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伝説の旅ベスト5

  • 第五位:第一次九州遠征(2号線の旅)
    1999年3月に国道2号線を使って、神戸から北九州まで旅をした伝説。帰りはフェリーで松山に上陸し、四国を横断して帰ってきた。
  • 第四位:ハワイのんびり旅行
    2005年12月。ホノルルマラソンに出走。人生を変えた旅。
  • 第三位:英国旅行
    飯は不味いが、とにかくお洒落な街と大英博物館、ストーンヘンジ、カンタベリー最高!
  • 第二位:中欧旅行
    ベルリン、プラハ、ブタペスト、ウィーン、ヴェネチア、アムステルダムと6カ国の都市を主に列車で巡った。飯が美味かった。
  • 第一位:北部インドの旅
    2007年2月。とにかくカルチャーショックの連続だった。

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2012年8月

2012年8月23日 (木)

北インド旅行記(その16:ファテープル・シークリー)

平成19年2月4日。アーグラからジャイプールまで車で移動するが、その途中で、ファテープル・シークリーに寄った。

ファテープル・シークリーは、アーグラの南西39㎞に位置する、旧都である。

ムガル帝国3代皇帝アクバルは、この地に住む聖者シェーク・サリーム・チシュティーに跡継ぎの男子が生まれると予言を受けたところ、ジャハンギールが生まれた。これを記念し、建設されたのが、この都である。ちなみに、ファテープル・シークリーとは「勝利の都シークリー」という意味だそうだ。マニアックだが、世界遺産でもある。

都は周囲を城壁が囲み、その中央部にモスクや宮殿が建っている。

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ご覧のように、赤い砂岩が大変美しい。奥の大きな建物が、ディーワーネ・カース(貴賓謁見の間)である。

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ディーワーネ・カースの中に入った。これは凄い装飾だ。

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パンチ・マハル(五層閣)である。展望や遊戯のための施設であったそうだ。何でも、前に広がる、中庭にハーレムの女性を並べて、チェスに見立てて遊んでいたそうな。。。何と、羨ましい悪趣味な・・・

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きれいですな。

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ジョド・バーイー殿である。ジャハンギールの妃の名で呼ばれているが、実際に住んでいたのは、アクバルとその妃だそうだ。

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どこもかしこも美しい彫刻ばかりだ。

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お!池や!

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これは見事な彫刻だ!

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鳥がおるで!

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軒下にも彫刻が有るで!細かすぎるやろ!?

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いよいよ見学も終わりだ。

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まだ午前中だったせいか?人もあまりおらず、大変素晴らしい時間を過ごせた。密かにお薦めである。

こうして、ファテープル・シークリーの見学を終えた。

車に乗り込むと、一路ジャイプールへ・・・

途中のドライブインでラッシーを飲み、トイレに行くと、トイレ男が出現した。空港以来である。今回は、トイレ男の笑顔で「蛇口捻っておきましたぜ」攻撃を無視し、手を洗わずにでてやった。

2012年8月21日 (火)

北インド旅行記(その15:タージ・マハル)

昼食にやたら甘い(もうすでに地元民の味に慣れてしまったので・・・)ターリーランチを食った後、いよいよ、タージ・マハルを見学することになった。

タージ・マハルといえば、インドを代表する建物だ。日本人がインドを想像するとき、必ずこの建物がでてくるのではなかろうか?

さて、タージ・マハルであるが、ムガル帝国5代皇帝シャー・ジャハーンが、皇妃ムムターズ・マハルのために建てた廟である。1632年から1653年の22年をかけて建てられた大理石にラピスラズリやトルコ石など宝石が散りばめられた、超豪華な建物である。

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この門を抜けると、見えるはずだ!厳重なセキュリティチェックがあるが、この後のことを考えれば、それもまた楽しい。

タージ・マハルに入るには、750ルピーの外国人料金が設定されていた。現地人とは極端な差別化がされていて、ちょっと嫌な感じだが、遺跡に寄付していると考え、喜んで出しましょう!なお、アーグラ城と両方見るならば、5$のタージ・チケットが両方見れて、お得だ。

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おひょ!?

