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    2007年2月。とにかくカルチャーショックの連続だった。

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2011年1月

2011年1月31日 (月)

石切さん前編

平成22年12月30日。いよいよ明日は大晦日というときに、例年ならば京都に行ってきたが、今年は趣向を変えて、東大阪の石切神社に行ってみた。前々から行こうと思っていたが、ついつい後回しにしてきたので、この際行ってみることにしたのだ。

特に急ぐこともないので、地下鉄中央線に乗って、のんびりと新石切駅までやってきた。ここから歩く。

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しばらく住宅街のようなところを歩くと、見えた。

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なかなか立派な楼門だと思ったら、なんと絵馬殿であった。

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しっかり門神もいるし、どうみても楼門なんだけど・・・

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夕張から石炭の奉納・・・。何で!?

石切神社は正式には石切劔箭(つるぎや)神社という。こんなん読めるか~!ちなみに絵馬殿の屋根の上に刺さっているのが、劔箭だそうだ。

かつての延喜式内小社であるが、ここが有名なのは、デンボの神様ということである。

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いよいよ本殿が見えた。

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ご祭神は、饒速日尊(にぎはやのみこと)と可美真手命(うましまでのみこと)である。さて、なんでデンボの神様かというと、、、てか、そもそもデンボが分からんか・・・

デンボは関西の言葉でできもの、腫れ物のことだ。

石切劔箭という言葉が「石を切るぐらい、ごっつい剣やで!それやったらデンボも切ってくれますわ。」と曲解されたようだ。この変わったデンボ信仰は昭和になってかららしい。

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あいにくデンボで悩んではいないが、参拝をする。本殿の前に百度石があるのだが、数人が延々とぐるぐる回っていた。お百度参りである。この石切神社は何故かお百度参りでも有名である。

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本殿の脇から裏側に抜けられる。

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裏には摂社や末社がいくつかある。

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何々・・・?願い事を小亀に入れて、神霊水に入れよとな・・・?

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うげっ!?何じゃ、こりゃ?

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一個一個見れば、可愛らしい小亀の瀬戸物も、こんなけよーさんあると、キモいわなー

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買ってみた

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腹側に穴があり、ここに願い事を入れるらしい。

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良縁を期待して、願い事を入れた。

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頼むぜ!小亀ちゃ~ん!!!!

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来年はいいことありそうだなあ・・・

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再び本殿に戻ろうとすると、巫女さんが慌しく働いていた。もうすぐ大晦日やからね。

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こちらの水神社には、本物の亀がいた。

こうして、参拝を終えたのだが、実は石切神社はまだ続く。そこんとこは次回に・・・。

2011年1月27日 (木)

関東文化的探求の旅Ⅱ(その14:明治神宮)

明治神宮は原宿の駅のまん前にある。

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とても大都会の真ん中とは思えない、厳かな森が広がっている。

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もともとここ代々木の土地には森などなかったのだが、明治神宮の建設にあたり、日本全国はもとより樺太や台湾、朝鮮半島などから様々な木を植樹した結果、このような多様な植生の森になったのだ。なんでも100年後を想定した森作りを行ったらしい。現在、それは見事な森が広がっており、先人たちの知恵には驚かされる。

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手入れとかはせずに、自然のままに出来上がった森なのだ。

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それにしても広大な敷地である。

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やっとこさ、本殿エリアが見えてきた。

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楼門をくぐる。

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外拝殿である。実はこの奥にさらに内拝殿があるのだ。

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一般には外拝殿までしか参拝できないようだ。奥が内拝殿である。さらにその奥に本殿があるはずである。

さて、明治神宮であるが、明治天皇と昭憲皇太后をご祭神として、1920年に創建の神社である。当時は当然、官幣大社であったが、戦後、単立神社になった。

この明治神宮、立地条件の良さか、明治天皇のカリスマ性か、とにかく参拝客が多い。初詣の参拝客は毎年、全国一位である。私は、恥ずかしながら、今回初めて参拝したのだが、全国一位に偽りなしといった、迫力がある神社であった。

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こうして、参拝を終えた。

この後、とりあえず原宿のデメル(ウィーンのケーキ屋さん)にて、ザッハー・トルテを堪能し、そのまま別のケーキを食って昼食としてしまった。

昼食後は、ぶらぶら買い物やら何やらをして、今回の旅を終えた。

おしまい。

2011年1月25日 (火)

