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    1999年3月に国道2号線を使って、神戸から北九州まで旅をした伝説。帰りはフェリーで松山に上陸し、四国を横断して帰ってきた。
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    2005年12月。ホノルルマラソンに出走。人生を変えた旅。
  • 第三位:英国旅行
    飯は不味いが、とにかくお洒落な街と大英博物館、ストーンヘンジ、カンタベリー最高!
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    ベルリン、プラハ、ブタペスト、ウィーン、ヴェネチア、アムステルダムと6カ国の都市を主に列車で巡った。飯が美味かった。
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    2007年2月。とにかくカルチャーショックの連続だった。

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2012年6月

2012年6月29日 (金)

九州温泉修行Ⅸ(黒川温泉、山川温泉、岳の湯温泉、杖立温泉)

平成24年6月9日。九州温泉編第九弾は熊本である。

まずは、全国でも有名な黒川温泉だ。

黒川温泉は2回来たことがある。1度はJIN、ぎーさん、くっぺちゃんと泊まりに来た。もう一度は、まだ神戸在住のときに、旧職場の慰安旅行で立ち寄り湯をした。

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今回、訪れたのは、こうの湯(No.28)である。少し温泉街からは離れた所に立地している。

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宿の受付に行くと、立ち寄り湯は離れとのこと。

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こちらが露天風呂だ。

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お風呂には誰も入っていなかった。ラッキーである。湯船に入ろうとすると、打たせ湯が急に起動した。センサーでスイッチが入るようだ。びびった。。。

湯は少し緑色がかっている。いい感じだ。奥のほうには、やたら深い立ち湯がある。溺れそうになっちまったい!

すっかりほっこりして出た。

黒川温泉からは、もう一軒、山河が登録されているが、今回、何と改修工事中だった。。。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

続いては、山川温泉から、しらはなシンフォニー(No.29)である。どう突っ込んでいいやら分からないが、一応宿である。

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ちょっと入りづらいネーミングだが、風呂は最高だ。今回も一人きりだったので、ゆっくりつかることができた。露天がいくつかあるが、基本的には皆同じだ。というか、男女の別がなかったが、ひょっとして混浴?温泉には、大量の湯の花が舞っており、面白い。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

岳の湯温泉からは、豊礼の湯(No.30)である。

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豊礼の宿という宿泊施設も併設されている。

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宿泊客が温泉蒸気で食材を蒸すための釜もある。

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こちらが風呂である。

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風呂に入った。

前方は山、お湯の色は青白磁のようで美しい。

だが、おっさんがごろごろ煮られていた、芋煮鍋のようだ。

いいお湯なのに、全く落ち着いて入れなかった。

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岳の湯温泉から、もう一軒、わいた温泉ゆけむり茶屋(No.31)にやってきた。

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茶屋の前には謎のオブジェが・・・

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ん?クマモンじゃないよね?

お風呂は露天はない。落ち着いた感じの内湯だ。お湯はやや熱めなので、長くは入れなかった。

今回も人だらけである。ちょうど入るのが一緒になったおっさんがジロジロこっちを見てくる?そんな趣味ないぞ!と不快な気持ちになったが、よく見りゃ、さっきの芋煮鍋で茹っていたおっさんの一人だった。まあ、別に会話することもなかったが・・・

風呂に入っていると、さっきのおっさんが挙動不審だった。

疑問に感じていると、風呂桶からカメラを出した。

え?こんな人いるのに撮るの?しかもご丁寧に防水やし!

不快な気持ちになった。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

最後は、杖立温泉から、米屋別荘(No.32)である。

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こっちの受付で入浴手続きをすると、

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向かいのお風呂にGO!

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殿の湯というお風呂に入るように言われたので、入った。

脱衣場とお風呂が同じフロアに?

これははじめての造りだ。しかもまた一人?

最高ですわ!

