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    1999年3月に国道2号線を使って、神戸から北九州まで旅をした伝説。帰りはフェリーで松山に上陸し、四国を横断して帰ってきた。
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    飯は不味いが、とにかくお洒落な街と大英博物館、ストーンヘンジ、カンタベリー最高!
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    2007年2月。とにかくカルチャーショックの連続だった。

カテゴリー「埼玉県」の記事

2016年5月29日 (日)

そうだ!川越へ行こう!(その7:川越城本丸御殿)

川越城と聞いて思い出すもの・・・ 「河越夜戦」

川越城は、武蔵国が扇谷上杉氏と古河公方の争いの地であったため、上杉が築城したのが始まりだ。で、北条氏康がその名を轟かせた、先述の河越夜戦だ。北条氏は先の戦で川越城を占領していたが、奪還に燃える上杉は、山内上杉、古川公方と連合を組んで、城を包囲した。しかし、これを夜戦で撃退。扇谷上杉は滅亡、山内上杉は衰退の上、長尾影虎に家督を譲る。上杉謙信の出来上がりだ。戦国史の中でも、旧勢力が新勢力に駆逐された、重要な局面といえよう。ついつい話が脱線してしまったが、今回、見学した川越城は当時のものでは当然ない。もっと後の世の、さらに言うと再建である。

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なかなか威厳がありますなあ。。。

1846年、二の丸御殿が焼失したことにより、本丸御殿を建立した。明治時代になると廃城令により大部分は解体、移築されたが、本丸御殿の玄関と広間が県庁舎として利用された。その後、煙草工場となったり、武道場となったり、紆余曲折あって、昭和42年に大規模な修理の上、現在のような公開施設となった。

早速、見学するか・・・

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使者の間とある。

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使番詰所がとなりにある。
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展示室

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?何だ、ありゃ?何か知らんが撮影していた。何かのレイヤーさんかな?

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この先が家老詰所だ。

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中庭

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なんか秘密会談でもしてはるのかな?

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もとのエリアに戻ってきた。

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鎗の間

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三十六畳広間。一番広い部屋だ。

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駆け足だが、これで一周したことになる。

なかなか渋い造りであった。川越の旅はこれにて終了である。

次回はちょっと東京を散歩した話だ。

2016年5月26日 (木)

そうだ!川越へ行こう!(その6:川越氷川神社)

氷川神社にやってきた。

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氷川神社というと、大宮のものが非常に有名なので、混乱なきようタイトルはあえて川越をつけた。

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関東三大祭の一つ、川越祭りは、ここ氷川神社の例大祭である。

スサノオとクシナダヒメ、クシナダヒメのおとんとおかんの2組の夫婦神を祀ることから、縁結びの神様として名高い。

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これは念入りにお参りしとかな!( ̄ー ̄)ニヤリ

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柿本人麻呂神社とな!?

直系の子孫が戦国時代に川越に越してきたので、祀られているそうだ。

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人形という名の和紙を川に流して、心身の穢れを祓うらしい。

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戌岩を撫でると、子宝に恵まれるらしい。まずは相手が欲しいわ!

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水神社。

他にも摂社や末社が多数、存在した。

それほど巨大な神社ではないが、なかなか見所のある神社であった。

しかし、結婚式をやっていたり、リア充がいっぱいいたので、些か居心地が悪かった。

2016年5月25日 (水)

そうだ!川越へ行こう!(その5:喜多院)

いよいよ喜多院に着いた。

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正式には、星野山無量寿寺喜多院という。天台宗のお寺である。

平安時代に、淳和天皇の詔により円仁が創建した。無量寿にはかつて北院、中院、南院の3院が存在したが、中院は仙波東照宮の建立により移動し、南院は明治に廃院になっている。

天海僧正が住職となり、名を喜多院と改め、隆盛を極めた。その後も徳川家に厚遇された。

ちなみに山門は天海により建立されており、喜多院で現存する最古の建造物(国の重要文化財)である。

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こちらは鐘楼門で、こちらも重要文化財だ。

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慈眼堂である。慈眼大師天海を祀り、中には天海の木造が安置されている。重要文化財。