関東文化的探求の旅Ⅱ(その13:靖国神社)

政治的な意味で毎年、何かとニュースで流れてる、かの有名な靖国神社にやってきた。

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靖国神社は、戊辰戦争以来の軍人・軍属を英霊として祀る神社である。1869年に東京招魂社としてスタートし、1879年に靖国神社に改称し、別格官幣社になった。昭和21年に政教分離の原則に従い、国からも神社本庁からも離れ、単立の宗教法人となり、現在に至る。祀られている英霊であるが、やはり圧倒的に太平洋戦争の犠牲者が多い。政教分離の意味から総理大臣が公式参拝しちゃまずいやろうという話や本人や遺族の意向を聞かずに神社の方針で祀られてしまうシステムに、たびたびニュースを騒がさせている。

今回はそんな話は置いておいて、純粋に一神社として見学・参拝した。

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第一鳥居を抜けると、長々と参拝路が続いている。

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第一鳥居から第二鳥居までのちょうど中間点に、近代陸軍の創設者にして、靖国神社創建の立役者、大村益次郎の銅像が立っている。

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第二鳥居である。

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第二鳥居をくぐると、すぐに神門がある。神門をくぐる。

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中門鳥居があり、その先に拝殿がある。

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拝殿は明治の建物だ。

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参拝を済ますと、たぶん中国の旅行者がやってきた。中国の人って、靖国神社に対して、いい印象がないんじゃ?と思って見ていると、真剣な表情で参拝していた。あれれ?なんか予想と違うなあ。。。ま、ありがたいことですが・・・

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境内からは高層ビルが見えて、神社の厳かな雰囲気とのミスマッチが面白い。

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こちらは能楽堂である。

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こちらが遊就館といい、遺品などを収蔵する資料館である。折角なので見学した。

中に入ると、非常に近代的な建物である。チケットを自販機で購入すると、メカニックな改札機にチケットを通し、見学が始まる。

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まだ有料ゾーンではない、玄関ホールにはゼロ戦がある。先ほど参拝で一緒だった中国人がたまたま前にいたのだが、ゼロ戦にはしゃいでいた。・・・こういう人もいるんやね。。。

さて、遊就館の展示であるが、正直つらいものがある。特に祀られている英霊たちが整然の写真とともに紹介されているコーナーでは、自分よりも若くでなくなった人が多いことにかなりショックを受けた。

こうして靖国神社の見学・参拝を終えた。

2011年1月23日 (日)

関東文化的探求の旅Ⅱ(その12:とげぬき地蔵)

平成22年9月25日。最終日である。ホテルをチェックアウトすると、おばあちゃんの原宿こと巣鴨にやってきた。

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巣鴨といえば、そう!とげぬき地蔵である。

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商店街をしばし歩くと、見えてきた。

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とげぬき地蔵こと、萬頂山高岩寺である。

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とても有名な寺なので、もっと大きいかと思ったが、予想外に小さかった。

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本堂である。

ここ高岩寺は曹洞宗のお寺で、本尊はもちろん地蔵菩薩(延命地蔵)である。もともと湯島に建てられたようだが、明治に巣鴨に移転してきた。その後、空襲で焼失したため、昭和32年に再建されたそうだ。

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昔、とある武士の妻が病気が苦しんでおり、夢のお告げで地蔵菩薩の御影を川に浮かべたところ、治ったそうな。。。その後、毛利家の女中が誤って針を飲み込んでしまった(飲む込むものなんか?)ので、御影を飲ませたところ、女中は御影に包まれた針を吐いたそうな。。。ここからとげぬき地蔵の通称がついたわけだ。

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参拝を終えた後、買ってみた。

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ほほお!これがお御影か・・・

中を確認し、ひとまず元に直した。

このお御影、福岡に帰った後、飲ませていただきました。飲んでる間は調子がよかった気がする。多分・・・

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こうして、参拝を終え、朝っぱらのせいか、ほとんど人気のないおばあちゃんの原宿を引き返した。

2011年1月19日 (水)

関東文化的探求の旅Ⅱ(その11:浅草寺(夜))

