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2012年7月

2012年7月30日 (月)

北インド旅行記(その8:ガンガーにてプージャーを見学)

ガンガーとは、ガンジス川のこと。ガートとは、川岸に設置された階段のことで、洗濯や沐浴の場として機能している。この二つの言葉は必ず覚えておく必要がある。

ヴァラナシでは日没にプージャーと呼ばれる、儀式が行われる。夕方にガンガーまで出て、中心的なガートであるダシャーシュワメード・ガートで行われるプージャーを見学する。

それまで、ホテルで休憩となった。

・・・うずうずして、ちょっと外に出てみた。

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うほー、凄い人だ。普通に車に轢かれそうになった。怖くなったので、そそくさとホテルに戻った。

5:40。今度こそ本当に出発だ。

ガイドのクマールがサイクルリキシャーを呼んだ。サイクルリキシャーとは、自転車に人を乗せる荷台がついている代物だ。日本人はかもられる人が多いと聞くが、現地人と一緒なので安心だ。なかなか風が気持ちいいよ。。。

途中、あまりの人の多さと活気に、クマールに今日は祭りがあるのか?と聞いたら、いつもこんな感じとのこと。恐ろしいところだ。

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野良ホルスタイン発見!

現場に着くと、ガンガーまでの数十メートルを物乞い集団が並んでいた。インド人はそれらの人々に少しずつ施しを与えながら歩いていく。物乞いは、まるでもらってやっているといわんばかりに偉そうだ。インド人の考えで貧者に施しを与えることで徳をつむというものがある。物乞いにしてみりゃ、こいつらに徳をつまさせてやっているという自負があるのだろうか?

その他にも花売りの少女がたくさんいた。つぶらな瞳で、ずっとついてくるので、参ってしまった。

そして、ナガサドゥと呼ばれる、灰をかぶった全裸のオヤジ・・・

変態ではない。聖者なのだ。ちょっと薬やってて目がいってても、徳が高く、一般人の尊敬を集めている。たとえ、局部丸出しでもだ。

プージャーは川沿いのガートの上で行われる。今回はゆっくり見れるように、ボートをチャーターし、船上から見学する。

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始まった。僧侶?が入場してきた。

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銅鑼や太鼓に合わせて、火を掲げ、お祈りをしていく。

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幻想的な光景に感動した。

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蝋燭屋から買った蝋燭をガンガーに流す。幻想的だ。

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ほどなくして、陸上に戻ってきた。プージャーは続く。

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何をぶつぶつ言っているかというと、神の名を唱えているらしい。

シヴァ→ヴィシュヌ→ブラフマンと主要な神から順に唱えていく。最後は何と、サイババ氏とのことだ。インドではサイババ氏は既に神になっていた。

まだまだ、熱狂の夜は続いていくが、この辺でお暇することになった。

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普通に野良牛が歩いている。

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ホテルに帰ると、夕食前にクマールの部屋に行った。クマールが密かに買ったウィスキーを部屋飲みする。ほんの少しでへべれけになった。

すっかり上機嫌な私は、夕食でクマールが食っていた生とうがらしを食ってみた。

・・・辛~い!Σ(゚□゚(゚□゚*)

あまりの衝撃にしゃっくりが止まらなくなった。

自室に戻った。

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ご覧のように、きれいな部屋だが、シャワールームにはバスタブがなかった。一回シャワーを浴びると、トイレがびちゃびちゃになる。まあ、明日ガンガーから帰った後にシャワー浴びるかと、寝ることにした。

・・・

・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・腹が!

腹が燃えるぞ~い!

これはさっきのとうがらしのせいか?

トイレに行くと、おケツが燃えた。

腹は痛いわ、夜中までずっと、謎の音楽が外で流れており、大変五月蝿いわ、寝られないから本読んでたら停電するわで散々な夜であった。

2012年7月27日 (金)

北インド旅行記(その7:バーラト・マータ寺院)

ホテルで小休止した後、車でヴァラナシの街を観光することになった。

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きれいな寺院が見えてきたが、これはバナーラス・ヒンドゥー大学の構内にある、ヴィシュワナート寺院である。白とピンクの調和が大変美しい。

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しかし、この街、本当に人だらけだ。

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バイクとチャリと歩行者がごちゃ混ぜになって、道を行く。混沌という言葉がふさわしい。

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人だけでなく、野良牛や野良豚の姿もちらほら見た。

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あまりにもごちゃごちゃしているせいか、移動中事故を起こした車もあった。そりゃもう、口論の真っ最中でしたとも。。。

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後ろに赤く聳えるのは、ドゥルガー寺院である。ここはヒンドゥー教徒しか入れない。そして、この寺の周りには、凶暴なサルが住み着いていることで有名だ。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

