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2011年10月

2011年10月31日 (月)

竹生島紀行(その1:竹生島Ⅰ)

平成23年8月16日。

時は来た、それだけだ!

今回訪問する竹生島は、かねてよりJIN氏と訪問を企画していたにも関わらず、実現しなかったところである。1回目はJIN氏の急な仕事、2回目はJIN氏インフルエンザで倒れる。。。3回目でいよいよ・・・。旅の同行人は当然、JIN氏である。

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というわけで、滋賀県は彦根にやってきた。ひこにゃんで有名な彦根である。駅前には武士の銅像があったが、その足元には彦根城が聳え立っていた。

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武将は誰かと思えば、徳川四天王の一人、井伊直政であった。

駅前からバスに乗り、彦根港までやってきた。

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ここから渡船に乗船する。

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チケットを購入すると、後は乗るだけだ。

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お江で町興しか・・・。

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おちゃちゃちゃんで記念撮影した後、いよいよ乗船する。

やがて、出港した。

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岸がどんどん離れていくよ。。。

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そして、、、

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見えた~~~~~

竹生島にある、宝厳寺や都久夫須麻神社の建築物が微妙に見えて、テンションが上がる。んん?木の上に白いが見えるなあ。。。

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あっ!鳥である。これはおそらくアオサギだろう。。。

ちなみにここ竹生島では、近年、カワウが大量に住み着き、糞害で困ったことになっている。

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そんなこんなで、上陸した。

実をいうと私は、大学時代、琵琶湖で調査を行っていたのだが、そのフィールドがこの島の周辺だったのである。調査船からは何回も島を見ていたが、実際に上陸するのは、これが初めてだ。

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ええがな!

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寺社に参る前には、お土産通りを抜けなければならない。

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拝観料を払うと、いざ参拝だ。

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次回より、いよいよ見学である。

2011年10月26日 (水)

岡山大探訪(その8:備中国分寺)

国分寺といえば、かの有名な聖武天皇が鎮護国家を目的に全国に建てまくった寺である。今回、紹介する備中国分寺は、その官寺の成れの果てである。現在では、真言宗御室派ということだ。そう仁和寺グループである。

駐車場に車を停めると、備中国分寺の名物とも言える五重塔を目指し、歩く。

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山門である。

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中に入った。

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こちらが本堂である。

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こちらが大師堂。

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う~ん、よく見えないなあ。。。

この備中国分寺、実は南北朝時代に焼失している。一時は廃寺になるも、江戸時代に再興された。ちなみに山号は日照山という。

創建当時の様子はほとんど分かっていないらしい。

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礎石があった。かつて建物があったのだろう。。。

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鐘楼か・・・

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こっちにも礎石があった。

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表書院が観光案内所になっている。

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こっちは庫裡だ。

さて、ここまで国分寺を紹介してきたが、はっきり言って、このままじゃ、特に見るべきものがないような気がする。ここが観光名所になっている理由は、、、

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五重塔である。

南北朝時代に燃えたので、江戸時代後期の再建だが、なかなか立派な塔である。なんでも岡山県唯一の五重塔だそうだ。周りが田園風景な分、かなり遠くからでも目につく。なかなか味がある。国の重要文化財に指定されている。

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真下から見上げる。なかなかの迫力だ。

満足したところで、国分寺を後にした。これにて岡山の探訪を終了した。

こうして、神戸に帰省を果たすことになるが、途中の道の駅で岡山名産の白桃を手土産にしたことを付け加えておく。あれは美味かった。。。

おしまい。

2011年10月25日 (火)

岡山大探訪(その7:鬼の差し上げ岩)

前回、すっかり伏線を貼ってしまった目的地に向かう。目的は鬼の差し上げ岩という、巨石である。そのあまりにインパクトのあるシルエットを写真で見たときに、絶対見に行こうと誓ったので、ぶっちゃけ鬼ノ城は次いでなのである。

