年1月13日 (火)

中国大返し(その6:耕三寺後編)

千仏洞地獄峡から地上に出た。シャバの光が眩しいぜ・・・

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救世観音大尊像とある。その名のとおり、法隆寺夢殿の救世観音像をぱくったものだ。本物は、こんなにでかくない。これは15メートルあるらしい。

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茶祖堂とある。

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中を覘くと、なんか茶人が鎮座されていた。使い古した茶葉を箱に入れると、法要をしてくれるらしい。

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多宝塔は石山寺のぱくり。

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この階段の向こうに、未来心の丘とやらがあるらしい。ちなみにバリアフリーも考えられているのか、エレベーターも設備されている。

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おう!階段を上ると、そこは一面、大理石だった。。。

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なんじゃこりゃ?

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天猫らしい。

「仏教護法の十二天より「月天」を望む猫・・・イタリアのお月さまもいっしょかな」

誰か、この電波語を解読してくだちい。

イタリアというのは、この大理石がイタリアから輸入されたからどろうけど・・・

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喫茶店も完備されている。

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なんじゃ、あの合掌は?

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光明の塔とある。

「仏教護法十二天より 「日天 」が放つ光(希望)の塔・・・ 西に沈む太陽に合掌」

やっぱ、合掌なんや!?!!(゚ロ゚屮)屮

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風光明媚な瀬戸内の景色と大理石の珍オブジェのコンストラクトがシュールである。

未来心の丘を後にし、戻ってきた。

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なかなか面白いつくりですな。上にある建物はさっきの茶祖堂である。

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銀龍閣である。当然、銀閣のぱくりである。

http://markun-angya.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_a02b.html

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お母様のお部屋?

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こいつが書院かと思いきや、書庫のようだ。

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これが、潮聲閣(書院)である。耕三和尚がお母様のために建てたものである。

この前でスタンプラリーのスタンプを押していると、信者の方が、どうぞ中を見学してくださいと声をかけてくれた。では、見学させていただく。

玄関では、明日行うという餅つきの用意をしていた。

ご婦人の後に着いて、台所やら浴室やら、豪華な客間などを見ていく。そして、最後に・・・

「こちらがお母様のお部屋です!」

思わず顔がにやけそうになるのを我慢する。

なんか売れないマジシャンとワラビ餅好きの大学教授のコンビの推理ドラマでこんなん見たような・・・。

゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

書院をでて、とある水槽を覗くと、天然記念物のオオサンショウウオがいた。

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ちゃんと許可得ているのかな?許可を得ず、所持すると文化財保護法でぱくられますよ。

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鐘を打ち鳴らし、耕三寺をでた。

しかし、これだけではない。

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耕三寺博物館である。耕三和尚がかき集めた文化財が展示されている。

ちなみに、島にまつわる文化財は一つもない。ここで、スタンプラリーを終了し、絵葉書をもらった。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

耕三寺を後にし、もう日没コールドである。

一路、神戸の実家に向う。因島で実家に電話をする。

「ごめん、今因島。少し遅くなるわ。」

呆れられた。

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ちなみに耕三寺でもらったお茶は、なんかえげつない味がした。

おしまい。      

2009年1月12日 (月)

中国大返し(その5:耕三寺中編)

岩場に洞穴が開いている。

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千仏洞地獄峡という。さっそく中に入る。

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早速、お地蔵さんご一行様である。

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壁には十六羅漢が埋め込まれている。

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おやおや、閻魔様のようですな。。。これから地獄が始まるようだ。

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壁に八大地獄のレリーフが飾られている。まずは、火車で地獄まで送迎してくれる。

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初級の等活地獄。殺されては、極卒のレイズをかけられ、等しく生き返らされるということから、等活地獄と言う。悲惨やね。

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黒縄地獄。黒縄とは、大工道具の墨糸のことらしい。墨糸とは、材木を切り出す時に、目印の線を引く道具だ。これで目印をつけて、極卒にばらばらにされるらしい。それにしても、ばらばらにするのに、別に目印付けんでもええんじゃないの?適当でいいやろうに・・・。

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衆合地獄。鉄の山が崩れて、つぶされる。また、剣の林の木の上に美人で誘惑するので行ってみると、美人は木の下にスーパーイリュージョン。この昇り降りを繰り返し、血みどろに・・・。いやっ、行かんでええやん!