何だか、お寺らしくない寺院にやってきた。バーラト・マータ寺院という。

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お!野良犬やね。

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中に入ると、何だかでこぼこしたものが展示されている。

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そうインドの地図である。

これがご神体なのである。

Bharatはインドを、Mataは母を意味する。つまり、母なるインドという意味の寺院なのである。この寺院、写真撮影するのに10ルピーかかり、靴を預けるのに5ルピーかかる。日本円にすると、べらぼうに安いが、インドに来るとケチになるのか、何故か、10円、20円に一喜一憂するようになった。

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この寺院はインド独立の気運を高めるために建てられた寺院で、中にはガンジーやチャンドラ・ボースの肖像が飾られていた。ここで、ガンジーではなく、チャンドラ・ボースについて、クマールと熱く語り合った。というか、あまり日本人は知らないが、私の食いつきがやたらよかったので、クマールはびっくりしていた。

こうして、寺院の見学を終えた。

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この後、昼食を食べた。ラッシーを飲んだが、まあまあの味だった。

余談:昨日、ヴァラナシでテロがあったらしい。。。怖いなあ。。。

2012年7月26日 (木)

北インド旅行記(その6:デリー~ヴァラナシ)

生と死が混在する町。否、死者が主役の町、それがヴァラナシである。このヴァラナシの発音、大変難しく、日本語表記になると、ワーラーナシーとか、バラナシとか、ヴァーラースィーとか、いろいろある。私が現地で聞いた発音をそのまま表記すると、ワランシーだ。

どういう土地かというと、ヒンドゥー教の聖地で、この町のガンガーの近くで死ぬと、輪廻からの解脱が約束されるという伝承があるのだ。したがって、インド中から、静かにこの地で死を待つために、多くの人が集まるのだ。この文化が日本人には興味深いらしく、日本人観光客には人気だ。反面、西洋人はあまり行かないそうだ。

とにかく、私も是非行きたかった町なので、大変楽しみである。

ヴァラナシへは、デリーから夜行列車で行った。

6:30発の列車に乗る。列車に乗る前は、ミネラルウォーターが必須である。車内販売もあるが、緊急用に絶対いる。列車の前に乗車リストが掲載され、名前を確認して載らなければならない。ちなみに私の名前は微妙に間違えられていた。

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車内はこんな感じである。緑の四角は、座席とベッドを兼ねたものと理解してもらいたい。ちなみに、左手の向かい合わせになったほうは平時から座席として使用可能なものの上に、折りたたみ式の収納ベッドが壁に架かっている。さらに上にも、、、つまり、三段ベッドなのだ。

右手の窓際に平行して設置されたベッドは2段である。私は、この2段ベッドの上に寝ることになった。

向かい合わせになったほうは若い夫婦と、老いた男がいた。ガイドのクマール氏によると、老人が死を待つためにヴァラナシに行くところだそうだ。若い夫婦は息子夫婦で、老人の付き添いだそうだ。つまり、死に掛けのおじんなのだが、ぱっと見は顔色がいい。とても死期が近い人には見えなかった。

ここからは、ガイドのクマール氏といろんな話をした。

インドでは、公共の場でタバコを吸うのは、法律で禁止されているそうだ。罰金は200ルピーとのことだ。よくよく日本円に換算すると、めちゃくちゃ安かった。ちなみにタバコは1箱20ルピーである(2007年当時)。

車内販売の水は10ルピー、コーラは20ルピーである。おそろしく安い。コーラであるが、インドではいたるところで見かける安全な飲み物である。水の場合、空のペットボトルにそこらの水をいれる悪徳業者がいるらしく、買ったときは、開封されていないかどうか確認する必要がある。その点、コーラは開封されていることなんてありえないのだ。インド滞在中は大変お世話になった。逆に言うと、水を買うだけでストレスを感じてしまうのだった。

やがて、夕食の弁当がきた。ジャガイモとカリフラワーのカレーだったが、これが本当にうまかった。恐るべし、インド!

ヴァラナシでは朝に沐浴があるそうで、見学がツアーに組み込まれている。クマール氏が是非というので、沐浴を挑戦する約束を交わした。これをベナレスの誓いという。。。

そして、クマール氏にカプチーノをおごってもらった。

そんな中、さっきの自称死にかけの老人に息子が注射した。見る見るうちに老人が弱った。一体、何の薬を打ったのか・・・。筋肉が弛緩する薬じゃ・・・?

騒がしい車内に、今度は募金活動の婆がきた。何でも癌撲滅の募金だそうだ。クマール氏がcancerは日本語で何て言うのか、質問してきたので、癌と答えた。すると、クマール氏は「ガンって、銃のガン?」と驚いていた。確かに発音一緒やな。

やがて、就寝の時間となり、私は上のベッドに登った。荷物をその辺においておくと、置き引きが怖いので、寝ている足元に置いた。ただでさえ狭いベッドがもっと狭くなった。おまけに落下防止の柵などない。こんな状況で寝れんのか!?

