関東文化的探求の旅Ⅱ(その7:成田山新勝寺)
平成22年9月24日。三日目である。それにしても今日も寒い。9月の気温とは思えない。天気予報では最高気温が20度を切るらしい。昨日、神保町を散策中発見したアウトドアショップで購入したロンTがなければ、すっかり凍えてしまうところであった。
さて、今日の第一目的であるが、成田山である。電車を乗り継いで、成田まで到着するとテクテクと参道を歩き出した。
総門である。何気にここまで遠かった。
総門をくぐると、次に見えるのが仁王門である。
何やら古そうな門だなあと思えば、19世紀の門で国の重要文化財だとか・・・
仁王門を抜けると、また階段である。手前には池がある。
あれは独鈷かな?
振り返ると、仁王門。。。
石段を上り終えた。
正面が大本堂である。
右手には三重塔、一切経堂、鐘楼が並ぶ。
まずは大本堂へお参りする。
さて、成田山新勝寺であるが、真言宗智山派の寺院である。新勝寺という寺号よりも成田山という山号のほうが有名な気がする。比叡山や高野山も山号のほうが有名かな?あと、書写山とか・・・
本尊は不動明王だ。
神田明神を崇敬する者は成田山を参拝してはいけないという話がある。
これはこのお寺の起こりに由来するためだ。平将門の乱の平定祈願のため、朱雀天皇が寛朝というお坊さんを東国へ派遣したことに始まる。寛朝は神護寺にあった弘法大師作の不動明王像を持って、成田にお寺を開いたのが、新勝寺の起こりである。新勝寺とは「新たに勝つ」という意味だそうだ。まあ、平将門にしてみれば、祈願とはいえ、憎い敵ということなので、平将門派は成田山がタブーになっているのだろう。。。
ってか、私大丈夫か?昨日、神田明神にいったばっかやぞい!?
・・・まあ、ええか・・・
お参りを済ませると、境内の散策をする。
三重塔は18世紀のもので、国の重要文化財だ。
一切経堂である。18世紀のもので、市の文化財である。
おお!ぐるぐる回すやつや!
鐘楼である。
右手の少し奥に妙な建物が・・・
聖徳太子堂というらしい。これって夢殿?
大本堂の裏に回ってみた。
なんかいっぱいいるぞ?
こんなのがいっぱい・・・
大本堂裏手の階段を上ると、左手に額堂があった。ようは絵馬殿?19世紀のもので、国の重要文化財だ。
右手には開山堂がある。
正面が光明堂で、旧本堂である。18世紀のもので、こちらも国の重要文化財である。
光明堂の左側に奥の院を示す看板があった。
こちらが奥の院のようだ。
なんも見えんなあ。。。
この石碑が珍しいらしい。
奥の院の右は清瀧権現堂である。成田山の鎮守だ。
弘法大師様?
最奥部には、度派手な平和大塔が立っている。1984年建立と新しい。
せっかくだから中に入ってみたが、2階におられる不動明王様が身近に見られるくらいである。しかし、この不動明王、巨大でなかなか迫力があった。ちなみに明王様は外にある階段を上っても見学できる。
最後に釈迦堂(重要文化財)を見学し、成田山新勝寺参拝を終えた。
予想以上に歴史と風格の漂う、雰囲気の良い寺院であった。ここと同じとは思えない。。。
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