お風呂もなかなかいい感じだ。

源泉の温度はめっさ高温である。お湯も飲めるので、飲んでみた。

?ん?うまいぞ!?

今まで温泉は何回も飲んできたが、たいてい不味い。ほんのり塩味で非常に美味かった。

こうして、最後は最高の気分になることができた。

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鶏など飼っている。

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さ、帰ろう・・・

2012年6月28日 (木)

竹田ぶらり(その4:岡城跡)

滝廉太郎といえば、荒城の月である。そのモチーフとなった城が、竹田にある。

岡城である。

ぶらぶら歩いて行けば、すぐだろうと考えていたのが、甘かった。意外と遠く、これならば、車で行ったらよかった。。。

城はその名の通り、丘の上にある。麓の受付で拝観料を払うと、早速見学に行く。

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この先の階段を上がれば、岡城跡だ。

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見事な石垣である。

岡城は緒方惟義という武士が源義経を迎え撃つために築城されたのが初めとされている。その後、建武のころに志賀氏が拡張し、岡城と名づけられたという。志賀氏は豊臣秀吉により城を去ることになり、後に中川秀茂が入城した。明治維新でことごとくぶち壊したため、荒れた城になったのだ。滝廉太郎はこの廃城で子供のころに遊んでいたそうだ。

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大手門である。いよいよ城跡巡りが本格スタートだ。

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ほほお!右が本丸で、左が西の丸か・・・。とりあえず、西の丸やな!

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西の丸である。

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西の丸に上ってみた。桜がきれいだ。

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もう一つ高台があった。

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何もないなあ。。。

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枝垂桜か・・・。

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本丸へ向けて、出発だ。

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この辺が、荒城の月っぽい!

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この階段を上れば、いよいよ本丸だ。

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うん!特に何もないね!一つ建物があるだけか・・・

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神社があった。

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密かに天井絵が描かれていた。ここまでの登城の無事を感謝して、お参りした。

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う~ん、高いねぇ。。。足がすくむ。

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さて、帰りますか・・・

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石垣の角のところだけ、妙にきれいにカットされていた。

こうして、岡城の見学の終了とともに、竹田観光を終えた。この後、車まで帰るのが、何気にしんどかった。

2012年6月27日 (水)

竹田ぶらり(その3:キリシタン洞窟礼拝堂)

竹田を歩く。

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ほほお!このあたりは趣がありますな。

古い町並みを抜け、少し山の方に歩いていくと、

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キリシタン洞窟礼拝堂がある。

下に開いている穴は何かと覗いてみた。

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水溜りだった。湧いているのか?

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隠れキリシタンが密かに祈ったという礼拝堂跡である。

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岩盤をくり貫かれ、中はドーム上になっている。

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中をのぞいてみた。何かはまっていたらしき跡が残っていた。十字架が架かっていたのだろうか?

戦国時代、岡城主の志賀氏はキリシタンだったそうで、住民もキリシタンが多かったそうだ。それが、豊臣時代から江戸時代に弾圧された結果、こんな所で隠れて信仰するしかなかったのだろう。。。

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右手の洞穴には、神父が住んでいたそうだ。

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これが、住居ねぇ。。。

2012年6月26日 (火)

竹田ぶらり(その2:愛染堂)

観音寺の石段をひたすら上る。

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上りきると、右手に愛染堂がある。

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正式には願成院本堂といい、国の重要文化財に指定されている。竹田で最も古い建物だそうで、1635年に二代藩主中川久盛が建立したものだそうだ。

春と秋の特別公開のときには内部を見れるらしいが、今回は普通に閉まっていて、中が見られなかった。

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お堂の脇に何かある。仏足石とな?

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おお!足の裏や!