鬼ノ城から岩屋と呼ばれる地区までは、比較的距離は近いのだが、大丈夫か?と不安になるような山道をドライブしなければならない。

細い小道を行くと、やがて視界が開ける。駐車場である。車を停めると、散策開始である。

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小屋の前にパンフレットが置いてあったので、失敬した。

左の道が散策路である。

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やがて山道に・・・

今日は本当に登山やな。。。

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岩屋寺と書いてある方へ進む。

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鬼の差し上げ岩の標識もでてきた。

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右へ進むと岩屋寺、左が鬼の差し上げ岩である。とりあえず岩屋寺に行ってみた。

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非常に上りにくい階段を上る。ここまでの道のりは、蜘蛛の巣につっこんだり、散々であった。さっきから全く人に会わないが、本当に訪れる人はいるのか?

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これが岩屋寺?なんとも寂れた感じである。住職はまずいないだろうが、寺として機能しているのだろうか?

さっきの二股のところまで戻ろうとするが、鬼の差し上げ岩への道へショートカットできそうだったので、獣道を行った。

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成功!

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石段を上ると、お堂があった。岩屋寺のお堂なのか?

お堂から右へ向くと、前方にいよいよ・・・

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キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!

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鬼の差し上げ岩である。高さ15mもあるそうだ。かつて温羅が指で差し上げて作ったという伝説がある。恐るべし!温羅・・・

岩の下にある祠は、

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不動明王を彫った岩肌を守っていた。

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うーん、テンション上がるわあ

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これ、どうなっとん?

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差し上げ岩から奥に進む。

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別の巨石があった。

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鬼の餅つき岩?

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もっと色々巨石があるはずだが、よく分からなかったことと距離が離れていることもあり、諦めて戻ってきた。

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差し上げ岩を別角度から見る。

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見るだけでとにかく圧倒される。人がいなくて少々不安になるが、必見やな。。。

こうして、山を下りた。

2011年10月24日 (月)

岡山大探訪(その6:鬼ノ城)

吉備の山中に実に不思議な城跡がある。鬼ノ城という。何とも恐ろしげな名前であるが、白村江の敗戦の後に大和朝廷が建てた山城の一つであろうとされている。

そういや大和朝廷の古代山城といえば、この間行ってきたばかりだ。

まあ、山道をぼちぼち上がると、駐車場があった。車を止めてしばし散策する。全部行くと、とても時間がかかるので、今回はメイン?だけの見学である。

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今日は山道ばかりで実に過酷な旅路だ。

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右手の木道は展望所につながっているらしい。

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展望所に着いた。向こうの崖に見えるのが、西門である。鬼ノ城が紹介されるときは、たいてい、この門である。

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木道を戻り、順路を行く。

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角楼である。背後からの攻撃に備える張り出し部分のことだそうだ。何でも古代山城でこれがあるのは珍しいそうな。。。

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先ほど遠くから見えていた西門が近付いてきた。

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門を抜けると、一面大パノラマ!

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西門を間近から見上げる。なかなか迫力があるし、下が土なので、なんとなく中東っぽい感じがする。

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まさに遺跡って感じですなあ。。。

なお、鬼ノ城にはこんな伝説がある。

昔々、百済の王子を称する温羅という鬼がおったそうな。。。この鬼は山に城を築き、たびたび里に降りては、悪さをしておったそうな。。。そこで、崇神天皇は吉備津彦命を派遣して退治したそうな。めでたし、めでたし。。。

つまり、伝説的にはこの鬼ノ城は、文字通り鬼が造った城なのである。おそらく、伝説の裏は、この地の有力者を大和朝廷が征服したってな感じなんでしょうなあ。。。

ともかく、ロマンを感じる城跡であった。

この鬼ノ城を西門だけでやめたのには、理由がある。それは次回で報告することとする。

2011年10月23日 (日)

岡山大探訪(その5:最上稲荷)

次の目的地に向かう途中、最上稲荷と書かれた標識が目に入った。行きましょう・・・

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途中にでっかい鳥居が・・・。これは期待できそうか?