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

2月1日。朝である。

すっかり熟睡した。眠気覚ましにチャイ(10ルピー)を飲む。美味い。

トイレに行くと、インド式だった。しかもチェーン短くて、閉まらんし。。。

そして、水が出なかった。さらに言うと、カレーのせいか、お尻がHotだった。

8:00ヴァラナシ着。

降りるなり、商売人の売り込みとリキシャーの営業がとてつもなく五月蝿かった。しかも、体の不自由な物乞いが追いかけてくるので、かなりびびってしまった。

とんでもないところに来たとおもったが、町はそのとおり、めちゃくちゃだった。喧騒と混乱という言葉がふさわしい。

ホテルはかなりきれいで安心した。当然のように、チップをあげないと、ボーイは帰らなかった。朝食をホテルで食べたが、なかなか来ず、クマール氏がきれていた。昨日からうすうす分かっていたが、この男、気が短い。というか、インド人は短気な人が多い。町ではそこかしこで喧嘩をしている。

この後、町の観光を行うが、それまで、ホテルで小休止。さてさて、どうなることやら・・・

2012年7月25日 (水)

北インド旅行記(その5:フマユーン廟)

フマユーン廟といえば、かの有名なタージ・マハルに影響を与えたといわれる廟である。フマユーンはムガル帝国二代皇帝で、この廟は、彼の后が1565年に建造したものである。

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フマユーン廟の手前にある建物はイサカーン廟という。フマユーン廟より古く、この廟に影響されたといわれる。

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内部には棺が並んでいた。

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こちらはイサカーン廟の近くにたつ、イサカーン・モスクである。

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ここからが本命のフマユーン廟の入り口だ。

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これは美しい!

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中のドーム部分。

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こちらがフマユーンの棺だ。

フマユーンは、初代皇帝バーブルの息子だ。有能ながらおっちょこちょいなのか、スールに大敗北し、一時ムガル帝国は滅亡した。その後、ペルシアのサファヴィー朝に逃げのみ、力を蓄え、スール朝を滅ぼし、ムガル帝国を再興した。

しかし!そんな矢先、階段から転げ落ち、石段に頭をぶつけて死んでしまったのだ。これはあまりにもかっこ悪い死に様だ。その割に廟は大変素晴らしい。タージ・マハルの手本になったといわれるのも肯ける。

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フマユーン廟から眺めていると、さっきのイスカーン廟とモスクが見えた。

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こちらはさっきの入り口か・・・

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ぶらぶら周りを歩いていると、修復作業中の作業員が数多くいた。

私を見ると、さかんに写真を撮れとアピールしてくる。写真を撮れば、当然チップを要求されるのは目に見えているので、No thank you!と丁重に断った。

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遺跡の木陰で談話するインドの乙女がなかなか絵になっていたので、思わず撮ってしまった。遠くから・・・

こうして、フマユーン廟の見学を終えた。

この後、デリー駅に移動し、次の目的地ヴァラナシに旅立つため、夜行列車に乗った。

2012年7月24日 (火)

北インド旅行記(その4:クトゥブ・ミナール)

昼食の後、クトゥブ・ミナールを見にやってきた。

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クトゥブ・ミナールとは、奴隷王朝のクトゥブッティーン・アイバクによって建てられたクワットゥル・イスラーム・モスクに付属するミナレットのことである。

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お見事な彫り物がなされた壁面である。

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本題のクトゥブ・ミナールの前に、鉄柱の周りを囲む人だかりを見つけた。

これは、なんと!かの有名な錆びない鉄柱である。この鉄は非常に純度の高いものだそうで、何と、1500年以上もの間、風雨にさらされていたにも関わらず、表面だけの錆で、内部まではやられていないのだ。オカルトファンには、とても有名な鉄柱である。まさか、あの鉄柱がデリーにあるとは・・・。

この鉄柱、何かというと、イスラム教とは関係ない。アショーカ・ピラーの一つで仏教的なものだ。

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こちらが本命のクトゥブ・ミナールである。手前に鉄柱をいれてみた。

それにしてもでかい!1200年ごろに建てられたそうだが、その高さ、72.5mで、世界一高いミナレットである。地震や落雷で崩落したそうで、かつては100mも高さがあったそうだ。

以前は、この塔に登れたそうだが、将棋倒しの事故があったそうで、今は閉鎖されている。

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おや、修学旅行生ですかね?