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多宝塔。

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本堂の慈恵堂である。慈恵大師(元三大師)良源を祀る。

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こちらの庫裡は、書院と客殿(ともに重要文化財)の見学受付になっている。

早速、見学してみた。内部はあいにく撮影禁止であった。

書院には春日局化粧の間が、客殿には徳川家光誕生の間がある。

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庭だけは撮影できたので、撮影してみた。書院と客殿を撮影できなかったのは、残念だった。

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最後に五百羅漢を見学した。

日本三大羅漢の一つだそうだが、そんなものは聞いたことがない。他はどこやねん?

江戸時代に半世紀にわたり、建立され、533尊者のほか、釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩、阿弥陀如来、地蔵菩薩を併せて、538体の仏が鎮座している。

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なかなか味わい深いものであった。

こうして、喜多院の見学を終えたが、川越散歩はもう少し続く。

2016年5月15日 (日)

そうだ!川越へ行こう!(その4:仙波東照宮)

仙波東照宮にやってきた。喜多院の境内に立地している。

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祭神はもちろん、徳川家康公だ。

家康公がなくなると久能山に葬られ、久能山東照宮が建立された。

翌年、日光に改装される際、法要が喜多院で、黒衣の宰相天海僧正によって行われた。その後、天海によって建立されたのが、ここ仙波東照宮である。

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日光に比べると、小規模ではあるが、なかなか立派な神社だ。

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拝殿だ。

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後ろには唐門の向こうに本殿がみえる。

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逆サイドから・・・

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周囲には親藩大名や譜代大名が奉納した石灯籠が並ぶ。

中には柳沢吉保の名も(゚▽゚*)

さて、いよいよ喜多院に行くか・・・

2016年5月14日 (土)

そうだ!川越へ行こう!(その3:中院)

川越にやってきた。

ここでのメインの目的地は喜多院であるが、そこまで東武川越市駅から歩く。

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まもなく行われる川越まつりの山車が準備されていた。重要無形民俗文化財に指定されている祭りだ。さぞかし賑わうのだろう。

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喜多院に行く途中、中院という寺に遭遇したので入ってみた。

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なんと島崎藤村縁のお寺であった。

何でも島崎藤村の嫁のおかんの墓があるそうで、藤村も頻繁に訪れたらしい。

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中院の山号は星野山、寺号は無量寿寺である。

無量寿寺は平安時代に創建された、大層歴史ある寺である。北院、中院、南院とあり、その中心であった。ところが、天海が北院(喜多院)の住職となると、一挙に喜多院が隆盛を極める。しかも、中院の位置に後述の仙波東照宮を建立したので、場所移動までされた。

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喜多院に比べると小さいが、落ち着いた雰囲気のあるお寺であった。

2016年4月24日 (日)

そうだ!川越へ行こう!(その2:吉見百穴)

岩室観音をあとにした私は、いよいよ本命、すぐ目の前にある吉見百穴にやってきた。

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実際には少し見えてるが、あえて外して撮影した。

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でたっ!Σ(・ω・ノ)ノ!

百穴の名のとおり、岩山にたくさんの穴が開いている。

これが、歴史の教科書や便覧で御馴染みの吉見百穴である。

古墳時代末期の横穴墓群とされている、遺跡だ。

明治20年に当時の人類学の権威、弥生土器の発見者でもある、坪井博士によって発掘調査された。

坪井博士は調査の結果、こう結論づけた。。。

「住居のようだ・・・」

「日本人が住まいとするには、小さすぎる・・・」

「日本先住民、コロボックルの住居である!」と・・・

( ゚д゚)ポカーン

Σ( ゜Д゜)ハッ!

いやいや!コロボックルって!

