熊野鼓動不完全制覇(その8:熊野川川舟下りⅠ)
川湯温泉富士屋の前からバスに乗り、川舟センターにやってきた。
ここから新宮まで90分の船旅である。受付を済ますと、救命胴衣と笠を渡された。これらを装着し、簡単な説明を受け、いよいよ河原に降りる。
我々の乗る舟はこちらの神倉である。字は違うがラーメン屋みたいな名前だ。なお、今回はもう一艘、八咫烏という舟が別グループにあてがわれた。
ほないきまひょか!?おほっ!揺れる、揺れる。
船に乗り込む。
八咫烏はん、先行きますえ。
舟が出発した。いかにも昔ながらの川舟だが、しっかり船外機が着いていた。平安時代の皇族や貴族は本宮に参ったあと、このような舟で新宮まで参詣したようだが、当然、当時の舟は手漕ぎである。そのほうが雅だろうが、ま、快適だし、速いからいいか。。。
ちなみに進行方向の右は和歌山で、左は三重だったりする。
舟から山々を見ると、数々の滝が見え、それぞれについて、語り部さんが解説してくれる。大変ありがたいが、聞きながら舟に揺られていると、眠くなるのも事実である。
宣旨返りという難所である。後白河法皇の勅命を受けた宣旨が思わず引き返したという難所である。
かつての熊野古道が残存している。かなり細い。
こういうのって、地学で習った気がするけど、なんだっけ?たぶん地殻変動で斜めになってるんやなかったっけ?
ちなみになびき石というらしい。
陽石である。ま、男の象徴ってやつだ。
で、対岸の穴が開いているところが、陰石だ。こちらは女の象徴ですな。
ここは比丘尼転びという細い古道が残っている。熊野信仰を全国に広めた健脚の比丘尼でも思わず転んじゃったというほどの難所である。画像ではよく分からないが、かなり怖そうな道であった。
この背骨っぽい石の列は、骨嶋という。熊野権現に切られた鬼の骨という話だ。ま、確かに妙に白くてそれっぽかった。
釣鐘石という。釣鐘状の石の割れ目が川に落ちたとき、世界が終わるらしい。恐ろしや、恐ろしや
よく見たら、蜂の巣が・・・
あの蜂の巣が落ちたとき、世界は終わらないが、私たちは終わる。
ところで、このあたりの水深が熊野川で最も深いらしい。確かに底は完全に見えない。
やがて、昼嶋という島が見えてきた。ここで、だいたい行程の半分である。次回へ続く。
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