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カテゴリー「京都府」の記事

2009年2月 5日 (木)

京都迷宮入りⅥ(その9:天龍寺)

天龍寺にやってきた。といっても裏口から入ってしまったので、先に庭を見ることになった。

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望京の丘とやらに登ってみた。

う~ん。。。あんまり景色良くない?

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多宝殿である。昭和9年の建物である。

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庭池(曹源池)が見えてきた。

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庭に面してある建物が大方丈である。明治32年の建物である。

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天龍寺と言えば、この庭である。夢窓疎石の作である。天竜寺は、幾度も消失したため、伽藍のほとんどは、明治以降の建物である。それにもかかわらず、世界遺産に登録されている理由は、この庭としか言いようがない。

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★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

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普通はこちらから先に入る。ここから本堂参拝が始まるのだ。ちなみにこの建物は、庫裡である。

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中に入ると達磨の絵があった。

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天龍寺の正式名称は、霊亀山天龍資聖禅寺で、臨済宗天龍寺派大本山である。後醍醐天皇の菩提を弔うため、足利尊氏が夢窓疎石を開山として創建したものである。

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天龍寺の名の由来は、尊氏の弟である足利直義が保津川で金龍が舞う夢を見たかららしい。寺の建立のために、天龍寺船という元との貿易船が仕立てられたことは、名高い。

前述のとおり、天龍寺は、今まで、何回も燃えている。応仁の乱やその他諸々である。一番最後が蛤御門の変のとばっちりを受けた。で、明治以降の建物ばかりなのである。

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後醍醐天皇の木造である。書院にある。

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天龍寺を後にした。

♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:

渡月橋の近くで、ちょっと休憩をする。

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琴きき茶屋の桜餅である。桜の葉で包まれたほうは、あんなしである。

つまり、もち米オンリーである。

実は、子供の頃、家族で湯豆腐を食べに来た時に、偶然見つけた店なのである。このあんなし桜餅がなかなかうまくて、今までいろんな友達に薦めてきた。あいにく好評を得ている。

JINと舌鼓を打つ。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

四条河原町まででてきた。

弥次喜多という甘味屋で、ぜんざいを食す。

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美味い!

JINには、冗談で亀山をお奨めしたが、本当に頼んでしまった。!!(゚ロ゚屮)屮

この甘味魔人がっ!(´-д-`)

京都第6弾おしまい。    

2009年2月 4日 (水)

京都迷宮入りⅥ(その8:野宮神社)

実に嵯峨野らしい竹林を抜ける。

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野宮神社(ののみやじんじゃ)にやってきた。

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野宮神社といえば、縁結びの神様として、女子には大層人気である。京都では、地主神社、安井金比羅宮と並び称されるのではなかろうか。

鳥居は、「黒木の鳥居」と称し、樹皮がついたままである。古代の鳥居の形式ということだ。

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野宮神社の旧社格は村社である。ご祭神は野宮大神(天照大神)である。野宮とは、伊勢神宮の斎王(伊勢神宮に使える巫女で、未婚の皇族だった。)が、伊勢に行く前に禊を行ったところらしい。

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願い事はやはり良縁???

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野宮大黒天とある。こちらが縁結びの神様らしい。でも、何で?

とにかく拝んどきまひょ( ̄ー ̄)ニヤリ

妙な絵馬を見つけた。

○○○(←企業名)の外山さん(仮名)にお金のかからない女の子と永遠に結ばれますように・・・

外山さん、元カノが浪費家やったんかね?がんばれよ。

   

2009年2月 2日 (月)

京都迷宮入りⅥ(その7:御髪神社)

二尊院の次は、天竜寺にでも行こうかしらと歩いていると、気になる神社を見つけた。

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池の畔に佇む、日本唯一の頭と髪の神社、その名も御髪神社である。

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確か、数年前に、くっぺちゃんとJINと嵐山を訪れた際、同じノリで立寄ったはずだ。

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13世紀の武士、藤原采女亮政之(うねめのすけまさゆき)という人物を祀っている。

何でも親父さんが、日本最古の髪結職だそうで、この政之も大層ご出世されたそうだ。

境内には、どこかで聞いたことのある、髪の毛に関する企業の名が目立つ。

髪の毛の薄そうな誰かさんに、ご利益がありますように・・・(´-д-`)

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髪塚があった。

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それにしても、この神社は、やけに猫が多い。なんでかねぇ・・・gawk 

さ、次に行こっと・・・

2009年2月 1日 (日)

京都迷宮入りⅥ(その6:二尊院)

二尊院にやってきた。天台宗のお寺である。

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数年前にくっぺちゃんとJINと紅葉の季節に来て以来だ。

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門をくぐって、すぐの所に、撮影台があった。しかも、固定されているかと思いきや、脱着でき、移動可能である。

で、この撮影台を使って、撮影してみた。

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紅葉の季節ならば、この参道の木々が黄色に輝き、たいそう美しいのだが、この季節では・・・

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門くぐる。

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本堂である。

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本堂に上がる。この二尊院は、正式名を、「小倉山二尊教院華台寺」という。二尊院の二尊とは、本尊である、釈迦如来と阿弥陀如来が並んで祀られていることにちなんでいる。

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普通、本尊と言えば、如来級が一体に、脇侍がつくものだが、このように、如来が仲良く並んでいるのは、相当珍しいだろう。

仏像マニアには、よだれタラタラものだろう。しかし、私のような珍寺マニアには、電光ファンキー仏像のほうが魅力的だったりする。

ちなみ、鎌倉時代の春日仏師の作だそうで、重要文化財である。

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最後に、弁財天堂を見て、二尊院を後にした。       

2009年1月31日 (土)

京都迷宮入りⅥ(その5:滝口寺)

祇王寺の隣?には、滝口寺がある。

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滝口寺は、浄土宗の寺で、山号は、小倉山である。そう小倉百人一首の小倉山である。藤原定家は、小倉山の麓の時雨亭で、和歌を選んだそうな・・・。

ところで、滝口寺は、元の名を往生院三宝寺といい、祇王寺と同様、廃寺となっていたものを、明治時代に再建したものだ。後に記す滝口入道にちなんで、滝口寺と名づけられた。

それにしても閑散としている。

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入り口にすぐ近くには、新田義貞の首塚がある。北陸で敗死した後、三条川原でさらし首になっていたのを、義貞妻が盗み、小倉山に葬ったとか・・・

延々と山道を歩かされる。

しばらくして、本堂が見えてきた。

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う~む、寺に見えませんな。なんか古民家みたい・・・

本堂に上がり、外を見てみた。

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今の時期は、あまり景色がよくないらしい。

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滝口入道(右)と横笛(左)の木像である。

滝口入道は、元は、斎藤滝口時頼といい、平重盛の侍であった。ある日、花見で女官横笛の舞を見て、一目惚れする。それで恋文を送ったりするようになるが、親父がそれを知り、

「色を知る年か!」

と、一喝した。

で、いろいろ自問自答の末、時頼は、出家してしまう。。。

時頼の出家を聞いた横笛が、悲観にくれ、時頼を探し、往生院までやってくる。

横笛は滝口入道に居留守を使われるわけだが、路傍の石に歌を書き、去ったと言う。

横笛はその後、出家し、早死に・・・

滝口入道は、出世したという・・・

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横笛の歌石があるというので、探すと、ありました。

この記念碑がそうかと思うと、その右奥にあるのが、そうらしいですな。画像が半分切れている。失敗だった。      

2009年1月28日 (水)

京都迷宮入りⅥ(その3:化野念仏寺)

化野念仏寺にやってきた。

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化野は「あだしの」と読む。普通は読めない。私も小学生の頃は、「ばけの」だと思っていた。

山号は、華西山で、浄土宗のお寺である。化野念仏寺のメインはこれだ!

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この夥しい石仏・石塔群である。

念仏寺の起源は、スーパースター弘法大師が、五智山如来寺を建立し、野ざらしになっていた遺骸を埋葬したことに始まる。なぜ、野ざらしになっていたかと言えば、化野は、平安京時代、風葬の地とされていたからである。

如来寺は、その後、法然上人の念仏道場となり、華西山東漸院念仏寺と改称し、浄土宗に帰属するようになる。

上の画像のメインの石塔群は、明治時代、化野に散在していた無縁仏を一箇所に集めたものである。 西院の川原という。

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メインの西院の河原以外にも、無縁仏が陳列されている。

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西院の川原を別角度から・・・

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これは、ストゥーパのように見える。納骨堂のようだ。

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お寺なのに、鳥居があるし、形が面白いと思ったが、そもそもインドでは、トラナという門を寺院に作るのは当たり前で、むしろトラナが鳥居の元祖という説もあるようだ。

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竹林が現れた。

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嵯峨野って感じですなあ~(◎´∀`)ノ

きょーと、さがのに吹く風はぁ~note

それは、○ぜ○らや!

と、JINに突っ込まれる。

そういや事件起こしましたね∑(゚∇゚|||)

さらに、JINと竹林の七賢について、語り合った。

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竹林を抜けると六角形の石塔が現れた。各面に地蔵菩薩が彫られており、地獄道や人間道と六道がそれぞれ刻まれている。この六体の地蔵に水をかけながら、拝み、六道の苦しみから救っていただこうという趣旨らしい。

早速、水をかける。

ぶちっ!

