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伝説の旅ベスト5

  • 第五位:第一次九州遠征(2号線の旅)
    1999年3月に国道2号線を使って、神戸から北九州まで旅をした伝説。帰りはフェリーで松山に上陸し、四国を横断して帰ってきた。
  • 第四位:ハワイのんびり旅行
    2005年12月。ホノルルマラソンに出走。人生を変えた旅。
  • 第三位:英国旅行
    飯は不味いが、とにかくお洒落な街と大英博物館、ストーンヘンジ、カンタベリー最高!
  • 第二位:中欧旅行
    ベルリン、プラハ、ブタペスト、ウィーン、ヴェネチア、アムステルダムと6カ国の都市を主に列車で巡った。飯が美味かった。
  • 第一位:北部インドの旅
    2007年2月。とにかくカルチャーショックの連続だった。

カテゴリー「インド」の記事

2012年9月13日 (木)

北インド旅行記(その23:プラーナ・キラー)

ラール・キラーを後にした私は、ジャマー・マスジットというモスクに行こうとした。

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お!香辛料売ってるね。。。

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こっちはお野菜ね。

とぼとぼ歩いていると、3歳くらいの幼女が、私の前に座り込んで、用を足した。

・・・・( ゚д゚)ポカーン

これがインドか・・・

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ジャマー・マスジットにやってきた。ここはインド最大のモスクである。さて、入ろうとすると、入場料を払えという。確か、無料のはずでは?

料金はカメラ撮影の場合のみでしょ?と訴えても、拉致があかない。見れば、私の前に来た白人男性も同じことでもめていた。急激にやる気がうせた私は見学をやめた。

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縁がなかったのである。

そのまま、デリーの中心街?コンノート・プレイスにやってきた。昼食は折角だから、マクドでインド限定のマハラジャ・マックを食べた。マサラ味だった。

この後、パリカ・バザールという地下街をのぞいた。喧騒という言葉がふさわしい。一つのカートリッジにいくつもゲームソフトが入った、怪しげなファミコンソフトが売ってあったり、凄かった。熱烈な客引きに会い、いささかドン引きである。

そして、プラーナ・キラーまでやってきた。

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プラーナ・キラーとは古い城という意味である。レッド・フォートよりも古い城で、フマユーン帝を破ったスール朝のシェール・シャーが建てたそうだ。

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今まで凄いのを見てきた私には、少し物足りない。凄いのを見る前に見学することをお薦めする。

こうして、お土産を買ったり、物乞いに服を引っ張られたり、動物園の前でコーラを飲んだり、リキシャーの客引きにあったり、ぐだぐだと最終日が過ぎていった。

ちなみにメトロに乗るときのセキュリティチェックでお土産に買ったガネーシャ像が引っかかり、荷物をさらけ出す羽目になった。違法なものではないので、当然、お咎めはなかった。

翌日の早朝、いよいよデリーの空港から帰った。

今回の旅、本当に疲れ果てて、二度と来るかと帰国当時は思ったものだが、時間がたてば、無性に行きたくなる。まるでインド中毒だ。またいずれ、訪れたい国である。

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デリーの空港にて・・・

おしまい。

2012年9月10日 (月)

北インド旅行記(その22:ラール・キラー)

平成19年2月6日。いよいよインドを満喫するのも今日が最後である。本日は、ガイドなしでデリーをうろつくことになった。

ホテルの最寄駅カロルバーグからメトロに乗って、チャンドニーチョークに行く。地下鉄に乗るのに、何故か、セキュリティチェックがある。そして、地下鉄といいながら、地上駅だった。

チャンドニーチョークにつくと、ラール・キラーに行った。

ラール・キラー、別名レッド・フォート(赤い城)は、アーグラからデリーに遷都したシャー・ジャハーンが築いた居城である。

少し、開門前に着てしまったので、しばし待つ。

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開門と同時に、門をくぐる。何と、ここでもセキュリティチェックを受けた。どんなけ、警戒しとるねん!