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凄い!としか言いようがない。。。感動で口が開きっぱなしである。

ところで、この角度は、ベストスポットなのか、インド人が上の玉ねぎのへたをつまむ構図で必死に写真を撮っていた。

ここからはガイドなしで見学することになった。ゆっくり見よう。。。

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中間点にあるちょっと高台になったところも写真スポットのようで、現地人やら西洋人やらインド人やらに写真を撮ってあげた。しかし、何故私に頼んでくるのかなあ。。。

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まもなくですわ!

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階段を上って、上に上がる。

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上に上がって、元来た道を眺めた。結構距離あるね!

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右手にミフマーン・カーナーという、ゲストハウス。

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左手にモスクがある。

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さて、いよいよ入るかね・・・

この写真は白人男性に撮ってもらったが、この人のカメラと同じカメラだったので、ちょっと盛り上がった。

内部はお墓なので、写真撮影禁止だ。

中には当然、ムムターズ・マハルの墓がある。そして、その横にはシャー・ジャハーンの墓が並んでいる。一見、仲睦まじいように感じるが、シャー・ジャハーンとしては不本意だったろう。。。

彼の計画では、タージ・マハルのヤムナー川をはさんで対岸にもう一つ黒大理の廟を建てて、自分を葬ることになっていたそうだ。しかし、これは、アウラングゼーブに王位を簒奪された彼にはムリだった。もし実現していれば、白と黒のタージが美しいコンストラストとなっていたことだろう。

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美しい装飾だ。

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インドに来る前から考えていたことを実行した。

タージ・マハルで寝っころがってみた。空との色の対比が絶妙だ。

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ヤムナー川だ。この先に黒タージができる予定だったのだろうか。。。

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あれは何だろう?

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あっちにも謎の建物が・・・

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このミナレット、周囲に4本立っているが、外側に傾いている。

これはミナレットが経年劣化で内側に倒れこまないようにとのことで、最初からそう作られているといわれている。しかし、本当にそうなのか?遠くから見たとき、私はまっすぐ立っているように見えた。これは人間の目の錯覚を利用しているのではなかろうか?つまりまっすぐ立っているように見えるように、わざと傾けたのでは?美しさのため傾けているというほうが、よっぽど理解できるのだが、違うのかなあ?

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波波模様が美しい。

降りた。

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どっちがゲストハウスで、どっちがモスクか?ほとんど一緒で見分けがつかない。これはシンメトリーを意識してのことらしい。

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猿や!タージの猿や!

これらを撮るために、寝そべっていたら、観光客に爆笑された。

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ゲストハウスからこんにちは!

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夕方になり、ますます美しくなってきた。

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ややくすんだ空にタージの白い色が溶け込み、何とも幻想的になってきた。

感動で目から汗が流れた。

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これは一句詠まねば・・・

「青い空

  夢、幻か・・・

       愛のしろ」

最後のしろは、白と城の両方の意味があるのだよ。まあ、城じゃなくて、墓なんですけどね。。。しかも、季語入ってないな。

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いよいよ最後のときがきた。もうちょっと見ていたいが、時間だ。仕方ない。

諦めて、ガイドのクマールの所に行った。

この後、ホテルに帰った。

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夕食はホテルで一人でとった。レストランで夕食はツアー料金に入っているとのことで、のんきにターリーを食った。さて、出ようとすると、ウェイターに90ルピーの料金を払えといわれた。

はあ?

