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2010年1月

2010年1月29日 (金)

熊野鼓動不完全制覇(その14:那智滝)

いよいよ今回の旅行も、この那智滝を最終目的地とするのみになってしまった。

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那智大社から青岸渡寺を抜けて、那智滝に向かう途中で、那智滝が見えた。手前の三重塔は青岸渡寺のものである。

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こちらは大黒天堂がある。青岸渡寺のお堂である。

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古道の続きがあったが、今回は別の道を行くので、スルー・・・

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何やらお堂があるなと思って入ってみた。

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特に大したものはなかった。

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先ほど見えていた三重塔をスルーし、、、

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石段を降りていくと、、、

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別宮飛瀧神社の鳥居が見えた。飛瀧神社とは那智滝のことである。

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何かよく分からない石碑。。。

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下りの石段が続く。行きは良いが帰りはつらい・・・

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光ヶ峰遥拝石なるものがあった。光ヶ峰とは那智山の一つらしい。那智山とはいくつかの山の総称だそうだ。

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いよいよ那智滝だ。飛瀧神社という名があるが、神社というわりには、社がない。滝そのものがご神体という、ちょっと変わった神社なのである。

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那智滝である。那智滝といえば、日本一落差(133m)と名高い。だが、これはちょっと条件付ということらしい。あくまで直瀑(落ち口から滝壺まで一気に落ちるタイプ)でということらしい。しかも、択捉島にもっと落差のある直瀑があるらしく、非常に微妙だ。日本政府的には、那智を日本一としちゃー都合悪そうだ。

それとは別に、那智滝は日本三名瀑として名高い。もう二つは、袋田の滝と華厳滝である。

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滝の手前には、何やら神聖なものが・・・

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滝の右手から、より滝壺に近いところまで行ける。ただし有料。。。

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何やらありがたい湧き水があった。当然、ごきゅごきゅ飲んだので、私の命は延びたに違いない。でもこういうの前にもみたことがあるような。。。あれとかあれとか・・・

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いよいよ滝に近づいてきた。

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大迫力だ。マイナスイオンの浴びすぎて、身体が負の電荷をもちそうだ。私がマグネットパワーマイナスを獲得したら、マグネットパワープラスの人とあの大技ができるかなあ・・・

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こちらから、より高みで滝を拝むことができる。

こうして、那智滝を後にした。ちなみに、やはり行きは楽だった石段がきつかった。

那智滝の前からバスに乗り、勝浦に戻ってきた。

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帰りの弁当やらお土産やら買って、いよいよグランドフィナーレが近づいてきた。

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電車がきちまった。。。

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最後はビールでおつかれ~

この後、一人関空から福岡に飛び立ち、帰るハメに・・・

おしまい。

2010年1月27日 (水)

熊野鼓動不完全制覇(その13:熊野那智大社)

いよいよ熊野三山もこの熊野那智大社でコンプリートである。本来、後で参ればスムーズにいける青岸渡寺を先に参拝してしまったため、私とJINは青岸渡寺の前の石段を降りて、大社の正門から入ることにした。社長とまきは掟破りの裏口から入り、楽をした。

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この那智大社は、那智滝を神聖視したことに始まる。他の熊野三山とは少し異質なのである。

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完全にバテた私には、この石段がきつくもある。

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途中に兒宮という摂社があった。

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あと一踏ん張りだ。

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拝殿である。ここで別れていた社長とまきに再会した。こっちはグロッキーぎみなのに、彼らは飄々としていた。

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拝殿の隣には、八社殿がある。

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おっ!八咫烏!

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拝殿に向かい、参拝する。この熊野那智大社は、熊野夫須美大神を主祭神としている。ま、熊野権現ですがね。

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拝殿の前に、やたらでかい御神籤があった。日本一とな?

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やってみた。

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樹齢800年の大楠だそうだ。なんでも平重盛が植樹したとか・・・

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JINが穴っぽこを見つけた。胎内巡りとある。この穴に入れるというのか・・・

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うひょー

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うひょー

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あっ、終わった。。。

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シャバに出た気分は爽快だぜ!