坪井博士、コロボックルの実在を信じていたみたいだ。。。

坪井博士曰く、まずコロボックルの住居ありきで、その後、古墳時代に墓として利用された形跡があると・・・

当然というか、すぐに反論がでている。

それも弥生土器の共同発見者である白井博士から・・・

「住居として作られた明確な証拠がない。コロボックルの存在が確認できない。古墳の石室と同じ構造がある。よって、墓である!」

当然、今の定説は墓である。それにしてもコロボックルって・・・

知ってる、知ってる!ホモ・フローレシエンシスの生き残りやろ?

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

話が随分脱線したが、そろそろ戻す。

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さっきの経緯がマイルドに書かれた看板が立っていた。

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この何だか冒険心をくすぐる入り口は軍需工場跡の入り口だ。

太平洋戦争中、中島飛行機の地下工場として掘削された。その際、いくつかの横穴が消滅してしまったのは、残念なことだ。

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中はひんやりしていて、心地よい。

柵があり、あまり奥にはいけない。

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柵から奥をのぞく。なかなか闇が深いなあ。。。

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こんなところで、飛行機作ってたのかね?

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軍需工場跡を出ると、すぐそばにヒカリゴケ自生地がある。

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この鉄格子の中か・・・

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中をのぞくとうすぼんやり光っているが、写真するとよく分からない。

ヒカリゴケの自生地というのは、関東平野では非常に貴重なものだそうで、国の天然記念物になっている。

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さて、横穴の見学をしていこうかね。

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この階段で岩山をのぼり、横穴までいけるのだ。

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いくつかの横穴は容易に中に入れる。

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狭い・・・

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おお?結構上の方まで横穴群が広がっている。

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右手の台座に遺体を葬ったのかな?

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ここの横穴はかなり大きめだ。

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中も今までの横穴よりはるかに広い。

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落書きがあった。がっかりだ。人類の宝を何と思っておるのか!(`Д´)

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こちらもそこそこ大きい。

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中をのぞくと、棺座?が左右二つあった。

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見晴台とやらまで上ってきた。言うほど景色はよくなかった。

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これで、岩山を一周して、下界にもどってきたぞい。

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最後に資料展示室と、

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埋蔵文化センターを見学した。

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土器がいっぱいあるげ!(゚0゚)

さて、憧れの吉見百穴も無事見学できたし、川越でもぶらつくか・・・

2016年4月10日 (日)

そうだ!川越へ行こう!(その1:岩室観音)

平成26年10月10日。所用で東京に来た私は、空いた時間を利用して、

埼玉に行くことにした。川越とやらに行ってみようかね・・・

で、早速出あるが、川越ではない。

川越に行く前に歴史の教科書でよく出てくる、吉見百穴を見ようと思って出かけた。

東武東上線ではるばる東松山までやってきた。ここから吉見百穴までどう行こうかと思い、

駅の観光案内所で聞いてみた。

「タクシーか徒歩ですね。」

「え?歩ける距離なんですか?」

吉見百穴のある吉見町は東松山の隣

「だいたい30分くらいかかりますけどね。」

30分なんて私にとってはいいお散歩ですわ!

ということで、徒歩で歩くことになった。

天気もよく、気分良く歩いていると、やがて近付いてきた。

市野川を越えると、すぐそこのようだ。

看板も見えた。もうすぐ!というところで、只ならぬ雰囲気を感じた。

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え!?何これ?!!(゚ロ゚屮)屮

何だか知らんがとにかく凄いんですけどっ!

寺なのか?門のところまで行ってみると、

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お地蔵さんが並んではるよ!

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こっちに岩窟が・・・

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まさかの光景に圧倒される私!

まったく予期していなかった名刹にびっくりだが、このお堂、

岩室観音という。

弘法大師様が観音様を彫刻し、この岩窟に奉納したことに由来するらしい。

現在のお堂は江戸時代のもので、近隣の有志による再建だそうだ。

崖にへばりついているので、関東には珍しい懸造りの建物である。

そして、比企西国三十三箇所の3番札所なのだ!

比企西国三十三箇所って何?(lll゚Д゚)

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二階に上がれるので、上がってみた。

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観音様はいづこ?

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ずいぶん味のある絵馬だ。

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ん?なんだこれ?仏足石ではないよね?

