昼食にやたら甘い(もうすでに地元民の味に慣れてしまったので・・・)ターリーランチを食った後、いよいよ、タージ・マハルを見学することになった。
タージ・マハルといえば、インドを代表する建物だ。日本人がインドを想像するとき、必ずこの建物がでてくるのではなかろうか?
さて、タージ・マハルであるが、ムガル帝国5代皇帝シャー・ジャハーンが、皇妃ムムターズ・マハルのために建てた廟である。1632年から1653年の22年をかけて建てられた大理石にラピスラズリやトルコ石など宝石が散りばめられた、超豪華な建物である。
この門を抜けると、見えるはずだ!厳重なセキュリティチェックがあるが、この後のことを考えれば、それもまた楽しい。
タージ・マハルに入るには、750ルピーの外国人料金が設定されていた。現地人とは極端な差別化がされていて、ちょっと嫌な感じだが、遺跡に寄付していると考え、喜んで出しましょう!なお、アーグラ城と両方見るならば、5$のタージ・チケットが両方見れて、お得だ。
おひょ!?
凄い!としか言いようがない。。。感動で口が開きっぱなしである。
ところで、この角度は、ベストスポットなのか、インド人が上の玉ねぎのへたをつまむ構図で必死に写真を撮っていた。
ここからはガイドなしで見学することになった。ゆっくり見よう。。。
中間点にあるちょっと高台になったところも写真スポットのようで、現地人やら西洋人やらインド人やらに写真を撮ってあげた。しかし、何故私に頼んでくるのかなあ。。。
まもなくですわ!
階段を上って、上に上がる。
上に上がって、元来た道を眺めた。結構距離あるね!
右手にミフマーン・カーナーという、ゲストハウス。
左手にモスクがある。
さて、いよいよ入るかね・・・
この写真は白人男性に撮ってもらったが、この人のカメラと同じカメラだったので、ちょっと盛り上がった。
内部はお墓なので、写真撮影禁止だ。
中には当然、ムムターズ・マハルの墓がある。そして、その横にはシャー・ジャハーンの墓が並んでいる。一見、仲睦まじいように感じるが、シャー・ジャハーンとしては不本意だったろう。。。
彼の計画では、タージ・マハルのヤムナー川をはさんで対岸にもう一つ黒大理の廟を建てて、自分を葬ることになっていたそうだ。しかし、これは、アウラングゼーブに王位を簒奪された彼にはムリだった。もし実現していれば、白と黒のタージが美しいコンストラストとなっていたことだろう。
美しい装飾だ。
インドに来る前から考えていたことを実行した。
タージ・マハルで寝っころがってみた。空との色の対比が絶妙だ。
ヤムナー川だ。この先に黒タージができる予定だったのだろうか。。。
あれは何だろう?
あっちにも謎の建物が・・・
このミナレット、周囲に4本立っているが、外側に傾いている。
これはミナレットが経年劣化で内側に倒れこまないようにとのことで、最初からそう作られているといわれている。しかし、本当にそうなのか?遠くから見たとき、私はまっすぐ立っているように見えた。これは人間の目の錯覚を利用しているのではなかろうか?つまりまっすぐ立っているように見えるように、わざと傾けたのでは?美しさのため傾けているというほうが、よっぽど理解できるのだが、違うのかなあ?
波波模様が美しい。
降りた。
どっちがゲストハウスで、どっちがモスクか?ほとんど一緒で見分けがつかない。これはシンメトリーを意識してのことらしい。
猿や!タージの猿や!
これらを撮るために、寝そべっていたら、観光客に爆笑された。
ゲストハウスからこんにちは!
夕方になり、ますます美しくなってきた。
ややくすんだ空にタージの白い色が溶け込み、何とも幻想的になってきた。
感動で目から汗が流れた。
これは一句詠まねば・・・
「青い空
夢、幻か・・・
愛のしろ」
最後のしろは、白と城の両方の意味があるのだよ。まあ、城じゃなくて、墓なんですけどね。。。しかも、季語入ってないな。
いよいよ最後のときがきた。もうちょっと見ていたいが、時間だ。仕方ない。
諦めて、ガイドのクマールの所に行った。
この後、ホテルに帰った。
夕食はホテルで一人でとった。レストランで夕食はツアー料金に入っているとのことで、のんきにターリーを食った。さて、出ようとすると、ウェイターに90ルピーの料金を払えといわれた。
はあ?
一生懸命説明していると、ウェイターが怒り出した。
ウェイターが支配人を連れてきて、結局私の主張が正しいことが証明された。このウェイター、本当にクソで、私の前にいた白人夫妻とももめていた。最後は、向こうが謝ってきたので、握手で別れた。
まあ、アーグラ城とタージ・マハルは超ド級の凄さだが、この街はなんか苦手だ。物乞いが胡散臭かったし。。。