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む?インコかオウムかしらんが、まるで、日本のカラスのような感じで普通に飛び回っていた。

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塔の傍らにはイルトゥトゥミシュ廟がある。奴隷王朝の3代目である。

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実に素晴らしい彫刻が施された壁面に囲まれ、棺が置いてあった。

アイバクの治世に始まったクトゥブ・ミナールの建築は、イルトゥトゥミシュの治世に完成した。

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この墓は、現存するデリー・スルタン朝の君主では最古のものだそうだ。

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クトゥブ・ミナールの北に、出来損ないの巨大な塔跡が立っている。これは、アライ・ミナールといい、クトゥブよりもっと高い塔を建てようとして断念した塔の成れの果てである。

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せっかくの文化遺産も、インド人の格好の遊び場となっている。どうみても、女学生らの先生らしきおっさんが、一番はしゃいでいた。

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私もちょっと上ってみたかったが、混んでいるのでやめておいた。なお、度を過ぎると、当然怒られるらしい。。。

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見事な回廊ですなあ。。。

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ほへぇ~と眺めていると、若夫婦にカメラのシャッターを切るようにお願いされた。

写真を撮ってあげると、世間話をおっさんがしてきた。

どこから来たのか?とか、、、日本人というと、好意的な感じになり、ワイフの自慢をされた。これまで、物乞いとか、むちゃな物売りとか、らりってる人とか、ショッキングな人ばかり見てきた私はすっかり萎縮してしまっていたが、ほんの少し、緊張がとけた一瞬であった。なかなかインド人、フレンドリーやん!

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これはヒンドゥーか仏教の彫り物かな?イスラムに偶像崇拝はないので・・・

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遺跡とリス。。。

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もう一度、見とこう!

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やっぱでかいなあ。。。

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いい仕事してますなあ。。。

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こうして、クトゥブ・ミナールの見学を終えた。

2012年7月21日 (土)

北インド旅行記(その3:インド門と官庁街)

インド門にやってきた。

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一見、凱旋門であるが、実は慰霊碑である。

第一次世界大戦で戦死した兵士たちの追悼のため、建てられた。

英印軍は戦後の自治を約束され、第一次世界大戦に参戦した。しかし、そんな約束ありましたっけ?とばかりに英国は約束を反故にした。約束を信じて英印軍は、奮戦し、戦士も多かったのだ。戦死者は8万5千人と言われている。

内側の壁面には、1万3500人の戦死者の名が刻まれているのだ。

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門の下には無名戦士の墓がある。

この辺りにいるインド人は神妙な顔をしているが、インド門を離れると、とたんに物乞いにからまれた。

インド門から真西にラージパト通りがまっすぐ伸びており、その先には大統領府になっている。

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この辺は官庁街になっている。こんなんJINさんやったら、喜ぶやろうなあ。。。

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そうそうしっかり守らないとあかんからね。大砲も常備である。

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こっちは国会議事堂である。

この後、昼食に出かけた。途中、オールドデリーで昼間から麻薬的なものでラリってる男衆を目撃した。なんとも凄いところに来たものだ。

昼食はいかにも観光客向けのレストランでカレー的なものを堪能した。タンドリーチキンもあり、大変美味しかった。・・・と思っていたが、旅の途中で実は最初のご飯はあまり美味しくないことが発覚した。インドの飯、うまい、うますぎる!

2012年7月20日 (金)

北インド旅行記(その2:ラージガート)

平成19年1月31日。全く疲れがとれていない朝、ガイドのクマール氏が迎えに来た。車に乗って、デリー観光に出かける。

デリーに行ったら、必ず行くべきだと思うところがある。

それは、ラージガートである。

ラージガートとは、かの有名なマハトマ・ガンディーが荼毘に付された場所であり、記念公園になっている。

ガンディーはご存知の通り、非暴力不服従で有名なインド独立の父と呼ばれる人物である。第二次世界大戦終結後、念願のインド独立が達成されたが、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の融和がうまくいかず、パキスタンとの分離独立になってしまった。パキスタンの分離に際し、ガンディーはこれを阻止しようと奮闘するが、かえって、ヒンドゥーの原理主義者の恨みを買い、暗殺された。

遺体は、このラージガートの地で荼毘に付され、ガンジス川、ヤムナー川などに灰がまかれた。

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人だかりができているところが慰霊碑である。ヒンドゥー教では通常墓を作らないが、カリスマのガンディーである。国民が納得しなかったのだ。ヒンドゥー教徒だけでなく、イスラム教徒からも愛され、慰霊に訪れる人が絶えない。

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花できれいに飾られている。

ここにきている人はほとんどインド人だ。めちゃくちゃ真剣な顔をしている。この後、こんな真剣なインド人見たっけ・・・?

私も敬意を表し、拝ませてもらった。

すっかり神妙な気持ちになっていると、絵葉書を10$で売りつけられそうになった。どんな高い葉書やねん!