ちなみに、最上稲荷に行くことにしたが、まったく予備知識ゼロである。なんか聞いたことあるな、程度である。

駐車場に車を止めると、歩き出した。

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参道口である。歓迎してくれているが、人気がない。

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む?

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あれ?

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開いている店が数軒しかない。これはシャッター商店街なのか、盆なので休んでるのか?

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参道商店街を抜けると、すっかり怪しい光景が目に飛び込んだ。仁王門だそうだ。昭和25年に焼失したそうで、再建である。今後、パネルにもあるが、金ぴかの仁王さんを作るそうだ。

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仁王門を抜けるかと見せかけて、

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順路は、仁王門の左側から抜ける。

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石段を上がると、でっかい建物が見えた。

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本殿である。立派な注連縄がかけられている。

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う~ん、なんか不思議な・・・

神社?寺?

その答えは、寺である。

最上稲荷山妙教寺という、日蓮宗のお寺なのである。といいながら、鳥居はあるわ、注連縄はあるわ、本堂は神社っぽいわと不思議空間を形成している。これは神仏習合の名残なのである。廃仏毀釈以前は、結構オーソドックスな光景だったのかもしれんですなあ。。。

ちなみに、日本三大稲荷の一つらしいが、これはこの岡山周辺でしか通用しないらしい。伏見と豊川はほぼ三大にあげられるが、三つは祐徳だったり、いろいろらしい。

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まだ奥があるらしい。。。

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本殿の裏には謎の彫刻があった。

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縁の末社とある。ほな参拝せなあかんな。。。なんとか良縁を!

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こっちは離別天王。縁切りで、

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こっちが縁引天王。こっちに念入りにお参りやな。。。

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この奥に旧本堂があるとな。。。

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ふと左手に上がる石段が眼に入った。瀧やらがあるらしい。すぐそこみたいやし、上がってみるかと軽い気持ちで考えたのが、失敗であった。まさか、あんなことになるなんて・・・

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おいおい完全に山道やな。

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瀧やー!ここまでは比較的近かった。

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まだちょっと奥があるみたい。。。

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八畳岩に奥の院か。。。見にいかな。

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一向に着く気配がない。

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ん?これは、なかなか、凄い光景ですぞ!

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ファルコン?金色の?あれはファルコか!?

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奥之院はこの上か・・・

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おお!天然の岩肌に仏様とお題目が彫られている。これを見れたということで、ここまで来たかいがあったかな?それにしても今日は暑い。ペットボトルのお茶も既になくなった。死にそう・・・

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でも、もうちょっと頑張るもんね!

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左が八畳岩で右が奥之院。

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これが八畳岩か!?かなり迫力があるなあ。。。

この岩に本尊の最上位経王大菩薩が白狐に乗って降臨したらしい。

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隙間に何かありそうだが、見えないなあ。。。

この後、先ほどの分かれ道に戻り、奥の院までの距離を知り、絶望した。これを行くと、本当に逝ってしまう。。。熱中症で。。。

しぶしぶ断念した。

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旧本殿である。18世紀の建物だそうだ。

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周りには、お稲荷さんらしく、小さな稲荷社がたくさん並んでいた。

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さあ、戻ろう。。。

朦朧としながら、本殿の前までやってきた。自動販売機を発見し、アクエリを買う。

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完全にグロッキーである。恐るべし!最上稲荷。。。

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帰りは仁王門から・・・

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帰る前に、、、

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こちらのお寺らしい建物が、根本大堂である。これがなければ、お寺ということを忘れるところであった。。。

アクエリ一本では到底水分不足は補えず、帰り際にお茶と

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ホットケーキミルクセーキなるものを買った。味は実に個性的であった。

やれやれ・・・。これで最上稲荷は終了である。

2011年10月18日 (火)

岡山大探訪(その4:吉備津彦神社)

吉備津彦神社にやってきた。

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前回は吉備津神社である。場所も数kmしか離れていない。

しかし、この神社は備前国一宮なのである。そう、吉備津神社は備中国一宮であった。わずか数kmで、国が変わったのだ。主祭神も大吉備津彦命と同じである。

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楼門前には池が広がっている。

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鳥発見!アオサギかな?