こうして、那智大社の参拝を終えた。

次は那智滝だ。

2010年1月25日 (月)

熊野鼓動不完全制覇(その12:青岸渡寺)

那智大社と青岸渡寺、どっちにしようかな?

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折角だから、俺はこの青岸渡寺を先に選ぶぜ!

ところが、那智大社を先に行ったほうが、スムーズに参拝できる構造だった。少し失敗だった。

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山門だ。ここにきての微妙な石段は、既に乳酸の溜まった足にはきついものがある。

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この青岸渡寺は、天台宗のお寺で、西国三十三箇所の第一番札所である。ちなみに、山号は当たり前だが、那智山である。

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山門には立派な仁王が祀られている。

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まだまだ石段が続く。かなり萎える。

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やっと本堂に着いた。

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もともと、那智大社の一部であり、如意輪堂と称していたが、明治時代の神仏分離により、分けられた。それでも他の熊野三山は仏堂がぶっ壊されているので、青岸渡寺として、生まれ変われたここはましな方なのである。

参拝の後は、ご朱印をもらい、終了である。

この本堂の脇から、那智大社に行ける。この場合、昇降はないが、那智大社の脇から入ることになる。私とJINはあくまで正門にこだわり、石段を降りて、再び大社に上ることを選択した。社長とまきは、楽な掟破りを選んだ。

2010年1月24日 (日)

熊野鼓動不完全制覇(その11:大門坂)

熊野速玉大社を参拝し、新宮駅に向かうバスの中で、密かにめはり寿司を食す。

新宮に着いた。

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一路、勝浦を目指す。

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さっき新宮駅で買っためはり寿司を食う。

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美味かった。昨日から何回食ったかなあ。。。

個人的に14年ぶりの勝浦に降り立つ。14年ぶりだが、何も変わらない町がそこにはあった。しいて言えば、オール食堂がなくなってたくらいか・・・

勝浦からバスに乗り、大門坂の入り口までやってきた。

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ここは、那智参道の入り口になる。いよいよ熊野三社参りがコンプリートされようとしている。

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ここまでは、普通に民家の合間を通ってきており、そんなに雰囲気はない。

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いよいよ熊野古道っぽくなってきた。路の左右に聳え立つ二つの杉の大木は夫婦杉という。

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多富気王子という。九十九王子最後の王子だそうだ。

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周囲には石仏があった。

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ふたたび古道を進む。

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ここまで、はしゃぎまくりで駆け回っていた(周りの観光客からは冷たい視線を浴びた)せいか?バテてきた。恐るべし大門坂・・・(;;;´Д`)

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ちなみにここまで、道のりでのいつもの四人の動向はというと、私→落ち着き無く駆け回る。JIN→皇室アルバムのような足取りで興味深げに黙々と散策、しかも足は速い。社長&まき→いつもどおり二人で何やら討論をしている。ま、大した話じゃないですがね。二人はゆっくり歩いているため、結局、いつもどおり、私とJINが先行し、社長とまきが後から着いてくる構図が見られた。

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唐斗石とかいう石があった。祈り石だそうだ。ここで、祈るのかな?

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前方が明るくなってきた。ゴールは近いのか?

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とりあえず、平地に出た。やれやれ・・・

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結構な道のりであった。。。

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また、坂道が・・・

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後ろを振り向く。なかなか高いところまで上ってきたものだ。

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やっと、念願の那智大社と青岸渡寺が見えてきた。

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観音堂が路の傍らにあった。

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那智大社が見えた。さて、青岸渡寺から参拝しましょうかね。。。

2010年1月21日 (木)

熊野鼓動不完全制覇(その10:熊野速玉大社)

舟が河原に着くと、熊野速玉大社まではすぐだ。

参道近くのみやげ物屋や飲食店のあるエリアで一次的に荷物を預かってもらえるようなので、重い荷物を置き、身軽になる。決められた時間に戻ると、舟下りの会社がバスで新宮駅まで送ってくれるらしいので、そうすることにした。