2012年7月18日 (水)

北インド旅行記(その1:導入)

ネタがなくなった・・・

ということで、少し昔話をしようと思う。

いよいよ、ごく一部で要望が強かった、インドの話が始まる。

時は、平成19年1月30日~2月7日のことである。永らく続いたワーキングプア時代も正社員雇用が決まり、終わりを告げた。ゆっくり海外に行けることも、もうないかもという思いもあり、いっちょインドに行くことにした。

インドへは関空から、香港経由でキャッセイさんで行った。途中で寄った、香港の話は、既に報告済みであるので、割愛させていただく。香港の話はこちら

香港から飛行機に乗ること、5時間ほど。インディラ・ガンジー国際空港に着いた。飛行機が着陸したとたん、インド人が出口に殺到する姿を見て、どんなけイラチやねん!と感じてしまった。

入国審査はかなり長蛇の列だ。日付はすでに1月31日になっている。真夜中でかなり疲れているが、ここは諦めて待つしかあるまい。。。

しかし、インド人ばかりだ。自国民の入国審査に何でこんなに時間がかかるのか・・・

やがて、私の番になった。。。ドキドキしていたが、全くノーパス状態で入国許可がおりた。

機内預けの荷物をとる前に、トイレに行くと、トイレ男がいた。噂には聞いていたが、まさか空港にも出没するのか・・・

どういう人かというと、頼みもしないのに手洗い場の水道の蛇口を捻り、チップを要求するのだ。私は用を足すと、手を洗った。当然、チップを要求するトイレ男・・・

というか、まだルピーを手に入れてないのに、チップとかないやろ!

払いようがないので、ノーマネーといって、強引に外に出た。

いきなりの洗礼に、すっかりびびってしまった。。。

荷物を受け取ると、ルピーに両替する。

両替商は2軒並んでいるが、何故か片方だけ長蛇の列だ。というのも、もう一方は、小銭をくすねられたりといったことがあったらしく、信用がないのだ。

無事ルピーを手に入れた。普通、こういうところで手に入れる金はきれいなものだが、換金したての紙幣は何故か薄汚かった。しかもホッチキスの穴だらけだ。こっちの習慣か、紙幣をまとめるのにホッチキスを使うらしい。ホッチキスの穴にはおおらかであるが、一部がちぎれた紙幣にはシビアで絶対に受け取らないという話を聞いた。あまりの感性の違いに混乱する私であった。

ふらふらと空港のロビーに着くと、ガイドが待っていた。クマール氏という人物がこれからの旅行中お世話になるガイドさんだ。流暢な日本語と、誠実そうな顔をしている。何だか既に全てのことが信用できなくなりつつあるが、この人を頼るしかない。不安で一杯だ。

この後、デリーの少し外れにあるホテルに泊まる。真っ暗闇なのでよく分からないが、かなり安そうなホテルだ。

明日の朝、迎えに来るとクマール氏と約束し、部屋に入る。

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壁が薄いのか、隣室のインド人?の騒ぎ声が聞こえる。はよ寝ろよ!

とりあえず、シャワーでも浴びるか・・・

湯が出ない。。。

まさか、こんな真冬に行水することになるとは・・・

この後、トイレに入ったが、紙がなかった。。。

ここはインド流か・・・

・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・

ええい!真剣勝負にそんなもの関係ないわーーーっ!

これからインド流でとおそっと。。。

こうして、夜が更けていった。なお、インド人の声が五月蝿くて、ほとんど寝れなかった。

どうなることやら・・・

2012年7月16日 (月)

国立科学博物館Ⅳ

地下2階は、恐竜以外の絶滅生物のフロアである。

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アンモナイトの化石だ。でかい!

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こら、両生類の化石か・・・

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魚類の化石コーナーだ。

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板皮類のダンクルオステウスだ。かつて、海にこんなやつが泳いでいたのか・・・。

幼少の頃に図鑑で見たフォルムは、未だ忘れることはない。

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三葉虫だ。この三葉虫の化石はかなりでかい。こんなの本当にいたのかなあ。。。

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三葉虫特集なのだ。

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打って変わって、こちらは大型の爬虫類やら哺乳類が展示されている。

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なかなかの迫力だ。

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お!サーベルタイガー!

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こちらは人型である。ホビットといっても、ファンタジーで出てくるやつではない。

ホモ・フローレエンシスという1万2千年前までインドネシアはフローレス島に生きていたという、ヒト属の生物である。身長が1mほどしかないので、ホビットの愛称があるのだ。19世紀にも目撃譚があるそうで、UMAファンを大いに刺激している。

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ほんでもって、こっちは、アウストラロピテクスのルーシーの復元模型だ。これはヒトというより、やはり類人猿ですな。猿の惑星にでてきそう。。。

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単弓類か何かだろうが、立派な背びれ?である。

こうして、地下2階の見学を終えた。地下3階は、物質やモノを測るといったことをテーマにしている。こちらもなかなか面白い。

こうして、かはくの見学を終えた。理系のことが好きな人にはたまらない空間であった。

この後、トーハクでボストン美術館展を堪能し、翌日、新美術館でエルミタージュ展を拝見した。今回は博物館の特別展巡がメインであり、特別展は写真撮影禁止なので、記事は書かない。ただ言えることは、今回の特別展はなかなか当たりであったということである。

2012年7月12日 (木)

国立科学博物館Ⅲ

地下1階は、男の子の憧れ、恐竜コーナーだ。

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でか!Tレックスか・・・?