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こちらがラホール門という。ここから現在のパキスタンにあるラホールへの道が始まっていたそうだ。

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門の上部。

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この椅子にシャー・ジャハーンが座ったのだろう。。。

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奥に白い建物、ディワーネ・カース(貴賓謁見の間)がある。

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何となく、豪華そうな造りだ。

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こっちは、ディーワーネ・アーム(一般謁見の間)である。若干、地味だ。

今までの古城に比べれば、少し物足りない気がする。

ちなみに2007年に世界遺産入りしている。

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こうして、ラール・キラーの見学を終えた。

2012年9月 9日 (日)

北インド旅行記(その21:アンベール城)

ジャイプルの北東11kmのところにアンベール城がある。ここは、かつてのアンベール王国の首都である。16世紀末のラージャー・マン・スィンの築城以来、150年間改築が続けられたそうだ。

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小高い丘の上にあるのが、アンベール城である。

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麓から徒歩でもいけるが、ここは象さんに乗ることにした。ちなみに象待ちではしつこい物売りに辟易したのは、言うまでもない。

象さんは振り落とされそうで、乗り心地はあまりよくなかった。おまけにちょいと臭う。象さんの営業は一日4往復と決まっているそうだ。昔は1日中働かせていたらしいが、ある日、ぶち切れて客を踏んづけたそうな。。。

いよいよ象さんを降りて、入場である。なお、入場料はインド人が10ルピーのところ、外国人は75ルピーである(2007年当時)。

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一般謁見の間(ディーワーネ・アーム)である。

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こちらがガネーシャ門である。とにかく美しい。

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細かいなあ。。。

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なかなか垢抜けた中庭だ。

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アンベール城からさらに高台には、ジャイガール要塞がある。今回は行かなかった。

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何と言うか、繊細な装飾だ。

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おお!これは凄い!勝利の間である。

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これがかの有名な鏡の間か・・・

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こっちは鏡の間とは違うが、なかなか美しい。

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あちらはジャイガール要塞。

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こうして、アンベール城の見学を終えた。鏡の間のようなぎらぎらしたきれいさと、淡い花柄のような可憐な美しさの同居する、不思議な城であった。

帰りは徒歩で坂道を降りた。

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象さん。

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野良豚。

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麓にも何か遺跡があった。

こうして、ジャイプルを後にし、車でいよいよ出発点にデリーに帰ることになった。

途中のドライブインで昼食をとる。地元民御用達の店だそうで、結構美味かった。

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畑には辛子の花が咲いていた。

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こっちは山羊やね。

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デリーのホテルは初日のやたら壁の薄いホテルだった。う~ん、最悪。

テレビをつけたら、インド版パワーレンジャーをやっていた。

2012年9月 7日 (金)

北インド旅行記(その20:風の宮殿)

平成19年2月5日。ジャイプル2日目である。

ホテルを出ると、風の宮殿に向かった。

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何とも面白い建物である。何と言うか、ぺたんこだ。

シティ・パレスの一部のこの建物は、1799年に建てられた。正式には、ハワー・マハルという。

ピンクの5階建てで、953の小窓がついている。この小窓を風が絶えず通過するので、非常に涼しいそうだ。よって、風の宮殿である。

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風の宮殿の向かいは、こんな感じである。

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お!猿がおる!

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風の宮殿があれば、水の宮殿もある。遠くに微かに見えたので、写真に収めた。

湖の上に建っており、夏の避暑地として活用していたそうだ。

2012年9月 6日 (木)

北インド旅行記(その19:謎のチョキダニ)

ジャンタル・マンタルを見学した後、ホテルについた。

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お!?

きれいなホテルやね。風呂もきれいやし!気に入った。

クマール氏が、

「○○さん、いい所行きませんか?ご飯が美味しくて、踊りが見れますよ!」

と誘ってきた。

インド映画に出てくるような美女がセクシーダンスを披露する妄想が頭をよぎる。

行ってみようか・・・

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何だ、これは!?

壷ダンス?

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こっちはガキ子供が踊っておるよ・・・

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あ!壷や?

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やっぱ頭に乗せるのね?しかも、鉄の竹馬みたいなのに乗ってるし・・・

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終わったみたい。。。

この何だか大きく期待を裏切られた気持ちをどこにぶつけようか・・・

さて、ここはどこかというと、チョキダニとかいう、ジャイプルの郊外にあるアミューズメント村なのだそうだ。一種の遊園地で、園内には、このような踊りやら手品やら、遊具が散在している。

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とりあえず、ラクダに乗ってみよう。。。

おお!なんか面白いで、これ。。。結局、これが一番テンションが上がった瞬間であった。

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こっちは人形劇のようやね。。。

手品のショーでは、舞台に上がらされ、手品のネタにされた。正直勘弁してくれ。。。

少年に踊りに誘われるわ、頼むから、俺にかまうな・・・

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ご飯にレストランに入ったが、みょうちくりんなターバンを乗せられ、憔悴しきった男がそこにはいた。