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叫喚地獄。シンプルに釜で煮られたり。。。泣き叫びまっせ。

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大叫喚地獄。叫喚地獄よりでかい釜で煮られる。釜の大きさは関係あるのか?

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焦熱地獄。とにかく、めっさ熱くて、それまでの地獄の炎が雪のように冷たく感じるらしい。目口鼻とかに細かく分解されて、焼かれるらしい。そのまま焼かれるほうが、つらいやろ?それにしても、極卒さんは、重労働だ。火傷とかしたら、労災おりるんかな?

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大焦熱地獄。焦熱地獄のパワーアップ版ですな。

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最後は阿鼻地獄である。とても筆舌に尽くしがたい責め苦を受けるのだ。そもそも地獄の最下層なので、到着までに2,000年落ち続けるらしい。最悪である。

いやぁ、地獄には行きたいものですね。でも飲酒は叫喚地獄行きらしいですよ

アワ((゚゚дд゚゚ ))ワワ!!

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今度は、六道の勉強をさせてくれるらしい。まずは、地獄道。

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餓鬼道。

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畜生道。

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修羅道。

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人間道(生苦)。

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人間道(老苦)。

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人間道(病苦)。

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人間道(死苦)。

・・・人間道って、生まれること自体が苦しみなんですな。。。テンションが下がる。

(´・ω・`)ショボーン

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最後が天道である。一見、天道が一番良さそうだが、晩年は悲惨になるらしい。どっちみち、どこに転生しようが、苦しみがあるということで、唯一の救済は、輪廻からの解脱になる。がんばって、修行せぇということやね。

レリーフによるお勉強が済むと、今度は、再び彫刻群が現れた。

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すっかり、千仏洞地獄峡を堪能した。これだけでも1,200円の価値はあったか?

あぁ、勉強になった。地上に出た。

次回へ続く。 

2009年1月11日 (日)

中国大返し(その4:耕三寺前編)

大三島から生口島に渡ってきた。隣の島であるが、こちらは広島県である。

目的地は、耕三寺である。浄土真宗本願寺はのお寺で、山号は潮聲山である。実は、この寺、珍寺マニアの中では、非常に有名なお寺なのである。

駐車場に車を止めて、歩くと、やたら赤い門が見えてきた。

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期待に胸が膨らむ。

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なんて、山門であろうかっ!

とても日本のお寺ではない。香港か台湾みたいである。

拝観料を払う。

(・_・)エッ....?

今何と?

おばさん:1,200円になります。

・・・・・・・・・・・・

高っ!

これで、しょぼかったら、責任者呼んでこーいっ!の世界である。

高すぎる値段設定に少し、後ろめたいものがあるのか、ペットボトルのお茶をサービスでくれた。それと、スタンプラリーをすると、絵葉書がもらえるらしい。

では、早速見学である。

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早速、五重塔がそびえ立っている。モチーフは室生寺である。

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法宝蔵というらしい。戦争で消失した四天王寺の金堂をぱくったらしい。

中は、金持ちのコレクションを展示している。

金持ち。。。

耕三寺を開山した和尚、耕三寺耕三氏は、大阪で成功した実業家である。後年、おかんの菩提を弔うため、僧籍に身を移し、この寺を開山したのだ。そして、稼いだ金を惜しげもなく、使ったのだから、大層ブルジョアなお寺である。ちなみに、日本中の有名なお寺をぱくっている。

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こちらは、僧宝蔵で、茶道具を展示している。

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どっかで見たな。。。

http://markun-angya.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_e312.html

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どっかで見たな。。。

http://markun-angya.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_cbcf.html

それにしてもどえらく金がかかっている。

料金は少々高めであるが、「寺はテーマパーク」という私の持論に見事に合致した、素晴らしいお寺である。ここを参拝するお客は、当然、そういうものを期待しているのでしょうな。。。

耕三寺の全貌は、まだまだ序の口である。次回へ続く。

2008年1月16日 (水)

