中欧旅行記(その33:ホーフブルク)
このカールスプラッツ駅舎は一風変わった建物である。1899年に完成した世紀末建築の一つである。
ここから少し東に歩くと、楽友協会である。
19世紀に建設された建物である。ウィーンフィルハーモニー管弦楽団の本拠地であり、ベートーヴェンなどの自筆の楽譜が見れたりと、クラシック音楽好きには堪らない所であるが、私には特に興味が持てない。
内部の見学は、時間が指定されたツアーのみである。JINは大層行きたがっていたが、美術史美術館で時間を喰ってしまったので、間に合わなかった。JINにとっては遺憾である。
未練は残して、次に進む。
ホーフブルクにやってきた。ホーフブルクは王宮のことである。13世紀につくられたと言われており、その後、ハプスブルク家の王宮となって、神聖ローマ帝国、オーストリア・ハンガリー王国の宮殿として使われてきた。
この門はブルク門である。ミヒャエル門という門が正門になるので、これは裏門みたいなもんだ。
門をくぐると、英雄広場に出る。
英雄広場から歩くと、旧王宮の中庭に出る。真ん中の像はフランツ2世の像である。
これはスイス門。かつて、マリア・テレジアがスイス近衛兵に警備させていた。
この門はミヒャエル門という正門である。といっても裏門にあたるブルグ門から入ってきたので、こちらがわはホーフブルグの内側から見た門ということになる。
ミヒャエル門の中は、思ったより長い。トンネルのようだ。
上を見上げると、なかなかいい天井をしていた。
こちらがミヒャエル門の表側?である。4っつのむさ苦しい像があるが、全部ヘラクレスらしい。ミヒャエル門は18世紀に建てられた。
とりあえず、ホーフブルクを突っ切ってみた。ここで、JINの提案で、ホーフブルク内の国立図書館に行くことにした。
受付を済ますと、なにやら石版が壁に貼られたゾーンに・・・
階段を上る。
階段の壁にも石版が貼り付けられている。なんとも古そうであるが、何なのかはわからない。
やたら重苦しい扉の向こうが図書館である。
これは素晴らしい!
18世紀にカール6世が建設した書庫で、現在は国立図書館となっている。
天井のフレスコ画が素晴らしい。
西洋の古い本と言えば、こういう背表紙のイメージがある。本好きな私としては、ただ古い本が並んでいるだけで、うっとりする。
図書館の中にはいくつかこういった彫像が立っていた。彫像と本が何か関係あるのかは不明だが、とにかく芸術性を感じた。
図書館の一番奥である。
地球儀?
この図書館であるが、人気が無いのか人があまりおらず、静まり返ってなかなかいい雰囲気であった。
こうして図書館を出る。
図書館を出たところで、JINと別れることになった。別に喧嘩別れではない。私は旧王宮を見学したかったし、JINはデーメルのトルテに興味があった。
旧王宮は、1階が宮廷の食器などがひたすら展示されていた。2階が皇帝の居室やらエリーザベト皇妃の博物館などがあった。エリーザベト皇妃は最後の皇帝フランツ・ヨーゼフの嫁で、ドイツから嫁いできた。宮廷暮らしが馴染めず、また人付き合いが苦手らしく、その上、浪費家ととんでも皇妃であると思うが、何故か人気がある不思議な人だ。個人的に息子が死んだ後、ずっと着ていたという黒いドレスの部屋が大層不気味であった。そして、このあたりで、デーメルで堪能したJINに遭遇した。結局、旧王宮も見学したJINなのであた。写真撮影禁止のため画像を残せていないが、感想を言うと、シェーンブルン宮殿のほうがあか抜けている。
こうして、ホーフブルク見学を終えた。
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