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随神門である。

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門神さんもスタンバイOKです!

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吉備津彦神社!

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随神門をくぐると石段の上に拝殿が見える。

ふと右側を見ると、、、

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灯篭でかっ!

高さ11.5mと日本一大きな灯篭だそうだ。江戸後期のものだ。

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いよいよ拝殿である。

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このあたりで、吉備津彦神社の説明を・・・。

備前国一宮と先ほど記載したが、何故か旧社格は、国幣小社である。明治時代には評価されていないらしい。また、元から備前国一宮であったわけではないようだ。元の一宮は安仁神社という神社だったそうだが、藤原純友の乱の際、味方したため、一宮の称号を剥奪されたなんて説がある。その代わり、官軍の味方をした吉備津彦神社に一宮の称号が与えられたとか・・・。

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あれ?ずいぶん中まで入れるんやねえ。。。

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ちなみ拝殿の中はこんな感じ。。。

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ちっこい社殿の模型?が置いてあった。

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社殿の下側には回廊がまいている。

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拝殿を横から眺める。後ろは本殿か・・・

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と思いきや、社殿が何棟か連なっているぞ!?

拝殿の後ろは祭門殿というらしい。

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で、渡殿というのがあって、いよいよ本殿なのである。ずいぶん変わった造りだ。吉備津神社に比べて、地味やなあと思っていたが、こんなところで驚きがあるとは・・・

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こちらが正真正銘、本殿である。

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祭門殿と渡殿の下に地下通路があった。何だ!?この階段は?下りてみようぜい!

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御幣?

社殿左側に抜ける。

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こっちも何かの建物があった。

そのままぐるっと回り、社殿の右側の奥に進んだ。

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子安神社?行ってみよう。。。

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子安神社の前に天満宮があった。

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この階段の上が子安か・・・

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子安神社である。

安産やら子育ての神様らしい。私には関係ないかと思いきや、縁結びの神様でもあるらしいので、階段を汗だくになりながら、上がってきた私には、きっといいことがあるのだろう・・・?

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子安神社には、小さな社がいくつか並んでいた。

こうして、吉備津彦神社の参拝を終えた。吉備津神社に比べると、インパクトはないが、よくよく見ると、面白い造りをしており、印象深い神社であった。そして、人気がないのが、じっくり見れてよかった。

2011年10月17日 (月)

岡山大探訪(その3:吉備津神社)

吉備路までやってきた。まずは吉備津神社である。

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初め、裏門のようなところについてしまった。有名な神社の割に人気がないなあ。。。と思ったが、いよいよおかしいことに気付いて、もうちょい車で進むと表があった。結構な距離があったので、えらくでかい神社だということが分かった。

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駐車場に車を停め、いざ参拝である。

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いい門だ!

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門をくぐると、もういっちょ門が・・・

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階段を上ると、いきなり拝殿だった。

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なんとなく迫力あるなあ。。。

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天井がなかなかいい感じだ。

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左手に廻ると、拝殿と本殿がよく分かる。

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実はこの拝殿及び本殿は室町時代の建物らしく、国宝である。いや~、ありがたいものを見た。なんでも建築学的には変わった様式だそうで、吉備津造りとかいうそうで・・・

吉備津神社は、延喜式内社にして、備中国一宮、さらに吉備の総鎮守という、大層格式の高い神社である。しかし、明治には官幣中社と微妙な格になっている。何でかなあ・・・?

主祭神は、大吉備津彦命である。吉備津彦命は孝霊天王の第3皇子である。

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折角だから、本殿左側のエリアを散策する。上に何かあるなあ。。。

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一童社というらしい。

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何かすごい標語が書いてあるよん!

「このトンネルをぬけると、陽光うららか花の園!」「このトンネルをくぐり心に安心とやすらぎを!」

この絵馬トンネルにいかほどのご利益がっ!?

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くぐってみた。

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そこには社があるだけだった。心安らかになったのかしら?