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トリケラトプスの全身骨格だ。世界的でも2個しか見つかっていないそうで、そのうちの一つだ。非常に貴重なのである。

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奥がステゴサウルスで手前がアンキロサウルスの一種だ。

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こんなでかいのが地上をかっ歩していたのかと、生きていた頃を想像し、テンション上がる。

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上に飾っているのは、色んな恐竜の顔面か・・・。いろいろあるなあ。。。

やはり男子たるもの、恐竜は外せない。漢(おとこ)ならば、ここは是非押さえておきたいスペースだ。

2012年7月11日 (水)

国立科学博物館Ⅱ

2階に上がってきた。

ここは科学技術をテーマにしている。

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科学を体験できる展示物もある。

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ぐるぐる廻る。

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さて、科学技術の進歩を実感しよう。。。

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いかにも昭和の先端科学という感じの装置が現れた。

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出始めのコンピュータだろう。。。こんなでかくとも、演算能力は大したことないんやろうな。。。そういや、王シフトって、当時最先端のコンピュータではじき出した戦術やったような。。。

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ゼロ戦である。かっこいい!

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こちらは江戸時代の医学用の資料、木骨だ。よくできている。

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こちらは銅人である。鍼灸のツボを学ぶためのもので、ツボを上手く突くと、水銀が出る仕組みになっていたそうだ。すげぇ!

科学技術もよく勉強したので、3階に上がってきた。

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そこには、森があった。

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ちょいと高台に上がれる。鳥の気分が味わえる趣向だ。

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森の隣は、大量の哺乳類の剥製群が展示されている。なかなか壮観だ。

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実はこの剥製コレクション、ほとんど個人が集めたものだ。W.T.ヨシモト氏というハワイの日系人が寄贈したものである。よくこんな集めたものだ。これは圧巻であるので、是非見るべきである。

2012年7月 9日 (月)

国立科学博物館Ⅰ

平成24年5月12日。「かはく」でインカ帝国展を、「とうはく」でボストン美術館展を開催中であった。めっさ見たかったので、普通の週末に来てしまった、、、東京に。。。

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「かはく」こと国立科学博物館である。ウィキによると、かはくとは、「自然史に関する科学その他の自然科学及びその応用に関する調査及び研究並びにこれらに関する資料の収集、保管(育成を含む)及び公衆への供覧等を行うことにより、自然科学及び社会教育の振興を図る」ことを目的とした博物館だそうだ。

実際、どんなものを展示しているかは、本文で紹介する。

さて、インカ帝国展であるが、結論を言うと、当たりであった。特にマチュピチュを3DのCGで再現した映像は、酔いそうで吐き気を覚えたが、非常に面白かった。

すっかり悦に至った私は、そのまま、常設展を堪能することにした。地球館と地球館があるが、今回は地球館を紹介する。

1階の展示フロアに入ると、早速階層標本が陳列されていた。

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褐藻類ですな。海藻にはそれなりに思い入れがあるので、載せてみた。

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この辺は海を紹介している。サメがおるげ!

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ケルプの海中林を泳ぐアザラシのジオラマ。

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ここは、亜寒帯の海を再現しているそうだ。

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陸上生物に移り変わってきた(クジラの骨格標本は除く)。

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オランウータンとウンピョウ。ボルネオか?

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こっちはユキヒョウですな。

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んん?何じゃこりゃ?

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ゴキブリとか気色悪い虫たちの標本だった。

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この一角は、虫の標本が多い。

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蝶々ですやん!

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モルフォチョウか?美しいねえ。。。

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これは男子の永遠のあこがれ、カブトムシコーナー?

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すげぇぜぇい!ヘラクレスにアトラスに、うひょ~ヽ(´▽`)/

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こちらは松ぼっくりのコーナーなのだ。

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でっかい骨格標本が現れた。

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やがて、系統広場と呼ばれるコーナーにやってきた。

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ここでは、模型やら標本を展示し、細菌から順に進化をたどることができる。

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鳥さんたち大集結。

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鰻に見えるが、フタユビアンフューマというサンショウウオの一種だ。ちなみに生物中最大のDNA量を誇るらしい。

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シーラカンスとか。。。

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蝶々とか蛾とか。。。

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クワガタやー!私はカブトよりクワガタのほうが好きである。というか、虫嫌いなんやけどね。。。

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コガネムシの仲間たちだ。フンコロガシもおるよ。

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こえは!ミドリシャミセンガイじゃないか!

