熊本県北部における微妙な散策について(その3:鞠智城)
今回の散策の最後を飾るのは、熊本県菊池市から山鹿市にかけた山中にある、歴史公園鞠智城という城跡である。
鞠智城とは、古代の朝鮮式山城の一つである。何で、こんなものを造ったかというと、7世紀後半、白村江で唐・新羅連合軍に大和朝廷軍が大敗北を喫したためである。これにより唐が攻めてくるとビビッた朝廷が大野城などと同じく建設したのだ。大野城なんかは、前線基地という気がするが、鞠智城は何故こんなとこに造ったのかというくらい辺鄙な所である。こんなとこ誰も攻めへんやろ?
駐車場からは、当時を復元した建物が見える。少し期待できそうだ。
なんか変なオブジェがあった。
早速メインである。
八角形の鼓楼だそうだ。時を知らせるために鼓を鳴らしたり、物見やぐらとして機能したと推察されているが、はっきりとは分かっていないそうな。。。
中は柱だらけだった。。。こんなんではくつろげないなあ。。。
こちらは米倉である。しっかりねずみ返しがついている。
まだ復元されていない建物跡も多い。
これは兵舎である。中を覗いたが、寝心地は悪そうだった。
板倉という建物で、まあ、武器庫といったところか・・・
こんな感じで山の中の開けた土地に、城跡が点在しているが、門や城壁がないので、およそ城っぽくはない。
最後に、近くに建っている温故創生館を見学した。見学しようとすると、施設のおっちゃんが説明してくれることになった。大変勉強になった。
何でも鞠智城の読みは今では「きくちじょう」となっているが、昔は「くくちじょう」だったそうだ。で、何でこんな山中に造ったかというと、前線の大野城なんかに物資を送る支援基地として考えていたそうだ。
その他、発掘されたものなどを展示していたが、肝心な重要発掘物は、既に博物館送りになったいた。そらそうよ!
なにはともあれ、これで、今回の散策を終えた。一番最後がまだまともなほうだったんじゃ・・・。この後、平山温泉にて、癒されたことを付け加えておく。。。
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