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    2007年2月。とにかくカルチャーショックの連続だった。

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2014年4月

2014年4月25日 (金)

プチ奥の細道の旅(その14:御釜神社)

鹽竈神社から駅に戻る途中、御釜神社という看板を見た。折角だから行ってみよう。。。

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商店街の一角に小さめの神社がある。

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鹽竈神社の場外末社になるが、ここには塩竈の地名の由来になった神竈がある。

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まずはお参りだ。

本堂の手前左手に

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意味深な所があった。この扉の奥に神竈があるのだ。

希望すれば中を見学できるそうだ。早速、社務所の呼び鈴を鳴らす。すると、女の人が出て来られた。世間話をしながら、いよいよ扉が開く。

中には神竈が4つある。神竈には水が満たされていた。この水は塩水なのであるが、どんなに旱魃のときでも、枯れることはないそうだ。鹽土老翁神がかつてこの竈で製塩技法を伝えたそうだ。

松尾芭蕉も見学したという、神竈を見ることができ、大変満足であった。ちなみに写真撮影はできない。

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もう少し周囲を見ていく。境内の奥に牛石藤鞭社がある。 

鹽土老翁神が塩を運ばせた牛が石になったという伝説がある。

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その牛石がこの池の中にあるそうだ。今は見えない。この水溜り、何と塩水だそうで、どこか地下で海とつながっていると言われているそうだ。

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和賀佐彦という神が7歳の子供となり、牛に塩をひかせたら石になったという異説もあるそうで、 このとき使った藤の枝を逆さまに立てると根付いてという。。。

そんな謂れのある神社である。

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こちらには鹽竈神社の例大祭藻塩焼神事に使う竈がある。

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この竈で神職がホンダワラを広げて、潮水をかけて煮詰めることで製塩を行うのだ。かなり大変な作業ではないかと思う。

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最後に、神社の手前にある手水鉢である。この手水鉢、なかなか古いそうだ。

こうして、御釜神社の見学を終えた。

本塩釜から電車に乗り、仙台まで帰ってきたが、まだ時間に余裕がある。

ということで、建築的に有名なせんだいメディアテークを見学した後、牛タンを食った。 美味かった。こうして、しばし仙台をぶらついた後、新幹線で東京に戻ったのだった。

2014年4月18日 (金)

プチ奥の細道の旅(その13:志波彦神社)

鹽竈神社を後にした。

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階段を下に降りる。

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志波彦神社である。

冠川に降臨したという志波彦神を祀る神社で、延喜式で明神大に列せられるほど崇敬されていたが、その後衰退し、小さな社殿になり、牛頭天王社に合祀されていた。明治時代に復興し大きな社殿を建てようとしたが、敷地がなく、鹽竈神社境内に移ってきたのだ。何とも紆余曲折な歩みである。

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お参りを済まして、志波彦神社を後にした。

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しばらく歩くと、立派な鳥居があった。本来はこちらから参拝するのが筋なのであろう。

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このコンクリートの建物は、鹽竈神社博物館である。中には、1階に考古学的資料や社宝が展示されており、2階は塩業や漁業に関する資料が展示されている。世界中の岩塩が展示されており、マニアックな楽しみ方ができる。

こうして、鹽竈・志波彦神社の見学を終えたのである。さて、駅に戻ろう。。。

2014年4月13日 (日)

プチ奥の細道の旅(その12:鹽竈神社)

松島を後にした私は、時間もまだあることだし、鹽竈神社(しおがまじんじゃ)に行くことにした。仙石線本塩釜で下車すると、おもむろに歩き出した。鹽竈神社までの道のりは少し遠い。途中で歩いていると、津波到達点の看板を見た。かの震災でここまでやってきたのかと、ただただ驚愕であった。

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そうこうしていると、鹽竈神社についた。

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鹽竈神社といえば、東北鎮守陸奥国一宮である。

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この長い石段を登るのか・・・

まだまだ暑い盛りである。ちょっと躊躇したが、折角来たのだからと、上り始めた。

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なかなか雰囲気のある狛犬だ。

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立派な楼門である。

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唐門をくぐる。

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正面の左右宮は残念ながら改修工事中だった。

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右手は別宮である。

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なかなか美しい。

さて、鹽竈神社は塩土老翁神(シオツチノオジ)、武甕槌神(タケミカヅチ)、経津主神(ふつぬしのかみ)を祭神とする。

武甕槌神と経津主神が東北を平定したとき、先導していた塩土老翁神がこの地にとどまり、製塩の技術を伝えたのが、鹽竈神社の始まりとされる。塩土老翁神が主役のような気がするが、実際真正面の左宮には武甕槌神が、右宮には経津主神が祀られている。塩土老翁神というと、正面から右手にある別宮に祀られている。この辺りに特殊性を感じる。

歴史は古く、弘仁式(820年)には当社と思われる記載があるそうだ。

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こうして、鹽竈神社を後にしたが、この先、志波彦神社があるそうだ。

2014年4月 6日 (日)

プチ奥の細道の旅(その11:五大堂)

海岸までやってきた。

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日本三景の碑があった。そう、ここ松島は天橋立、宮島と並ぶ景勝地なのである。

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石碑から少し歩くと、五大堂への道が続いている。

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五大堂とは、瑞巌寺に付属する仏堂である。海岸から少しだけ離れた小島の上に立つことで有名だ。

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途中には、小さな祠があった。

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いよいよ海に出る。

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海だ。

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隙間から下が見える。携帯とか落としたら、最悪だ。

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五大堂である。

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円仁が瑞巌寺を建立した際、五大明王を祀ったことから、その名があるそうだ。

現在の五大堂は、伊達政宗が瑞巌寺に先立って建てたものだそうだ。東北最古の桃山建築とのことである。

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後ろを振り向けば、きれいな海が広がっていた。

こうして、松島の観光を終えた。

2014年4月 5日 (土)

プチ奥の細道の旅(その10:円通院)

瑞巌寺のすぐ南にある円通院にやってきた。

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円通院は伊達政宗の孫伊達光宗の菩提寺である。

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山門を抜けると、すぐ左側に縁結び観音がある。よく拝んでおかなくては・・・

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やがて石庭が見えてきた。

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うむ、意味深だ・・・

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苔むした、いい感じになってきた。

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三慧殿である。光宗の霊廟であり、国指定重要文化財である。

中には厨子があり、それに支倉常長が西洋から持ち帰った薔薇の絵が描かれている。

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三慧殿を折り返し、先ほど来た道とは異なるルートに向かう。

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瑞巌寺と同じように洞窟の中に墓があり、仏様が祀られている。

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薔薇園にやってきた。

ここは別名薔薇寺と呼ばれる。何でも、先ほどの三慧殿の厨子の薔薇の絵にちなんで、薔薇を栽培しているからだ。

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美しいですな。

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本堂である。ちょうど写経体験をやっており、賑わっていた。

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これにて、円通院の参拝を終えた。

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