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摂津国一宮といえば、住吉大社が有名であるが、もう一つ一宮を称する神社がある。
坐摩神社である。読み方はいかすり神社であるが、通称でざまじんじゃとも呼ばれている。
船場に立地するこの神社の鳥居は、非常に珍しい。3つの鳥居が合体した三ツ鳥居というものである。 住吉大社のせいであまり有名ではないが、式内社という歴史ある神社なのである。
ビル街の中にあるが、境内は厳かな雰囲気を醸し出している。
上方落語寄席発祥の地がそうだ。初代桂文治が寄席を開いたという話があるそうだ。
境内には、
稲荷神社や
陶器神社などがあった。
平成25年9月22日。大阪の町を歩いてみた。
大阪市営地下鉄谷町線の谷町九丁目で降り、しばらく歩くと生國魂神社がある。
読み方はいくくにたまじんじゃという。地元ではいくたまさんと親しまれているそうだ。
式内社にして、旧官幣大社。大層歴史ある神社なのであるが、
ご覧のように、コンクリート作りである。
何故こうなっているかというと、度重なる本殿喪失を経験しているからである。戦国時代の石山合戦で焼失、大阪夏の陣で焼失、明治時代のミナミの大火で焼失、太平洋戦争の大阪大空襲で焼失、ジェーン台風で倒壊・・・
再建しても再建しても、災難にあうので、昭和31年に現在のコンクリートで再建を果たしたのだ。風情はないが、これだけ災難にあえば仕方ないであろう。
生島大神、足島大神を主祭神としている。国土・大地の守護神だそうだ。
少し境内を歩いてみる。摂社・末社は多そうだ。
おや、まだ奥にあるらしい。なかなか広い境内だ。
ん?アクリル板で蓋をしているけど・・・?
お!錦鯉が泳いでいる。
精鎮社という、えべっさんと弁天を祀る、とにかくご利益がありそうな社であった。しかし、何故に錦鯉?
社がいくつか並んでいた。
鴫野神社。淀殿縁の神社だそうだ。
源九郎稲荷である。義経がお世話になったということからその名がある稲荷社である。元祖は大和郡山にある。
この稲荷は祐徳稲荷から分霊したそうだ。
浄瑠璃神社である。近松門左衛門や文楽の関係者を祀る神社である。いかにも上方らしい神社だ。
井原西鶴の像が鎮座していた。
いくたまさんは本殿はコンクリートで残念だが、こういった境内の散策をすると、なかなか趣がある神社であった。
平成25年1月3日。年が明けた。新年の初詣は恒例と化しつつある、4人組で行く廣田神社であった。毎度のことで微妙な御神籤を引いてしまったが、まあ、いつものことであるので今回は報告しない。
さて、正月も3日目となった閑な日に大阪まで出張ってみた。当初は生国魂神社でも行こうかと思ったが、神社に近付くと、あまりにも人が多いので、やめた。
そこで確かに難波に特徴的な神社があることを思い出した。でんでんタウンに行くついで、詣でてみるか・・・
難波八阪神社である。やさかさんといえば、京都の八坂神社が有名だが、ここのやさかは字が違う。「坂」ではなく、「阪」だ。ここらへんに大阪の心意気を感じる。
字は特徴的だが、ぱっと見は特に変わった様子は無い。ご祭神も八坂神社系らしくスサノオノなどである。
境内を歩くことしばし、やがて物体が見えてきた。
はあ・・・?
これは凄まじいデオチである。舞台が獅子の口の中にある。その名も「獅子舞台」だ。
ちょうど正月ということで、雅楽?舞が奉納されていた。
天狗?
演奏も雅である。
こういうのは正月くらいしか見れないかもしれない。ちょっと得した気分だ。
すっかり獅子舞台に夢中になったが、こちらが拝殿+本殿である。
この神社は歴史はあるそうだが、昭和49年に本殿とともに獅子舞台を建ててしまったのだ。
何で建てたんやろうなあ・・・?真面目にやってきたからよ!
