呼子探訪(その3:名護屋城跡)
駐車場を降りると、しばらくダラダラ坂を上る。
途中、井戸跡があった。
しばらくいくと、入り口が見えてきた。
なかなかスケールが大きそうだ。
名護屋城はもちろん、愛知にある、名古屋城ではない。この城は、朝鮮出兵に際し、豊臣秀吉が建てさせた前線基地である。普請奉行には城造りの名人、加藤清正等がなっている。百パー戦用の城にもかかわらず、金箔を貼った瓦が発見されているらしく、秀吉らしいといえる。つまり、戦国マニア必見の城跡である。
早速散策開始である。
立派な石垣だ。
見晴らしの良い場所に出た。
この地図によると、誰それの陣がどこにあったと書いてある。JINと二人、テンション上がりまくりである。徳川家康やら本多忠勝やら真田昌幸やら、そうそうたるメンバーである。
しばらく歩くと、すっかり林である。
三の丸の井戸跡らしい。
この林、どうやら三の丸跡らしい。完全に風化している。さて、この名護屋城であるが、朝鮮出兵後、その役目を終えたため、徐々に解体されていった。最終的には、島原の乱以降、幕府によって完全に破壊される。乱の拠点になることを恐れたほか、外交上の問題もあったようだ。明や朝鮮に攻めませんよというアピールのためである。
こういうふうにところどころ、全盛期の面影を残す石垣がある。
いよいよ本丸である。
ここに天守閣があったようだ。
例によって、地図と風景を見比べ、武将たちの陣を思い浮かべる。
おお、呼子大橋が見える。それにしても相当たるメンバーが出兵している。島津義弘とか上杉景勝とか、個人的には古田織部陣跡がテンションあがった。
しかしながら、かなりスケールのでかい城である。しかも、装飾には手を抜かなかったようなので、全盛期のものが現存していれば、どんなけすごい城だったのだろう。当然、世界遺産になっていただろうと思う。惜しい!私にとって、タイムマシーンがあったら見てみたい城は、1位安土城、2位石山御坊、3位大阪城(秀吉ヴァージョン)であるが、名護屋城は、今回の視察で四位が決定した。
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