北インド旅行記(その4:クトゥブ・ミナール)
昼食の後、クトゥブ・ミナールを見にやってきた。
クトゥブ・ミナールとは、奴隷王朝のクトゥブッティーン・アイバクによって建てられたクワットゥル・イスラーム・モスクに付属するミナレットのことである。
お見事な彫り物がなされた壁面である。
本題のクトゥブ・ミナールの前に、鉄柱の周りを囲む人だかりを見つけた。
これは、なんと!かの有名な錆びない鉄柱である。この鉄は非常に純度の高いものだそうで、何と、1500年以上もの間、風雨にさらされていたにも関わらず、表面だけの錆で、内部まではやられていないのだ。オカルトファンには、とても有名な鉄柱である。まさか、あの鉄柱がデリーにあるとは・・・。
この鉄柱、何かというと、イスラム教とは関係ない。アショーカ・ピラーの一つで仏教的なものだ。
こちらが本命のクトゥブ・ミナールである。手前に鉄柱をいれてみた。
それにしてもでかい!1200年ごろに建てられたそうだが、その高さ、72.5mで、世界一高いミナレットである。地震や落雷で崩落したそうで、かつては100mも高さがあったそうだ。
以前は、この塔に登れたそうだが、将棋倒しの事故があったそうで、今は閉鎖されている。
おや、修学旅行生ですかね?
む?インコかオウムかしらんが、まるで、日本のカラスのような感じで普通に飛び回っていた。
塔の傍らにはイルトゥトゥミシュ廟がある。奴隷王朝の3代目である。
実に素晴らしい彫刻が施された壁面に囲まれ、棺が置いてあった。
アイバクの治世に始まったクトゥブ・ミナールの建築は、イルトゥトゥミシュの治世に完成した。
この墓は、現存するデリー・スルタン朝の君主では最古のものだそうだ。
クトゥブ・ミナールの北に、出来損ないの巨大な塔跡が立っている。これは、アライ・ミナールといい、クトゥブよりもっと高い塔を建てようとして断念した塔の成れの果てである。
せっかくの文化遺産も、インド人の格好の遊び場となっている。どうみても、女学生らの先生らしきおっさんが、一番はしゃいでいた。
私もちょっと上ってみたかったが、混んでいるのでやめておいた。なお、度を過ぎると、当然怒られるらしい。。。
見事な回廊ですなあ。。。
ほへぇ~と眺めていると、若夫婦にカメラのシャッターを切るようにお願いされた。
写真を撮ってあげると、世間話をおっさんがしてきた。
どこから来たのか?とか、、、日本人というと、好意的な感じになり、ワイフの自慢をされた。これまで、物乞いとか、むちゃな物売りとか、らりってる人とか、ショッキングな人ばかり見てきた私はすっかり萎縮してしまっていたが、ほんの少し、緊張がとけた一瞬であった。なかなかインド人、フレンドリーやん!
これはヒンドゥーか仏教の彫り物かな?イスラムに偶像崇拝はないので・・・
遺跡とリス。。。
もう一度、見とこう!
やっぱでかいなあ。。。
いい仕事してますなあ。。。
こうして、クトゥブ・ミナールの見学を終えた。
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