柄杓の頭が・・・∑(゚∇゚|||)

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

JIN:おっ!?柄杓の頭が水没しとおで・・・

私:うん。腐っとったみたい(*≧m≦*)

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

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竹林の道を再び戻ってきた。

西院の川原の前にある、延命地蔵にて、延命を図る。

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化野念仏寺といえば、夏にある千灯供養が有名である。西院の川原一面に蝋燭が灯るのである。実に幻想的らしい。私は見たことがない。見たことのあるJINは自慢げに語った。

それにしても、中学以来の念仏寺であったが、記憶していたより、小さかった。しかしながら、やはり、インパクトのある光景であった。    

   

2009年1月27日 (火)

京都迷宮入りⅥ(その2:大覚寺)

大覚寺にやってきた。

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大覚寺の正式名称は、「旧嵯峨御所大覚寺門跡」といい、真言宗大覚寺派の本山である。門跡というのは、皇族が住職を勤めた寺院のことである。

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大門をくぐる。着物のいかしたご夫婦?が雅である。

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式台玄関から奥の宸殿等に行ける。

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奥に見える建物が宸殿である。宸殿とは、後水尾天皇により下賜された寝殿造りの建物で、狩野山楽などの襖絵がある。

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早速拝観する。

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宸殿の廊下はうぐいす張りになっているらしい。そういや、キュッキュ鳴っていたような・・・。

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御影堂である。

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御影堂からは勅使門が見える。

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御影堂の裏手には、勅封心経殿というものがある。嵯峨天皇など六天皇の写経が収められているらしい。

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さきほどの宸殿が見える。

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大沢池にでた。

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嵯峨天皇の離宮である嵯峨院の庭池で、中国の「洞庭湖」を模しているとのことである。それにしてもでっかい庭池を造ったものだ。周囲1キロメートルとのことである。

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☆*:;;;;;;:*☆*:;;;;;;:*☆*:;;;;;:*☆*:;;;;;:*

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とにかく凄い寺なのだが、あまりにも正統派過ぎて、ネタがなかった。

    

         

2009年1月26日 (月)

京都迷宮入りⅥ(その1:清涼寺)

平成20年12月28日。

年末にJINと嵐山に行ってきた。嵐山は、私にとって、思い出の土地である。

私が幼少の頃、年に一回くらい、嵐山に行き、湯豆腐を食うというのが、我が家の贅沢であったからだ。

この話を福岡の友達に言うと、さっぱり理解されなかった。関西では、湯豆腐をこよなく愛している人が多い。また、京都で湯豆腐を食うと、結構高いので、高級料理のイメージがある。福岡の人はそういうイメージがないようだ。

私などは、美味いポン酢に出会うと、

「これ、湯豆腐に合いそうやね!」

と、つぶやいてしまうのだが・・・。

まあ、ここらで、嵐山編をスタートすることにする。

♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:

JR芦屋で新快速に乗る。車両に乗り込むと、JINがいた。JR九州の特急より速いかもしれない新快速にかかれば、京都などはあっという間だ。京都から嵯峨野線に乗り換え、嵯峨嵐山で下車する。

第一目的地は、清涼寺である。

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清涼寺は、嵯峨釈迦堂と言ったほうが名が知れているようだ。現にJINは、そういや釈迦堂って、清涼寺って名前やったっけ?と呟いていた。

山号を五台山という。浄土宗のお寺で、本尊は当然釈迦如来である。

なかなか立派な仁王門をくぐる。

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左手に多宝塔がある。江戸時代(1700年)のものらしい。

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本堂である。本尊の釈迦如来が祀られているのだが、この釈迦如来像が仏像マニア界には非常に有名なのである。国宝というのもあるが、実は、体内に五臓六腑を持っておられるのだ。

本堂に入ると、運よく、ご本尊の姿を拝むことができた。なかなかソース顔の仏様である。ちなみに、JINはご朱印コレクターの本領を発揮し、しっかりゲットしていた。

ところで、この釈迦如来であるが、インドから中国経由で伝わったものらしい。中国で絹製の五臓六腑が体内に封入されたらしい。この五臓六腑は、昭和28年に発見されている。

ご本尊を拝見させていただいているとき、写真撮影禁止のはずの堂内でバシバシ写真を撮るおっさんがいた。思わず、ぼろくそに言いたくなったが、仏前だ。やめた。

本堂の裏手に廻る。

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弁天堂である。江戸時代後期のものらしい。

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阿弥陀堂である。光源氏のモデルと言われる源融公が建てた棲霞観(寺)の跡である。消失しているので、現在の建物は、1863年の再建である。何気なく、立寄ったところが、なかなかの名所だったので、テンションが上がった。

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源融公の墓である。

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一切経蔵である。なんか奥でぐるぐる回っている。

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輪蔵と呼ばれるものに、一切経が収められており、これを回すと、一切経を読んだことになるらしい。ちょうど、参拝客が私たちの前にいて、回している最中だった。

スピーカーから流れるお経がナイスである。

私たちの順番になった。

う~りゃ~。

おう、廻る。廻る。

・・・・・

なんか超人墓場とか、北斗の拳でこんなシーンあったような・・・

2008年8月19日 (火)

京都迷宮入りⅤ(その10:京都御苑、晴明神社)

相国寺を見学し終え、しばらく歩くと、京都御苑の入り口が見えたので、立ち寄った。

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京都御苑は、京都御所の周りの公園のことである。京都御所は、期間中のみの公開だが、京都御苑は市民の憩いの場となっているのだ。

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建礼門である。京都御所の正門である。この先に紫宸殿があるらしい。

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和む。。。catface

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蛤御門である。京都御苑の西門の一つである。本来の正式名は新在家御門だったが、大火で御所が炎上したとき、開かずの門が開いたということでついた俗称が、以来正式名となったそうだ。蛤が熱でぱっくり開いたんですな。。。

ちなみに歴史の教科書でお馴染みの蛤御門の変(禁門の変)の舞台である。今でも当時の弾痕が確認できる。

蛤御門から西にしばらく歩き、一条戻橋に来た。一条戻橋といえば、そう!

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安倍晴明である!ということで、晴明神社にやってきた。

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晴明といえば、一級の陰陽師であり、オカルト界のアイドル的存在である。

ライバルは蘆屋道満(あしやどうまん)で、道満といえば、あやかしの城でラスボスだった。私はなかなか倒せなく、飽きて、やめた。まあ、どうでもいい話である。

さて、晴明神社であるが、これといって、おもろいことはなかった。

おしまい。。。

2008年8月18日 (月)

京都迷宮入りⅤ(その9:相国寺)

相国寺にやってきた。

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相国寺は、正式には、万年山相国承天禅寺という。長っ!wobbly

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京都五山の第二位で、開基は足利義満、開山は夢窓疎石と凄まじく由緒正しいお寺である。何を隠そう、世界遺産に名を列ねる金閣寺も銀閣寺も、この相国寺の境外塔頭に過ぎない。

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法堂である。中には須弥壇があり、本尊の釈迦如来が祀られている。なかなか荘厳である。天井には狩野光信作と言われる龍が描かれている。

続いて、方丈を見学する。

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裏庭である。

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裏庭側の部屋である。

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最後に浴室を見学する。

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オリジナルは、1400年ごろ創建と見られるが、現存のものは1596年に再建されたものを平成14年に修復したものだ。ここでいう浴室は、いわゆるスチームサウナのことである。

相国寺はすごいのだが、やはり禅寺というのは、いまいちときめかない。gawk

相国寺を後にした。

2008年8月10日 (日)

京都迷宮入りⅤ(その8:金閣寺)

金閣寺にやってきた。

金閣寺の正式名称は、北山鹿苑寺という。あまりに有名だが、日本史で有名な北山文化の中心地である。足利義満の邸宅兼御所である北山山荘は、義満の死後、鹿苑寺としてお寺になったのである。ちなみに鹿苑寺とは、義満の院号「鹿苑院」に由来する。

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金閣寺の金閣である。正式には舎利殿といい、三層構造の建築物である。中は、非公開である。

手前のでっかい池は、鏡湖池である。水面に映る金閣がなかなか美しい。

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金閣は、昭和25年に僧侶の放火により、焼失しており、現在の建物は、昭和30年の再建である。そのへんのことは、三島由紀夫の小説「金閣寺」の題材にもなっている。

ここは、金閣以外、特に見るものもないだろう。。。

・・・・・・・・

きんぴかを見て、きゃっきゃ騒ぐ外国人さんを眺めながら、のんべんだらりんと過ごしていると、《相国寺公開中》の広告発見!

相国寺は普段公開していない。時期があるのだ。これはいかねばっ!

時計を見る。

ゲッ!時間ないやん!

相国寺まで、全速前進の徒歩が始まった。

2008年8月 8日 (金)

京都迷宮入りⅤ(その7:源光庵)

源光庵にやってきた。

源光庵は曹洞宗のお寺で、山号は鷹峰山である。当初は、臨済宗大徳寺の隠居所であったが、元禄に卍山道白禅師によって曹洞宗に改宗されたのである。

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門からして、一風変わっている。これは期待できる?

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ここの名物はこれである。庭園を鑑賞するため二つの窓がある。円いほうが「悟りの窓」で、四角いほうが「迷いの窓」である。京都の旅番組とかコマーシャル等でよく見る。

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むむっ!悟ったどぉ~pout

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迷ってしまいそうだ!

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ちなみに庭園はこんな感じである。

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そして、これである!

