マチュピチュへの誘い(その38:クスコ市街)
車はクスコ市街まで戻ってきた。
とある建物前で車が停まった。
サント・ドミンゴ教会という。
最も重要なのは、上の教会ではない。
肝心なのは、教会の基礎に残る石積みだ。これはインカ時代のコリカンチャ(太陽の神殿)の跡である。かつては黄金で飾られた、それはそれは豪華な神殿だったそうだ。スペイン人はクスコを占領した、神殿の黄金を運び出した後、神殿を破壊した。そして、後に教会を建てたのだ。
通常は近くで見学できるのだが、今日は祝日で入れないそうだ。残念である。
ここでガイドさんとは、お別れである。後は、ホテルに帰って休むなり、街をうろつくなり自由にせろとのことだ。時間になったら、迎えに来てくれるらしい。
とりあえず、アルマス広場に向けて歩き出した。
アルマス広場にやってきた。
広場でやたら目立つ、この建物はカテドラルである。
こちらはラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会だ。
誰かの墓ですかな?
今日はやたら人が多いなあと思ったら、警官だらけであった。それもそのはず、今日は警察のお祭りだそうだ。こんなけ警官だらけということは、この広場、とてつもなく治安がいいのでは?
そういえば、この広場、夕べ、ホテルに向かうときに通った。そのときは、街灯に照らされ、大層美しかったが、高山病で見に来る余裕がなかったのだ。
広場の中央には噴水がある。
上に乗っているのは、インカ皇帝?
カテドラルの横。
何とも楽しげな彫刻が施されている。
カテドラルなどの教会のほかは、低い建物が多い。
ホテルに戻るのに、JIN好みの路地を歩いてみた。
高山病のあの人がふらふら歩く。
これぞ、インカという感じだ。
しばらく歩いて、ホテルに戻ってきた。
というのも、昼食用にお弁当を渡されたので、食べるためだ。ホテルのロビーで食べた。
おそらく、日本人が経営していると思われる店の弁当であったので、安心して食べられた。JIN氏はやはりほとんど食べられなかった。そして、JIN氏の体力ケージがほぼゼロになった。モータルコンバットであったら、フェイタリティをかまされるところである。
物足りない私は、JIN氏をロビーに放置し、再び街に繰り出した。
おお?へんな人形かついでるよ?これも祭りの一環なのであろうか?
しばらく、うろついた後、ロビーに戻ってきた。JIN氏も生ける屍状態で起きると、ロビーにあったPCでESTAの内容を変更した。私も慌てて、変更する。ESTAとはアメリカに入国するのに必要な手続きだ。行きはトランジットでリマに行くという内容だったが、帰りは、リマから入りますよという内容になるのだ。いよいよ帰るのが、近付いてきたのだ。そう考えると、名残惜しいものだ。JIN氏は、とりあえずクスコを出たがった。
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