おみくじが充実しておる。
おお!別の出入り口からだと、獅子舞台が丸見えだ。こんなん道歩いていて見つけたらびっくりするわな。正月のっけからデオチであった。
石切神社の参道には、とっても不思議な商店街がある。何と言っていいかわからないが、とにかく独特だ。あまり関わりたくない雰囲気がある。特に石切大天狗とか書いてあるところは、とんでもないワンダーゾーンだ。あいにくお休みのようで中には入れなかったが、とにかく気色悪い雰囲気が漂っていた。
しばらく歩くと、不動明王が祀られていた。
おお!水かけ不動さんだ。
不動明王から少し歩くと、いったん途切れ、再び商店街が始まる。
この鳥居のすぐ近くには、
石切大仏がある。日本で三番目らしいが、何が三番目なのやら・・・?
道を歩いていると、右側に千手寺なる寺があるらしい。
ちょいと寄ってみるか・・・
終了。
役小角が開いたとかで、大層歴史のある寺らしいが、小さかった。本尊の千手観音は南北朝時代のものだとかで、貴重な文化財であるが、見れなかった。頼めば見れるのかしら・・・?そこまで興味がなかったので、あっさり引き下がる。
元の参道に戻る。小屋の中には怪しげな牛?が・・・
献牛祭とかいうお祭りで使うものらしい。でかい牛の顔に車輪がついたものだ。
しばらく歩くと、近鉄石切駅についた。看板で上社の存在を知る。それは行かなければ・・・!
なんだかありがたそうなものを発見!爪切地蔵尊である。なんでも弘法大師が一夜で爪で彫り上げたという・・・
またか!弘法大師さま!
筆を投げたら字が浮かび上がったり、両手両足に筆を持ち、ジャンプしている間に四肢で字を書き上げたり、とにかくすごいお方だ。さすが、スーパースター
いよいよ上之社である。
なんか変なものが見えるぞ!
これか!?
石切夢観音。甘美な響きがする。是非見学したかったが、お休みなのか、門扉は固く閉ざされていた。
この上が上之社である。
上之社である。その創建は下社より古い。しかし、明治時代に下社に合祀されてしまった。記念碑だけが残っていたが、昭和47年に上之社として再興したそうな。
拝殿の裏に本殿が見える。
さて、もう少しぶらぶらして帰りますか・・・
滝があるらしい。
これっ!?
あまりのスケールの小ささにすっかり意表をつかれたが、水はきれいそうだ。
何じゃこりゃ?
おお!こんなところにも小亀ちゃん
他にも摂社あり。
なんか不思議な建物が・・・
登美霊社という、れっきとした神社である。三炊屋媛(登美夜毘売)を祭神としている。かつて河内と大和を納めていた登美一族の先祖らしい。奈良の登美が丘は登美一族と関係あるのかしら?
中はなんとなく古代の竪穴住居のようだった。
こうして、石切を後にした。帰りは、近鉄で帰り、せっかくだから日本橋など行ってみたが、まあそれはここでは省く。
おしまい。
平成22年12月30日。いよいよ明日は大晦日というときに、例年ならば京都に行ってきたが、今年は趣向を変えて、東大阪の石切神社に行ってみた。前々から行こうと思っていたが、ついつい後回しにしてきたので、この際行ってみることにしたのだ。
特に急ぐこともないので、地下鉄中央線に乗って、のんびりと新石切駅までやってきた。ここから歩く。
しばらく住宅街のようなところを歩くと、見えた。
なかなか立派な楼門だと思ったら、なんと絵馬殿であった。
しっかり門神もいるし、どうみても楼門なんだけど・・・
夕張から石炭の奉納・・・。何で!?