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飯はそこそこ美味かった。

このくそおもろない遊園地、インド人には大人気で、みなきゃっきゃっ騒いでいた。凡人にはよく分からない。

ああ、ホテルですっかり疲れて眠りこけた。。。

2012年9月 5日 (水)

北インド旅行記(その18:ジャンタル・マンタル)

ジャイプルで最も異色な場所、ジャンタル・マンタルにやってきた。

ジャンタル・マンタルとは、天文台のことである。ジャイプルを築いたジャイ・スィン2世は天文学にも通じていた。彼は、デリーやヴァラナシなど、計5箇所にジャンタル・マンタルを造ったが、この地のものが最も大きい。

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これ?

なんか天文台というより、公園の遊具みたい・・・

どう考えても、滑り台とジャングルジムが群れを成しているとしか思えない。

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この三角定規のようなものは、20秒単位で時間を測れる日時計だそうだ。

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不思議な円筒なども存在する。これらは太陽と惑星の方位などを観測するのに使うそうだ。

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眼鏡みたいなものも観測道具・・・

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これらの小型滑り台群は12個の星座を観測するためのもので、占星術に利用されたとか・・・

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犬が寝とる・・・

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高台に上れば、シティ・パレスが見れた。

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うおぉおぉーーー!捻じれながらの急傾斜!

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巨大な滑り台が見える。これはなんと2秒単位で時間を測れる日時計だそうだ。すごっ!

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これはラクダ。

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巨大な銅鑼?

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なんと長い!一番でかい日時計には階段がついていた。しかし、途中で上れない構造になっていた。

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猿と犬が壮絶な喧嘩をしていた。これが本当の犬猿の仲なのか!?

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こうして、謎の建築物群、ジャンタル・マンタルの見学を終えた。大層優れた天文観測器具も、使い方が分からなければ、ただの滑り台とジャングルジムである。

とっても、不思議な気分になり、大変面白かった。そのほか、面白いものといえば、しつこい物売りにインド人がマジ切れしていたのを目撃したことがあげられる。

なお、このジャンタル・マンタルは2010年に世界遺産入りしている。

2012年8月23日 (木)

北インド旅行記(その16:ファテープル・シークリー)

平成19年2月4日。アーグラからジャイプールまで車で移動するが、その途中で、ファテープル・シークリーに寄った。

ファテープル・シークリーは、アーグラの南西39㎞に位置する、旧都である。

ムガル帝国3代皇帝アクバルは、この地に住む聖者シェーク・サリーム・チシュティーに跡継ぎの男子が生まれると予言を受けたところ、ジャハンギールが生まれた。これを記念し、建設されたのが、この都である。ちなみに、ファテープル・シークリーとは「勝利の都シークリー」という意味だそうだ。マニアックだが、世界遺産でもある。

都は周囲を城壁が囲み、その中央部にモスクや宮殿が建っている。

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ご覧のように、赤い砂岩が大変美しい。奥の大きな建物が、ディーワーネ・カース(貴賓謁見の間)である。

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ディーワーネ・カースの中に入った。これは凄い装飾だ。

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パンチ・マハル(五層閣)である。展望や遊戯のための施設であったそうだ。何でも、前に広がる、中庭にハーレムの女性を並べて、チェスに見立てて遊んでいたそうな。。。何と、羨ましい悪趣味な・・・

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きれいですな。

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ジョド・バーイー殿である。ジャハンギールの妃の名で呼ばれているが、実際に住んでいたのは、アクバルとその妃だそうだ。

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どこもかしこも美しい彫刻ばかりだ。

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お!池や!

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これは見事な彫刻だ!

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鳥がおるで!

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軒下にも彫刻が有るで!細かすぎるやろ!?

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いよいよ見学も終わりだ。

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まだ午前中だったせいか?人もあまりおらず、大変素晴らしい時間を過ごせた。密かにお薦めである。

こうして、ファテープル・シークリーの見学を終えた。

車に乗り込むと、一路ジャイプールへ・・・

途中のドライブインでラッシーを飲み、トイレに行くと、トイレ男が出現した。空港以来である。今回は、トイレ男の笑顔で「蛇口捻っておきましたぜ」攻撃を無視し、手を洗わずにでてやった。

2012年8月21日 (火)

北インド旅行記(その15:タージ・マハル)

昼食にやたら甘い(もうすでに地元民の味に慣れてしまったので・・・)ターリーランチを食った後、いよいよ、タージ・マハルを見学することになった。

タージ・マハルといえば、インドを代表する建物だ。日本人がインドを想像するとき、必ずこの建物がでてくるのではなかろうか?