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帰りは、もう一方のトンネルである。こちらもすごいね。。。

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拝殿前まで戻ってきた。拝殿・本殿の右側は回廊が続いている。行ってみよう!

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ふと右を見ると、、、ひひ~ん(◎´∀`)ノ

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気を取り直し、回廊スタートである。

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・・・長いなあ。。。

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赤門の先もずっと続いている。

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左側に何かある。

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これはつまり上れということですか!?

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えびす宮であった。

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またしばらく、回廊を進むと・・・

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右手に社、左手に石段・・・

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はいはい、上ればいいんでしょ?

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おいおい草が生い茂ってるよ。。。誰もこんなところまで上らないんじゃ・・・?

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そして、小っこい社があった。岩山宮である。汗まみれになったのになあ。。。

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やれやれ、降りるか・・・

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回廊を進む。

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右手に分かれ道あり。右に進路をとる。

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何とも趣のある建物が現れた。御釜殿である。

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横から見ると、こんな感じである。国の重要文化財である。

ここ吉備津神社では鳴釜神事と呼ばれる儀式を行っている。吉備津彦命に祈願したことが叶えられるか、釜の鳴る音で占うのである。このことは、江戸時代の怪奇小説、雨月物語でも紹介されている。中に入ると、釜があった。壁は煤けていた。

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御釜殿の前には願い札があった。当然願いましたとも!

叶うといいなあ。。。ヽ(´▽`)/

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御釜殿の近くには、庭園らしきものが・・・

元の回廊に戻り、進む。

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またまた左手に社発見!三社あるようだ。

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ちょっと近くまで行く元気はなかった。

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おや?終点か?

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右手はさっき間違えた裏門やないか!

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左手のスロープを上る。

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本宮社というらしい。

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ふと、隣接する道路の向こう側を見ると、小さな社があった。あっちは瀧祭神社というらしい。

さて、戻るか・・・

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拝殿横のお守り売り場には、千代の富士と謎の鐘が置いてあった。

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石段を降りると、でっかい岩があった。さっきは気付かなかった。

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矢置岩というそうだ。かつて、この地方には温羅という鬼がおったそうな、、、

吉備津彦命はこの鬼と弓合戦を行うが、そのときに吉備津彦命がこの岩に矢を置いたそうだ。。。

さて、次行こ。。。

2011年10月14日 (金)

岡山大探訪(その2:大原美術館と倉敷美観地区Ⅱ)

大原美術館を見学した後、少し倉敷美観地区を散策する。

大原美術館の向かいには橋が架かっており、その向こう岸の角地には道路を挟んで、二軒のごつい家が建っている。

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この白い家は大原家住宅である。さすが大富豪。立派な家である。国の重要文化財である。

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こちらは有隣荘である。大原孫三郎が妻のために建てた別邸だそうだ。緑の瓦がなんとも派手である。本宅より豪華ではあるまいか?

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しばらく歩いていると、倉敷考古館とやらがあった。米倉を改装して造ったそうで、中には吉備地方で発掘された出土品が展示されているらしいが、見学はしなかった。

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なかなかいい雰囲気である。

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アイビースクエアなる場所にきた。

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この中に児島虎次郎記念館がある。

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中を見学したが、なかなかのものであった。

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ちなみに隣はオリエント館で、中には古代ギリシアやエジプトの出土品が展示されていた。

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武官所跡とな?

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井戸しか残っていなかった。

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他にも蔦で覆われた建物等があった。

アイビースクエアを出た。

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いい白壁ですな!