戦国ロマン!千畳閣。広島の旅(その7)

千畳閣エリアにやってきた。

千畳閣の隣には、五重塔がそびえ立つ。

室町時代中期建立と伝えられている。

美しいの外部だけでなく、内部も極彩色で、

龍や観音が描かれているらしい。

明治の神仏分離で仏像は、大願寺に移されているらしい。

一般公開されていないので、見れないのが残念だ。

この塔の立つ岡は、厳島合戦で陶軍が陣を敷いたらしい。

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続いて、千畳閣である。

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ここは豊臣秀吉が安国寺恵瓊(えけい)に命じて作らせた大経堂で、

広々とした建物である。

白石先生は安国寺にとても反応していた。

さすがは戦国マニアである。

秀吉がなくなったため、天井もなく、壁もない未完成なままなのである。

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明治の神仏分離で現在は豊国神社となっている。

中は非常に涼しい。

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宮島観光を終え、広島市内に戻ってきた。

最後に白石先生と前田グッズを物色したが、

すでに売り切れていた。

後日、インターネットでグッズを購入した。

私は記念ユニフォームを購入したが、

白石先生はリストにあったほとんどのグッズを買ったらしい。

ちなみに白石先生は近鉄ファンで阪神ファンである。

夕方、私はバスで博多へ、白石先生は新幹線で京都に帰った。

おしまい。

2008年1月15日 (火)

ワンダーランド大聖院!広島の旅(その6)

大聖院にやってきた。

そんなつもりは全くなかったのだが、

ここは相当な珍寺であった。

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仁王門はいかにも名刹であることを物語る。

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仁王門をくぐると、階段が続き、マニ車が延々と続いている。

とりあえず、ぐるぐる回す。

途中でアンパンマンの石像もあった。

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御成門である。いよいよメインが始まるのである。

上につくと、景色が一転し、趣のある建造物群が並ぶ。

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観音堂である。行基作と言われる十一面観音が祀られている。

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続いて、摩尼殿である。ここにも賓頭盧尊者がいる。

ちなみに二階は、怪しげに大群の仏様が祀られていた。

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大師堂である。そうここは真言宗(御室派)の名刹なのである。

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遍照窟である。四国八十八箇所の本尊が祀られ、

お砂踏みができる。

プチお遍路体験ができるのだ。

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11番札所藤井寺に大阪の藤井寺出身の白石先生は反応していた。

関係ないけどね。。。

大聖院の珍寺ぶりに、

これは、

「フェイバリットサイトである「珍寺大道場」に連絡だ。」

などと興奮してたが、

家に帰って、サイトチェックすると、既に紹介されていた。

さすが・・・。

2008年1月14日 (月)

宮島水族館。広島の旅(その5)

大願寺を見た後、昼食をとる。

蕎麦を食った、うまくなかった。

昼食後、宮島水族館へ行った。

白石先生は水族館巡りが好きで、

我が福岡県のマリンワールドもすでに行っておられる。

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宮島水族館に入る。

しょぼい・・・。

でも、こういうしょぼい水族館は嫌いじゃない。

しかし、メインの大水槽がエイのババだらけで汚かった。

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ミズクラゲの水槽があった。赤い光を当てていて、きれいだった。

白石先生曰く、普通青ライトとかで赤ライトというと珍しいらしい。

まあ、所詮はミズクラゲなのだが・・・。

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すげー!ボラの大遊泳である。

ここまでボラに力入れなくても・・・。

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北の魚の水槽だが、普通サケ科魚類とオオカミウオは一緒に入れない。

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すげー!アメリカンシクリッドとカイヤン(タイとか東南アジア)を一緒に入れてる。

水族館として、まったく異なる地域にいる魚を一緒に展示するのはいかがなものか?

