関東文化的探求の旅Ⅲ(その13:覚園寺)
鎌倉宮の北方、約600mのところに覚園寺という寺がある。ここの見学は、時間が決められている。次の見学時間まで時間がだいぶある。近くの喫茶店で時間を潰した。なかなか落ち着いて、いい喫茶店であった。
喫茶店から出ると、覚園寺に向かう。
それでも結構早くついてしまった。
この愛染堂までは見ることができるが、このお寺はこの裏に広大な敷地が広がっている。その領域が拝観時間で決まっており、お寺のかたの案内でしかいけない仕組みになっているのだ。
拝観受付に声をかけると、時間まで待ってくださいとのことだ。待ちますよ~( ̄▽ ̄)
覚園寺は真言宗泉涌寺派のお寺で、山号を鷲峰山(じゅぶせん)という。北条家から厚く信仰された寺である。
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時間になった。あれ?私だけ?
拝観ツアーの開始は先ほどの愛染堂からである。
お寺の案内人が戸をあけてくれるので、中を見ることができる。その名の通り、愛染明王を祀っているのだ。
ここの見学を終えると、いよいよツアーが先ほど見れなかった領域に移る。
愛染堂の左手にある受付を過ぎると、北に向かって歩いていく。
ここからは撮影禁止エリアなので、言葉だけである。
しばらく歩くと、やたらインパクトのある茅葺の建物が見える。これが本堂である、薬師堂だ。
そもそも覚園寺は、北条義時が薬師堂を建てたのが始まりだそうだ。現在の薬師堂は足利尊氏が建てたものだそうで、堂内の梁の部分に、尊氏の自筆の銘がある。案内人さんが懐中電灯で照らしながら説明してくれた。
薬師堂の中には当然、薬師如来が祀られているが、他にも御馴染みの眷属の十二神将が祀られている。
将軍実朝が鶴岡八幡宮に参拝した夜、義時の夢に戌神(伐折羅大将)が現れて、来年の将軍参拝に同行するなと注意した。びびった義時は薬師堂を建て、守ってもらおうとした。翌年の将軍参拝の日、義時は気分が悪くなって途中退席したそうだ。その後、将軍暗殺が起こったのだ。義時にとっては危機一髪であった。十二神将のおかげと、お礼参りをすると、暗殺があったとき、何故か戌神像が行方不明になっていたそうな。。。
不思議なこともあるもんだ。
覚園寺はその後隆盛を極めるが、江戸時代の大火災で伽藍の大部分をなくし、衰退したそうだ。
薬師堂を見学した後は、六地蔵と黒地蔵の見学があった。黒地蔵は、地獄に落ちた亡者の苦しみが少しでも和らぐようにと、獄卒に代わって、地獄の釜の火加減をしたために、煤けてしまったという伝説がある。
その後、十三仏やぐらの見学を行う。やぐらの奥に十三仏が彫られており、ある種のアメージングゾーンを形成している。これにはとてもテンションが上がった。
最後に千躰地蔵堂を見て、見学コースを見て終わりである。
1時間ほどの見学であるが、案内人の嫌味のない、軽快な関東弁トークで全く時間の経過を感じさせない。人気も少なく、ゆっくりお寺見学ができる。お薦めの寺である。
こうして、見学を終えた。
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