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下に降りて、周囲を散策。

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胎内くぐりもできるが、一瞬で終わる。

予期せず面白いものを見学できて、テンションが上がった。

さて、いよいよ本題の吉見百穴に行こうかね・・・

2009年9月25日 (金)

関東文化的探求の旅(その1:鷲宮神社)

平成21年9月4日~6日に東京とその周辺に行ってきた。急に休みが取れたこともあり、かなり思いつきで行ってきた。今回は、かなり文化的な旅行となった。はっきり言って、いろんな意味でオタの旅である。では開幕である。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

平成21年9月4日。

福岡空港から飛行機に乗り、羽田に着いた。羽田から、東京観光を一切せず、一挙に埼玉県は鷲宮町にやってきた。

ここへやってきたのは、鷲宮神社という神社が大変なことになっていると聞いたからだ。

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鷲宮の駅は、予想以上に何も無かった。春日部を越えた辺りから、田園風景が広がっていたので、ある程度は予想していたが・・・

駅前で昼食でも食おうかと思っていた目論見が台無しだ。おかげ、昼食は東京までお預け、しかも立ち食いうどんで済ませた。

話を戻す。

鷲宮神社にやってきた。

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二年前に「らき☆すた」というアニメがあった。その主人公格の姉妹が住んでいるのが、この鷲宮神社の設定なのである。この記事に検索で来る人には、釈迦に説法であろうが・・・。

らき☆すたを知らない人は自分で見てください。ネタがマニアックなので、その手の知識が少ないと、結構敷居が高いはずです。初回のチョココロネを越えられた人は、はまるかも・・・

鳥居の前の電信柱に・・・

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こっちにも・・・

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その上の掲示板にも・・・

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マニアが聖地巡礼に殺到したため、当初地域も煙たがったようだが、最近は共存の道を選んだようだ。おかけで、埼玉のガイド本にも普通に、聖地巡礼特集が組まれている始末だ。

ま、境内に突入するとしよう。

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なかなか雰囲気のある神社だ。

何か前方が騒がしいな。。。

映画の撮影中だった。大学の映研か?

ま、しゃーないか・・・

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拝殿にお参りする。

さて、鷲宮神社であるが、関東最古の大社と言われており、中世には、関東鎮護の神社として武士の尊崇を受けていたという、とても由緒正しい神社なのだ。といっても、延喜式はもとより、明治の近代社格制度でも大社になっておらず、どこから関東最古の大社というフレーズが出ているのかは、謎である。

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こちらが本殿である。

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こちらは神楽殿のようだ。この鷲宮神社の神楽は、鷲宮催馬楽神楽といい、関東神楽の源流とされているらしい。国の重要無形民俗文化財になっている。神社側は、この神楽を大々的に宣伝したい雰囲気だったが、周囲はすっかりらき☆すただ。

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片隅には力石が・・・

さぞかし力持ちが上げたという逸話があるのだろう・・・

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境内を散策すると、摂社・末社が結構点在する。

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この小屋は何だろう?

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おう!孔雀!

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いよいよ今回のメイン?絵馬である。

これを見学するために、この絵馬の前をずーずーしくも独占していた映研?の撮影を延々と待たされた。何せ、参拝客(マニアではない)の通行をことごとく妨げたため、普通の人は協力するが、気の短いオヤジが切れたくらいだ。そんな怒らんでも・・・。まあ、腹が減っているせいか、たいがいにせえよ!という気持ちにはなったが・・・

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ご覧の有様だ。

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皆さん、絵が上手ですねぇ・・・

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絵馬の近くに池がある。

龍神様がおられるらしい。

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小っさ!しかもきたなっ!

すっかり聖地巡礼を楽しんだ。

あとは東京までひたすら戻る。

この後、上野の科博でシカン展を堪能し、アキバを散策し、一日を終えた。

宿泊先は大井町のアワーズ阪急である。近場で夕食のとんかつを食った。味は非常によかったが、ころもで喉が切れ、血みどろになった。←私にはよくある。

さて、明日はアグレッシブに攻めるぞ!

つづく

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