源光庵の天井板は、伏見城の床で、鳥居元忠らが石田光成に破れ、自刃したときの血糊が残っているのである。これが噂の血天井かと、オカルトファンの私は興奮した。

源光庵を後にして、常照寺にやってきた。

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春には桜、秋には紅葉が有名らしいが、こんな3月下旬では、何も見るところがない。。。

では、次に行くとしますかっ。。。

2008年8月 7日 (木)

京都迷宮入りⅤ(その6:光悦寺)

途中で、お昼になったので、コンビニでパンを買い、かじる。京都を散策して、こんなしょぼいお昼をとる人も少ないだろう。。。

光悦寺にやってきた。

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光悦寺は日蓮宗のお寺である。本阿弥光悦という人物をご存知であろうか。。。江戸時代の芸術家で、書道家であり、陶芸家であり、茶人であり、とにかくスーパーマルチアーティストなのである。例えるなら、江戸時代の海原雄山である。

光悦は、この光悦寺のある鷹ヶ峯の地を徳川家康から与えられる。職人たちが移り住んだため、当時は、芸術村と化していたらしい。光悦の死後、お寺となったのだ。

光悦といえば、吉川英治の宮本武蔵で登場したので、私的には印象深い。

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光悦寺に入ると、かなりの異質空間である。お寺という感じは全くしない。苔むしていて、いい感じだ。

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三巴亭という。大正時代の数奇屋建築ということだ。

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この垣根を光悦垣という。徐々に高さが変わる独特なものである。

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大虚庵という。茶室である。現存のものは大正時代のものである。

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了寂軒である。茶室である。

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本阿弥庵という。茶室である。

ご覧のように、茶室ダラケである。計7つの茶室がある。寺というより、茶室庭園である。

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光悦のお墓である。

芸術的なお寺を訪問し、すっかり雅な気分で光悦寺を後にした。

2008年8月 6日 (水)

京都迷宮入りⅤ(その5:高桐院)

大徳寺塔頭の一つ高桐院にやってきた。高桐院は細川家の菩提寺で、開基は細川忠興である。そう細川藤孝の息子にして、細川ガラシャの旦那である。

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おぉ!これはすごい!苔むしている。かなりいけている。good

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今まで、石庭ばかり見てきたので、苔むした寺というのは新鮮に感じる。私はこういう寺のほうが好きだ。

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この春日灯篭は、もともと千利休のものであった。それを豊臣秀吉と細川忠興が所望した。千利休は、忠興に譲ることにする。わざと傷をつけて、天下人にふさわしくないと秀吉に断ったという。忠興は、その後、この灯篭をガラシャの墓とする。忠興の死後は、忠興、ガラシャ夫妻の墓となったのである。むー、戦国マロンですな。bearing

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こちらも細川家の皆さんの墓である。

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高桐院を後にした。

次の目的地に行く前に、今宮神社に寄った。

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疫病を鎮める神社らしい。

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ここにはあぶり餅なる銘菓があるらしいが、あまり知らない。そういうことの専門はぎーさんとJINなのである。

さーつぎ、さーつぎ♪

2008年8月 5日 (火)

京都迷宮入りⅤ(その4:興臨院)

大徳寺の塔頭のうち、通常公開されていない興臨院が特別公開中であった。

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もとは畠山家の菩提寺であったが、畠山氏没落後、前田利家が改修し、前田家の菩提寺となった。

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やはりここにも石庭が・・・。見飽きたなあ。。。sad

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興臨院のほか黄梅院も特別公開中であり、参拝したが、写真撮影禁止であった。

さあ、次!

2008年8月 4日 (月)

京都迷宮入りⅤ(その3:龍源院)

大徳寺には21個の塔頭がある。そのうち龍源院、高桐院、瑞峰院、大仙院の4つの塔頭が随時公開している。今回、この4つを全て回ったが、写真撮影が禁止されていた瑞峰院と大仙院については、詳細な記載を避けることにする。

まず、第一弾の龍源院である。

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ここは、はっきり言って石庭である。方丈を囲んで4つの石庭が存在するのである。

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石庭好きの方ならば、うきうきわくわくなのだろうが、いまいち石庭の価値が分からない私には結構退屈である。

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私的には、こういうのがよい。

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なかなか立派な龍である。

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こちらは日本一小さな石庭とのことである。

なんか日当たり悪くて、じめじめしてそうな、湿気臭そうと感じたのは、私だけだろうか。。。

龍源院の歴史を少し語ろう。1502年に能登の畠山氏や豊後の大友氏らにより創建されている。

さあ、次!

2008年8月 3日 (日)

京都迷宮入りⅤ(その2:大徳寺)

大徳寺にやってきた。あいにく天候がよろしくない。ぽつぽつ降ってきた。しかし、そんなことは真剣勝負に関係ないわぁ~punch

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勅使門である。

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で、こっちが三門である。かなり立派である。千利休が豊臣秀吉に切腹を命じられた理由となった三門である。

大徳寺は、山号を龍宝山といい、臨済宗大徳寺派大本山の寺院である。一休宗純を輩出した名刹である。また、茶の湯にも大きく関係しており、村田珠光や千利休等と関係が深い。

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仏殿である。

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法堂である。

終わり。。。。

大徳寺の敷地は膨大である。しかし、伽藍がこんなけしかない。他は何かというと塔頭である。実に21個もの塔頭が乱立しているのだ。

ということで、塔頭をいくつか回ることにした。

2008年7月30日 (水)

京都迷宮入りⅤ(その1:二条城)

平成19年3月24日。京都シリーズも第五弾である。これで一息つくことができる。

初めに訪れたのは、二条城である。

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二条城という名称の城は、室町以降いくつも歴史に登場してくる。現存の二条城は、徳川家康が伏見城の遺構を移すなどして造営したものである。

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唐門である。

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見事である。

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さっそく二の丸を見学する。

内部の装飾は見事としか言いようがない。狩野探幽を始めとする狩野派の襖絵が立ち並ぶ。中でも、式台の間の狩野探幽が描いたとする松の襖絵は必見である。とにかく実際に見てほしい。。。bearing

二の丸を見学し終え、庭園を廻る。

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・・・・・・・・・・・・・

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本丸である。普段は非公開である。以前に、両親と特別拝観を見に行ったことがあるが、結構しょぼかった。何故ならば、創建当時のものは、既に焼失しているからだ。これは、旧桂宮邸を明治時代に移築したものである。かつての本丸は、二の丸と同様に狩野派の粋を極めた逸品だったらしい。

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京都に来たら、いつも思うことだが、とにかく外国人観光客が多い。特にここ二条城は、世界遺産でもあるので、ことさら多い。そんな外国人観光客(♂)が修学旅行中の女子高生をエロイ目で見ているのを、観察すると、結構面白い。。。

2008年6月20日 (金)

京都迷宮入りⅣ(その5:竜安寺)

   竜安寺にやってきた。

竜安寺といえば、石庭である。ちなみに山号を大雲山といい、臨済宗妙心寺派のお寺である。

境内はかなり広い。山門をくぐってから、石庭のある方丈まではかなり距離がある。

方丈に入る。早速石庭のお出ましだ。

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意外に小さい?

それにしても人多っ!sweat02

静かなところで一人石庭を眺めていると、頭がおかしくなって、小宇宙(コスモ)が見れそうだが、あいにくのこの賑やかさでは到底無理だ。

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石庭前の廊下はこんな感じである。

ぎーさん曰く、石庭というのは本来、この板戸の内側から眺めるものらしい。そうすると、この奥行きの全くない庭が、奥行きがあるように見えるとな。。。

そういえば、テレビジョンで見るときは、座敷からの映像のような・・・。

まあ、思っていたとは違うかったので、ちょっと拍子抜けである。これを見て、何か感じるセンシティブな私ではないわ!

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方丈の裏側に回った。こんなものがあった。蹲踞(つくばい)というらしい。

蹲踞とは茶室に入る前に手や口を清めるための手水を張っておく石のことらしい。真ん中の穴が「口」で、その周囲にへんやつくりが書いてあり、全体として、「吾唯足知」(われ、ただ足るを知る)と読めるのだ。ちなみにレプリカだそうだ。

そうこうしていると、方丈が終わった。

あれっ!?これだけ?

なんと、仏殿等は非公開らしい。

・・・・・・・・・・・。

なんかお寺っぽくない。庭やん!

もっと線香臭く、坊さんのお経などを期待していた私は、すっかり意気消沈である。まあ、禅寺では、そういうの見たことないな・・・。despair

いじけて、方丈の外にある庭を散策する。

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なかなか美しいですな。

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この池は、鏡容池という。かつては、石庭より有名で、竜安寺のメインだったようだ。

まあ、でかい池なんやけど・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

竜安寺を出た。

これで、京都シリーズ第四弾は終了である。最後に・・・・、

竜安寺はりゅうあんじではありません!りょうあんじです。

おしまい

2008年6月19日 (木)

京都迷宮入りⅣ(その4:妙心寺)

妙心寺にやってきた。

妙心寺は臨済宗妙心寺派の大本山で、妙心寺派というのは、臨済宗寺院の半分くらいが所属するという大派閥だそうだ。

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妙心寺の境内は広大で、三門、仏殿、法堂、方丈などが一直線上に並ぶオーソドックスな禅宗の伽藍である。境内の割には、伽藍の規模が小さい。。。

その広い敷地の中には、これでもかというほど塔頭が建っている。

いったいどれだけ立てれば気がすむのか?と疑問に思ったが、

お前は今までに食ったパンの枚数を覚えているのか?

という答えが返ってきそうなので、考えるのをやめた。

・・・・・・・・・

法堂に入ってみた。

天井には、狩野探幽筆の雲竜図が描かれている。八方睨みの龍なので、ぐるぐる回ったら、龍の目が追っかけてきた。おそらく、ぎーさんのオツムに興味が行ったのであろう。。。

また、ここには国宝の鐘がある。かつては、鐘楼に架かっていたのだろうが、保存のため、法堂に展示されていた。

ちなみに往年の音色を録音したテープも聞けた。まぁ、ありがたみはないわな・・・。

美術鑑賞好きな私にとっては、探幽の絵は興奮しまくりであった。妙心寺を後にした。

2008年6月17日 (火)

京都迷宮入りⅣ(その3:仁和寺)

神護寺から仁和寺にやってきた。

看板に吉田兼好法師縁の寺と大々的に宣伝していたのをみて、ぎーさんが一言。

「徒然草で仁和寺の坊主はくそくそに書かれとるやん!」

・・・・・・・

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早速、仁王門のお出迎えである。京都三大門の一つらしい。残りの二つは、南禅寺の三門と知恩院の三門だとか・・・。

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仁王門をくぐる。かなり境内は広い。境内には御室桜という低木の桜が群生している。お花見のシーズンになると、仁和寺はかなりすさまじいことになるのだ。京都で生活すると、観光シーズンの春と秋は本当にうざい・・・。余談だが、大学院時代は、葵祭りに泣かされたものだ・・・。

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金堂である。国宝である。桃山時代の御所の紫宸殿を移築したものらしい。現存するし神殿の遺構では最古のものだとか・・・。

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本尊は阿弥陀三尊である。

ところで、仁和寺といえば、真言宗御室派総本山なのに阿弥陀仏が本尊とはちょっと不思議である。大日如来ではないのね?