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おお!これは大原邸と有隣荘の間の小道である。

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抜けると大原美術館が見えた。そろそろ倉敷を出るか・・・

帰り際、桃ジュースを堪能したことを付け加えておく。

2011年10月13日 (木)

岡山大探訪(その1:大原美術館と倉敷美観地区Ⅰ)

毎年、盆時期には新幹線で帰省しているが、今回は自家用車で帰省してみた。

平成23年8月13日。まだ夜が明けていないうちから、柳川を出発した。何でこんな早くに出るかといえば、当然途中で観光するためだ。

休憩するための山口のPAで気温が異様に低かったのに驚いたりしながら、倉敷まで一挙にやってきた。本日は倉敷を皮切りに岡山を散策しまくるつもりだ。

初めの目的地は大原美術館である。私立の美術館ではあるが、数々の名画を揃えていることで有名である。密かに美術好きの私は、前々から行かなあかん!と思いながら、先送りしてきた。今回、やっと願望が叶うのである。

大原美術館は倉敷美観地区の中にある。

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う~ん、いい感じ!同じ水郷の町でも柳川とはちょっと違うなあ。。。

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美観地区は後ほどちょいと散策してみよう。それよりも、、、

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大原美術館や!

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門をくぐると、早速本館入り口がある。右手のチケット販売所でチケットを購入すると、早速美術鑑賞タイムである。

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本館前には美術館らしく、彫像があった。

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逆サイドにも・・・

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こんな感じ。。。

大原美術館は、倉敷の大実業家、大原孫三郎が昭和5年に設立した。大原氏は画家児島虎次郎のパトロンであった。、児島氏は西洋になかなか行けない画家たちのために日本に西洋画の実物を持ち帰りたいと考えていた。大原氏もこの考えに賛同し、美術留学で渡欧中の児島氏に西洋画の収集を任す。これが大原美術館の収蔵品である。美術館は児島氏が死去した後、設立したそうで、その後も美術品の収集は行っている。

さ、中に入ろう。。。

中は生憎、写真撮影禁止である。まあ、噂には聞いていたが、まさかこれほでとは・・・

びっくりするぐらい有名な画家の絵が展示されていた。ゴーギャン、ルノアール、モネ、ルソー、モロー、カミーユ=コロー、レオナール=フジタ、数えたらきりがない。

中でも必見はエル・グレコの「受胎告知」である。何で日本にあるの?と言いたくなるような名画である。何度も児島氏がパリの画廊で偶然見つけたそうだ。当時ヨーロッパは不況であったが、それでも値はびっくりするほど高かったそうだ。で、児島氏は大原氏は写真つきの手紙で相談している。大原氏はこんなチャンスは二度とないと大金を送ったそうだ。

そして、もう一つ、、、

フレデリックの「万有は死に帰す、されど神の愛は万有をして蘇らしめん」というやたら長いタイトルの絵である。とにかく7枚の絵から構成されており、全部飾ると、横幅が11mにもなる、超大作である。とにかく圧巻の迫力で、この絵を飾るために大原美術館の幅が決まったという伝説がある。

すっかり度肝を抜かれ、興奮のまま本館を出た。本館以外にも分館と工芸・東洋館があるので、もう少し館内を散策する。

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分館に行く途中の建物で備前焼の即売会をやっていた。ちょっくら覗いてみたが、なかなか欲しいというものが見つからず、断念した。

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屋根が苔むしてますなあ。。。

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館内には日本庭園?が広がっている。

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分館である。

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分館前には謎のオブジェが・・・

分館の地階には私には到底理解できない近代芸術が展示されていた。

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これより工芸・東洋館である。

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何々、、、モネの睡蓮の池とな!?

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小っさ!

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でも睡蓮きれいね

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ここが入り口で、

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中庭を囲むように、ぐるっと一周しているようだ。

中は、工芸館が焼き物なんかで、バーナード・リーチがあった。

東洋館には北魏の仏像なんかが置いてあった。なかなか面白かった。

こうして、大原美術館を後にした。まだ大原美術館には別の場所に児島虎次郎記念館があるらしい。折角だから、そちらも見学がてら、町並みを散策するか・・・

2011年10月10日 (月)

熊本県北部における微妙な散策について(その3:鞠智城)

今回の散策の最後を飾るのは、熊本県菊池市から山鹿市にかけた山中にある、歴史公園鞠智城という城跡である。

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鞠智城とは、古代の朝鮮式山城の一つである。何で、こんなものを造ったかというと、7世紀後半、白村江で唐・新羅連合軍に大和朝廷軍が大敗北を喫したためである。これにより唐が攻めてくるとビビッた朝廷が大野城などと同じく建設したのだ。大野城なんかは、前線基地という気がするが、鞠智城は何故こんなとこに造ったのかというくらい辺鄙な所である。こんなとこ誰も攻めへんやろ?

