湊川神社
私にとって、とっても馴染みのある神社を紹介していなかった。神戸では大変人気のある神社で、通称楠公さんという。
そう、湊川神社である。神戸の街をぶらつく前に、湊川神社を訪問してみた。平成23年8月18日のことである。
三宮からモトコーを突破し、遥遥神戸まで歩いてきた。高速神戸駅のすぐ真上に当たるところに、湊川神社がある。この門の左手には地下への入り口があり、新開地までメトロ神戸というディープゾーンが続いている。当然、久しぶりに歩いてみたが、老若男女が卓球で汗を流す不思議な通路だった。
そんなことより神社である。
湊川神社は神戸では大変尊敬されている神社である。実はこの写真を撮る前に、歩いてき男性が門の前で立ち止まり、お辞儀をしていった。神社の前を通過するだけでである。そんな楠公さんとは誰か?
楠正成である。
建武の中興で活躍した武将である。最後は、この湊川の地で足利尊氏に敗れ、自刃している。
永らく忘れられていたが、再び脚光を浴びたのは、水戸光圀の水戸学以降である。特に、幕末には勤皇の志士の理想像とされ、維新の原動力になったのだ。
明治には、建武中興十五社の一つとして、湊川神社が創建された。ちなみに、旧社格は、別格官幣社である。
門をくぐり、社殿まで歩く。
社殿は戦争で焼失したので、戦後生まれの鉄筋コンクリート造りだ。
天井絵がなかなかである。
全国著名画家の奉納らしく、中には棟方志功の作品もあるそうだ。
社殿でのお参りを済まし、門まで歩いている、左手に鳥居が並んでいるのが見えた。
お稲荷さんだった。楠本稲荷神社という。
中はなかなかテンションの上がる構造をしていた。
表門をくぐる手前、左手に通路が延びている。
奥に進むと、爺さんがいた。
水戸光圀公である。黄門さまもこの地を訪れた?
光圀公の左手に、楠公さんの墓がある。
墓碑には、「嗚呼忠臣楠子之墓」とある。この時は、光圀公が書いた文字を彫ったものらしい。。。
子供の頃から、何度も来た神社であるが、こうして、歴史の勉強をしてきて、あらためて参拝にきてみると、知らなかったことやら何やらでてきて、かなり面白かった。
ちなみに、神戸の三社詣でといえば、ここと生田神社、長田神社である。まだ、神戸に住んでいた頃、親友の古着屋と初詣で三社を制覇したのは、懐かしい思い出だ。
こうして、湊川神社の参拝を終え、三宮までぶらついた。
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