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こちらは弁天堂・・・

さ、次いこか・・・

2012年6月25日 (月)

竹田ぶらり(その1:観音寺十六羅漢)

平成24年4月14日。温泉巡りの合間に竹田を観光したので、報告する。これは七里田温泉と長湯温泉の間である。

豊後竹田駅前に車を止めると、町歩きに繰り出した。

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竹田は奥豊後にある城下町で、滝廉太郎やら田能村竹田の縁の地で有名だ。

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まずは観音寺にやってきた。

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入り口には地蔵様がおられた。

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この石段を上っていけば、一番上に別の寺院になる愛染堂があるが、それは次回で報告する。石段の右手には、、、

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ご覧のように十六羅漢像がある。

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なかなかいい表情だ。

この十六羅漢、いつ誰が何のために作ったかわからないそうだが、郷土史では19世紀初頭のものではないかと伝えているそうだ。

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さて、石段を上ろう。。。ちなみにこのとき、大層なカメラを持った初老の男性が必死に十六羅漢を撮っていた。

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やがて、石段が三方に分かれる。右手はこの観音寺本堂、前方が愛染堂、そして、左手が円通閣という門がある。

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円通閣である。

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江戸時代中頃の中国風の門である。市の有形文化財になっている。

さて、愛染堂に行くか・・・

2012年6月22日 (金)

関東文化的探求の旅Ⅲ(その20:国立西洋美術館Ⅲ)

1階に降りてきた。

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このフロアは彫刻のスペースだ。

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こっちが絵画である。

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ロセッティの「愛の杯」だ。

なんだか濃い女性だ。背景が何気にいい感じだ。

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モローですな。

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もう一つ、モロー。。。

この人の絵は、昔、兵庫県立美術館のモロー展で腹いっぱい見たことがある。不思議な絵だ。

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ピサロ。収穫していますねえ。。。

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ゴーギャンである。

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こちらもゴーギャンだ。ブサイクな子供だ。

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何だか酔いそうなフロアにきた。抽象画やキュビズムのフロアらしい。

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ミロの「絵画」である。どのへんが絵画か分からないが、なんとなく引き込まれそうになる絵だ。気に入った。

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これぞ!衝撃・・・

サム・フランシスの「ホワイト・ペインティング」だ。

以前、来たときから妙に印象に残っており、ずっと覚えていた作品だ。白を塗りたくるという、挑戦的な作品だ。一見ふざけとるのか!と怒りそうになるが、じっと見ていると、何故か気になるのだ。不思議である。

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このパズルをミスったような絵は、ピカソだ。よく分からん。

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同じキュビズムでもこっちのほうが好みだ。ブラックである。

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こちらでつくもっているのは、マイヨールの「夜」である。ナイス!体操座り!

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あれ!?これ、美術の教科書で見たことあるような・・・

スーティンの「狂女」である。怖っ!

屋内展示をすっかり堪能した後は、屋外展示も見てみよう。。。

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ロダンの「地獄の門」である。あまりにも有名だ。地獄の門のブロンズ鋳造品は現在世界に7つしかないそうで、これはその1つである。上のほうに「考える人」がこびりついている。

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あれ?この人、オルセーで見たぞ?と思って調べたら、やっぱりありました。ブールデルの「弓をひくヘラクレス」である。

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最後はやっぱ「考える人」でしょう!

こうして、国立西洋美術館の見学を終えた。今回の旅はこれにて終了である。

2012年6月21日 (木)

関東文化的探求の旅Ⅲ(その19:国立西洋美術館Ⅱ)

渡り廊下を進み、新館の方に来た。

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手前のでかい絵をしげしげと眺めた。

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不気味な絵だなあと考えていると、

フュースリーの「グイド・ガヴァルカンティの亡霊に出会うテオドーレ」だった。

要するにお化けの絵である。

ボッカチオの「デカメロン」中の話を、ドライデンという人が翻案した詩「デオドーレとホノーリア」の一場面を描いているそうだ。

やたらインパクトのある絵だなあと思ったが、このフュースリーという画家、私が昔から知っているが、まだお目にかかれていない夢魔の絵の作者だった。他にも実に不思議な絵を描く、私好みの画家だ。

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新収蔵作品だそうだ。ドーミエやん!