石切神社は正式には石切劔箭(つるぎや)神社という。こんなん読めるか~!ちなみに絵馬殿の屋根の上に刺さっているのが、劔箭だそうだ。
かつての延喜式内小社であるが、ここが有名なのは、デンボの神様ということである。
いよいよ本殿が見えた。
ご祭神は、饒速日尊(にぎはやのみこと)と可美真手命(うましまでのみこと)である。さて、なんでデンボの神様かというと、、、てか、そもそもデンボが分からんか・・・
デンボは関西の言葉でできもの、腫れ物のことだ。
石切劔箭という言葉が「石を切るぐらい、ごっつい剣やで!それやったらデンボも切ってくれますわ。」と曲解されたようだ。この変わったデンボ信仰は昭和になってかららしい。
あいにくデンボで悩んではいないが、参拝をする。本殿の前に百度石があるのだが、数人が延々とぐるぐる回っていた。お百度参りである。この石切神社は何故かお百度参りでも有名である。
本殿の脇から裏側に抜けられる。
裏には摂社や末社がいくつかある。
何々・・・?願い事を小亀に入れて、神霊水に入れよとな・・・?
うげっ!?何じゃ、こりゃ?
一個一個見れば、可愛らしい小亀の瀬戸物も、こんなけよーさんあると、キモいわなー
買ってみた
腹側に穴があり、ここに願い事を入れるらしい。
良縁を期待して、願い事を入れた。
頼むぜ!小亀ちゃ~ん!!!!
来年はいいことありそうだなあ・・・
再び本殿に戻ろうとすると、巫女さんが慌しく働いていた。もうすぐ大晦日やからね。
こちらの水神社には、本物の亀がいた。
こうして、参拝を終えたのだが、実は石切神社はまだ続く。そこんとこは次回に・・・。
再びでんでんタウンに向けて歩いていると、気になる看板を見た。
「真田幸村戦死の地」
・・・なんですとっ
ここ大阪夏の陣で真田幸村は戦死したが、その場所はこの安居神社の境内だっという伝承があるそうだ。戦国ファンとしては、見に行かなければ!
参道とは言うものの、どうみてもビル街の路地である。
やがて、視界が開けた。
ここが戦死した場所だそうだ。もう枯死しているが、当時戦死した場所には一本松があったそうだ。
ちなみにこのちんまいおっさんが幸村らしい。う~ん、イメージ違うなあ。。。
少彦明神が祭られていたが、後で菅原道真も祭られるようになったようだ。道真が大宰府送りにされるとき、ここで休息をとったので、その名があるという伝承がある。
かんしづめの井?
あれ?立ち入り禁止?
上から覗く。
あった!名水安居の清水(別名かんしづめの井)である。うまいんかいな?
再び歩く。
おっ!通天閣!
でんでんタウンに行く前に寄り道をする。
今宮戎である。
関西人はとっても十日戎が大好きである。そのフィーバーぶりは1月に二回元旦がくるようなもんだ。特に有名なのが、えべっさんの総本社「西宮神社」とここ今宮戎神社である。
元兵庫県民の私はえべっさんといえば、西宮神社なのであるが、かつて一度だけ今宮戎のえべっさんにいったことがある。
TVで見る光景からもっと大きな境内を創造していたが、予想以上に小さくて驚いた記憶があるが、今回訪れても、やはり小さかった。
これがかつての賑わいだ!
このときは大学院時代で、白石先生が福娘を見たいというので(そして、私も見たかった)、参拝したのだ。
福娘とは、毎年えべっさんで奉仕する女性をコンテストで選んでいるのだ。さすが、そこいらの正月のバイト巫女さんとは違う。ハイクオリティであったのを記憶している。
おお!ここで確か、福娘が福笹を配っていたはず!懐かしい!
それにしても普段は寂しい境内だった。
もうひとつ寄り道・・・
今宮戎の北にある、廣田神社である。天照大神荒魂を祭っている。ちなみに、ここ大阪で廣田神社と今宮戎があるように、西宮では廣田神社と西宮神社がある。後者の廣田神社は官幣大社でとっても立派な神社であり、西宮神社もでかいので、ずいぶんスケールが違う。
ちいさいながらもなかなか雰囲気のある社殿である。
アカエイが神の使いらしい。どっかでも見たような・・・
このあと、久しぶりのでんでんタウンを堪能し、今回の散歩を終えた。
四天王寺からでんでんタウンへと、てくてく歩いていると、異様なものを見た。
あれっ!?ここって、確かその筋の業界ではとっても有名な寺じゃ・・・?