一生懸命説明していると、ウェイターが怒り出した。

ウェイターが支配人を連れてきて、結局私の主張が正しいことが証明された。このウェイター、本当にクソで、私の前にいた白人夫妻とももめていた。最後は、向こうが謝ってきたので、握手で別れた。

まあ、アーグラ城とタージ・マハルは超ド級の凄さだが、この街はなんか苦手だ。物乞いが胡散臭かったし。。。

2012年8月17日 (金)

北インド旅行記(その14:アーグラ城塞)

アーグラ城塞は、アーグラにある世界遺産の双璧だ。しかし、どうしても、その知名度でタージマハルに軍配が挙がる。しかし、大変素晴らしい遺跡であるのは、間違いない。

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ご覧のように、赤い砂岩で建てられているので、とても赤い。タージマハルとあわせて見るならば、タージマハルチケットがお得だ。

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アーグラ城塞は、デリーからアーグラへの遷都により、ムガル帝国の三代目アクバルによって、1565年着工され、1573年に完成した。

第5代皇帝シャー・ジャハーンまで、皇帝の居城として使われた。このシャー・ジャハーン、タージマハルを建てた人物である。自分の愛妻のために豪華な墓を作ったが、息子のアウラングゼーブに王位を簒奪され、幽閉された。余生は、タージ・マハルを眺めながら、アーグラ場内の幽閉先の塔で過ごしたという。。。寂しすぎるな・・・。

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まず、見えてきたのは、ジャハーンギール宮殿である。ジャハーンギールは4代目であるが、これを建てたのは、3代目のアクバルだそうだ。跡継ぎの名前をあえてつけたようだ。

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見事な幾何学模様だ。美しい。

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シャハンギール宮殿の中だ。なかなか面白い造りだ。

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何か、装飾が剥がされてますな。。。

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アングリー庭園とやらを通過。

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寝殿だ。

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なかなか見事な内部装飾だ。

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おやおやこちらは、何をみておられるのか?

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美しいやんか!?

それもそのはず、これがムサンマン・ブルジュ(囚われの塔)である。そう!シャー・ジャハーンが幽閉されたところだ。

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お!微かに見えるのは、タージ・マハル!

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次はいよいよ憧れのタージ・マハルか・・・

密かにインド女性と一緒?に写真に写りこむ私。。。

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こちらは、一般謁見の間(ディーワーネ・アーム)だ。

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見事なり!ここで皇帝と謁見するわけだ。

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なかなか面白かったぞい!

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あ!猿や!

2012年8月 8日 (水)

北インド旅行記(その13:アーグラ到着)

平成19年2月3日朝。

目覚めた私は2段ベッドから這い出すと、ベッドをたたんで、座席に着いた。

車窓を眺める。窓の外は田園風景が広がっていた。聞けば、小麦と豆、そして、黄色い花が美しい辛子が主に栽培されていた。

途中では、ラクダが歩いており、道端の少女が手を振ってきたり、喉かな光景が繰り広げられていた。

やがて、駅に着くと、ここからは車だ。

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普通にラクダがいるし・・・

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やっぱ騒がしい国ですなあ。。。

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やがて、ハイウェイに入った。このハイウェイ、カルカタから続いているそうだ。ハイウェイといっても、ミルクを積んだチャリが走っており、大変のどかである。

途中、小汚いドライブインに入った。

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ここで、朝食をとる。

ダヒーと呼ばれるヨーグルト、パラタと呼ばれる具入りのチャパティを食べ、チャイを飲んだ。屋外のテーブルで食ったが、結構美味しかった。特にチャイは、今のところ、一位の味であった。ちなみにトイレは最悪だった。

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目的地のアーグラに近付いてきた。何故か、牛やら

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水牛が増えてきた。

そして、ホテルに着いた。

このホテル、最悪であった。バスルームは汚く、バーイが何故か二人ついてくるわ、頼みのしないのに、ボーイがホットヒーターを持ってきて、チップをねだるわ。部屋の鍵は壊れているわ。$→ルピーのレートはめちゃくちゃ悪い(1$=41ルピー)わ、本当に最悪だった。

ひつこいので、ボーイに合計30ルピーも払わされた上に、ルピーが足らなかったので、換金せざるを得ないわ、散々であった。

ここで得るべき教訓は、アーグラは気をつけろということだ。

2012年8月 6日 (月)

北インド旅行記(その12:ヴァラナシで遊ぼう!)