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クールベだ。

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クールベ・・・

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これもクールベ・・・

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またクールベ

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ルノワール入りました。

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マネですがな。こういうおじさん、普通にいそうだ。

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印象派の元祖、モネ。

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お!この雪景色、なかなか・・・

私はあまりモネが好きではないが、こういうのは割と好みだ。

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こっちはいかにもモネって感じだ。

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新館2階の最後は、御馴染みのモネの「睡蓮」だ。

続いて、階段で1階へ降りるが、次回へ続く。

2012年6月19日 (火)

関東文化的探求の旅Ⅲ(その18:国立西洋美術館Ⅰ)

  平成24年2月26日。最終日である。本日は再び上野に行き、国立西洋美術館でも堪能しようと考えた。

国立西洋美術館は、フランスから返還寄贈された松方コレクションを収納するため、1959年に設立された。松方コレクションとは、川崎造船初代社長松方幸次郎氏が収集した西洋画コレクションである。松方氏は収集したコレクションで美術館を設立しようと考えていたそうだが、川崎造船の経営破綻伴う収蔵品の散逸や第二次世界大戦の敗戦に伴うフランス政府によ差し押さえによって実現しなかった。

フランス政府に差し押さえられたコレクションはサンフランシスコ条約でフランスの国有財産になったが、その後の交渉で返還されることになったのだ。ただし、フランスにしてみりゃ、国有財産を与えるので、寄贈ということになる。ということで、返還寄贈なんてみょうちくりんな言葉がでてきたのだ。

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ということで、国立西洋美術館にやってきた。この建物はル・コルビュジュの設計による。今、フランスを中心に6カ国共同でル・コルビュジュ建築を世界文化遺産に登録しようという動きがある。国立西洋美術館もその中に含まれている。近い将来、世界遺産になるかもしれない。

中に入ると、写真撮影OKなことに気がついた。太っ腹だ。かばんをロッカーに預けると、いざ見学だ。2005年にラ・トゥール展を見て以来、実に7年振りである。

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まずは彫刻群がお出迎えである。

彫刻を眺めながら階段を上り、2階から見学していくことになる。

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金ぴかのイコンがあった。15世紀の作品でキリスト昇天を描いたものだ。

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クラナッハ(父)の作品だ。アダムとイヴとか書いてた印象があるが、独特の絵である。私には合わない。

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レアンドロ・パッサーノの「最後の審判」だそうだ。システィーナ礼拝堂のものと比べると、迫力に欠ける。当たり前か・・・

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ティントレットだ。ヴェネツィアで見たなあ。。。

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これは薄気味悪い。

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ヴァン・ダイクだ。

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ピーテル・ブリューゲル(子)の作品だ。

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こっちはヤン・ブリューゲル(父)の作品だ。

父やら子やらついているが、この二人、兄弟である。父親は私が好きなピーテル・ブリューゲル(父)なのだ。ブリューゲル一族は画家一族であり、親子で同じ名前をつけたりするので、こんなややこしいことになっているのだ。

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これらのこゆ~い絵はルーベンスだ。肉肉しいなあ。。。

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ドルチの悲しみの聖母だ。ラピスラズリをふんだんに使った贅沢な絵として、非常に有名だ。

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目が逝っているが、ダヴィデがゴリアテの首を切ったところらしい。グエルチーノという画家はあまり知らないが、この絵はどっかで見たことあるなあ。。。

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テニールス(子)の聖アントニウスの誘惑だ。聖アントニウスの周りを変な生き物が取り巻き、美女が誘惑している構図だ。面白い。

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エル・グレコ来ました!凄いとしかいいようがない。日本でエル・グレコを見れるところがどんなけあるだろうか・・・

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ラ・トゥールですやん!ラ・トゥールは暗いところに光で照らし出す絵を得意とし、夜の画家とも言われている。この「聖トマス」は背景も明るく、珍しい。一般的なラ・トゥールの絵は夜の絵といわれているが、こういうものは昼の絵といわれるらしい。

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マリー=ガブリエル・カペの自画像だ。これが本当ならばかなり別嬪さんだが本当かなあ。。。

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まだまだ展示は続く。それにしても、洒落にならんくらい、有名な人たちの絵が普通に展示されている。これは凄い!

