フォト
2019年9月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

リンク

訪問国

  • スリランカ民主社会主義共和国
  • ペルー共和国
  • カンボジア王国
  • フランス共和国
  • オランダ王国
  • オーストリア共和国
  • ハンガリー共和国
  • チェコ共和国
  • ドイツ連邦共和国
  • バチカン

伝説の旅ベスト5

  • 第五位:第一次九州遠征(2号線の旅)
    1999年3月に国道2号線を使って、神戸から北九州まで旅をした伝説。帰りはフェリーで松山に上陸し、四国を横断して帰ってきた。
  • 第四位:ハワイのんびり旅行
    2005年12月。ホノルルマラソンに出走。人生を変えた旅。
  • 第三位:英国旅行
    飯は不味いが、とにかくお洒落な街と大英博物館、ストーンヘンジ、カンタベリー最高!
  • 第二位:中欧旅行
    ベルリン、プラハ、ブタペスト、ウィーン、ヴェネチア、アムステルダムと6カ国の都市を主に列車で巡った。飯が美味かった。
  • 第一位:北部インドの旅
    2007年2月。とにかくカルチャーショックの連続だった。

« 北インド旅行記(その2:ラージガート) | トップページ | 北インド旅行記(その4:クトゥブ・ミナール) »

2012年7月21日 (土)

北インド旅行記(その3:インド門と官庁街)

インド門にやってきた。

Img_0971_2 

Img_0972

一見、凱旋門であるが、実は慰霊碑である。

第一次世界大戦で戦死した兵士たちの追悼のため、建てられた。

英印軍は戦後の自治を約束され、第一次世界大戦に参戦した。しかし、そんな約束ありましたっけ?とばかりに英国は約束を反故にした。約束を信じて英印軍は、奮戦し、戦士も多かったのだ。戦死者は8万5千人と言われている。

内側の壁面には、1万3500人の戦死者の名が刻まれているのだ。

Img_0974

門の下には無名戦士の墓がある。

この辺りにいるインド人は神妙な顔をしているが、インド門を離れると、とたんに物乞いにからまれた。

インド門から真西にラージパト通りがまっすぐ伸びており、その先には大統領府になっている。

Img_0977

Img_0975

この辺は官庁街になっている。こんなんJINさんやったら、喜ぶやろうなあ。。。

Img_0976

そうそうしっかり守らないとあかんからね。大砲も常備である。

Img_0978

こっちは国会議事堂である。

この後、昼食に出かけた。途中、オールドデリーで昼間から麻薬的なものでラリってる男衆を目撃した。なんとも凄いところに来たものだ。

昼食はいかにも観光客向けのレストランでカレー的なものを堪能した。タンドリーチキンもあり、大変美味しかった。・・・と思っていたが、旅の途中で実は最初のご飯はあまり美味しくないことが発覚した。インドの飯、うまい、うますぎる!

« 北インド旅行記(その2:ラージガート) | トップページ | 北インド旅行記(その4:クトゥブ・ミナール) »

インド」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 北インド旅行記(その3:インド門と官庁街):

« 北インド旅行記(その2:ラージガート) | トップページ | 北インド旅行記(その4:クトゥブ・ミナール) »