関東文化的探求の旅Ⅱ(その10:鹿島神宮)
佐原駅から電車に乗り、鹿島神宮駅までやってきた。ちなみにここはSUICAが使えなかったので、駅員さんに精算してもらった。
駅から少し坂道を上がっていくと、鹿島神宮がある。
曇天のせいか、境内の森が鬱蒼とした感じで、異様な迫力があった。
楼門は江戸初期のもので国の重要文化財だ。日本三大楼門の一つらしい。あと二つは筥崎宮と阿蘇神社・・・?あれっ!?これで、三大楼門コンプリートか・・・?ヽ(´▽`)/
いざ、楼門をくぐる。
楼門には普通、門神(矢大臣と左大臣だったか・・・?)がおられるはずだが、ここの楼門には謎の物体があった。怪しく光る稲光が渋い。
楼門からしばらく進むと、右手に本宮がある。こちらは拝殿で、その後ろに幣殿、石の間、本殿がある。これらは徳川二代将軍秀忠によって建てられたそうで、いずれも重要文化財だ。
鹿島神宮は式内社にして、常陸国一ノ宮、旧官幣大社と大層格式のある神社である。香取神宮のときにも書いたが、平安時代に神宮と呼ばれていたのは、ここと伊勢神宮、香取神宮の三つしかない。ご祭神は武甕槌(タケミカヅチ)で、武芸の神様である。葦原中国を平定するのに、獅子奮迅の活躍をしている。中でも、建御名方(タケミナカタ)との死闘?はその後、相撲のルーツになったという。。。
旅の無事を祈る。
あれが本殿か・・・
手前が摂社の高房社で、左手奥が仮殿という。仮殿は本殿の修理などのときに神様を一時的に移す社で、重要文化財である。
本宮の向かいには宝物館がある。何?国宝とな・・・?見ましょう。。。
中には布都御魂(フツノミタマ)と称する巨大な直刀が置いてある。これが国宝なのである。国宝の登録名は直刀・黒漆平文大刀拵という。布都御魂は武甕槌の剣で、その後も神武天皇の東征でもでてくる剣だ。もっともこの剣は奈良の石上神宮のご神体であると言われており、鹿島神宮のはよく分からない。奈良時代から平安時代に作られたものと見られている。刀のことはよくわからないが、その巨大さもあり、異様な迫力があった。その他にも貴重な文化財が展示されており、何げにすごかった。
まだまだ奥に続いているようだ。
しばらく歩くと、左手に鹿がいた。
鹿の神が武甕槌のところに天照大神の伝言を伝えに来たという逸話から、鹿は神の使いとして、鹿島神宮はかなり重要視されているらしく、Jリーグの鹿島アントラーズの名は、鹿の角(アントラー)に由来するそうだ。知らなんだ・・・
鹿園の近くにさざれ石があった。国歌にでてくるあれだ・・・
さらに奥に進む。
奥宮があった。
徳川家康によって建てられた。重要文化財である。
ナマズ?
ナマズの碑の所で分かれ道になっており、右に行けば要石、左手に行けば御手洗池である。要石は香取神宮でも触れた地中の大ナマズを押さえている石だ。オカルト好きの私は当然、要石を優先的に選ぶ。
やっぱ小っさ!
私はかつて妖怪大好き少年であった。いつかは見たいと憧れた要石がこれとは・・・
潜ってるところは凄いんかいな?
少々わびさびを覚えつつ、御手洗池へ行く。
天候のせいか、妙に雰囲気のある泉だ。
きれいな水だ。
さらに奥には、御手洗池の水を利用した庭園のようなものが整備されていた。
なんか汚ねえぞ!?
・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆
こうして鹿島神宮参拝を終えた。あいにくの悪天候のため、すっかり冷えた私は御手洗池の畔にある茶屋で団子を食った。団子一本で温かいお茶と試食として古代米まで食わせてもらった。茶屋のおばちゃん、ありがとう!
こうして、温まった私だが、鹿島神宮駅でまったく来ない電車(本数が少ない)を待たされたため、再び冷えたのだった。
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