次回へ続く。

2012年6月17日 (日)

関東文化的探求の旅Ⅲ(その17:宝戒寺)

  二階堂を延々と歩き、もうすぐ鶴岡八幡宮というときに、鎌倉大聖天の看板を見つけた。

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宝戒寺という天台宗のお寺である。私はそのまま引き寄せられるようにINした。

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境内はあまり大きくはない。本堂に行ってみたが、肝心の聖天が見られなかった。この仏像、秘仏であった。だったら、そこまで宣伝するなよ・・・

宝戒寺は、北条義時依頼、代々執権北条家の屋敷であったところに建てられたお寺である。北条家は新田義貞に滅ぼされるが、最後の執権高時の霊を慰めるために後醍醐天皇が建てたそうだ。

歴史有る寺であるが、聖天が見られないので、テンションが下がった。

聖天といえば、象さんが二頭でちょめちょめしているはずだ。残念・・・

宝戒寺の見学はそこそこに、この後、鎌倉国宝館に行った。意外と国宝が少なかったのは気のせいか・・・

鎌倉国宝館の見学を終えた私は、電車で横浜へ。これにて鎌倉は終了である。この後の文章は蛇足である。

私は中華街で麻婆豆腐を堪能したあと、しばし横浜をぶらついて、東京へ戻った。

東京では蒲田で途中下車し、前々から行ってみたかった、東京の温泉、黒湯を堪能することにした。

蒲田駅前から、怪しげな通りを進み、ゆ~シティ蒲田という銭湯にやってきた。この施設、地域住民のレクリエーションの場もかねているのか、入ると、カラオケで盛り上がる声が聞こえた。さて、風呂であるが、確かに黒い。珈琲に浸かっているような気分になる。面白いが、ジモティーたちが集う場なので、アウェー感が漂い、落ち着かなかった。

こうして、二日目を終えた。

2012年6月15日 (金)

関東文化的探求の旅Ⅲ(その16:源頼朝公の墓)

荏柄天神社の近くに白幡神社という神社がある。

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その傍らに石段が延びている。

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この石段を上れば、源頼朝公の墓がある。

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ほほう!これが頼朝公の墓かあ・・・

!?

何か違和感を感じる。。。

この妙な違和感に回答をくれたのが、しばらくしてやってきた集団であった。その中のガイド的な人が、先日、不審者が破壊したと言った。

そうか!先端がないんや!

何ちゅーことすんねん!怒りが巻き起こった。

さて、この石塔は江戸時代に島津が建てたものだそうだ。

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石塔の右奥に何やら道が続いていたので、行ってみた。

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おお!険しい!

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山道をしばし歩くと、前方が開けた。

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やぐらがあった。

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大江広元の墓だそうな。。。この奥は島津だそうだ。。。

この後、もと来た道を帰ったが、靴がすっかり泥だらけになった。

2012年6月14日 (木)

関東文化的探求の旅Ⅲ(その15:荏柄天神社)

雨もすっかり上がった。瑞泉寺をでた私はノリノリで二階堂を歩いていた。

・・・すぼっ!ごりっ!?

