大阪を歩く!Ⅱ(その1:四天王寺Ⅰ)
平成22年3月21日。
前日はJINの結婚式だった。披露宴はまったりとしていたのでよかった(一部、チキチキとかいう過激派に囲まれて恐ろしい目にあったが・・・←本当は私のくだらん旅日記を見てくれている奇特な方々だ。)が、二次会ではふじゅんの会のメンバー、社長とまきと一緒に幹事をする羽目になった。ほとんど社長とまきが進行してくれたので、楽は出来たが、気がつくと、精根尽き果てていた。折角の三連休に神戸に帰ってきたので、大阪でもぶらついてみた。
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そういや四天王寺って行ったことないや!ということで四天王寺に行ってみた。
石の鳥居である。日本三鳥居のひとつらしい。13世紀に造られたそうな・・・。ほんまかいな
石の鳥居をくぐる。
早速、西大門が見えた。これは戦後の再建である。
西大門をくぐる前に、乳に反応してしまい、少し寄り道をする。
このお堂に乳・・・、乳布袋様が・・・
順番を並ぶと、やがて乳白色の布袋様が・・・
とりあえず、乳を揉んだ。
ちなみにこれは撫で仏で、本尊は布袋堂の中に鎮座されておられた。
西大門をくぐる。
この先が金堂やら五重塔がある中心エリアである。
早速、五重塔である。
金堂である。本尊は救世観音だ。
講堂である。
さて、四天王寺であるが、山号を荒陵山(あらはかさん)という。宗派に属さない独立したお寺だ。6世紀末に建設が開始されており、日本最古の官寺ということだ。といっても、何回も焼失しており、第二次世界大戦でもしっかり燃えてしまったので、ほとんどの建物は戦後のものである。
このお寺は聖徳太子縁の寺として名高い。かつて、仏教推進派の蘇我馬子・聖徳太子連合軍と廃仏派の物部守屋が戦った際、聖徳太子が四天王に戦勝祈願し、勝ったら寺を建てると約束したのが始まりである。大層由緒正しいお寺なのである。それが、いまや鉄筋コンクリートに・・・
講堂と反対の南側に位置するのが、中門である。
この中門から五重塔、金堂、講堂と北へ一直線に伽藍が並んでおり、この様式を四天王寺式というらしい。
中門をくぐり、中心伽藍を出た。
振り返り、中門を眺める。
しっかり仁王様が守っておられた。
中門の前には、熊野権現礼拝石が置いてあった。ここから熊野詣でができるのか?
さて、中心伽藍は見学を終えたが、四天王寺の境内巡りはもう少し続く。
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