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どうやら、表参道をショートカットしたようで、いきなり神門が現れた。

表参道を戻ったところに、人だかりが見える。ちょっと行ってみるか。。。

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天然記念物の梛の木だった。かなり大きい。

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いよいよ神門をくぐった。

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拝殿である。熊野速玉大社は熊野三山の一つで、熊野速玉大神と熊野夫須美大神を主祭神とする。元々、神倉山という山に祀られていたのだが、いつごろかこの場所に祭られるようになったとか。。。神倉山を元宮し、こちらを新宮ともいう。そもそもここ住所は新宮市になるわけだが、新宮があるから新宮市なのだ。

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真っ赤で美しいですな。ちなみに、社殿は、明治時代に全焼しており、再建だ。この火事の原因だが、なんと打ち上げ花火だそうだ。

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近代社格制度では当初、県社であるが、大正時代に官幣大社に格上げされている。

参拝を終え、ここでも牛王符をゲットした。あと残りは、那智か・・・

帰りに梅干屋を見つけた。ここでは、男四人で梅干を買い求める光景が見られた。

2010年1月20日 (水)

熊野鼓動不完全制覇(その9:熊野川川舟下りⅡ)

前回の続き、昼嶋からである。

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熊野権現が昼食をしたところとも、天照大神と熊野権現が囲碁を楽しんだところとも言われている。ここで、昼嶋に上陸することになった。

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久々に地上に降りた。

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とってつけたような階段を上る。

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昼嶋のてっぺんである。このぼこぼこしたところが、碁盤みたいだということで、天照大神と熊野権現が囲碁をするという話に繋がるようだ。

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なかなかいい眺めだ。

そうこうしていると、出発の合図が・・・

私とじゅんちゃんはぐずぐずしていたため、後から来た八咫烏の一行のさらに後方になってしまった。狭い一本道なので、神倉に置いていかれないように、冷や冷やしながらも、冷静に嶋を降りた。

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なかなかきれいな花だ。

途中で、八咫烏の語り部が木の実を指差し、これは食べられると言っていた。よく見ると、子供の頃に、親父様とクワガタムシを取りに行ったときに食った実だ。

私:昔、よー食いましたよ。

語り部:ほう!お客さんも田舎育ちですか?

私:いえ、シティーボーイです。

語り部:・・・・

゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

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舟は再び進む。

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先ほどから、サギか何かを盛んに目撃しているが、この河原には、たくさん鳥がいた。なんかあるのか?

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途中の河原で鮎釣りをするおじさんたちに手を振られたり、語り部がおもむろに笛を取り出し、演奏しだしたり、語り部のおっさんが歌歌いだしたり、有田みかんが配られたり(あ、もう一個とっとこ・・・)と、いろいろあって、もう間もなく終点だ。

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この島は、御船島という。熊野信仰の聖地の一つで、新宮の御船祭りのときには、御神幸船がこの周りを三周廻る。

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島の周りを、一周廻る。

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ちなみにこちらの石の列は、亀島という。どのへんが亀かは理解できない。

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いよいよ到着した。ここから新宮、速玉大社には歩いてすぐだ。

2010年1月18日 (月)

熊野鼓動不完全制覇(その8:熊野川川舟下りⅠ)

川湯温泉富士屋の前からバスに乗り、川舟センターにやってきた。

ここから新宮まで90分の船旅である。受付を済ますと、救命胴衣と笠を渡された。これらを装着し、簡単な説明を受け、いよいよ河原に降りる。

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我々の乗る舟はこちらの神倉である。字は違うがラーメン屋みたいな名前だ。なお、今回はもう一艘、八咫烏という舟が別グループにあてがわれた。

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ほないきまひょか!?おほっ!揺れる、揺れる。

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船に乗り込む。

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八咫烏はん、先行きますえ。

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舟が出発した。いかにも昔ながらの川舟だが、しっかり船外機が着いていた。平安時代の皇族や貴族は本宮に参ったあと、このような舟で新宮まで参詣したようだが、当然、当時の舟は手漕ぎである。そのほうが雅だろうが、ま、快適だし、速いからいいか。。。

