沖縄で感じたこと(その1:識名園)
平成24年2月15~16日。沖縄にちょいと行ってきた。今回は、前回行けなかった世界遺産と戦争関連の施設を見学することにした。それでは始まりである。
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2月15日。昼過ぎに沖縄に着くと、国際通り近くのホテルに荷物を置いて、早速街に繰り出した。まずは識名園に行くことにする。識名園にはバスで行く。国際通りの入り口近くのバス停からトコトコやってきた。
ここが入り口である。
識名園は、世界遺産である。第二尚氏時代に作られた庭園であるが、その中の建物はほとんど沖縄戦で破壊されてしまった。その後、復元されたものである。
早速、散策しよう。。。
まず左手に見えてきたのは、番台という建物である。
そして、右手に通用門が現れた。
いかにも亜熱帯という雰囲気の木々が生えている。
こちらが、正門らしい。門の外は住宅地で、内側は亜熱帯の林と不思議な空間になっている。
順路を進むと、視界が開けてきた。
でっかい池が見えてきた。
こちらは育徳泉という。池の水源の一つだ。特筆すべきは、ここに生える淡水性の紅藻、シマチスジノリが特別天然記念物ということだ。
シマチスジノリはよく分からなかったが、カダヤシが泳いでいた。
なんか凄い橋やなあ。。。
御殿(うどぅん)という中心的な建物が見えてきた。
靴を脱いで上がれる。
これは園内で拾われた沖縄戦で使われた砲弾の破片と思われる物体だ。言葉が出ない。
御殿から庭園全体を眺める。なかなかのものだ。
かつて中国からの冊封使を迎えた一番座だ。
お台所だ。
中庭ですな。京都なんかで見るのとは、えらく印象が違う。
再び庭の散策をする。
さっき見たごつごつした橋を渡る。
六角堂が見えた。
中国っぽさがある。
高台から庭を望む。
滝口?
これかっ!?池の水が樋から落ちているだけだ。
池を離れ、再び林の方へ進む。
沖縄戦で掘られた壕があるそうだ。
確かに穴があった。
勧耕台碑なるものがあった。19世紀に冊封使が尚育王を讃えたものである。もともとの碑は戦争で破壊されたため、1980年の復元である。
勧耕台という展望所である。
那覇の街が一望できた。
こうして、識名園の散策を終えたが、所々戦争の傷跡が見えて、多少ショックであった。