側溝の蓋が微妙に開いていた私はその隙間にはまった。しかも同時に踵を側溝の蓋で・・・

後で踵を見ると、肉的なものがえぐれていた。。。

気を取り直して、、、

荏柄天神社にやってきた。

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踵が痛むが、気のせいと言い聞かせ、階段を上った。

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朱色でコーティングされ、なかなかきれいにしている。

荏柄天神社の祭神は、当然、菅原道真である。日本三大天神を称しているが、日本三大天神をウィキペディアで調べると、その名がなかった。

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鎌倉幕府成立前からあるらしいが、源頼朝は幕府の鬼門を守るため、社殿を建てたそうだ。豊臣秀吉も徳川家康に社殿を建てさせたらしい。

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特にドラマティックなことはなかったが、梅?がきれいだった。

2012年6月13日 (水)

関東文化的探求の旅Ⅲ(その14:瑞泉寺)

鎌倉宮の南側に東へ向かう道がある。これをてくてくと歩いていくと、瑞泉寺がある。

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急に門が現れたが、瑞泉寺はもう少し先だ。

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受付で料金を払う。

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途中で夢窓国師古道場と書いた石碑があった。

そう!このお寺は夢窓疎石縁の寺である。

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受付を通過してから、しばらく歩いたが以前山道で、お堂が見えない。

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この階段は封鎖されている。崩落しそうだ。

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延々と歩いて、やっと見えてきた。

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門をくぐる。

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雑然とした庭が現れた。

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本堂である。

瑞泉寺は山号を錦屏山(きんぺいざん)といい、臨済宗円覚寺派のお寺である。本尊は釈迦如来だそうだ。

夢窓疎石を開山として、二階堂道蘊が建立した寺院である。鎌倉五山の下の十刹の筆頭として一時期は隆盛したそうだが、永享の乱で衰退したようだ。

夢窓疎石といえば、庭造りの名人!

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ふむ!よく分からん!時期が悪かったのか?

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結局、よく分からんまま見学を終えた。

後で知ったが、夢窓疎石が作庭した石庭が本堂の裏にあったそうな。。。見逃してしまった・・・(´・ω・`)ショボーン

2012年6月11日 (月)

関東文化的探求の旅Ⅲ(その13:覚園寺)

鎌倉宮の北方、約600mのところに覚園寺という寺がある。ここの見学は、時間が決められている。次の見学時間まで時間がだいぶある。近くの喫茶店で時間を潰した。なかなか落ち着いて、いい喫茶店であった。

喫茶店から出ると、覚園寺に向かう。

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それでも結構早くついてしまった。

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この愛染堂までは見ることができるが、このお寺はこの裏に広大な敷地が広がっている。その領域が拝観時間で決まっており、お寺のかたの案内でしかいけない仕組みになっているのだ。

拝観受付に声をかけると、時間まで待ってくださいとのことだ。待ちますよ~( ̄▽ ̄)

覚園寺は真言宗泉涌寺派のお寺で、山号を鷲峰山(じゅぶせん)という。北条家から厚く信仰された寺である。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

時間になった。あれ?私だけ?

拝観ツアーの開始は先ほどの愛染堂からである。

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お寺の案内人が戸をあけてくれるので、中を見ることができる。その名の通り、愛染明王を祀っているのだ。

ここの見学を終えると、いよいよツアーが先ほど見れなかった領域に移る。

愛染堂の左手にある受付を過ぎると、北に向かって歩いていく。

ここからは撮影禁止エリアなので、言葉だけである。

しばらく歩くと、やたらインパクトのある茅葺の建物が見える。これが本堂である、薬師堂だ。

そもそも覚園寺は、北条義時が薬師堂を建てたのが始まりだそうだ。現在の薬師堂は足利尊氏が建てたものだそうで、堂内の梁の部分に、尊氏の自筆の銘がある。案内人さんが懐中電灯で照らしながら説明してくれた。