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こちらはグラミィ(東南アジア)とアフリカンシクリッドの競演である。

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シロワニである。ワニとはサメの別の呼び方なのである。

他にもフカともいったりする。

とにかくこれはシロワニという種類なのである。

いかついが、おとなしいらしい。

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アザラシがいたり・・・。

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コツメカワウソがいたり、結構普通なのもいた。

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屋外に出ると、トドが暑そうであった。

客に水を浴びせて、顰蹙を買っていた。

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宮島水族館を出て、次の大聖院へ向かう途中、

「西の松原」という突堤内に「清盛神社」なるものを見つけた。

昭和29年創建とかなり新しい。

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いよいよ次回はワンダーランド大聖院へ・・・。

宮島・大願寺。広島の旅(その4)

厳島神社に参拝した後は、すぐ近くの大願寺に行った。

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三門があるが、なんか道路に置いてあるだけという感じがする。

門自体は、いいものなのに、周りとの調和が・・・。

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ここは、明治まで、厳島神社の普請奉行として、

千畳閣、五重塔などの大伽藍の中心をなしていた名刹なのである。

本尊は、秘仏厳島弁才天である。

江ノ島、竹生島と並んで、日本三大弁才天だそうである。

しかしながら、どうしても神社に眼が行くので、

存在感は薄い・・・。

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賓頭盧尊者がいたので、頭をなでた。

なんだか周りと調和が取れず、明らかに浮いた寺であった。

もったいないものである。

2008年1月12日 (土)

絶景!厳島神社。広島の旅(その3)

平和公園をあとにして、

次は広電に乗り、宮島に向かう。

目的はもちろん世界遺産厳島神社である。


宮島に行くのは、2003年3月第4次九州遠征の途中によったとき以来である。


宮島口で電車を降り、船で宮島に向かう。


しばらくすると、鳥居が見えてきた。

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港に着き、船を降りると、鹿だらけだった。

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そして、こんなのも・・・。

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そして、もみじ饅頭屋が立ち並ぶ。

こんなんで経営は成り立つのか?

しばらくあると、厳島神社に到着。

あいかわらず、不思議な神社である。

回廊の下が海で潮が満ちると、海の上に神社が浮かぶのである。

ちなみにボラが泳いでいた。

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本殿、平舞台、高舞台のいずれもが平安時代のもので国宝である。

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能舞台である。重要文化財になっており、江戸時代のものらしい。

ここ厳島神社は、平家の庇護のもと、隆盛を極めた。

今の原型は平清盛によるらしい。

平家が滅亡すると、厳島神社も寂れたが、

戦国になると、毛利家の援助を受け、再び栄えたのだ。

そして、豊臣秀吉も参詣しているのだ。

現在は、ご存知、世界文化遺産なのである。

海に浮かぶ神社として、その幽玄な姿から、

外国人観光客の受けもよいらしい。

素晴らしいものを見た後、少しディープな世界へ探検することになった・・・。

平和の祈り。広島の旅(その2)

平成19年9月2日


前日の興奮冷めやらず、早朝に起きた。


今日は白石先生を巻き込んで、広島観光をする。


まずはホテルからも近い平和公園へ行く。


そういえば、原爆ドームって、しっかり見たことがない。

前は車窓から垣間見たのみだ。


平和公園には平和を象徴するオブジェ群がかなりある。

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まずは原爆慰霊碑である。

「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから。」

刻まれた言葉が心に響く。

後ろに原爆ドームが見える。

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原爆の子の像である。

原爆投下から10年たち、白血病でなくなった方をきっかけに、

作られた像なのである。

次は、原爆供養塔である。

8月6日になると、この供養塔の前では、

宗教を越えて供養慰霊祭が行われる。

この供養塔の前では、仏教もキリスト教も神道も全て平等なのである。

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韓国人原爆犠牲者慰霊碑である。

故郷を離れ、原爆の犠牲となった方々はさぞ無念であったろう・・・。

台座は亀で、碑の上部は龍の彫刻がなされている。

朝鮮半島では、死者は亀の背に乗って、昇天するという伝説があるらしい。

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平和の鐘があった。

日本の音風景100選にも選ばれているらしい。

犠牲者の菩提を弔うために、打ち鳴らした。

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動員学徒慰霊塔である。

私もついこの間まで、学生だったので、

思わず自分と重ね合わせたてしまう。

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原爆ドームである。

川面に映る姿が物悲しくもあり、美しい。

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ドーム内部である。原爆投下のすさまじさを今に伝える。

今回、見た平和公園内のオブジェは、

不謹慎な表現かもしれないが、

どれも美しかった。

そして、心の奥になんとも言いようのない悲しみが・・・。

2008年1月10日 (木)