さて、タージ・マハルであるが、ムガル帝国5代皇帝シャー・ジャハーンが、皇妃ムムターズ・マハルのために建てた廟である。1632年から1653年の22年をかけて建てられた大理石にラピスラズリやトルコ石など宝石が散りばめられた、超豪華な建物である。

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この門を抜けると、見えるはずだ!厳重なセキュリティチェックがあるが、この後のことを考えれば、それもまた楽しい。

タージ・マハルに入るには、750ルピーの外国人料金が設定されていた。現地人とは極端な差別化がされていて、ちょっと嫌な感じだが、遺跡に寄付していると考え、喜んで出しましょう!なお、アーグラ城と両方見るならば、5$のタージ・チケットが両方見れて、お得だ。

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おひょ!?

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凄い!としか言いようがない。。。感動で口が開きっぱなしである。

ところで、この角度は、ベストスポットなのか、インド人が上の玉ねぎのへたをつまむ構図で必死に写真を撮っていた。

ここからはガイドなしで見学することになった。ゆっくり見よう。。。

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中間点にあるちょっと高台になったところも写真スポットのようで、現地人やら西洋人やらインド人やらに写真を撮ってあげた。しかし、何故私に頼んでくるのかなあ。。。

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まもなくですわ!

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階段を上って、上に上がる。

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上に上がって、元来た道を眺めた。結構距離あるね!

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右手にミフマーン・カーナーという、ゲストハウス。

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左手にモスクがある。

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さて、いよいよ入るかね・・・

この写真は白人男性に撮ってもらったが、この人のカメラと同じカメラだったので、ちょっと盛り上がった。

内部はお墓なので、写真撮影禁止だ。

中には当然、ムムターズ・マハルの墓がある。そして、その横にはシャー・ジャハーンの墓が並んでいる。一見、仲睦まじいように感じるが、シャー・ジャハーンとしては不本意だったろう。。。

彼の計画では、タージ・マハルのヤムナー川をはさんで対岸にもう一つ黒大理の廟を建てて、自分を葬ることになっていたそうだ。しかし、これは、アウラングゼーブに王位を簒奪された彼にはムリだった。もし実現していれば、白と黒のタージが美しいコンストラストとなっていたことだろう。

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美しい装飾だ。

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インドに来る前から考えていたことを実行した。

タージ・マハルで寝っころがってみた。空との色の対比が絶妙だ。

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ヤムナー川だ。この先に黒タージができる予定だったのだろうか。。。

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あれは何だろう?

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あっちにも謎の建物が・・・

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このミナレット、周囲に4本立っているが、外側に傾いている。

これはミナレットが経年劣化で内側に倒れこまないようにとのことで、最初からそう作られているといわれている。しかし、本当にそうなのか?遠くから見たとき、私はまっすぐ立っているように見えた。これは人間の目の錯覚を利用しているのではなかろうか?つまりまっすぐ立っているように見えるように、わざと傾けたのでは?美しさのため傾けているというほうが、よっぽど理解できるのだが、違うのかなあ?

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波波模様が美しい。

降りた。

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どっちがゲストハウスで、どっちがモスクか?ほとんど一緒で見分けがつかない。これはシンメトリーを意識してのことらしい。

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猿や!タージの猿や!

これらを撮るために、寝そべっていたら、観光客に爆笑された。

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ゲストハウスからこんにちは!

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夕方になり、ますます美しくなってきた。

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ややくすんだ空にタージの白い色が溶け込み、何とも幻想的になってきた。

感動で目から汗が流れた。

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これは一句詠まねば・・・

「青い空

  夢、幻か・・・

       愛のしろ」

最後のしろは、白と城の両方の意味があるのだよ。まあ、城じゃなくて、墓なんですけどね。。。しかも、季語入ってないな。

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いよいよ最後のときがきた。もうちょっと見ていたいが、時間だ。仕方ない。

諦めて、ガイドのクマールの所に行った。

この後、ホテルに帰った。

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夕食はホテルで一人でとった。レストランで夕食はツアー料金に入っているとのことで、のんきにターリーを食った。さて、出ようとすると、ウェイターに90ルピーの料金を払えといわれた。

はあ?