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御影堂である。こちらは江戸時代に御所の清涼殿の材を使い建築したものである。

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観音堂である。

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五重塔である。

続いて、御殿を見学することにした。

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中に入る。

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御殿を中心に、白書院とか庭があるのだが、画像を見れば、特にコメントはいらんでしょう。

さすが、仁和寺ということだ・・・。

2008年6月15日 (日)

京都迷宮入りⅣ(その2:神護寺)

高山寺から神護寺にやってきた。

神護寺の山号は、高雄山であり、京都で紅葉といえば、高雄というくらい秋に観光客の多いところである。そんなところにぎーさんと二人初春の3月に来たものだから、駐車場の親父が不思議がっていた。

紅葉は好きだが、別に寺がメインだからいいのだよ・・・。

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こういった山寺にめがっさ長い石段は避けては通れない。いわば、不健康なじじばばをふるい落とす関門なのだ。

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なかなか立派な三門ですな。桜門というらしい。

神護寺は、高野山真言宗遺跡本山であるらしい。なんかよくわからん・・・。

開基は和気清麻呂だとのこと・・・。

和気清麻呂といえば、弓削道鏡事件のとき宇佐八幡までご神託を聞きに行った親父である。そういえば、夏に宇佐まで行ったばかりだったので、感慨深い。

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で、これが、和気清麻呂の御廟らしい。桜門をくぐると、すぐ近くにあった。

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鐘楼である。ここにかかっている梵鐘は国宝なのだが、一般公開されていない。損した気分になる。ぎーさんなどは、ショックのあまり・・・。

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高山寺と違い、こちらは伽藍らしい伽藍である。

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この谷に向かって、かわらけ投げをする。厄除けの土器の皿を投げるのだ。

悪霊退散!

かわらけがきれいなアーチを描く。

一方、ぎーさんはものの見事に失敗して、へろへろと土器が自由落下していった。

各地の観光地でよく見るかわらけ投げであるが、ここ神護寺が発祥とのことである。

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最後に金堂にやってきた。金堂は昭和の建物なので、かなり新しい。

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金堂から伽藍を眺める。

さあ、下界に下りるとしますか・・・。

2008年6月14日 (土)

京都迷宮入りⅣ(その1:高山寺)

平成19年3月16日。京都行脚シリーズも第四弾である。

今回は、ぎーさんと高山寺などを巡ることにした。高山寺までは、交通が不便なこともあり、車で行くことにした。

駐車場に車を止めて、いよいよ参拝である。いきなりの石段である。ちょっとした登山なのである。

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さて、高山寺であるが、山号を栂尾山(とがのおさん)という。真言宗御室派系のお寺らしい。かの有名な鳥獣戯画を所有するが、あいにくオリジナルは京都国立博物館が預かっている。

それにしても山である。ぽつぽつと建物があるだけで、見事に山である。伽藍というには寂しすぎるような・・・。

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石水院にやってきた。開基の明恵上人が後鳥羽上皇から賜った学問所ということらしい。国宝に指定されている。

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古いなぁ・・・、と思いつつ、いまいち国宝に指定された価値が分からなかった。

石水院を出て、山を散策する。

途中で、何でもないようなところに日本最古の茶園と石碑があった。

何でも栄西が持ち帰ったお茶を明恵上人がもらい、この地に植えたとのことである。

以来、室町時代ころには、お茶の産地として有名であったらしい。

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開山堂があった。

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明恵上人御廟である。

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仏足石じゃないくわぁ~happy02

仏足石は、その上に仏が存在することを想像することで信仰の対象とする装置である。原始仏教は、偶像崇拝を否定していた。仏足石は、それが少し緩和されたものである。

写真に撮ってると、ぎーさんが、

恐れ多いことしよるな・・・

とつぶやいた。

気にしな~いcoldsweats01

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金堂にやってきた。

これで大方見学したのだが、ただっぴろい境内にお堂がぽつぽつとあるだけで、本当に寂しい。何故、これが世界遺産なのか・・・?

所蔵しているお宝が凄いからか?日本の茶園の発祥地だからか?

数多く謎を残し、高山寺を後にした。

2008年4月27日 (日)

京都迷宮入りⅢ(その14:東・西本願寺)

東寺を後にして、てくてく歩く。

西本願寺までやってきた。

まずは、唐門を見学する。

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国宝のこの唐門は、なんでも伏見城の遺構で、桃山文化の結晶なのである。

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あいにく現在、御影堂は改修工事中である。それにしてもでかい寺である。

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せっかくなので、東本願寺にも行ってみた。

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こちらも立派な寺である。

本願寺は、東西に分かれている。徳川家康時代に東西に分かれたのが、徳川が真宗の勢力を弱めるために分けたという話を聞いたことがある。

まあ、真相はどうかしらん。

ほぼ日没コールドということもあり、しっかり見ることができなかった。

今回の京都散策は、かなり慌しかった・・・sad

あまりにも多くのお寺に行き過ぎて、すっかり寺酔いをしてしまった・・・。

おしまい

2008年4月25日 (金)

京都迷宮入りⅢ(その13:教王護国寺)

JR稲荷駅から電車に乗り、京都駅に着いた。

京都駅前と言えば、京都タワー・・・、もとい、東寺である。

駅前と言えど、歩くと何気に距離があるのだ。

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南大門をくぐる。

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いつ来ても、立派な寺だ。ただ交通の要所に位置しているので、少々騒々しい。

東寺の正式名称は教王護国寺である。嵯峨天皇が、スーパースター弘法大師のために建てた寺で、国家鎮護の中心的なお寺なのである。京都の玄関口を守るといったところか・・・。ちなみに鬼門の位置には、比叡山がある。

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かの有名な五重塔である。木造塔日本一の高さを誇るらしい。今回は、特別拝観で内部を見ることができた。柱を中心にして壁に曼荼羅とかいろいろ書いてあり、薄暗かった。

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金堂と講堂である。金堂には、国宝級の仏像がごろごろしており、凄まじい。そもそも東寺の建物自体が凄まじい文化財なのだが・・・。

以前両親と来たときには、観智院という塔頭?で宮本武蔵の絵を見た。

正直言って、完全に風化しており、意味が分からなかった。

この寺は、じっくり見れば見るほど、いろいろ発見できそうだが、何故か落ち着かない寺である。やはり騒々しいのか?

2008年4月20日 (日)

京都迷宮入りⅢ(その12:石峰寺)

伏見稲荷からてくてく歩き、妙な住宅地に迷い込みながら、石峰寺にやってきた。

黄檗宗のお寺である。黄檗宗の親分と言えば、萬福寺であり、中国ちっくなお寺が多い。

ということで、ここ石峰寺も真新しい中国風の赤門がお迎えしてくれる。

門をくぐると、特に特徴的なお堂があるわけでもない。

ここの醍醐味はかの江戸時代稀代の画家伊藤若冲が下絵をし、石工に彫らせたという五百羅漢像である。

裏山?に上る。

早速現れた。

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壮大に石ころが転がっているが、どうにもいじりにくい・・・。

伊藤若冲の作品なのか?

私は伊藤若冲の展覧会を何回か見たことがある。ちなみに友人のJINは若冲LOVEである。シュールな絵や、なんか適当に描いたような絵がおおかった。

絵は色あいが素晴らしく目を引いたが、石になってしまっては、色もないので、わけが分からなくなっている。

さ、次いこ!

京都方面に戻った。

2008年4月15日 (火)

京都迷宮入りⅢ(その11:伏見稲荷大社)

東福寺駅から電車に乗り、稲荷駅で下車した。

目的地は伏見稲荷大社である。すぐに伏見稲荷に着いた。

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ここ伏見稲荷は稲荷社の総本社である。楼門は、天正17年に豊臣秀吉により建てられてそうだ。楼門の前には狛犬の代わりに狛狐がいる。

早速テンションがあがり、ダッシュする私・・・。

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本殿である。ここにも狛狐がいる。参拝を終え、いよいよあれを通ることにした。

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そう千本鳥居である。テンション上がりまくりである。

私は伏見稲荷に来たのが、初めてである。前から行きたいと思っていたところである。

ある意味ワンダーランドである。鳥居立てすぎやろ!happy01

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途中で分岐があった。どちらにいこうか迷う。

無限回廊になっているかも・・・happy02

そういうときは、下→下→下→上→上→上と行くか(3つ目の下はしゃがみ抜け)、6番目の鳥居を壊すと脱出できるかもしれない。

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あいにく無限回廊にはなっていなかった。

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鳥居を抜けると、奥社奉拝所と「おもかる石」があった。

願い事をし、石灯籠の頭(置いてあるだけなのだ。)を持ち上げる。思ったより軽かったら、願い事が叶うらしい。

やってみた。

「結婚!」

石を上げる。チェスト~!

軽っ!