そうである。大阪が誇る?珍寺、一心寺である。とにかく、この山門がインパクトありまくりである。
これらの謎の巨人は、阿形像と吽形像である。こいつはとんだ仁王像だ!どこかの彫刻家の作品らしい。
山門をくぐると、寺である。
この先に、この寺が有名である理由、骨仏がある。
このお寺、実はかなり古くから存在している。浄土宗のお寺ではあるが、宗派にこだわらず、納骨を受け入れたものだから、集まった骨で仏様を作ってしまったのだ。
こんなことを1887年から10年ごとに続けている。戦前のものは伽藍とともに戦争で焼失したようだ。戦後7期から骨仏づくりを再開し、最新は13期である。
こんな感じで鎮座している。
境内には、本多忠勝の次男、本多忠朝の墓がある。大阪冬の陣で酒を飲んでいたため、失敗し、汚名返上しようと、夏の陣で壮絶に戦死したそうな。死に際に、「戒むべきは酒なり、今後わが墓に詣でる者は、必ず酒嫌いとなるべし」とか言ったとかなんとか・・・
で、「酒封じの神様」らしい。まあ、もともと酒嫌いの私には関係ないが・・・
さあ、出よう・・・
ええケツしとるなあ。。。
とにかく妙な寺であった。
都会の真ん中に、ひっそり佇む庭園。微かにカラオケで絶叫するおばはんの声・・・
なんだこの異音は・・・?
そういや、ここから比較的近い青空カラオケが横行してたっけ?でも強制撤去されんかったっけ?
池の鯉を見る。人面魚?黄金系の鯉って、だいたい人面魚に見えてしまふ。
湯屋方丈である。江戸時代のものを移築したようだ。
庭園に対して、背後のビルディングが明らかに浮いている。違和感が面白い。
庭園を出てきた。青空カラオケさえなけりゃ、いい感じなのになあ・・・
牛王?
こちらは宝物館。今日はスルー
六時堂が見えてきた。
六時堂である。昼夜6回、礼賛を行うことから、その名がある。ここが四天王寺の中心道場だそうだ。
手前の石舞台では、毎年4月22日に舞が行われるらしい。
六時堂の手前の亀の池は、文字どおり亀だらけだった。
これで、四天王寺の見学を終える。そういや、ここからでんでんタウンって、歩いていける距離やなあ。。。久しぶりに、行くか・・・。大学時代はよく行ったものだ。
ということで、このシリーズ、でんでんタウンに行き着くまでに、少しばかり見所があったので、もうちょっと続きますだ。
おまけ:光り輝く聖徳太子
四天王寺の続きである。
この門の先は聖霊院、別名太子殿といい、聖徳太子を祭っているところである。
折角だからあがってみよう。
奥にはどこかで見たような建物が・・・
何だこの階段は・・・?
降りてみようぜぃ!
・・・永代供養のようですな。。。
何だ!?あの建物は・・・
ズーーーームイン!
・・・厩戸皇子?
太子殿を出た。
えらい苔むしている。こんなん前に見たな。
ちなみにすぐ隣の仏さんには水をかけてはいけない。
こちらは亀井堂である。
何かな?
何でも供養を済ました経木を水に流せば、極楽に行けるらしい。ありがたい。
係りの人が経木をじゃぶじゃぶ洗っていた。
庭園を見てみることにした。
正面は五智光院である。私が目指すのは、本坊庭園であり、手前を右に曲がらなければならない。そんなことは露知らず、そのまま突っ切ってしまい。よく分からず、院の中まで行ってしまった。なにやらおかしいと感じ、人に聞いて、間違っていることを知った。微妙に分かりにくいのである。
こちらが庭園入り口である。
次回へ続く。