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駐車場からは、当時を復元した建物が見える。少し期待できそうだ。

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なんか変なオブジェがあった。

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早速メインである。

八角形の鼓楼だそうだ。時を知らせるために鼓を鳴らしたり、物見やぐらとして機能したと推察されているが、はっきりとは分かっていないそうな。。。

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中は柱だらけだった。。。こんなんではくつろげないなあ。。。

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こちらは米倉である。しっかりねずみ返しがついている。

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まだ復元されていない建物跡も多い。

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これは兵舎である。中を覗いたが、寝心地は悪そうだった。

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板倉という建物で、まあ、武器庫といったところか・・・

こんな感じで山の中の開けた土地に、城跡が点在しているが、門や城壁がないので、およそ城っぽくはない。

最後に、近くに建っている温故創生館を見学した。見学しようとすると、施設のおっちゃんが説明してくれることになった。大変勉強になった。

何でも鞠智城の読みは今では「きくちじょう」となっているが、昔は「くくちじょう」だったそうだ。で、何でこんな山中に造ったかというと、前線の大野城なんかに物資を送る支援基地として考えていたそうだ。

その他、発掘されたものなどを展示していたが、肝心な重要発掘物は、既に博物館送りになったいた。そらそうよ!

なにはともあれ、これで、今回の散策を終えた。一番最後がまだまともなほうだったんじゃ・・・。この後、平山温泉にて、癒されたことを付け加えておく。。。

2011年10月 6日 (木)

熊本県北部における微妙な散策について(その2:泗水孔子公園)

菊池市は泗水町にやってきた。泗水町の道の駅に怪しげな公園があるらしい。。。

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泗水孔子公園である。

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一見普通の公園のようだが、、、

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ん?

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なんだ?この中国風の建築物は?

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トイレだとお~!!(゚ロ゚屮)屮

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龍もおるげ!?

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合格橋?

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この建物は・・・?

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中国風の服装を着たマネキン人形が不気味に並んでいた。

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あれは何だ?

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孔子像でした。。。

そう!この公園は、孔子をリスペクトする公園なのだ。

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そもそも何故孔子かというと、町名に由来している。

泗水とは孔子の生誕の地なのである。明治22年に町村制がスタートするが、初代村長が孔子を大変尊敬していたため、生誕の地を村名にしちゃったのだ。まさに公私混同、やっちゃった感が漂う。。。で、この孔子公園は、泗水の地名100周年を記念して、平成4年に造られたそうな。。。バブリーである。

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本当ならば、ここが資料館の入り口なのだが、生憎改装中で閉鎖されていた。残念だ。

それにしても、この異様な光景の中、普通にサッカーを楽しむ小学生に何とも違和感を感じた。

2011年10月 5日 (水)

熊本県北部における微妙な散策について(その1:蓮華院誕生寺奥之院)

平成23年8月7日。またまた暇~な休日、熊本は玉名や菊池のほうまで足を伸ばそうかと、車に乗った。その結果、どうにも微妙な散策になってしまった。どう評価してよいのやら・・・

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はじめの訪問地は、蓮華院誕生寺奥之院である。

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何じゃ?この茅の輪くぐりのようなゲートは・・・?

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はい、ここが入り口ね。。。

蓮華院誕生寺は、肥後生まれの皇円上人を祀る、真言律宗のお寺で、ここはその奥之院となる。昭和53年にできた非常に新しいお寺である。

実は以前、職場の慰安旅行で訪れたことがある。もともと予定になかったこのお寺を、某御仁が行きたいという要望を聞かなくてもいいのに、聞いてしまった幹事長のせいで、行く事になった。おかげで当初から入っていた熊本城見学の時間が少なくなるという大失態を犯したのだ。正直、一般受けする寺ではない。微妙に険悪な雰囲気が漂ってしまった。許すまじ!