一生懸命説明していると、ウェイターが怒り出した。

ウェイターが支配人を連れてきて、結局私の主張が正しいことが証明された。このウェイター、本当にクソで、私の前にいた白人夫妻とももめていた。最後は、向こうが謝ってきたので、握手で別れた。

まあ、アーグラ城とタージ・マハルは超ド級の凄さだが、この街はなんか苦手だ。物乞いが胡散臭かったし。。。

2012年8月17日 (金)

北インド旅行記(その14:アーグラ城塞)

アーグラ城塞は、アーグラにある世界遺産の双璧だ。しかし、どうしても、その知名度でタージマハルに軍配が挙がる。しかし、大変素晴らしい遺跡であるのは、間違いない。

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ご覧のように、赤い砂岩で建てられているので、とても赤い。タージマハルとあわせて見るならば、タージマハルチケットがお得だ。

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アーグラ城塞は、デリーからアーグラへの遷都により、ムガル帝国の三代目アクバルによって、1565年着工され、1573年に完成した。

第5代皇帝シャー・ジャハーンまで、皇帝の居城として使われた。このシャー・ジャハーン、タージマハルを建てた人物である。自分の愛妻のために豪華な墓を作ったが、息子のアウラングゼーブに王位を簒奪され、幽閉された。余生は、タージ・マハルを眺めながら、アーグラ場内の幽閉先の塔で過ごしたという。。。寂しすぎるな・・・。

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まず、見えてきたのは、ジャハーンギール宮殿である。ジャハーンギールは4代目であるが、これを建てたのは、3代目のアクバルだそうだ。跡継ぎの名前をあえてつけたようだ。

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見事な幾何学模様だ。美しい。

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シャハンギール宮殿の中だ。なかなか面白い造りだ。

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何か、装飾が剥がされてますな。。。

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アングリー庭園とやらを通過。

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寝殿だ。

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なかなか見事な内部装飾だ。

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おやおやこちらは、何をみておられるのか?

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美しいやんか!?

それもそのはず、これがムサンマン・ブルジュ(囚われの塔)である。そう!シャー・ジャハーンが幽閉されたところだ。

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お!微かに見えるのは、タージ・マハル!

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次はいよいよ憧れのタージ・マハルか・・・

密かにインド女性と一緒?に写真に写りこむ私。。。

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こちらは、一般謁見の間(ディーワーネ・アーム)だ。

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見事なり!ここで皇帝と謁見するわけだ。

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なかなか面白かったぞい!

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あ!猿や!

2012年8月 8日 (水)

北インド旅行記(その13:アーグラ到着)

平成19年2月3日朝。

目覚めた私は2段ベッドから這い出すと、ベッドをたたんで、座席に着いた。

車窓を眺める。窓の外は田園風景が広がっていた。聞けば、小麦と豆、そして、黄色い花が美しい辛子が主に栽培されていた。

途中では、ラクダが歩いており、道端の少女が手を振ってきたり、喉かな光景が繰り広げられていた。

やがて、駅に着くと、ここからは車だ。

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普通にラクダがいるし・・・

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やっぱ騒がしい国ですなあ。。。

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やがて、ハイウェイに入った。このハイウェイ、カルカタから続いているそうだ。ハイウェイといっても、ミルクを積んだチャリが走っており、大変のどかである。

途中、小汚いドライブインに入った。

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ここで、朝食をとる。

ダヒーと呼ばれるヨーグルト、パラタと呼ばれる具入りのチャパティを食べ、チャイを飲んだ。屋外のテーブルで食ったが、結構美味しかった。特にチャイは、今のところ、一位の味であった。ちなみにトイレは最悪だった。

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目的地のアーグラに近付いてきた。何故か、牛やら

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水牛が増えてきた。

そして、ホテルに着いた。

このホテル、最悪であった。バスルームは汚く、バーイが何故か二人ついてくるわ、頼みのしないのに、ボーイがホットヒーターを持ってきて、チップをねだるわ。部屋の鍵は壊れているわ。$→ルピーのレートはめちゃくちゃ悪い(1$=41ルピー)わ、本当に最悪だった。

ひつこいので、ボーイに合計30ルピーも払わされた上に、ルピーが足らなかったので、換金せざるを得ないわ、散々であった。

ここで得るべき教訓は、アーグラは気をつけろということだ。