薬師堂の中には当然、薬師如来が祀られているが、他にも御馴染みの眷属の十二神将が祀られている。

将軍実朝が鶴岡八幡宮に参拝した夜、義時の夢に戌神(伐折羅大将)が現れて、来年の将軍参拝に同行するなと注意した。びびった義時は薬師堂を建て、守ってもらおうとした。翌年の将軍参拝の日、義時は気分が悪くなって途中退席したそうだ。その後、将軍暗殺が起こったのだ。義時にとっては危機一髪であった。十二神将のおかげと、お礼参りをすると、暗殺があったとき、何故か戌神像が行方不明になっていたそうな。。。

不思議なこともあるもんだ。

覚園寺はその後隆盛を極めるが、江戸時代の大火災で伽藍の大部分をなくし、衰退したそうだ。

薬師堂を見学した後は、六地蔵と黒地蔵の見学があった。黒地蔵は、地獄に落ちた亡者の苦しみが少しでも和らぐようにと、獄卒に代わって、地獄の釜の火加減をしたために、煤けてしまったという伝説がある。

その後、十三仏やぐらの見学を行う。やぐらの奥に十三仏が彫られており、ある種のアメージングゾーンを形成している。これにはとてもテンションが上がった。

最後に千躰地蔵堂を見て、見学コースを見て終わりである。

1時間ほどの見学であるが、案内人の嫌味のない、軽快な関東弁トークで全く時間の経過を感じさせない。人気も少なく、ゆっくりお寺見学ができる。お薦めの寺である。

こうして、見学を終えた。

2012年6月 9日 (土)

関東文化的探求の旅Ⅲ(その12:鎌倉宮)

鎌倉宮にやってきた。

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鎌倉宮は、後醍醐天皇の皇子、護良親王を祭神とする神社である。建武中興十五社の一つだ。

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護良親王は、建武中興達成後、足利と対立したため、この地に幽閉された後、殺害された。護良親王を祭るために神社を建てたのは、明治天皇だ。建武中興で活躍した人たちは永らく、不遇であったが、明治維新で名誉を回復した。建武中興十五社は名誉回復のため、明治時代に建てられたものだ。

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この神社は有料エリアを見ないと面白くない。

土牢というのが、護良親王が幽閉されていたと伝えられる洞穴である。

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右手に本殿が見えた。

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本殿の裏側に土牢がある。

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こんな所にプリンスが閉じ込められていたのか・・・?

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う~ん、奥は深いぞ!下に広がっている模様だ。

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土牢を見学し、本殿の右手にきた。

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ここに親王の首を置いたそうだ。

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いよいよ有料エリアも終わりというところに、宝物館があった。

・・・と言っても、品々が縁側に置かれているような感じだった。

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有料エリアを抜け、次に行こうかとしたとき、かわらけ投げを見つけた。

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こいつを・・・

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この石に投げつけて割るのか・・・

ストレス発散に良さそうだが、今回は挑戦しなかった。

さて、次行こうっと!

2012年6月 8日 (金)

関東文化的探求の旅Ⅲ(その11:杉本寺)

杉本寺にやってきた。

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杉本寺は天台宗のお寺で、山号は大蔵山である。

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やたら十一面観音ののぼりが立っている。

本尊はその通り、十一面観音である。

行基が十一面観音を安置したのが縁起という、大変歴史の有る寺である。本尊の十一面観音は行基作と言われる観音のほか、円仁作、源心作と三体がある。他にも運慶作のものなどいくつかあるのだ。

本尊の三体の観音様であるが、かつて火事があったとき、庭の大杉の下に自ら非難したそうだ。このため、杉の本の観音と呼ばれたと「吾妻鏡」に書いてあるそうだ。三体並んで、歩いて非難する観音さま、、、シュールだ。

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仁王門があった。

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うむ、力強い。

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仁王門を抜けると、有名な苔の階段がある。

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あれ?通せんぼ?

てっきりこの階段上れるのかと・・・

脇の新しそうな階段を行かなければならないらしい。。。

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カメラを突き出して、撮影してみた。階段を歩いているように見えないかなあ・・・?