さて、本題に戻ろう。。。

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入って早速左手に見えるのは、巨大梵鐘である。

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でかっ!

世界一の大梵鐘だそうで、たしか珍百景か何かで、この鐘の突き方がおもろいとかで、紹介されていたような・・・

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この寺のメインともいうべき、五重塔が目に写るが、見学は後ほどゆっくりと・・・

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あれっ?こんなの前あったっけ?・・と思ったら最近できたみたいだ。

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ちなみに右手には護摩堂がある。

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仁王門をくぐると、いよいよ五重塔である。全国3位の高さを誇る。大きさでは日本一だそうだが、大きさって具体的に何なんだろう?面積?容積?

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塔の1階は本尊を祀る本堂となっている。皇円上人が大菩薩になっている。

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柱の影に霊水あり。飲んでみた。うん、水だね!

何でも特別料金で塔の上に上がれるらしい。。。

がっかりしそうな気もするが、悔いのないよう、上がることにした。料金を払うと、妙なタスキ?を懸けられた。

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うん、見事に近代的な造りだね。

2階は、写経道場である。ちょうど子供の集団が熱心に写経する怪しげな儀式の最中だった。まさか写真に撮るわけにもいかず、そのまま、スルーし、上階へ行く。

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3階、4階と上がる。

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5階である。なで仏?

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おお!なんかパネルがいっぱいである。皇円上人と開山した是信大僧正の活躍を絵に表しているそうだ。

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こちらがなで仏さまか!念入りに撫でる!

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外に出れるらしい。。。

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裸足のまま外に出るのが気になったが、なかなかいい景色である。

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五重塔の奥、これから散策予定のエリアである。

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こちらはさっき来た方角である。

さて、景色も堪能したことだし、降りるか・・・

降りると、タスキを返す。う~ん、ナンだろう?この無常感は・・・

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奥に進む。

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五重塔を振り返る。

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小高い丘の上にネタバレ的に何か見えてますな。。。

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厄落とし坂だそうだ。こちらは女坂。

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ここからは男坂・・・。

こんなんもあったなあ。。。

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おお!トカゲ発見!

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上がった先は大仏様である。皇円大菩薩である。

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まだまだ散策コースは続く。

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ここで百八の煩悩を落とせと書いてある。

こんな山の中の辺鄙な道で煩悩落ちるんかいな?

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開山堂があった。

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ひげの坊さんがいた。

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この先は皿投げをするところらしい。何でもありやな

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ここで皿を買えるが、人はいない。

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ここから投げよと・・・?

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雑草に覆われ、なんかよく分からんなあ。。。

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こっちは景色いいねえ。。。

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再び散策開始。

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こうやって、突っ込んでほしそうに、謎の石像が並んでいるのを見ると・・・

やらしいわぁ。。。

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ひげの爺なんか見てないもんね。。。

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無縁仏の山・・・

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池・・・

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こうして、散策を終えた。以前のマイナスイメージのせいか、素直に楽しめなかった。。。

2011年10月 3日 (月)

福厳寺

平成23年7月31日。と~っても暇な休日、地元柳川の名刹を訪れた。

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柳川藩主立花家菩提寺、福厳寺である。

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山号は梅岳山である。

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屋根を支えているのは、象?獏?

このお寺、かつては曹洞宗の寺であったが、江戸時代に黄檗宗に改宗している。そう、あの黄檗宗である。隠元和尚が持ち込んだ中国チックな宗派である。

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周りのお堂には、黄檗宗らしい、中国チックな仏像が並んでいた。

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なんとなく黄檗宗っぽいですな。

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軒先に無数の灯篭・・・

裏の墓地には、立花家の墓があるはずなのだが、どれかよく分からんかった。暑いし、どうでもよくなったきたので、退散!

それにしても誰もいない。。。一応、観光地よねえ・・・?

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