ちなみに進行方向の右は和歌山で、左は三重だったりする。

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舟から山々を見ると、数々の滝が見え、それぞれについて、語り部さんが解説してくれる。大変ありがたいが、聞きながら舟に揺られていると、眠くなるのも事実である。

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宣旨返りという難所である。後白河法皇の勅命を受けた宣旨が思わず引き返したという難所である。

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かつての熊野古道が残存している。かなり細い。

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こういうのって、地学で習った気がするけど、なんだっけ?たぶん地殻変動で斜めになってるんやなかったっけ?

ちなみになびき石というらしい。

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陽石である。ま、男の象徴ってやつだ。

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で、対岸の穴が開いているところが、陰石だ。こちらは女の象徴ですな。

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ここは比丘尼転びという細い古道が残っている。熊野信仰を全国に広めた健脚の比丘尼でも思わず転んじゃったというほどの難所である。画像ではよく分からないが、かなり怖そうな道であった。

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この背骨っぽい石の列は、骨嶋という。熊野権現に切られた鬼の骨という話だ。ま、確かに妙に白くてそれっぽかった。

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釣鐘石という。釣鐘状の石の割れ目が川に落ちたとき、世界が終わるらしい。恐ろしや、恐ろしや

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よく見たら、蜂の巣が・・・

あの蜂の巣が落ちたとき、世界は終わらないが、私たちは終わる。

ところで、このあたりの水深が熊野川で最も深いらしい。確かに底は完全に見えない。

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やがて、昼嶋という島が見えてきた。ここで、だいたい行程の半分である。次回へ続く。

2010年1月14日 (木)

熊野鼓動不完全制覇(その7:川湯温泉)

バスに乗って、川湯温泉にやってきた。

川湯温泉といえば、その名のとおり、河原を掘れば、温泉が湧くことで、有名だ。

11月から2月にかけては、川を堰きとめて造った仙人風呂が登場する。

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皆さん、早速入ってますな。この時間帯に入っている人はほぼ水着を着用しているようだ。

ま、とりあえず、今夜の宿である富士屋に入る。

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また、これか・・・

青森の蔦温泉、群馬の法師温泉、岐阜の福地温泉、和歌山の龍神温泉、大分の壁湯温泉、熊本の黒川温泉・・・

私の行く先々にあるな。。。

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部屋に通された。なかなかくつろげる部屋だ。

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窓から仙人風呂が丸見えだ!

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ほう!上から見ると、こうなっているのか・・・

夕食の前に、お風呂に行こうということになった。何でも貸切湯があるらしい。これは行っとくか・・・

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最高ですやん!

私とじゅんちゃん、JIN、まきの四人で、漢(おとこ)について熱く語り合った。

それにしてもこれは最高の空間であった。かなりお勧めである。

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さて、夕食である。

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とりあえず、これがないと・・・

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鯉せんべいをぼりぼり齧りながら、ビールを嗜む。

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刺身ーーーー!

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胡麻豆腐ーーーー!!

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さんまのなれ寿司だ。これはなかなかいけた。ただ、個人的にはサバ寿司のほうが好きですがね。。。柿の葉寿司食いたひ。。。

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お鍋がいいかんじですな。

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グラタンだが、何のグラタンやったかな・・・?

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漬物とご飯でフィニッシュ!

ご飯を食べているとき、JINよりサプライズ報告があったが、ま、これはうちうちの話なので、触れません。

ご飯後は、いよいよ仙人風呂へ。

うおっ!雨降ってる・・・

雨に濡れて、入ることになるとは。。。とほほ・・・

浴衣を脱ぎ捨てると、ビバ仙人風呂へ!

もちろん、水着など着ない。真剣勝負に関係ないわーーーー!!!!

みんな!おらの全てを見てくれ!

。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚

初めに入ったところは、かなり温めだった。奥のほうに移動すると、なかなかええ塩梅のお湯が沸いていた。Oh, Yes!

