関東文化的探求の旅Ⅱ(その1:川崎大師)
平成22年9月22日~25日に休みが取れた。昨年に引き続き、関東を旅することにした。
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平成22年9月22日。福岡空港へ向かうため、西鉄電車に乗る。柳川駅に着いた。
どうも様子がおかしい?
げっ電車が遅れてやがる
...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。
で、結局、飛行機に乗り遅れた。西鉄め・・・
一本後の飛行機に無事乗ることができ、なんとか羽田に着いた。予定より遅れたが、まあしゃーないやん!
今回の第一目的地は、神奈川は川崎の川崎大師である。
電車を乗り継ぎ、京急川崎大師駅に着いた。
9月も終わりに近づいたにもかかわらず、なかなか暑い一日だ。
早速、川崎大師へ向かう。
そこそこ歩いて、やっと入り口の表示が出た。
仲見世はお土産屋さんが並んでいる。今日は平日なので閑散としているが・・・
おばちゃんが咳止め飴を薦めてきた。美味しければ買おうかな?
・・・私の好みではなかった。。。
大山門である。昭和52年に建てたそうだ。
これらは東寺の四天王像を模造したものだそうだ。
大山門をくぐる。
大本堂である。どうでもいいが、”大”好きやな・・・
川崎大師は当然通称である。本当の名前は金剛山金乗院平間寺という。真言宗智山派の大本山である。第11代将軍徳川家斉が厄除けに訪れたことから、厄除けのお寺として有名なったそうで、今では初詣の参拝者数ランキングでも上位にある。
私がこのお寺を訪れたかったのは、その有名さとともに、某ゲームでモデルとして登場したからだが、まあどうでもいいな。。。
本堂でお参りを済ませ、もう少し境内を散策する。
これは何かな?と見ていると、中にいた若いお坊さんに、お参りするよう呼ばれた。
おお!大蔵経だあありがたや、ありがたや
ということで、この建物は経蔵であった。
舞・・・
旧本堂の礎石・・・
立派な五重塔である。形が八角形である。
不動堂・・・
中書院・・・
こちらの門は、不動門である。大山門ができるまで、こちらが山門だったらしい。
つるの池・・・
回る所はこんなところかな?と思いつつ、何やら直感が働いた私は、もう少し丹念に散策をすることにした。
そして、見つけた。
なんじゃこりゃ?
これは薬師殿というらしい。旧自動車交通安全祈祷殿だそうで、昭和45年にこんなあられもない姿になったらしい。。。川崎の街に、違和感ありまくりのインド風寺院・・・
まさか、全国有数の初詣のメッカにこんな怪しいところがあったとは・・・
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