鹿島神宮駅から電車に乗り込むが、その後の連結がなかなかうまくいかない。どういったら、早く着くかもよく分からない。ええい、どうせ東京近郊にいけば、なんとかなるやろー

で、千葉経由で帰ってきた

なんとか東京まで戻った頃には、すっかり夜だった。夕食を食わなければ、そろそろひもじくなってきた。

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赤坂で韓国料理を食った。美味かった。韓国料理は一品頼むと、キムチとか色々おまけがついてくるので、お徳感がある。

その後、赤坂の町をぶらぶらし、TBSショップを物色したり、ちょっと前にメールが着たうっちょにおちょくりの電話をしたり(←飯のときにビールを飲んだので、ご機嫌であったのだ。)した。

そろそろホテルに帰ろうか・・・

♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:

浅草で降りる。そういや、一昨日、昨日と雨が降ってたので行かなかったが、浅草寺が何やらライトアップされていたなあ。。。

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おお!仲見世通りがシャッター街やあー

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宝蔵門がいい感じにライトアップされていた。浅草寺の説明については、以前訪問した際に記事を書いているので、そちらを・・・

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仁王様もライトアップ!

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宝蔵門をくぐるじぇい!

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こんな時間でも参拝者っているのね・・・

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五重塔もライトアップ!

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本堂でお参りを済ました。

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本堂の東に浅草神社がある。

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明治時代の神仏分離により別物になったが、元々は浅草寺の一部である。

かつて隅田川で漁をしていた兄弟が観音像を見つけ、知り合いが自宅を寺として祀ったのが浅草寺の始まりだそうで、その兄弟と知り合いの僧を祀ったのが、浅草神社の始まりだそうだ。社殿は何気に徳川家光の仕業で国の重要文化財だったりする。

浅草神社のお参りを済ますと、ホテルに帰るため、二天門をくぐる。

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あれ、何か怪しくライトアップされてるぞ!?

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増長天と持国天が定期的に色が変わるライトに照らし出されていた。何もこんなレインボーにしなくても・・・

こうして、この後、ホテルに戻り、三日目が終わった。

2011年1月17日 (月)

関東文化的探求の旅Ⅱ(その10:鹿島神宮)

佐原駅から電車に乗り、鹿島神宮駅までやってきた。ちなみにここはSUICAが使えなかったので、駅員さんに精算してもらった。

駅から少し坂道を上がっていくと、鹿島神宮がある。

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曇天のせいか、境内の森が鬱蒼とした感じで、異様な迫力があった。

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楼門は江戸初期のもので国の重要文化財だ。日本三大楼門の一つらしい。あと二つは筥崎宮阿蘇神社・・・?あれっ!?これで、三大楼門コンプリートか・・・?ヽ(´▽`)/

いざ、楼門をくぐる。

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楼門には普通、門神(矢大臣と左大臣だったか・・・?)がおられるはずだが、ここの楼門には謎の物体があった。怪しく光る稲光が渋い。

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楼門からしばらく進むと、右手に本宮がある。こちらは拝殿で、その後ろに幣殿、石の間、本殿がある。これらは徳川二代将軍秀忠によって建てられたそうで、いずれも重要文化財だ。

鹿島神宮は式内社にして、常陸国一ノ宮、旧官幣大社と大層格式のある神社である。香取神宮のときにも書いたが、平安時代に神宮と呼ばれていたのは、ここと伊勢神宮、香取神宮の三つしかない。ご祭神は武甕槌(タケミカヅチ)で、武芸の神様である。葦原中国を平定するのに、獅子奮迅の活躍をしている。中でも、建御名方(タケミナカタ)との死闘?はその後、相撲のルーツになったという。。。

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旅の無事を祈る。

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あれが本殿か・・・

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手前が摂社の高房社で、左手奥が仮殿という。仮殿は本殿の修理などのときに神様を一時的に移す社で、重要文化財である。

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本宮の向かいには宝物館がある。何?国宝とな・・・?見ましょう。。。

中には布都御魂(フツノミタマ)と称する巨大な直刀が置いてある。これが国宝なのである。国宝の登録名は直刀・黒漆平文大刀拵という。布都御魂は武甕槌の剣で、その後も神武天皇の東征でもでてくる剣だ。もっともこの剣は奈良の石上神宮のご神体であると言われており、鹿島神宮のはよく分からない。奈良時代から平安時代に作られたものと見られている。刀のことはよくわからないが、その巨大さもあり、異様な迫力があった。その他にも貴重な文化財が展示されており、何げにすごかった。

