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2012年7月26日 (木)

北インド旅行記(その6:デリー~ヴァラナシ)

生と死が混在する町。否、死者が主役の町、それがヴァラナシである。このヴァラナシの発音、大変難しく、日本語表記になると、ワーラーナシーとか、バラナシとか、ヴァーラースィーとか、いろいろある。私が現地で聞いた発音をそのまま表記すると、ワランシーだ。

どういう土地かというと、ヒンドゥー教の聖地で、この町のガンガーの近くで死ぬと、輪廻からの解脱が約束されるという伝承があるのだ。したがって、インド中から、静かにこの地で死を待つために、多くの人が集まるのだ。この文化が日本人には興味深いらしく、日本人観光客には人気だ。反面、西洋人はあまり行かないそうだ。

とにかく、私も是非行きたかった町なので、大変楽しみである。

ヴァラナシへは、デリーから夜行列車で行った。

6:30発の列車に乗る。列車に乗る前は、ミネラルウォーターが必須である。車内販売もあるが、緊急用に絶対いる。列車の前に乗車リストが掲載され、名前を確認して載らなければならない。ちなみに私の名前は微妙に間違えられていた。

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車内はこんな感じである。緑の四角は、座席とベッドを兼ねたものと理解してもらいたい。ちなみに、左手の向かい合わせになったほうは平時から座席として使用可能なものの上に、折りたたみ式の収納ベッドが壁に架かっている。さらに上にも、、、つまり、三段ベッドなのだ。

右手の窓際に平行して設置されたベッドは2段である。私は、この2段ベッドの上に寝ることになった。

向かい合わせになったほうは若い夫婦と、老いた男がいた。ガイドのクマール氏によると、老人が死を待つためにヴァラナシに行くところだそうだ。若い夫婦は息子夫婦で、老人の付き添いだそうだ。つまり、死に掛けのおじんなのだが、ぱっと見は顔色がいい。とても死期が近い人には見えなかった。

ここからは、ガイドのクマール氏といろんな話をした。

インドでは、公共の場でタバコを吸うのは、法律で禁止されているそうだ。罰金は200ルピーとのことだ。よくよく日本円に換算すると、めちゃくちゃ安かった。ちなみにタバコは1箱20ルピーである(2007年当時)。

車内販売の水は10ルピー、コーラは20ルピーである。おそろしく安い。コーラであるが、インドではいたるところで見かける安全な飲み物である。水の場合、空のペットボトルにそこらの水をいれる悪徳業者がいるらしく、買ったときは、開封されていないかどうか確認する必要がある。その点、コーラは開封されていることなんてありえないのだ。インド滞在中は大変お世話になった。逆に言うと、水を買うだけでストレスを感じてしまうのだった。

やがて、夕食の弁当がきた。ジャガイモとカリフラワーのカレーだったが、これが本当にうまかった。恐るべし、インド!

ヴァラナシでは朝に沐浴があるそうで、見学がツアーに組み込まれている。クマール氏が是非というので、沐浴を挑戦する約束を交わした。これをベナレスの誓いという。。。

そして、クマール氏にカプチーノをおごってもらった。

そんな中、さっきの自称死にかけの老人に息子が注射した。見る見るうちに老人が弱った。一体、何の薬を打ったのか・・・。筋肉が弛緩する薬じゃ・・・?

騒がしい車内に、今度は募金活動の婆がきた。何でも癌撲滅の募金だそうだ。クマール氏がcancerは日本語で何て言うのか、質問してきたので、癌と答えた。すると、クマール氏は「ガンって、銃のガン?」と驚いていた。確かに発音一緒やな。

やがて、就寝の時間となり、私は上のベッドに登った。荷物をその辺においておくと、置き引きが怖いので、寝ている足元に置いた。ただでさえ狭いベッドがもっと狭くなった。おまけに落下防止の柵などない。こんな状況で寝れんのか!?

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

2月1日。朝である。

すっかり熟睡した。眠気覚ましにチャイ(10ルピー)を飲む。美味い。

トイレに行くと、インド式だった。しかもチェーン短くて、閉まらんし。。。

そして、水が出なかった。さらに言うと、カレーのせいか、お尻がHotだった。

8:00ヴァラナシ着。

降りるなり、商売人の売り込みとリキシャーの営業がとてつもなく五月蝿かった。しかも、体の不自由な物乞いが追いかけてくるので、かなりびびってしまった。

とんでもないところに来たとおもったが、町はそのとおり、めちゃくちゃだった。喧騒と混乱という言葉がふさわしい。

ホテルはかなりきれいで安心した。当然のように、チップをあげないと、ボーイは帰らなかった。朝食をホテルで食べたが、なかなか来ず、クマール氏がきれていた。昨日からうすうす分かっていたが、この男、気が短い。というか、インド人は短気な人が多い。町ではそこかしこで喧嘩をしている。

この後、町の観光を行うが、それまで、ホテルで小休止。さてさて、どうなることやら・・・

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