これで私の恋愛運はうなぎ上りである。←ご利益ないな・・・

この奥にもエリアが広がっており、奥社となっているようだが、時間に追われていたので、退却した。いずれリベンジしなければ・・・。

2008年4月13日 (日)

京都迷宮入りⅢ(その10:東福寺)

東福寺にやってきた。

東福寺は臨済宗東福寺派の大本山で、京都五山の第四位である。Img_1696

この橋は通天橋といい、東福寺のシンボル的存在である。紅葉のシーズンには観光客が嬉しそうにこの橋を渡り、一面の紅葉を楽しむシーンがニュース等で流れるのだ。

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伽藍はこんな感じである。

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先ほどの通天橋を渡る。

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開山堂である。かなり独特である。こんな開山堂は見たことがない。

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庭はこのようになっていた。なかなか見事だ。

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通天橋を戻り、散策していると三門があった。かなり立派な三門である。

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今回、浴室と東司を見ることができた。

浴室は、何と京都最古の浴室である。昔のお風呂と言うのは、現在と異なり、スチームサウナのことである。中に入ると、ガイドが講釈をたれていた。適当に聞きながら、いろいろ見ていた。結構ガイドが邪魔だった。

東司とは、トイレのことである。現在は使われていない。室町時代唯一の東司の遺構らしい。中に入ると、いっぱい穴があった。う○こさんがおられないか確認したが、跡形もなかった。

東福寺をぶらぶらと散策し、次の目的地に向かった。

2008年4月12日 (土)

京都迷宮入りⅢ(その9:三十三間堂、泉桶寺)

三十三間堂にやってきた。

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正式には、蓮華王院本堂という。妙法院というお寺の境外仏堂である。元は後白河法皇が離宮内に建てた仏堂だったそうである。本尊は千手観音である。

お堂正面の柱間が33あるということから三十三間堂というが、33という数字は、観世音菩薩の33化身に由来するようだ。

とりあえず、中に入る。靴を脱ぎ、スリッパに履き替える。

入ると、ひたすらまっすぐ通路があり、右手に仏像が所狭しと並んでいる。あまりの驚愕映像に興奮の色を隠せない。

しばらくいくと、なんと結婚式をやっていた。

祝福するぜ!

しかし、こういうところで結婚式とは・・・。私ならば落ち着かないがね。

お堂を抜け、外に出た。

どのくらい長いかを実感しようと歩いてみた。

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長っ!

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こんな庭園もあった。

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ここがお堂の中央部のようである。

凄まじい仏像群を想像し、悦にひたりながら、次に移動した。

京都駅から一駅だけ電車に乗り東福寺駅に着いた。

東福寺に行く前に、泉涌寺(せんにゅうじ)にいくことにした。

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予想以上の道のりを越え、やっと三門までやってきた。

中に入る。

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写真は、手前が仏殿で、奥が舎利殿である。

泉涌寺は真言宗泉涌寺派の総本山で、本尊は阿弥陀如来(過去)、釈迦如来(現在)、弥勒如来(未来)の三世仏である。

古くから皇室と深い結びつきがあり、菩提寺であった。また、御陵が多くあることから、「御寺(みてら)」と呼ばれる。ここには、天智天皇以降の歴代天皇の位牌がある。

それにしてもここは真言宗のお寺にも関わらず、伽藍の形式が禅宗っぽい。

伽藍が一直線に並んでいるからだ。しかも三世仏が本尊というのも不思議である。真言宗であれば、普通は大日如来だからだ。なんとも不思議なお寺である。

解せぬ・・・

京都迷宮入りⅢ(その8:六道珍皇寺、六波羅蜜寺、豊国神社等)

清水寺からてくてく歩き、六道の辻と呼ばれるエリアにやってきた。六道とは、地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天の世界のことであり、つまりあの世とこの世の交差点という意味である。

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六道珍皇寺にやってきた。門の前には、「六道の辻」の石碑がある。

この六道珍皇寺は小野篁の縁の寺である。小野篁は、平安時代に活躍した官人である。この人は、オカルトファンにとっては、かなりメジャーな人である。

あまりの優秀さに毎夜井戸を通って、地獄に降り、閻魔大王の補佐をしていたとか・・・。

この井戸が、この珍皇寺に存在する。

また、境内には閻魔堂があり、いかつい閻魔大王像が祀られている。

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この井戸が地獄の入り口である。この井戸の先には、おそらく五重のリングに六騎士が待ち受けているのだろう。

小野篁に関するなぞなぞである。

1 「無悪善」

2 「子子子子子子子子子子子子」

これを読んでみよう。答えはぐぐったら出てくる。

続いて、六波羅蜜寺にやってきた。

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開基は空也である。この寺で有名なのは、やはり空也像である。歴史の教科書には必ず出てくる。がりがりの坊さんが口から仏を吐いているやつである。

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このあたりにはかつて平家の屋敷「六波羅殿」があった。そのため、ここには平清盛と言われる像もある。

かなり小さな寺で、建物自体にはこれといって見るべきものもないが、とにかく仏像がすごい。空也像を見たとき、猛烈に感動した。

六波羅蜜寺をでて、何気なく歩いていると、豊国神社を発見した。

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豊国神社は、豊臣秀吉を祀る神社である。ここの他にも大阪城内などにある。

豊国大明神は、徳川家康の政治的圧力により、神号を廃されていたが、明治になり、幕府を作らなかったことが評価され、再興されたのである。

豊国神社の前に、妙な塔があった。

なんだろう?と近づくと、

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耳塚であった。

豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、敵の首をとる代わりに、耳や鼻を削いだのだが、それを葬った塚である。鼻塚ともいうらしい。

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ちょっと京都国立博物館によってみた。

中は今までに何回も見ているので、建物だけ見て、次にすすんだ。

2008年4月 8日 (火)

京都迷宮入りⅢ(その7:清水寺)

高台寺からてくてく歩き、二年坂・産寧坂を通り、清水寺にやってきた。

ちなみに産寧坂で転ぶと三年以内に死ぬというが、もう5年以上生きている。

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清水寺は、元々法相宗のお寺であったが、現在は独立し、北法相宗という清水寺ONLYの宗派を名乗っている。山号は音羽山で、本尊は十一面千手観音で秘仏である。

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清水寺と言えば、清水の舞台である。舞楽などを奉納する正真正銘の舞台なのである。

ちなみに奥の建物が本堂である。

「清水の舞台から飛び降りるつもりで・・・」

と、よく言うが、実際に江戸時代にバンジージャンプが流行ったそうな。生存率はかなり高かったようだ。私は高いところが苦手なので、飛び降りるなんてとんでもない。近づいただけで、びびりまくりである。shock

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境内にある地主神社に行ってみた。清水寺の鎮守社で、主祭神は大国主であるが、そんなことより、何故か縁結びの神様として、異様に有名である。

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その原因はこれである。

離れた位置にもう一つある。一方の石の前で目を閉じ、そのまま歩いて、もう一方の石までたどり着けば、恋が叶うとの都市伝説がある。あまりにも有名である。

以前挑戦して、玉砕した記憶がある。リベンジしようかと思ったが、一人でそんなことをしていたら、あまりにも痛い子なのでやめた。

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清水寺と言えば、音羽の滝も有名である。

やたらに長い柄杓で水を汲み、水を飲む。柄杓は、紫外線殺菌されている。日本人の穢れをやたら嫌う性質も異常である。洗えば、いいじゃないか!?私も少し潔癖症のところがあったが、インドに行ったら、そんなもん関係なくなった。まあ、幼少の頃は、道端の草とか食ってたのだが・・・。

三つの滝には、それぞれご利益があるというのは、観光用の都市伝説である。そもそもご利益とか関係ないみたいである。あくまで、身を清めるという意味らしい。

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清水の舞台を下から見上げる。高っ!!

よくこんなところを飛び降りて、命があるものだ。

次に向かうため、清水寺を後にした。

観光客だらけで、うっとおしい面もあるが、私は結構清水寺が好きである。たぶん舞台が面白いのだろう。

2008年4月 7日 (月)

京都迷宮入りⅢ(その6:高台寺)

建仁寺から高台寺にやってきた。

たかだいでらではない。こうだいじである。もっとも私はたかだいでらと親しみを込めて言っているが・・・。

山号は鷲武山(じゅぶさん)である。

豊臣秀吉の菩提を弔うために、北政所が建立した寺で、臨済宗建仁寺派のお寺である。北政所の院号が高台院であるので、高台寺というのだろうが、その名のとおり高台にあるのだ。

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高台寺前から八坂の塔が見える。法観寺の五重塔であるが、塔のみがやたら目立ち、寺は完全に忘れられている。

では、高台寺に入る。

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ここの特徴は、だだっ広い庭に建物が点在していることである。まあ、なんとなくまとまりがないのだ。以前来たときは、ライトアップ拝観であった。紫とか緑とかの光線を当てて、たいそう憤慨した記憶がある。昼間見ると、どういう感じか、結構楽しみであった。

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なんじゃ?こりゃ?