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まだまだ奥に続いているようだ。

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しばらく歩くと、左手に鹿がいた。

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鹿の神が武甕槌のところに天照大神の伝言を伝えに来たという逸話から、鹿は神の使いとして、鹿島神宮はかなり重要視されているらしく、Jリーグの鹿島アントラーズの名は、鹿の角(アントラー)に由来するそうだ。知らなんだ・・・

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鹿園の近くにさざれ石があった。国歌にでてくるあれだ・・・

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さらに奥に進む。

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奥宮があった。

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徳川家康によって建てられた。重要文化財である。

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ナマズ?

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ナマズの碑の所で分かれ道になっており、右に行けば要石、左手に行けば御手洗池である。要石は香取神宮でも触れた地中の大ナマズを押さえている石だ。オカルト好きの私は当然、要石を優先的に選ぶ。

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やっぱ小っさ!

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私はかつて妖怪大好き少年であった。いつかは見たいと憧れた要石がこれとは・・・

潜ってるところは凄いんかいな?

少々わびさびを覚えつつ、御手洗池へ行く。

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天候のせいか、妙に雰囲気のある泉だ。

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きれいな水だ。

さらに奥には、御手洗池の水を利用した庭園のようなものが整備されていた。

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なんか汚ねえぞ!?

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

こうして鹿島神宮参拝を終えた。あいにくの悪天候のため、すっかり冷えた私は御手洗池の畔にある茶屋で団子を食った。団子一本で温かいお茶と試食として古代米まで食わせてもらった。茶屋のおばちゃん、ありがとう!

こうして、温まった私だが、鹿島神宮駅でまったく来ない電車(本数が少ない)を待たされたため、再び冷えたのだった。

2011年1月14日 (金)

関東文化的探求の旅Ⅱ(その9:伊能忠敬旧宅)

香取神宮をあとにした私だが、まだ次の電車まで1時間ほどあるし、折角なので佐原の古い町並みを少し見学することにした。

佐原は江戸時代に利根川水運の中継地として栄えた水郷である。今でも古い町並みが残っているので、ちょっとした観光地なのだ。

しばらく自転車を漕いでいると、早速古い建物が現れた。

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正文堂書店である。明治の建物だそうだ。

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川沿いに伊能忠敬旧宅がある。

この佐原は伊能忠敬がかつて住んだ町なのである。

忠敬は17歳のとき、佐原の有力者であった伊能家の婿養子になった。その後、50歳で江戸入りするまで住んでいたそうだ。なんと、50歳から測量術を学び、日本中を測量して回ったのが、56歳の時だそうで、そのバイタリティにはただただ驚きである。

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伊能家は酒造や米の販売を行っていたそうで、ここが店舗になる。

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こちらが母屋である。

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書院。

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酒造業などを行っていたということは相当の富豪であったろう。その割には家がこじんまりしているような気がするが、気のせいか・・・?

伊能家の見学を終え、しばらくぶらぶらして、駅まで戻った。

2011年1月12日 (水)

関東文化的探求の旅Ⅱ(その8:香取神宮)

香取神宮は、式内社にして、下総国一ノ宮、旧官幣大社という、大変格式の高い神社である。なんでも平安時代に神宮といわれた神社は、伊勢神宮と鹿島神宮とここだけということだ。その割には知名度低いような・・・

大和朝廷の蝦夷討伐最前線として鹿島神宮とともに重要視された神社らしい。

この香取神宮であるが、JR香取駅で降りると大変なことになる。その先の交通機関がないからだ。したがって、一駅手前の佐原駅で降りる。

さて、どうやって行こうか・・・

微妙に場所も分からないので、観光案内所で聞いてみた。

私:香取神宮までバスとかあるんですか?

案内所の人:バスもあるけど、あまり本数がないですね。天気がよければ自転車がいいんですが・・・

(今日は曇天時々雨である)

私:自転車でいいです!