前田伝説!広島の旅(その1)

平成19年9月1日~2日に広島に行った。


平成19年8月14日の夜、

私は伊豆のとある旅館でくつろいでいた。

そのとき、携帯が鳴った。


電話の主は、大学院時代の友達の白石先生である。

「9月1日くらいに広島に行こうと思うけど、広島まで出て、

一緒に野球を見ないか?」

というお誘いだった。


この何気ない会話の中の9月1日が、

とんでもないことになろうとは思わなかった。


約束の日が近づくにつれて、前田が着々と金字塔に近づいていたのだ。


そして、8月31日時点で、通産1999安打となった。


9月1日朝。

天神バスセンターから広島バスに乗り込む。

一眠りしたら、すぐに広島に着いた。

広島のバス停留所は、広島球場のすぐ近くである。

もうすでに長蛇の列が並んでいる。

それを見た馬鹿者が理由を知らず、騒いでいた。

「阿呆か!前田の2000本安打も知らんのか!」と、

心の中で叫んだ。

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とりあえず、白石先生に電話する。

もうすでに白石先生は列に並んでいた。

今回は研究室の後輩2人も一緒だ。

もっとも私の去ったあとの世代なので、

あまり知らない。

しゃべりかけると、後輩が全然気づかないので、

「殺すぞ!」

と、脅すと、本気でびびっていた。

いよいよ球場に突入する。

すごい!初めての広島球場だが、やっぱり球場全体が興奮のるつぼである。

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そしてあれを見つけた。

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しばらくすると広島選手団が入ってきた。

前田は・・・?いたっ!

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試合は広島が高橋、中日が小笠原の選抜で開始した。

広島高橋を見た瞬間。今日は荒れると予想したが、

見事的中!

試合は両チーム7本のホームランが飛び交う乱打戦となった。

しかし、前田がなかなかヒットを打たない。

6回表には、フェルナンデスが登板。

白石先生はものすごく喜んでいた。

スタンドから見ると、ただのスローボールにしか見えない。

そして、普通に打たれている。

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そんな中、立浪がホームラン。。。

なんとこれが3500塁打達成の瞬間であった。

これはまずい・・・。

私は、今まで近鉄ローズのシーズン本塁打新記録を見に行こうとし、

オリックス谷のシーズン二塁打記録を見てしまったり、

西武カブレラのシーズン本塁打新記録を見に行こうとし、

西武西口の100勝目を見てしまったりしているからだ。

これは前田の記録が見れないパターンかな?

7回裏が始まる前に、元祖広島の風船あげを鑑賞した。

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7回裏に前田のアウトで終了し、8回表を終わって7-6で1点ビハインド。

これはあきらめた!

さて、今日はぱーっと飯でも食って、

明日は思いっきり観光するか!などと考えていると、

予想外のドラマが待っていた。

8回裏に広島が打つわ、打つわ!

とうとう前田まで回ってきた。

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そして達成・・・。

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あまりの興奮に目がしらが熱くなる。

周りの広島ファンたちとハイタッチした。

今日だけは、広島ファンである。

考えたら、私の子供のころからのスター選手では、

前田が最後の戦士かもしれない。

今の選手たちは、それほど思いいれがないからね。

14-7と広島が逆転し、最後は横山が抑えて、試合終了。

試合後のセレモニーでは、前田が男泣き。

私ももらい泣き。

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最高の一日であった。

街中お祭り騒ぎである。

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試合後はお好み村で、広島焼きを食す。

ここでも広島ファンと熱く語った。

たぶん向こうはこっちがばりばりの阪神ファンとは思ってないでしょう。

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ホテルに帰る途中。

うっちょから

「前田が2000安打達成したよ。」

とメールが入った。

てか、私は生で見たんだけど・・・。

しかも、私が前田に似てるとな?

それは光栄ですなと、白石先生に言われた。

私もそう思う。

ホテルに戻り、明日の広島観光に備えた。

P.S. こんなの食べました。

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