身延山久遠寺・前編
とある事情で東京に滞在していた私は、東京から離れ、日蓮宗の総本山、山梨県は身延山に行ってきた。
新宿から中央線の特急に乗ると甲府で乗り換える。甲府から身延線をえんやこらと乗っていると身延駅に着いた。
ここまで3時間弱の列車旅である。すっかり満腹といった感じだ。ここからバスに乗ると、あっという間に身延山久遠寺の門前街である。
三門である。大層立派だ。中には仁王様がおられた。
三門をくぐると、いよいよ本堂への道が始まる。
げげ!これを上るの?
石段の横には銅像がある。南部実長という人の銅像である。流刑地の佐渡から帰った日蓮を甲斐に招いた当時の地頭である。
上り始めて分かったことだが、一段一段の段差が大きい。したがって、腿上げを何回もやらされることになるのだ。その結果、あっという間に乳酸がたまってしまう。これはきつい!
ここより絶対きつかったと思うんだが・・・
ぜぇぜぇはあはあ言いながら、上り終えた。後ろを振り返ると、引き込まれそうになった。
さて、前方を見ると、
いよいよ本堂が見えた。
立派である。1985年に再建されたとのことだ。1985年というとTチーム優勝の年やな!85年というと、真っ先に思い出してしまう。これも Tふぁんの サガか・・・
身延山久遠寺は日蓮宗の総本山である。先ほど述べたように、佐渡から帰ってきた日蓮聖人を南部氏が招いたのが始まりである。日蓮聖人自ら、久遠寺と名づけたようだ。日蓮聖人はこの地で最晩年を過ごしたのである。もっともなくなったのは、里帰りする途中の武蔵国みたいだ。
日蓮宗の総本山ということで、気合が入る私であった。
こちらの五重塔は2009年に再建されたものだ。前のやつは明治に燃えたそうだ。
本堂にお参りし、出てくると、謎の白装束の集団が行進していた。
南無妙法蓮華経とひたすら行進している。これを見て、狂信者の塔とのりお師匠のツッタカ坊やを思い出してしまった。
祖師堂である。日蓮聖人を祀るお堂で、明治に江戸にあったものを移築したそうだ。
ん?
この報恩閣から中に入れるようだ。
さっきの祖師堂まで来た。なかなか立派な彫刻と扁額だ。
なかなか立派な庭園があった。
こりゃ書院か・・・
仏殿などを散策して廻っていると、途中でお世辞にも上手とはいえない読経が聞こえてきた。どうやら修行中のお坊さんらしい。かなり若い。ここは高校も併設しているので、高校生ではあるまいか?とにかく練習していた。途中、詰まっていた。お経は難しい漢字がいっぱいやもんね。頑張れ!
報恩閣から出てきて、再び外回りを散策する。
これは御真骨堂の手前にある拝殿である。この奥のお堂に日蓮聖人の遺骨が祀られているそうだ。
ここから先は立ち入り禁止か・・・
この奥は、 手前が仏殿で、
正面が客殿である。
他にも開基堂や
鐘楼がある。
次回は奥之院である。
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