案内書の人:・・・・

天候不順にもかかわらず自転車を所望する私に半ば呆れ顔の案内所の人であった。

この案内所ではレンタサイクルを行っていたので、借りた。

自転車にまたがり、案内所で買った地図を片手にレッツラ・ゴーヽ(´▽`)/

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

この佐原という場所であるが、江戸時代に利根川水運で栄えた町で、古い町並みが残っており、ちょっとした観光地なのである。

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さすが水郷の町、いい雰囲気じゃないですか・・・

自転車をひたすらこぐ。。。

う~む、足に乳酸が溜まってきた。しかし、なんとか天気ももっているなあ。。。よかった、よかった。

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香取神宮の鳥居が見えた。もう少しだ。

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いよいよ神宮である。

お土産屋さんの営業を物ともせず、進むと、

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香取神宮である。さあ、行こう!

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なかなかうっそうとした参道だ。

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脇道があり、要石道とある。こちらへ進んでみる。

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しばらくいくと護国神社があった。このさらに奥へ進む。

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要石だ。

昔々、地中の大なまずが騒ぐので、ここら辺りは地震が多かったそうな。。。で、香取神宮の神様と鹿島神宮の神様がそれぞれ石の棒でナマズの頭と尻尾を突き刺して、動けなくしたそうな。。。その石棒の先がこの要石なのだ!!(゚ロ゚屮)屮

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これが・・・?

・・・・・・・

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・・・ちっさ!

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本ルートへ戻ってきた。

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総門をくぐる。

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楼門である。重要文化財だ。

楼門を抜けると、

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拝殿がある。

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それにしても、何か迫力が・・・

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拝殿の裏に本殿があるが、重要文化財だった。

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黒基調の社殿で渋い!まさに私好みの神社だ。正直、期待していなかっただけに、かなり嬉しい発見だった。

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これで、だいたい見たな。。。戻ろう。。。

総門まで戻ると、奥宮に行ってない事に気付いた。うう、もう少し歩くか・・・

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・・・これ?

なんか疲れが余計に出てきたような・・・

こうして、帰りもお土産屋さんの猛攻を物ともせず、自転車にまたがり、颯爽と漕ぎ出したのだった。

2011年1月11日 (火)

関東文化的探求の旅Ⅱ(その7:成田山新勝寺)

平成22年9月24日。三日目である。それにしても今日も寒い。9月の気温とは思えない。天気予報では最高気温が20度を切るらしい。昨日、神保町を散策中発見したアウトドアショップで購入したロンTがなければ、すっかり凍えてしまうところであった。

さて、今日の第一目的であるが、成田山である。電車を乗り継いで、成田まで到着するとテクテクと参道を歩き出した。

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総門である。何気にここまで遠かった。

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総門をくぐると、次に見えるのが仁王門である。

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何やら古そうな門だなあと思えば、19世紀の門で国の重要文化財だとか・・・

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仁王門を抜けると、また階段である。手前には池がある。

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あれは独鈷かな?

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振り返ると、仁王門。。。

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石段を上り終えた。

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正面が大本堂である。

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右手には三重塔、一切経堂、鐘楼が並ぶ。

まずは大本堂へお参りする。

さて、成田山新勝寺であるが、真言宗智山派の寺院である。新勝寺という寺号よりも成田山という山号のほうが有名な気がする。比叡山高野山も山号のほうが有名かな?あと、書写山とか・・・

本尊は不動明王だ。

神田明神を崇敬する者は成田山を参拝してはいけないという話がある。

これはこのお寺の起こりに由来するためだ。平将門の乱の平定祈願のため、朱雀天皇が寛朝というお坊さんを東国へ派遣したことに始まる。寛朝は神護寺にあった弘法大師作の不動明王像を持って、成田にお寺を開いたのが、新勝寺の起こりである。新勝寺とは「新たに勝つ」という意味だそうだ。まあ、平将門にしてみれば、祈願とはいえ、憎い敵ということなので、平将門派は成田山がタブーになっているのだろう。。。

ってか、私大丈夫か?昨日、神田明神にいったばっかやぞい!?

・・・まあ、ええか・・・

お参りを済ませると、境内の散策をする。

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三重塔は18世紀のもので、国の重要文化財だ。

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一切経堂である。18世紀のもので、市の文化財である。

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おお!ぐるぐる回すやつや!