サールナートから再びヴァラナシへ帰ってきた。

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羊だか山羊だかの集団がいた。

観光客向けのレストランでいまいちな玉子カレーを食した後、その場のノリで映画を見ることになった。

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当時、ごく数日前に封切りになったばかりのGURUという映画を見ることになった。映画館に入ると、座席に座った。私の隣から何席かは空いていた。もうすぐ上映開始というときになり、中学生くらいのインド人のガキが入ってきて、いっぱい空いているのに、何故か私の隣に寄り添うように座ってきた。こやつウホっ!か?生憎、私にはそういう趣味はないのである。ところで、インドでは親しい友人同士ならば、男同士でも手をつないで歩いている光景をよく見かける。別にそういう意味ではないのだそうだが、やはり気持ちのいいものではない。

そんなこんなで絶えず、隣に警戒しながら映画を見る羽目になった。

映画は前編現地語である。字幕もないのでさっぱり分からないが、単純なので、何となく分かった。主人公は貧乏出身で、ビジネスに成功していく、よくあるサクセスストーリーだ。途中、あまりにも利益を追いすぎて、暗黒面に囚われる。それが発覚して失脚するが、最後には再び脚光を浴びるという話だ。ストーリーはともかく、役者が名優のせいか、結構面白かった。

興奮のせいか、隣のインド人も体温が上昇したのか、非常に熱かった。

映画の後は、バーでいっぱいやった。

クマールお薦めのオールドモンクというラム酒の水割りを頼んだ。二人合わせて、110ルピーで、これって、めちゃくちゃ安い?

まだまだ、インド旅行は続くが、ヴァラナシの最後の夜に乾杯!

この後、夜行列車に乗るが、その前にホテルで夕食だ。全然美味しくない、中華料理を食った。焼き飯と焼きそばだが、奇をてらうより、カレーを食わせろ!

いよいよ、ムガールサライという駅へ向かう。ここから、夜行列車に乗るのだ。

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野菜など売っている。

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ムガールサライに向かう途中、車が地元民が食べるカレー屋によった。クマールと運転手の夕飯だそうだ。ってか、私もこっちのほうが良かったわ!

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チャパティなど焼いている。私はナンより、このチャパティのほうが美味いと思うのだが、日本でカレーを食べても、たいていチャパティはない。

ちなみに、ここのカレーを少し食べさしてもらった。かなり辛口だが、、、

びゃあ゛ぁ゛゛ぁうまひぃ゛ぃぃ゛ヽ(*≧ε≦*)φ

これぞ!今回の旅、最高のカレーであった。もう一度、食いたいなあ。。。

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途中で結婚式の集団に出会った。ド派手なパレードなどしている。

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やがて、ムガールサライに着いた。

今回の夜行列車は、3段ベッドの一番上だ。恐ろしいが面白いものである。

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列車が次の目的地に向けて、動き出す。疲れたので、さっさと寝てしまおう!

なお、列車の係員が泥酔しており、クマールが怒っていたのを、記しておく。

2012年8月 3日 (金)

北インド旅行記(その11:ダメーク・ストゥーパ)

ムールガンダ・クティ寺院の前は遺跡が広がっている。遺跡は主に僧院の跡である。

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この公園の入場料は2$であるが、インド人は何と、5ルピーだ。外国人料金が設定されているとは、これは違いすぎないか?

ちなみに公園は鹿公園という。

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彫刻が美しい。

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こりゃ、さっきのムールガンダ・クティ寺院か?