やっぱり訳が分からない寺である。意図が分からない。

珍寺でもないし、雅でもない。

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こっちの庭は普通である。

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開山堂である。

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階段を上ると、霊屋があった。中央に大随求菩薩(だいずいぐぼさつ)を、左右に北政所像、秀吉像を祀っている。まあ、高台寺のメインのようなものである。

この後は、順路に従い、竹林を歩かされたりする。なかなかヘビーな内容だ。拝観料もなかなかだ。

そういう訳で、私はあまり好きな寺ではない。まあ、それなりに楽しめたが、変なライトがあったり、妙なオブジェがあったり、中途半端で精神的に疲れるのである。

高台寺を後にした。

2008年4月 6日 (日)

京都迷宮入りⅢ(その5:建仁寺)

平成19年3月10日。二日目開幕である。

白石先生は、この日用事があるので、別れ、私一人で京都巡りである。

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初めにやってきたのは、建仁寺である。

臨済宗のお寺である。栄西を開山とし、源頼家の寄進により、建仁2年(1202年)に建立された。元号を寺号としている。なお、山号は東山である。

室町時代に京都五山が制定され、建仁寺は、第三位となっている。

画像は本坊である。

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方丈に入ると、枯山水の庭があった。

方丈を散策し、法堂に行こうとすると、妙な仕掛けに出くわした。

有料区域の通路がいったん遮断されている。無料の通路が横切っているためだ。

小さな扉があり、説明書きがある。扉の開け方と暗証番号が書いてあるのだ。

扉を開けて、無料通路を横切る。有料通路の反対側の扉前で、暗証番号を押す。

すると、扉が開いた。どうやら、なかなか儲かっているらしい。

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法堂に入ると、釈迦如来が祀られていた。天井を見ると・・・。

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龍である。禅寺にはよくある手法だ。だいたい一匹の龍であるが、ここは双龍である。

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本尊から一続きに写真を撮ると、なかなかクールな写真になった。

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法堂を外から見たバージョンである。

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これが、三門である。

禅寺おなじみの三門、法堂、方丈が一直線に並ぶ様式である。

なかなか味のある寺であった。

2008年4月 5日 (土)

京都迷宮入りⅢ(その4:上賀茂神社)

運よく、すぐにバスが来た。

上賀茂神社にやってきた。

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正式には、賀茂別雷神社という。ご祭神は賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)である。豪族賀茂氏の祖先を祀った神社で、下鴨神社とあわせて、賀茂社という。

下鴨神社と同じく、葵祭の舞台であり、両者とも世界遺産である。

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細殿の前には、立砂(円錐状に盛った砂)がある。御神体である神山を模したもので、清めの塩の起源らしい。

白石先生は、この立砂に興味津々であった。盛んに疑問に思っているらしい。私などは、こういうものを見ても、不思議にも感じない。この辺が、研究者と馬鹿との違いらしい。

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土屋というらしい。

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舞殿らしい。

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楼門の奥に本殿があるが、楼門からは立ち入り禁止になっていた。けちけちしやがって。

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この奥が本殿らしい。

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楼門前に架かっていた橋にて。

なかなか見事な神社だが、見れないところが多く、いまいちだ。

世界遺産に来たという達成感のみを残し、すごすごとバスで再び帰った。

一度、白石先生とともに母校に遊びに行き、夕食を白石先生いきつけの店でとった。

そして、白石邸で宿泊。

次回は、二日目である。

2008年4月 4日 (金)

京都迷宮入りⅢ(その3:下鴨神社)

叡山電車で出町柳に帰ってきた。

まだまだ時間的に余裕があるので、下鴨神社に行くことにした。

下鴨神社へは徒歩で行った。

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俗に下鴨神社と呼ばれるが、正式には、賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)という。平安京以前に京を治めていた豪族賀茂氏の氏神ということだ。糺(ただす)の森の中にある。初めは、糺すが読めなかった。

立派な楼門がお出迎えである。

下鴨神社と言えば、5月の葵祭りである。下鴨神社から上賀茂神社まで、行列が練り歩くのである。おかげで、葵祭り開催中は京阪電車が込み合って、うざかったものだ。

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ご祭神は 賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)と玉依媛命(たまよりひめのみこと)である。上賀茂神社のご祭神の親にあたることから、賀茂御祖神社というらしい。

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末社の一つ、井上社である。災難避けの神様らしい。私の災難を取り去ってくれよcatface

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大炊殿というお供え物を煮炊きする台所である。

それにしても摂社や末社などもかなり多く、すさまじくでかい神社である。こういうのを見ると、神戸の神社などは、本当に小さい。さすが京都である。

下鴨神社を見たら、上賀茂神社が見たくなった。

夕刻に近づいていたが、白石先生と相談の上、行くことにした。

上賀茂まではバスで行くことにした。

2008年4月 3日 (木)

京都迷宮入りⅢ(その2:貴船神社)

鞍馬寺奥の院魔王殿から山道を延々と歩き、貴船にやってきた。

貴船は夏になれば、川床が現れ、涼をとりながら贅沢な料理を食らうことができる。京の奥座敷といったところである。ちょっと小金を持ったマダムたちがよく訪れるが、こんな3月の寒空では観光客も少ない。

私は純粋に寺社仏閣巡りをしているので、川床がなくとも構わないのである。

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貴船神社にやってきた。

本宮を簡単に参拝して、先に奥に進んだ。本宮はかなり新しい建物であった。

まず、中宮である。

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ここは結社(ゆいのやしろ)ともいい、磐長姫命を祀っており、古来より縁結びにご利益があるとされている。

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本宮にある結び文を結ぶことでご利益がある。早速、本宮で購入した結び文を結ぶ。願い事は、当然、恋愛成就である。今のところご利益ないな~bearing

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奥宮に行く前に、川を見た。素晴らしい透明度である。この水なら川床もさぞ雅であろう。

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奥宮である。

元はここが本宮だったらしい。

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写真の左にある石積みは、船形石と呼ばれる。

上から見ると、船形になっている。変な石積みである。

玉依姫命が川を上るときに乗った船を石で隠したという伝説がある。

ここから貴船神社の名前がついたという話もある。

まあ、謎の石積みである。

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本宮に戻り、水占いをした。霊泉に浮かべると文字が浮かび、恋の行方が占えるのだ。

私の恋路は前途多難絶好調であった。lovely

この水占いであるが、白石先生がかなり楽しみにしていた。結社の縁結びでは私を冷ややかに見ていたのに、水占いはノリノリである。

白石君、ご利益はあったかね・・・?smile

貴船口から叡山電車で出町柳まで戻ることにした。

2008年4月 2日 (水)

京都迷宮入りⅢ(その1:鞍馬寺)

平成19年3月9日。

いよいよ京都シリーズも第三弾である。今回は、白石先生参戦である。

京阪電車で出町柳まできた。ここで白石先生と待ち合わせである。そこから、叡山電車に乗り換え、鞍馬までやってきた。

目的地は鞍馬寺である。鞍馬と言えば、鞍馬天狗と牛若丸である。

鞍馬寺は、元々天台宗に属していたが、1949年に独立して鞍馬弘教の総本山となっている。う~む。怪しい。

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仁王門である。いよいよ鞍馬寺に乗り込む。鞍馬は京都の山中なので、今回はほとんど登山のようなものである。

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しばらく行くと、由岐神社があった。鞍馬寺の鎮守社である。ここでは、毎年10月に火祭りが行われる。実に勇壮らしいが、私は見たことがない。

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とりあえず、参拝である。

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参道に戻ると、源義経供養塔があった。ここぞとばかりに義経ゆかりを猛アピールだ。

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かなり山道を歩くと、中門にきた。やっと着いたかと思うと、まだまだボディブローのように山道が続いた。

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本殿金堂である。ここまで来る間に、3月初旬というのに、軽く汗ばんだ。

普通、本殿というと神社で、金堂というと寺であるが、鞍馬寺は両方をあらわすような表現である。ちなみに本尊も尊天という。変な寺である。尊天は、千手観音、毘沙門天、護法魔王の三身を一体としたものである。

本殿金堂から霊宝殿までの間の道で、白石先生が鞍馬寺の由来を書いている看板を見つけた。

一読して、

「鞍馬寺って、こんな怪しい寺やった?」

私も知らなかったので、びっくりである。

尊天の一人、護法魔王(←まず魔王というのがおかしい。)は650万年前金星から地球に降り立ったらしい。アダムスキー型できたのだろうか?

こんなに有名な観光地でこんなぶっ飛んだ宗派?の寺もないだろう。

霊宝殿(博物館であるが、寺自体は歴史があるので、なかなかなものもある。)を見学した後、奥の院に向けて歩き出した。

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この門から向こうが奥の院への道である。

ひたすら歩く。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

かなり疲れる。

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木の根道にでた。鞍馬観光では結構有名なところだ。

それにしても、元気なじじばばでもここまでで相当を体力を消耗しているはずだ。グロッキー状態でこの木の根とくれば、根につまづき、顔面を強打あるいは、足を滑らし滑落・・・。

怖ろしい・・・。まさにじじばば殺し!coldsweats02

途中ででっかい根があった。白石先生はいつになくハイテンションで木の根にまたがっていた。だんじりファイターか?

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とうとう奥の院に着いた。その名も魔王殿!

精神的ダメージをくらう。shock

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こんなに苦労して、こんなちっぽけな祠だけとは・・・。

いや、金星人を祀ってるのだから、興奮ものである。

魔王殿を後にし、貴船方向に向けて、山道を下った。

2008年3月31日 (月)

京都迷宮入りⅡ(その4:南禅寺)

南禅寺にやってきた。

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臨済宗の大本山で、正式には瑞龍山太平興国南禅禅寺という。なんと長い寺号であろうか。

ここは、何と言っても三門である。

石川五右衛門がこの三門の上で、「絶景かな。絶景かな。」と言ったとか言わないのとか・・・。

まあ、南禅寺三門は五右衛門の死後三十年以上たってからできたので、全くの創作話なのだけれども・・・。

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三門の下はこんな感じである。

三門に上ることにした。

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恐っ!wobbly

私は高いところが苦手なのである。しかも微妙に床が外側に傾斜している。ちなみに仏像が祀られていた。

下りる。

恐っ!crying

階段をまともに下りられないので、後ろ向きに下りた。

しかも、でかい声で「恐っ!」を連発していたら、観光中のマダムに苦笑された。

まあ、確かに一人で騒いでるわけだから、痛い子やな。

恐怖に慄きながら、無事地上に帰還した。

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法堂である。明治42年に再建されたが、前の建物は、炬燵の火の不始末で焼失したらしい。何やってんだか・・・。despair まあ、過失だから金閣寺を故意に燃やした馬鹿より数段ましか・・・。

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釈迦如来、脇侍に文殊菩薩、普賢菩薩である。釈迦三尊というやつで、定番である。

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参道南側にある水路閣である。煉瓦造りで、琵琶湖疏水を通している。明治の建築物で、お寺にモダンな西洋風の建築物とかなりぶっとんでいる。現在は古くなり、周囲とそれなりの調和を醸し出しているが、当時は、違和感があったろう。

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方丈に行ってみた。

中は探幽らしき絵などがあり、なかなか贅沢である。

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六道庭という六道(天、人間、修羅、餓鬼、畜生、地獄)輪廻を戒める庭らしい。

はあ?