柳川ではこれをメカジャと称して、食す。味噌汁の具とかにするが、私は好きではない。

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カイロウドウケツである。こいつの中には、ドウケツエビというエビが住んでいるが、小さいうちに入り込み、やがて成長して、外に出れなくなるそうだ。で、雌雄一尾ずつ住んでいるので、彼らは一生を二匹のみでカイロウドウケツ内で過ごすことになる。ということから、カイロウドウケツは結納の際の引き出物にされるそうだ。最も私はそんな場面見たことない。

進化を勉強するコーナーを全く進化と関係ない順に見てしまったところで、

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がおーーーー

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コリャなんじゃ?と思ってみたら、牛の胃から腸だった。めっさ長い。

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キリンの舌、食道、気管だそうだ。これも長い。

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クジラの胃に寄生するアニサキス。キモイ。

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クジラの腸か・・・。ん、何か変?

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げげ!アニサキスがびっしり!!(゚ロ゚屮)屮

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アニちゃんがキモかったので、ツチブタで目の保養をする。うむ、癒された。

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ダイオウイカとアナコンダの骨格標本だ。でかい!

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有明の珍味、ワラスボじゃないか!エイリアンはこれをモデルにしているとしか思えない。

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比較的普通の陸上生物の標本を見たところで1階の見学を終えた。

2012年7月 5日 (木)

九州温泉修行ⅩⅠ(古湯温泉、熊ノ川温泉)

平成24年7月1日。今回の修行地は佐賀県である。

まずは、佐賀県の密かな名湯、古湯温泉である。この温泉の発見者は、何と!あの除福という設定である。その古湯温泉の鶴霊泉(No.36)という旅館にやってきた。

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中に入ると、ちょうど宴会中だったようで、小料理を運ぶ人が忙しそうにしていた。旅館のおっちゃんが来たので、お風呂に入りたいというと、快く了解してくれた。

おっちゃん曰く、88湯めぐりでやってきた人は久しぶりだそうだ。この温泉街の道はほそ~い。しかも奥まったところに旅館があるため、近くまできて諦めて帰るのではあるまいか?

鶴霊泉という名は、除福によって発見された温泉だが、永らく忘れ去られていたのを、鶴が傷を癒していたのを見て再発見したという伝説に由来する。ん?高知にもそんな感じの温泉なかったっけ?

風呂は、階段で下に降りたところにある。

風呂は2種類あって、奥が砂湯で、手前がタイル張りの風呂である。砂湯とは何か?この温泉は岩盤から温泉が染み出している。その岩盤を保護するために、湯船の下に砂が敷き詰められているのだ。早速入ってみよう。。。

ぬるい・・・

相当ぬるい!

いくらたっても温もらない。

と、思ったらさっきのタイル張りのほうが温かい風呂だった。これらを交互に入ることで、効能があるとかないとか・・・

そういえば、説明では砂から温泉が噴出しているということだったが、どう見ても涌いているとこがなかった。周囲をじっくり見て廻ると、配管が伸びており、その先端のほうに小さい穴があった。う~ん、ここから水の流れを感じるぞ・・・?

泉質はアルカリ性単純泉でやさしいお湯だ。ずっと、一人で堪能できたのでよかった。ただ、密かに聞こえるカラオケの声がいまいちだった。

風呂上りに、裏庭らしきところを散策した。

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あれれ?この鯉の池、めっさ水がきれいぞ!?湧き水かな?

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この石碑は・・・

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斉藤茂吉の歌碑である。茂吉さんはこの旅館はしばらくこの旅館で湯治をしていたそうだ。

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その先は川原だった。

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こうして、古湯温泉を堪能した。

続いて、古湯温泉から近い、熊ノ川温泉にやってきた。

こちらの発見者はスーパースター弘法大師様だ。

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今日は、熊ノ川浴場(No.37)という入浴施設にやってきた。

中は3つの湯船がある。ちなみにここの源泉も相当ぬるい。一番低いところは、ちょっとした温水プール並だ。一番小さな湯船が比較的温かい。

この温泉は若干放射能を含むそうだ。ぬるいため、長時間入ることができるが、おじんに囲まれるため、まったくくつろげなかった。雰囲気はまるっきり銭湯である。

こうして、今回の温泉修行を終えた。

2012年7月 4日 (水)

香山昇龍大観音

平成24年6月17日。原鶴温泉の平成ビューホテルで温泉に入った後、妙な看板を見つけた。

看板に誘われてやってきた。

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香山昇龍大観音である。

ビューホテルのある丘の反対側にある。

この観音に参拝するためには、拝観料を払う必要はないが、ろうそくと線香を買うことを薦められる。これを買わないとあきまへんで!という雰囲気である。

ということで、線香とろうそくを買って、立てた。

もう少し、観音様の近くに行こう。。。

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高さ28mのブロンズ仕上げで、昇龍観音としては日本一らしい。。。

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おお!龍が駆け上がっとるがな!

