中欧旅行記(その24:くさり橋)
国会議事堂前からふらりとトラムに乗った。
降りてすぐに前に見えるのは、
くさり橋である。
ブダペストはドナウ川を挟んで西側のブダ地区、東側のペスト地区が合わさってつけられた名前である。まあ、喜連瓜破みたいなものだ。今立っているのが、ペスト地区なので、このくさり橋を渡ればブダ地区ということになる。
くさり橋は1849年に開通した橋で、全長375mもある。ちなみに第二次世界大戦でぶっ壊れたので、現在のものは、再建である。
くさり橋の袂にあるライオンの像は、舌がない。建設当時、これを町民がからかったため、ブロークンハートな彫刻家が、自身のあまりの強さに闘う相手がいないことを嘆いた喧嘩マンのようにドナウ川に投身自殺した(奴はテムズ川だが)というデマがある。実際は、舌が見えないだけであり、彫刻家も投身自殺などしていない。
とくと見よ!この勇姿を!
ドナウ川~流れる岸部~
おやっ?
あれは国会議事堂ではござらぬか?
対岸に見えるのは王宮である。
カイツブリ?
青葉城恋唄をBGMにドナウ川を流れていく岸部シローをJINと二人で想像しながら、歩いていると、向こう岸に着いた。
ブダ地区である。
ご覧のように王宮は丘の上にある。普通にしんどいので、
バスに乗った。このバス、非常に凶暴に坂道を突っ走る。座席に座ろうとしたときを急発進に襲われ、見事に吹っ飛び奇跡の一回転(頭打たず)をバスの乗客に披露して、疲労したことをここに記す。ちなみにJINも客もひいていた。
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