意味が分からないが、これを悟るのも臨済宗の修行の一環なのだろう。。。

臨済宗といえば、一休さんのとんちで有名な禅問答をする宗派なのだから・・・。

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方丈から出て、帰路につこうとした。

三門を抜け、もくもくと歩いていると、ビビビっと何か受信した。

はわわ・・・coldsweats02

金地院ではないくわぁー!?

金地院と言えば、金地院崇伝のお寺である。崇伝といえば、徳川家康のご意見番である。なんと、南禅寺の塔頭であったとは・・・。wobbly

武家諸法度や禁中並公家諸法度などに関係している坊さんである。家康の死後、家康を権現とする南光坊天海に対して、明神とすると真っ向から対立した。結果は、天海に軍配があがった。

まあ、そんなことはどうでもいい。

金地院に入ってみた。

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奥に進むと、なんと東照宮があった。

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なかなかちっこい東照宮だ。それにしても東照宮と言えば、日光だが、日光だけではなかったらしい。さすが、権現様だ。

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鶴亀の庭という。小堀遠州の作庭らしい。しかも唯一といってほど、小堀作であることが確かである。私的には、どこがいいのかはよくわからない。枯山水というやつは意味が分からない。こういうことは、JINの領域なのである。

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今回の京都散策はこれで終了である。最後に金地院で少しテンションが上がった。

次回の京都シリーズは、白石先生再登場である。

2008年3月30日 (日)

京都迷宮入りⅡ(その3:永観堂)

大豊神社から哲学の道に戻ってきた。

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また思索に耽ろうとかと思ったが、知恵熱がでそうでやめた。

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永観堂にやってきた。浄土宗のお寺で、正式名称は、聖衆来迎山禅林寺という。長い山号である。本尊は阿弥陀如来である。

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ここの伽藍は非常に面白い。各建物が渡り廊下でつながっているのだ。

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玄関から中に入ると、釈迦堂や御影堂などを通る。

ここまではいいのだが、開山堂までは、かなりの急勾配を上る。

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結局、開山堂まで行っても大したことはない。小さなお堂があるだけだ。

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そして、印象的なものが多宝塔である。写真左奥の山中にある。

多宝塔まで行ったが、ここでも急な階段を上った。やはりお寺めぐりは体力がいるのである。

神社仏閣巡りをじじ臭い趣味という輩がいるが、とんでもない話だ。

じじいにこの山は登れないのである。元気な爺さんはその限りでない。

手前の池には、真ん中に島があり、弁天島という。まあ、よくある趣向だ。

なかなかのお寺で感動したが、体力も削られた。

永観堂をでた。

2008年3月29日 (土)

京都迷宮入りⅡ(その2:真如堂、金戒光明寺、大豊神社他)

    慈照寺を出て、哲学の道に戻ってきた。

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どんどん南に下る。

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哲学の道を歩きながら、思索に耽ろうかと思った。

結論を出そうとしても、出せないので考えるのをやめた。

深いことを考えるのは苦手である。

そうこうしていると法然院に着いた。

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あいにく伽藍内はシーズンではないので、非公開である。

正式には善気山法然院萬無教寺というらしい。鎌倉時代に法然が弟子たちとともに六時礼賛を勤めた草案に由来するといわれている。

境内はとても静かである。観光客など誰もいない。私はよっぽどの物好きなのか?

そうそうに立ち去り、哲学の道を再び南進する。

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安楽寺である。法然の弟子たちが開いた念仏道場の跡に立つ寺である。

あいにく非公開シーズンなので門構えだけである。

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真如堂である。鈴聲山(れいしょざん)真正極楽寺というのが正式名称である。

天台宗のお寺で、本尊は阿弥陀如来である。

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中に入ると、座敷から庭が見えるところに案内された。

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なんだかおじ様が熱心に解説してくれたが、内容は忘れた。

私は庭にはあまり興味がない。それは、JINの領域である。

ちなみに手前に敷き詰められた砂利のエリアは、ガンジス川を現し、真ん中奥に連なっている石は釈迦の涅槃をあらわすとのことである。周りの石は弟子たちである。涅槃図の再現である。

ガンジス川に私は、反応した。ついこの間、行ったところであったからだ。

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真如堂をじっくり廻り、またまた哲学の道を南進した。

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金戒光明寺にやってきた。浄土宗のお寺である。

それにしても立派な三門である。

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裏から見ると、こんな感じである。

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かなり大きな寺である。いろいろ巡っていると、ばてた。

とくにこの階段はきつかった。

幕末に会津藩士の屯所が置かれていたそうで、鳥羽・伏見の戦いで戦死した藩士の菩提を弔っている。

大豊神社にやってきた。

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ここは何と言っても狛犬ならぬ狛鼠である。

昔、大国主命を助けたという伝承から鎮座しているとのことである。

他にも狛猿とか狛鳶などふざけた石像がある。

大豊神社を後にして、再び哲学の道を南進した。

2008年3月28日 (金)

京都迷宮入りⅡ(その1:銀閣寺)

平成19年2月27日。

京都巡りシリーズの第二弾である。前日に母校研究室のイベントに招待されたので、友達の白石先生の家に宿泊し、翌朝からスタートすることになった。

ちなみに白石先生は所用で今回は私一人である。

まず、白石先生の家から銀閣寺まで徒歩で行くことにした。

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銀閣寺まで哲学の道を散歩する。今回は、哲学の道を南に下っていこうという魂胆である。哲学の道は、琵琶湖疏水沿いの小道で、哲学者西田幾多郎がこの道を散歩しながら思索に耽ったことから名づけられたと言われている。

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銀閣寺にやってきた。

正式名称は、東山慈照寺である。開基は足利義政で、開山は夢窓疎石とされている。

夢窓疎石は実際には、1世紀前の人である。弟子筋にあたる僧が師僧を開山とすることがある。こういうのを勧請開山というらしい。いまいち納得がいかない。

銀閣寺は通称である。義政が造営した観音殿を銀閣と称することからこういう通称になった。

慈照寺の門をくぐると、銀閣寺垣という垣根がある。なんだか迷路みたいだ。

それを抜けると、いよいよ見えた。

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銀閣である。金閣と比べれば、随分と地味だ。日本的な美である。

義政は文化人としては、なかなか優秀な人だったらしい。トップとしては、どうしようもない無能である。

慈照寺を建立した時期は、応仁の乱の直後であった。応仁の乱といえば、京の都を灰燼にした戦いである。西軍と東軍が神社仏閣を陣地にし、火をつけまっくたものだから、ほとんどの神社仏閣は消失した。京都のほとんどの神社仏閣は、応仁の乱後、豊臣秀吉や徳川家康が再建したものである。ちなみに、西陣という地名は、西軍の陣地があったことかららしい。まあ、とにかく義政は民が疲弊し、家を焼け出され、食べるものもないようなときに贅を尽くしたこの建物を建立したのだ。どういう神経をしているのか・・・think

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こちらは東求堂である。

義政の書斎がある。実はこの書斎がいわゆる我々が連想する和室の原点なのだ。

和室といえば・・・。

畳があって、障子があって、床の間に、違い棚・・・。

こういうのを書院造という。

まったく義政は裕福な時代に生まれて、文化人として生きれば偉人となったに違いない・・・。

とにかく応仁の乱の戦後処理など全くしなかったため、その後、戦国時代となっていくのである。

義政のお馬鹿さんは置いておいて、すっかり雅な気分になり、慈照寺を出た。

2008年3月23日 (日)

京都迷宮入りⅠ(その4:青蓮院、平安神宮)

青蓮院にやってきた。ここは、京都好きのJINでも初めての訪問だったらしい。

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天台宗三門跡の一つである。門跡というのは、親王とかが仏門に入るとき、行く寺である。

早速入る。畳の部屋に通される。庭を見せる演出のようだ。

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京都ツアーのパンフレットを意識して、写真を撮った。モデルがいいので、なんとも雅である。音に出すとよく似ているが、決して淫靡ではない。

JINも同じように写真を撮ってやった。これもモデルがいいので、雅である。

JIN、なんかくれ・・・

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庭にも出ることが可能である。

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この青蓮院には、青不動という国宝の不動明王図が保管されている。

しかし、あいにく、模写しか見れなかった。ま、そういうもんでしょう・・・think

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嬉しそうに鐘を突く私。JINも同様に鐘を突く。

JINのほうがさまになっている。

なんかくれ・・・JIN

青蓮院で雅な気分を味わったあと、平安神宮にやってきた。

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応天門と呼ばれる門である。

平安神宮は、桓武天皇を祀っている神社で、旧官幣大社である。桓武天皇と言えば、平安遷都の天皇である。平安遷都1100年を記念して、明治28年に創建された。なお、皇紀2600年(昭和15年)には、平安京最後の天皇である孝明天皇を祭神に加えている。

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本殿の前には、大極殿という、平安京の大極殿に似せた建物がある。

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蒼龍楼である。向かいには白虎楼があり、対称となっている。なんとも面白い造りである。

平安神宮を参拝し終え、帰路に着くことにした。

この京都巡りが、その後続く、京都行脚の始まりなのであった。

2008年3月18日 (火)

京都迷宮入りⅠ(その3:八坂神社、知恩院)

京都市内にやってきた。

ここからは、JINの専門である。JINは京都に造詣が深いのである。というわけで、JINが先導する。まあ、ほとんどの旅はJINと行けば、JINが主導なのだが・・・。

私がJINを先導したといえば、高野山ぐらいかな・・・?