あと、お湯が川臭かった。

すっかり、ほっこりして、外に出る。浴衣を着ると、びちゃびちゃだった。

雨で濡れてしまったようだ。仕方ないので着たが、寒い、相当寒い!

聞けば、じゅんちゃんも同じ過ちを冒したらしいが、JINとまきはちゃっかり濡れないところに置いていた模様だ。

旅館に戻ると、ロビーで着替えの浴衣を借りて、事なきを得た。

で、部屋飲みをしたり、旅館の風呂に行ったり、たべったりして、一日目終了。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

二日目開幕である。とりあえず、朝から仙人風呂だ。

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増水のため、温度が低いとな?

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で、本当にぬるかった。あまりのぬるさに、身体が震えるぞハート。

ちなみに当然、水着など着ていない。おらを見てくれ!

なんとか、マシなところに行き着いたが、寒くて、外に出られない。思わぬ長湯になってしまった。

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朝食をもりもり食べて、

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出発!

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2010年1月12日 (火)

熊野鼓動不完全制覇(その6:熊野本宮大社)

いよいよ熊野本宮大社である。

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熊野本宮大社は、熊野速玉、那智と並ぶ熊野三山の一つにして、熊野の中心である。主祭神は、家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)、別名熊野坐大神(くまぬにますおおかみ)である。社格は、式内社で、近代者社格制度では、官幣大社である。要するに、めちゃめちゃ格式高いということだ。

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石段の途中に、功霊社なるものがあった。摂社か末社である。

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こちらも摂社か末社の祓戸神社である。

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いよいよ石段も最後だ。

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清める。なかなかきれいな水だ。冷やっこかった。

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この門の向こうに本殿がある。

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門の上には、牛さんが・・・

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ここからは撮影禁止エリアである。

本殿には、上四社という四つの社がある。順に拝んでいく。

ちなみに中四社と下四社というのもあるが、それはここから少しはなれたところにある、旧社地にある。

それしてもさすが熊野詣の中心地だ。かなり雰囲気がある。これを写真に残せないのは残念だ。見たい人は是非行ってみてくだちい。

本殿を後にする。

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紅葉がきれいですな。

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こちらが拝殿のようですな。

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おお!八咫烏だ。八咫烏とは、神武天皇を大和国に導いた三本足の烏であり、神の使いだ。ここ熊野三山のシンボルでもある。戦国好きな雑賀衆の棟梁鈴木家の旗頭で有名だ。また、何故か日本サッカー協会のシンボルになっているので、日本代表のユニフォームに密かにデザインされていたりする。

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また、拝殿前には、亀石と大黒石なる石が鎮座していた。どのあたりが亀と大黒なのかよく分からなかった。

ところで、熊野牛王符(くまのごおうふ)というものがある。熊野三山限定の特殊な神札である。鳥文字なるもので書かれており、デザイン的に惹かれるものがあったので、当然ゲットした。あと、新宮と那智にも同様のものがあるらしい。これはコンプリートしなければ!牛王符の使い方としては、一般的な、護符としてのものと、誓約書としてのものがある。昔は、このお札の裏に誓いの文を書いたらしい。そうすると、熊野権現に誓ったということになり、約束を破ると、地獄行きだったらしい。

すっかりいいものを獲得し、心踊りながら、熊野本宮を後にした。

ここから路線バスにのり、本日の宿泊先である川湯温泉に行く。

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バス停から大鳥居が見えた。この鳥居は、旧社地の大斎原(おおゆのはら)に建っている。明治まで、本宮はそこに建っていたが、中洲にあったため、洪水で流れてしまったそうだ。で、今の場所に移転したのである。

さ、いよいよ温泉楽しみなのである。

2010年1月11日 (月)

熊野鼓動不完全制覇(その5:湯の峰温泉)