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諦めて、傍らの階段を行く。

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上ると、本道がある。

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中は生憎の撮影禁止である。本尊も秘仏なので見れない。残念だが仕方ない。ただ、もの凄く雰囲気のある寺であった。

2012年6月 7日 (木)

関東文化的探求の旅Ⅲ(その10:報国寺)

報国寺にやってきた。

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臨済宗建長寺派のお寺で、山号は功臣山という。

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なかなか面白いものが置いてあるな。

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本堂が見えてきた。

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左手には苔むした鐘楼。

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右手には迦葉堂という名の座禅場。

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本堂にお参りする。本尊は釈迦如来だ。

ここまでだと、さして面白いというわけではない寺だ。

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本堂の左手に竹の庭への入り口がある。そう!このお寺は、この竹の庭がいいのだ。

受付で拝観料を払う。庭の拝観のみと抹茶付きがある。ここは抹茶付きだ。

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いよいよ・・・

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ええがな!

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竹の庭の奥に建物がある。ここで抹茶を飲めるのだ。

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ほなもらいまひょ!

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前方は一面、青々した竹である。

雨がしとしと降っているが、それもなかなか乙なもので、竹が濡れて微妙に光沢があり、美しい。最高にちょうどいい!

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左手に岩が見えた。天岸の岩とかいうらしい。

しばし休憩し、すっかり元気になったところで再び散策する。

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あの穴っぽこは?

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墓が見えるぞ!

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これはやぐらというやつだ。鎌倉は平地が少ない。よって、墓地を岩肌をくりぬいた洞窟にしたのだ。ここは足利一族の墓地だそうだ。

こうして、報国寺の散策を終えた。なかなか面白い寺であった。

2012年6月 5日 (火)

関東文化的探求の旅Ⅲ(その9:浄妙寺)

光触寺から金沢街道を歩き、明王院に行こうとしていたが、すんなり見逃してしまった。

面倒くさいので、そのまま鎌倉五山の第五位、浄妙寺にやってきた。

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山号は稲荷山という。もともと密教系であったが、蘭渓道隆の弟子月峯了然が禅寺に改めたそうだ。

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かつては広大な敷地を所有し、塔頭も多かったが、火災などにより規模が著しく縮小した。

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足利貞氏の墓である。誰やねん!?っと思ったが、調べると、足利尊氏の父であった。

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希望者はここの茶室から、庭を眺めながら茶が飲める。

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こんな庭だ。風流である。でも抹茶は飲まなかった。

2012年6月 1日 (金)

関東文化的探求の旅Ⅲ(その8:光触寺)

平成24年2月25日。ちょいと鎌倉に行ってみた。

今までメジャーどころは比較的押さえたので、今回は金沢街道、二階堂エリアに行ってみることにした。鎌倉駅前からバスに乗り込む。バスはやがて坂道を上がりだした。そして、十二所で降りた。

まずは光触寺に行ってみることに・・・

・・・あれ?迷った。

しかも、雨はざあーざあー降ってて、寒いし・・・

しばらくうろたえていると、ご夫人が通りかかり、親切にも道を教えていただいた。

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仕切りなおしで、光触寺である。時宗のお寺だ。

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1279年創建と大変歴史有るお寺だそうだ。

こちらの本尊は頬焼阿弥陀と呼ばれる、運慶作の仏様だそうだ。盗みの嫌疑をかけられた坊さんが焼印を頬に押されたが、この本尊が身代わりになったという伝説がある。

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こちらが本堂のようだ。。。

ん?これだけ?頬焼阿弥陀は?

よくよく調べれば、本堂の見学は事前予約が必要だった。。。

残念である。

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塩嘗地蔵?

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塩売りが塩を毎朝供えると、帰りには必ず塩が無くなっていたという・・・

故に塩嘗地蔵だそうだ。

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これ以上おっても、しゃーなしだ。次行こうっと・・・

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