とりあえず、八坂神社に行ってみた。

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お恥ずかしいことに初めてである。今まで何回も前を通っているが、なかなか参拝できずにいた。

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正月13日ということで、まだまだ参拝客が多かった。

八坂神社のある東山は、渡来人の八坂造一族が住んでいた。このあたりから社名となっているのであろう。

由緒などはよくわからないが、平安遷都以前からあるらしい。

ご祭神は、 スサノヲノミコト(素戔嗚尊)、クシイナダヒメノミコト(櫛稲田姫命)、ヤハシラノミコガミ(八柱 御子神)である。

スサノヲノミコトといえば、ヤマタノオロチを退治した神で、クシイナダヒメノミコトは、そのとき生贄にされそうになっていたヒロインである。

明治維新の神仏分離前は祇園社等と呼ばれていた。そう、祇園祭はこの神社のお祭りである。

確かにすごい神社である。しかしながら、私的に興奮するものがなかった。もっと、ワンダーランド的じゃないと、私の胸はときめかない。

八坂神社を後にした。

次も初めての訪問である。

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知恩院である。

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知恩院は浄土宗の総本山である。とてつもなくでかい三門である。

この三門を抜けると、石段がそびえ立っている。この石段は、ラストエンペラーのワンシーンにも使われているのだ。トム・クルーズが天皇に会いに行くシーンで御所までにこの石段が意味不明に出てくるのだ。

三門を抜け、反対を向くと、京都市内の景色が一望できる。絶景である。この絶景を見ながら、JINが、

「諸行無常やな・・・。」

????

「意味わからんわ!」

諸行無常とは、この世の全てのものは常ならずって意味なので、この場合使うのは不適切である。

JINは、私ならつっこんでくれると思っていたらしい。

あまりに高度すぎるボケなのである。

石段を上ると、御影堂が現れた。

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御影堂に入ると、感動した。

お坊さんが勢ぞろいで、

「ナンマンダブ、ナンマンダブ、・・・・。」

念仏を唱えているではないかぁーーーーーっ!!!

これよ、これ!こういう宗教活動が見たかったのだよ。

御影堂を散策していると、忘れ傘なるものが、軒裏にひっかかっていた。

左甚五郎が魔よけのため置いていったとか、建立の際、白狐の恩返しで狐が知恩院を守るため置いていったとか、諸説ある。

それにしても、謎である。何故、傘が魔よけになったり、寺を守れるのだろうか?

知恩院のウェブサイトでは水と関係があるから、火災避けと説明しているが、いまいちしっくりこないのである。

知恩院を後にした。

2008年3月17日 (月)

京都迷宮入りⅠ(その2:萬福寺)

宇治から黄檗にやってきた。ここには、黄檗宗の大本山である萬福寺がある。

黄檗宗とは聞き覚えがないかもしれないが、江戸時代に中国から来た隠元禅師が開いた宗派である。隠元隆琦と言えば、インゲン豆を持ち込んだとされ、その名の由来となっている有名人である。

萬福寺は隠元隆琦が開いた寺で、日本にありながら中国チックなお寺である。

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総門である。このあたりから普通のお寺と様子が違う。

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三門である。かなりのでかさである。正直ここまで凄いお寺とは思っていなかったので、JINと二人でたまげた。

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なかなかの達筆である。

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天王殿である。中国では一般 的な建て方で、四天王と弥勒菩薩と韋駄天を同様に祀るそうだ。

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布袋様である。しかしながら、布袋は弥勒菩薩の化身だそうだ。化身とはいえ、弥勒菩薩のイメージではない。弥勒菩薩は、もっとシュッとしていそうだ。

それにしても愛嬌のある顔である。

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文字通りの木魚があった。雲版(うんぱん)というらしい。朝昼の食事と朝課のときに打つということだ。結構でかい。

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本堂である大雄宝殿には、十八羅漢がある。普通は十六羅漢なのだが、ここは特別である。

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羅漢は、正式には阿羅漢という。特に高位の修行僧のことを言うが、仏教の段階や宗派等の見解により違いはあるものの、尊敬すべき僧である。

十六羅漢とは、

  • 賓度羅跋囉惰闍(びんどらばらだーじゃ )
  • 迦諾迦伐蹉(かなかばっさ)
  • 迦諾迦跋釐堕闍(かなかばりだじゃ )
  • 蘇頻陀(すびんだ )
  • 諾距羅(なこら )
  • 跋陀羅(ばだら )
  • 迦哩迦(かりか )
  • 伐闍羅弗多羅(ばじゃらぶたら )
  • 戎博迦(じゅばか )
  • 半託迦(はんたか )
  • 羅睺羅(らごら)
  • 那伽犀那(ながせな )
  • 因掲陀(いんがだ )
  • 伐那婆斯(ばなばす )
  • 阿氏多(あじた )
  • 注荼半諾迦(ちゅだはんたか )

である。

十八羅漢は賓度羅跋囉惰闍の別名である賓頭盧(びんずる)を別人とし、十六羅漢思想の創始者である慶友を数えるらしい。

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これは、これは、羅漢界のスーパースターの羅睺羅尊者ではないか!

羅睺羅尊者は、釈迦の実子である。

「お前には仏種(仏になるための種?)があるのか?」との問い、

「ここにいるよん!」

と、胸元を開いたら、ちっこい仏様がいたというエピソードがある。

この像でもそうであるが、羅睺羅尊者像はだいたい腹かっさばいたら、仏様がいまっせという場面が再現されているのだ。

私は阿羅漢の中でも、このメルヘンな羅睺羅尊者像が一番好きである。

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予想以上の萬福寺に満腹になり(ちょっと駄洒落)、京都市内へ向かった。

2008年3月16日 (日)

京都迷宮入りⅠ(その1:平等院、宇治上神社)

平成19年1月13日。

JINが宇治にちょっとだけ用事があるという。私も暇だったし、4月から福岡に引っ越すことが決まっていたので、今のうちに京都を堪能しようという魂胆から、便乗することになった。

JINが宇治で用事をしている間、私は宇治を散策して、その後、京都市内で遊ぼうと言うことになった。

ということで、宇治にやってきた。

そういえば、宇治に来るのは、小学校以来だ。確か某古着屋さんと来たが、その頃は、平等院を見ても、いまいち価値が分からなかったものだ。

今回、20年ぶりくらいに平等院に行くことにした。

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いかにも古い門構えを見て、興奮する。

門をくぐると、すぐに現れた。

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鳳凰堂である。

平等院鳳凰堂と言えば、必ず教科書に出てくる超ビッグネームの建築物である。

平等院の由来であるが、転々と持ち主を変えた別荘が藤原道長の所有となり、藤原頼通が寺としたものだ。

本尊は阿弥陀如来である。平安時代後期、末法思想が世の中にはびこっていた。釈尊の入滅から2,000年経過した世の中では、世が乱れるという考えが末法思想で、まさに平安時代後期がその末法であると信じられたのだ。現世が地獄ならば、来世に期待しよう、そのために阿弥陀如来に救ってもらおうというのが、浄土教なのである。

平等院は浄土教の仏教建築物の代表作なのである。

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ぐるっと、鳳凰堂を回る。

あれっ!?平等院って、鳳凰堂以外、あまり見るところないのね?

鳳凰堂内に突入する。

阿弥陀如来が祀られている。あいにく、改装工事中で、天蓋などは取り外されていた。

ガイドツアーの人が熱心に語っていたが、ほとんど聞かず、仏像や鳳凰堂のつくりなどを見ていた。で、飽きたので、出てきた。

それにしても、なんか宗教色が薄い。私はもっと、聖地ということが感じられるところが好きである。日本で言えば、高野山とか・・・。

お坊さんがお経でも読んで、線香もくもくやったらテンション上がるのに・・・。

後は、博物館などを見学した。天蓋等はこちらに展示されていた。

小学校のときは、もっと大きいと感じたのだが、意外と小さかった。

そうこうしていると、JINから連絡があった。早速、待ち合わせ場所に移動である。

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途中で、県神社に参拝した。

観光案内にもあったが、ただの小さな神社にしか見えなかった。

かつて、平等院の鎮守だったようだ。

JINと出会い、宇治上神社に行くことにした。

宇治上神社は、宇治では、平等院と共に世界遺産に選ばれている。

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宇治川のほとりに、宇治川先陣の碑があった。

木曽義仲VS源義経の激戦地であり、梶原景季と佐々木高綱の先陣争いで有名である。この碑は、そのエピソードを記念するものである。

このエピソードは、高校の古典で出てきたので、非常に懐かしい。

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宇治神社である。宇治上神社ではない。ここもなかなかの神社であるが、宇治上神社が世界遺産になったせいか、いまいち影が薄い。

明治維新までは、宇治上神社と対をなしていたようだ。

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いよいよ宇治上神社に参拝する。

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拝殿である。

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こちらが本殿覆屋である。中に本殿が三つあるらしい。ご祭神は、菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)、応神天皇、仁徳天皇ということだ。

菟道稚郎子とは、聞いたことがないが、応神天皇の皇子ということだ。

宇治上神社の本殿は、現存最古の神社建築である。このあたりが世界遺産になった理由であろう。本殿は見えないので、残念である。

宇治上神社を見終えたので、宇治を移動することにした。

おしらせ

まーくんのつぶやき

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    最近、アクセス地域のランキングを見ていると、やたら東京が伸びている。検索フレーズを見ると、もろに「天使と悪魔」の影響のようで、ローマネタが多い。東京に知人は少ないし、誰にもブログのことは知らせてないので、検索して迷いこんでくるんでしょうな。東京だけでなく、人口の多い大阪もきてます。滋賀県がんばれ!