ってか、昇龍観音って何?

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もう一枚!

観音様を建てたのは、林一二三氏という、旧杷木町の町長さんかつ実業家である。何でも、林氏の夢枕に観音様が立ち、「わしが見守るから成功するで!せやから仏像立ててな!」と言ったとか言わないとか・・・。ほんでもってほんまに成功したから、建てたそうだ。

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観音様だけならば見たら終わりだが、そこは参拝者を最後まで飽きさせない。観音様の周りには小さなお堂が立ち並ぶ。これは十二支の守り本尊なのである。

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数々の金ぴか仏像にテンション上がる。

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そして、ボケ封じ観音でテンション極まる。

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この修行僧の像を抱えて、軽ければ今日は安泰、重ければ今日は慎まなければならない。抱えてみたが、軽かった。安泰だ。

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耳地蔵?

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何じゃこりゃ?でっかくなっちゃったがあるで!

耳から筒が伸びているが、これを通じて息を吹き込むと、耳の病が癒えるとな?

吹きかけたので、耳の病はないが大丈夫だろう。。。

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何とも不思議空間を形成しているが、景色はなかなかだった。

2012年7月 3日 (火)

人吉城

平成24年4月22日。温泉修行で人吉に行った際に、ついでに観光した人吉城について書く。

温泉前に城跡見学や!と行きこんで、駐車場に車を停めた。

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おほう!いい感じのお堀デスネ!

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山道なのか、城への道なのかよく分からない道を行く。

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おお!マイマイカブリやん!初めて見たような気がする。

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うん!何もないね。。。

人吉城の歴史は古い。

鎌倉時代に相良氏が人吉荘に地頭として赴任し、この地にあった城を拡張し、人吉城の基礎を築いたそうだ。以来、ずっと相良氏が城主で、紆余曲折あったが、何と明治の廃藩置県で廃城となるまで続いたそうな。。。これは凄いなあ。。。中央政府にとっては、どうでもいい土地だったのか?

現在、建物はなく、基礎と石垣が残る。

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眺めは最高デスネ!

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うん!広っぱですな。

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奥に進んでみよう。。。

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奥に石垣がある他は何もない。

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石垣は立派だが、本当にこんな所に人が居住していたのか、私、気になります!

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この右手の林には、

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二の丸があったそうだ。

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木々で覆われ、全く痕跡がない。

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もう一つ上に上がる。

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一番てっぺんまで来た。

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ここに本丸があったとな。。。

う~ん、全く想像できん!

このあと、下に降りて、温泉に出かけた。

2012年7月 2日 (月)

九州温泉修行Ⅹ(菊鹿温泉、原鶴温泉、筑後川温泉)

平成24年6月16日。今回の温泉修行は鹿児島でも行ってみようかと考えていたが、折りしも、記録的豪雨のため、高速が熊本以南は通行止めになってしまった。仕方ないので、代わりに熊本は菊鹿温泉に行くことにした。

花富亭(No.33)という旅館にやってきた。

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こちらが入浴施設である。

中に入ると、内湯と露天がある。ここは露天だと意気込んででてみた。雨の中の温泉も乙なものである。

内湯と露天の間にはでっかい窓で仕切られている。しかし、まるでガラスが入ってないかのように透き通っているなあ。。。

!?

本当にガラスが入っていなかった。内湯が直接外につながっていた。

泉質はアルカリ性単純泉でちょいと放射能がでているそうだ。柔らかないいお湯であった。

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翌6月17日。今度は福岡である。

原鶴温泉にやってきた。

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平成ビューホテル(No.34)である。ロビーで受付を済ますと、別棟に行くよう指示された。

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こちらの露天風呂である。中に入ると、誰も居なかった。ラッキーである。

小高い丘の上にあるホテルなので、露天からの眺望はなかなかのものである。岩で風呂を拵えており、雰囲気がある。泉質は炭酸水素塩泉だそうで、飲んでみると、えげつない味がした。ゆっくりできたところで、次に向かうことにした。

続いて、うきはにある筑後川温泉にやってきた。その名の通り、筑後川の中洲にある温泉である。

6軒の旅館が小さな温泉街を形成しているが、その中の清乃屋(No.35)にやってきた。

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浴場はかなり小さく、露天もない。源泉掛け流しに相当のこだわりを持っているそうだ。

泉質は単純泉で、非常に柔らかいお湯である。飲用もでき、飲んでみたが、特に飲みにくいことはなかった。お湯の温度は高めなので、あまり長くは入ることはできなかった。

ようやく、35か・・・。88までは長いなあ。。。

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