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ひときわ目立つ塔が、ダメーク・ストゥーパである。

6世紀に建てられたそうだが、何とも立派だ。

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ストゥーパの影でゆっくり休む人たちがいた。

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鹿公園の名のとおり、鹿がいた。

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かつては大勢の修行僧が生活していたのかと思うと、不思議な感じがする。

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これはアショーカ王の石柱だ。今は壊れてしまっている。この上にあった獅子の象は、現在、博物館にある。インドの国章になっているやつだ。

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素晴らしい、仏教遺跡で大変感動したが、残念なこともあった。

遺跡をのんびりと歩いていると、謎の物売りが近付いてきた。

いかにもな仏像を持ち歩き、本物だから買えという。

本物だったら、税関で捕まるわ!と心の中で突っ込みつつ、No, thank you.を繰り返していた。とにかくひつこい。

そこへ野良犬がやってきた。

それをこの物売りの野郎が足蹴にしたのに、切れた。

「えーがげんにせい!ボケっ!」

と関西弁でまくし立てると、この物売り、びっくりして逃げていった。やはり、最後は罵倒するに限るのか?

とにかく、このときの私にとっては、こんな物売りより野良犬のほうが価値があったのだ。それをこともあろうか、足蹴に・・・。あー腹立つ!

すっかり機嫌が悪くなった私に、高校生くらいのインド人(男)の集団がニヤニヤしながら、近付いてきた。

中国人か?と聞いてくるので、日本人や!と答えた。この後、しょーもないことばっか言ってくるので、適当にあしらった。

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仏教の聖地にて、人で失望した私を癒すのは、野良犬がダラダラしている風景だけであった。折角、いい遺跡だったのに・・・

こうして、再びヴァラナシに帰った。途中、リキシャーとトラックが接触事故を起こして、喧嘩をしていた。

2012年8月 2日 (木)

北インド旅行記(その10:ムールガンダ・クティ寺院)

ヴァラナシのホテルを出て、車でサールナートへ向かう。

途中、クマール行きつけの屋台で朝食をとった。バナナの葉に包まれたカレーである。これが、ばりくそ美味い!これが本場のカレーかと感動した瞬間であった。チャイも飲んだが、チャイが入ったカップが何と、土を固めただけの代物だ。あまりゆっくり飲んでいると、どんどんしゅんでしまう。飲み終わると、道路に叩きつけて、ばらばらにして終了である。クマール曰く、土でできているから、そのまま土に帰るとのこと。一見、エコである。しかし、昔の土の道ならばともかく、現在はアスファルトで舗装された道だ。案の定、風化せず、バラバラになった土くれがそこらじゅうに散らばっていた。人はこれをゴミという。

クマールと運転手が買い物に行っている間、私は車の中で一人でお留守番をしていた。すると、窓を叩く者がいる。

「ハロー、ハローサー・・・」

物乞い少年である。少年といえど、可愛げなど全くなく、独特の無表情で少し怖かった。とにかく無視し続けると、去っていった。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

サールナートは、ヴァラナシの北東10kmに位置する。ブッダ・ガヤーで悟りをひらいたブッダが初めて説法を説いた地として有名である。鹿が多かったところから、鹿野苑と異名がある。仏教徒にはあまりにも有名すぎる聖地である。

サールナートに着くと、クマールがいるのに、何故か現地ガイドがついてきた。結局、この男、クマールまかせで何もしなかった。何のために来たのか、永遠の謎である。

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まずはムールガンダ・クティ寺院にやってきた。1931年に建てられた寺院である。

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中に入ると、黄金のブッダが鎮座している。今日はインドの子供たちがたくさん見学していた。遠足かなあ?くりくりした目玉で、可愛らしかった。

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小さなお堂であるが、壁面には、日本人画家、野生司香雪が描いたブッダの一生が書かれている。上は、そのうちの涅槃図だ。

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これは悟りを開く直前である。苦行しすぎのブッダにスジャータがミルクがゆを持ってきたところだろう。

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こっちは摩耶夫人の脇からブッダが誕生した場面だ。天上天下唯我独尊でも言っているのだろうか、ふてぶてしいガキかしこそうな赤子だ。