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鐘楼である。

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右手の少し奥に妙な建物が・・・

聖徳太子堂というらしい。これって夢殿?

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大本堂の裏に回ってみた。

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なんかいっぱいいるぞ?

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こんなのがいっぱい・・・

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大本堂裏手の階段を上ると、左手に額堂があった。ようは絵馬殿?19世紀のもので、国の重要文化財だ。

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右手には開山堂がある。

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正面が光明堂で、旧本堂である。18世紀のもので、こちらも国の重要文化財である。

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光明堂の左側に奥の院を示す看板があった。

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こちらが奥の院のようだ。

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なんも見えんなあ。。。

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この石碑が珍しいらしい。

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奥の院の右は清瀧権現堂である。成田山の鎮守だ。

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弘法大師様?

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最奥部には、度派手な平和大塔が立っている。1984年建立と新しい。

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せっかくだから中に入ってみたが、2階におられる不動明王様が身近に見られるくらいである。しかし、この不動明王、巨大でなかなか迫力があった。ちなみに明王様は外にある階段を上っても見学できる。

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最後に釈迦堂(重要文化財)を見学し、成田山新勝寺参拝を終えた。

予想以上に歴史と風格の漂う、雰囲気の良い寺院であった。ここと同じとは思えない。。。

2011年1月 6日 (木)

関東文化的探求の旅Ⅱ(その6:神田明神)

神田明神にやってきた。

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神田明神は正式には神田神社である。かつて伊勢神宮の神田の鎮守として祀られたのが、この神社の起こりということだ。ちなみにこのころの社殿は今とは別のところだそうだ。

その後、平将門の首がこの近くに葬られたことにより、この神社が有名になった。

江戸時代には江戸城の増改築に伴って、現在の場所に遷座し、悪霊を持って悪霊を制するのか、江戸総鎮守として隆盛に極める。うんちくはそのへんで早速お参りすることにする。

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ちょうど結婚式をしていた。参拝できないけど、もう終わりっぽいので、しばらく待ちましょう。。。

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拝殿に近づけないので、しばらく周囲を散策する。

獅子山?何じゃそりゃ?

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えびす様~

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随神門を境内側から。。。

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いよいよ結婚式に方々も解散したので、いよいよ参拝へ。

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ご祭神は、大己貴命(だいこくさん)と少彦名命(えべっさん)と平将門神である。

だいこくさんとえべっさんは大層縁起が良さそうだが、平将門だけ異質ですな。。。これにて、神田明神の参拝を終えた。

この後、神保町で古書の物色をした後、

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蕎麦を食い、

まさかの二日連続秋葉原を堪能した後、ホテルへ帰った。

二日目終了!

2011年1月 4日 (火)

関東文化的探求の旅Ⅱ(その5:湯島聖堂)

湯島聖堂にやってきた。

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湯島聖堂は、もともと林羅山が私邸内に建てた孔子廟である。将軍徳川綱吉がこれを大成殿と改称し、これを含む建物を聖堂と呼ぶようにした。その後、寛政異学の禁によって、そのあり方を見直された結果、幕府官立の昌平坂学問所となった。これ以降、教育のメッカになったのだ。このへんは日本史の授業で習ったような気がする・・・

現在の建物は、昭和10年の再建である。

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杏壇門をくぐると、

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大成殿に着いた。

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大成殿には、孔子や孟子などの儒家が祀られている。

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真ん中が孔子であろう。

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周囲の壁には、絵が並ぶ。こちらも儒家オールスターズであろうか・・・?

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これは宥坐の器という。左の宙吊りの壷は、空の状態だと傾いている。柄杓で水を汲みいれていくと、壷が真っ直ぐになっていく。しかし、入れすぎると、ひっくり返って、水が流れてしまう仕掛けなのだ。何事もやり過ぎは良くないよという中庸の徳を教える道具なのだ。

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このセット、鬼犾頭と鬼龍子というらしい。大成殿の屋根飾りで、関東大震災の際、焼け残ったものだそうだ。鬼龍子は魔除けで、鬼犾頭は水の神で火除けらしい。。。

雨が降っていたせいもあるのか、堂内は係りの人が一人いるのみで誰もおらず、大層厳かな雰囲気が満ちており、いい感じだった。

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