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2012年7月25日 (水)

北インド旅行記(その5:フマユーン廟)

フマユーン廟といえば、かの有名なタージ・マハルに影響を与えたといわれる廟である。フマユーンはムガル帝国二代皇帝で、この廟は、彼の后が1565年に建造したものである。

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フマユーン廟の手前にある建物はイサカーン廟という。フマユーン廟より古く、この廟に影響されたといわれる。

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内部には棺が並んでいた。

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こちらはイサカーン廟の近くにたつ、イサカーン・モスクである。

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ここからが本命のフマユーン廟の入り口だ。

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これは美しい!

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中のドーム部分。

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こちらがフマユーンの棺だ。

フマユーンは、初代皇帝バーブルの息子だ。有能ながらおっちょこちょいなのか、スールに大敗北し、一時ムガル帝国は滅亡した。その後、ペルシアのサファヴィー朝に逃げのみ、力を蓄え、スール朝を滅ぼし、ムガル帝国を再興した。

しかし!そんな矢先、階段から転げ落ち、石段に頭をぶつけて死んでしまったのだ。これはあまりにもかっこ悪い死に様だ。その割に廟は大変素晴らしい。タージ・マハルの手本になったといわれるのも肯ける。

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フマユーン廟から眺めていると、さっきのイスカーン廟とモスクが見えた。

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こちらはさっきの入り口か・・・

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ぶらぶら周りを歩いていると、修復作業中の作業員が数多くいた。

私を見ると、さかんに写真を撮れとアピールしてくる。写真を撮れば、当然チップを要求されるのは目に見えているので、No thank you!と丁重に断った。

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遺跡の木陰で談話するインドの乙女がなかなか絵になっていたので、思わず撮ってしまった。遠くから・・・

こうして、フマユーン廟の見学を終えた。

この後、デリー駅に移動し、次の目的地ヴァラナシに旅立つため、夜行列車に乗った。

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