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屋外には、説法を説く、ブッダのフィギュアが飾られていた。この安物感、私は好きである。

2012年8月 1日 (水)

北インド旅行記(その9:ガンガーにて沐浴した件について)

平成19年2月2日。早朝6:15分。ロビーでクマールと待ち合わせである。今日は、夜行列車の中で約束したガンガーで沐浴する約束をした日である。

早速ガンガーへ向かう。

ガンガーに着くと、クマールがボートをチャーターしていた。ボートの漕ぎ手は寡黙なオヤジだ。愛想は全くないが、真面目そうで信用できそうな人物であった。プロやな?ちなみにチャーター代50ルピーである。安い・・・

ボートがゆっくりガンガーを進む。

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早速賑わっている。

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おじん、絵になっているぞ!

そろそろ日の出である。

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クミコハウスという、日本の女の人が経営しているゲストハウスだそうだ。ふ~ん。。。

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ガートでは洗濯物をする人たち。ちなみに、本当は洗濯禁止らしい。

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ド派手なガートだ。ケーダール・ガートという。どんなに水位が上がっても、沐浴できるよう、高くまで階段が続いているのが特徴である。あの上の方まで水位が上がったら、水流で危ないんじゃ?

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上の方に、ヒンドゥーの神様が並んでいる。

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日の出が終わった。本当に美しい太陽だ。ありがたい光景だ。

そして、約束の刻がやってきた。パンツ一丁になって、ガンガーに入る。気温はなかなか低い。寒いが、我慢して川に入る。ほんのり、ぬるぬる感があるぞ?

やがて、水温になれた。足元に不気味な感覚があるが、どうせ見えないし、考えるのをやめた。

沐浴の作法は、手で水を汲んで、それを太陽を見つめながら掲げ、お祈りを3回行う。ここは、日本流に太陽に向かって、普通に拝んでみた。

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クマールに写真を撮ってもらった。水面が怪しく泡立っているが、気のせいだろう。。。

ちなみにこの写真、帰国後に見せると、友人の古着屋のツボにはまった。真剣な私の後ろを野良犬がとぼとぼ歩いてるのが、面白かったらしい。

お祈りをすました私は、クマールの指示に従い、頭までずっぽりと川の中に潜った。上がってきて、口にガンガーの聖なる水が入った。体にいいであろう。。。

クマールに曰く、

「ガンガーの水は神聖なので、絶対に腐らない。」

だそうだ。

(元々腐っとるんじゃ・・・?)と思ったが、口には出さなかった。

その後、平泳ぎなどして普通に遊泳を楽しんだ。目の前を物体が流れていったが、それが死体のはずはない。ちなみに、沐浴では石鹸の使用は禁止だ。自然に余計な負荷をかけてはいけないのだ。注意しよう!

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ガネーシャ好きやなあ。。。

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マニカルニカー・ガートである。ここは火葬場である。陸地上がった後、ゆっくり見学した。あまりに近付いてみていると、薪代を要求されるので、遠巻きに見た。どんどん燃やされていた。日本では死体というと、恐ろしい感じがするが、この街にいると、そんな感覚は全くなくなる。むしろ神聖でありがたいもののように感じてくるのだ。今までの自分と全く死生観が変わってきていることに気付き、驚く。これぞ、本当のカルチャーショックだ。

ちなみに、12歳未満は焼かずに、そのままガンガーに流すそうだ。私が見ているときも、布にくるまれた子供の遺体が流されていった。

さて、ホテルに帰ろう。。。

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行き先を野良牛が先行する。

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生ごみを漁る、野良牛。

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野良猫が荷台で眠る。

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ホテルに着くと、自室でシャワーを浴びた。足の爪が黒くなっており、体中得体の知れない泥臭さが染みていた。

ちなみに、口の中に入ったガンガーの神聖な水のおかげか、夕べの唐辛子による腹痛は治っていた。

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