中欧旅行記(その10:ベルリン大聖堂)
ルター派の教会で、王家の教会でもある。
気色悪い銅像だ。
中に入る。
なかなかの教会だが、カンタベリーとかヴァチカンとか見てきた私とJINにとっては、少し物足りないのであった。
現在の教会の形になったのは、1905年にヴィルヘルム2世によって立て替えられてである。
天蓋は、第二次世界大戦の被害を受けたようだが、1993年に修復されている。
フリードリヒ・ヴィルヘルムの墓である。ブランデンブルグ辺境伯で、プロイセン王国の基礎を築いた人物である。
ヴィルヘルム3世の墓である。自由主義者で国民には愛されたようだが、在位3ヶ月で死んでしまうという悲惨な皇帝である。
フリードリヒ1世である。初代プロイセン王である。
ゾフィー・シャルロッテの墓である。フリードリヒ1世の妃である。フリードリヒ1世はぱっとしないおっさんだったらしいが、彼女の影響で学芸の振興を行い、初代プロイセン王にまで上り詰めた。しかしながら、フリードリヒ1世は優柔不断な性格から名君とは評されていないようだ。
髑髏がなかなか恐ろしげだ。
立派なパイプオルガンだ。
上に上れるらしい。
おお!天井が近い。
今度は地下に潜った。
ご覧のように墓だらけだ。
フリードリヒ・ヴィルヘルムとある。あれっ?上にも墓があったはずなのに・・・?
こぎれいな墓ですな。
真ん中がゾフィー・シャルロッテで、右がフリードリヒ1世、左が息子のフリードリヒ・アウグストである。上に墓があっても下にもあるようだ。なんでかは良く分からない。
今回の欧州研修も早速、教会に訪問した。今回もたくさん行くのかねぇ。。。
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