フォト
2019年9月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

リンク

訪問国

  • スリランカ民主社会主義共和国
  • ペルー共和国
  • カンボジア王国
  • フランス共和国
  • オランダ王国
  • オーストリア共和国
  • ハンガリー共和国
  • チェコ共和国
  • ドイツ連邦共和国
  • バチカン

伝説の旅ベスト5

  • 第五位:第一次九州遠征(2号線の旅)
    1999年3月に国道2号線を使って、神戸から北九州まで旅をした伝説。帰りはフェリーで松山に上陸し、四国を横断して帰ってきた。
  • 第四位:ハワイのんびり旅行
    2005年12月。ホノルルマラソンに出走。人生を変えた旅。
  • 第三位:英国旅行
    飯は不味いが、とにかくお洒落な街と大英博物館、ストーンヘンジ、カンタベリー最高!
  • 第二位:中欧旅行
    ベルリン、プラハ、ブタペスト、ウィーン、ヴェネチア、アムステルダムと6カ国の都市を主に列車で巡った。飯が美味かった。
  • 第一位:北部インドの旅
    2007年2月。とにかくカルチャーショックの連続だった。

« マチュピチュへの誘い(その36:ケンコー) | トップページ | マチュピチュへの誘い(その38:クスコ市街) »

2013年2月22日 (金)

マチュピチュへの誘い(その37:サクサイワマン)

ケンコーからそのまま徒歩でサクサイワマンへ向かう。

Dsc00974

おお!橋やで!

Dscf9978

Dsc00976_2   

Dscf9980

城壁らしきものが見えてきた。

Dscf9982

サクサイワマンまでやってきた。

サクサイワマンとは、満腹の隼を意味する遺跡である。城塞、宗教的施設等の諸説があるが、何の施設だったかは、よく分かっていない。インカ帝国第9代皇帝パチャクティの命で建設が始まり、第11代ワイナカパックの時代に完成したといわれている。

Dscf9983

緻密に組み上げられた石積みが続く。

Dscf9984

これは自然石を利用しているのかな?

Dscf9985

どう見ても、堅固な城塞だ。実際にスペイン占領後のマンコ・インカ・ユパンキによる反乱の際には、インカ軍の本拠地になったそうだ。

Dscf9987

ここの遺跡は、3段の階段状の石積みが組んである。これは、天上、地上、地下を意識して造られているそうだ。

Dscf9988

この角の石はべらぼうにでかい!

Dscf9989

こんな石、どうやって持ってきたんだろう。。。

Dscf9990

こちらは11角の石だ。こうなるとパズルである。

Dscf9991

遺跡にいた小鳥を追っ駆ける私。相当、変な日本人である。ガイドさんにも笑われた。

Dscf9996

石積みの反対側も何かの遺跡のようだ。

Dscf9997

天気はいいし、素晴らしい文化財を見て、清清しい気分になる。空気が薄いので、息は弾むが・・・

こんな晴れ晴れした私に対し、吐き気と必死に格闘する侠(おとこ)がそこにはいた!

有事のときに備えたポリ袋(私が脱いだ衣服入れに持参していたレジ袋)を片手に、ふらふらと歩くその姿は、どこか哀愁を帯びていて、見る人の心を打った。

Dscf9998

出口の付近にあった上空からの写真である。こんな風になっていたのか・・・

Dsc00998

この看板には、歴代のインカ皇帝の名が記されていた。

Dsc00999

出口、というより別方向の入り口が出た。

ここから車に乗って、クスコの市街へ戻る。

« マチュピチュへの誘い(その36:ケンコー) | トップページ | マチュピチュへの誘い(その38:クスコ市街) »

ペルー」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。