継桜王子の近くには、とがの木茶屋という有名なお店がある。

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ご覧のように、萱葺きの屋根でえらく雰囲気のある店だ。ここでは、軽食を食べられ、中でも茶粥定食が名物だとか。。。タクシーのおっちゃんが言うには、予約してなけりゃ、なかなか食べられないとのことだ。折角だから、ダメでもともと、茶粥を昼飯にしようかと思ったが、おばちゃんがいなかった。残念。。。(´・ω・`)ショボーン

仕方ないので、移動する。我々の次の目的地は、本宮大社であるが、その前に、湯の峰温泉に立寄った。

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ここで有名なのは、つぼ湯である。

日本最古の共同浴場と言われており、なんと世界遺産に登録されているのだ。

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折角だから入りたいな~と眺めていると、番号を読み上げるアナウンスが・・・

げ、順番で入るのか?全然くつろげへんやん!

時間もないし、断念・・・(´・ω・`)ショボーン

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下を見ると、温泉卵を作っていた。

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ここ湯の峰温泉は小栗判官蘇生の地として知られている。小栗判官は伝説上の人物である。ま、一度殺され、復活するも、完全復活とは行かなかったが、ここの薬効により完全復活を遂げたというものである。

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東光寺というお寺らしい。調べてみると、ここの薬師如来像には胸の辺りに穴が開いているが、ここからお湯が湧いたので、「湯の胸温泉」→「湯の峰温泉」・・・バンザーイ(◎´∀`)ノ

そんなこんなで、折角温泉地に来たにもかかわらず、全然温泉を楽しまなかった。ま、今晩に期待しまひょ。。。

♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:

本宮大社にやってきたが、その前に昼飯だ。

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古道うどんと

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やっぱこれでしょ!めはり寿司!うまかった。。。

次回は本宮大社。

2010年1月 8日 (金)

熊野鼓動不完全制覇(その4:近露王子、継桜王子)

続いてやってきたのは、近露王子である。

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近露王子は、九十九王子の一つである。

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このあたりは、かつては田辺と本宮との中間地点に位置することから、宿場などが置かれ、重要拠点であった。

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現在、社はない。明治期に合祀廃絶されている。明治政府はいらんことをしたものだ。

近露の地名の由来は結構しょーもない。花山天皇が食事をしようとしたが、箸がなかった。萱の茎を折って代用としたところ、赤い汁が滴り落ちた。それを見て、「こりゃ、血か露か?」と言ったんやと・・・

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大本教の宗教家「出口王仁三郎」の筆による石碑である。大本教弾圧を逃れた数少ない作品の一つらしい。この王仁三郎氏、調べてみると、芸術的才能があったようで、魯山人も評価しているそうな。。。

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なにやら石仏があった。

それにしても何も残っていないのは、寂しすぎるものだ。

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続いて、継桜王子である。こちらも九十九王子の一つである。

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写真にもあるように、このあたりに杉の巨木がいくつか生えている。これを「野中の一方杉」という。みんな那智のほうを向いて生えるので、一方杉というらしい。不思議なこともあるものですな。

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一方杉の向いている方角を眺める。向こうに那智があるんかいな・・・?

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杉の大木の根本に穴が開いていた。

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人一人くらい入れそうやな。

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この石段、何気に長いね。。。

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やっとこさ着くと、社があった。

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この継桜王子も明治時代に他の神社と合祀され、ご神体が無くなっていたらしい。戦後戻され、祀られているが、本当に明治政府はいらんことをする。

ところで、何故継桜かというと、1109年の「中右記」という書物に「継桜」という根本が檜で、上が桜という珍木が記載されている。この珍木から名がついたようだ。

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それにしても巨木が多いですな。

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でもやっぱ、この石段の両サイドに立つやつがいい!

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上を眺めると、吸い込まれそうな錯覚が・・・

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さて、次に行きますかね。

2010年1月 7日 (木)

熊野鼓動不完全制覇(その3:高原熊野神社)

高原熊野神社にやってきた。

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正式には、熊野神社という。熊野本宮大社から勧請してきたらしい。別名高原王子というが、九十九王子には数えられない、謎の神社である。かつては熊野権現社という名が通っていたらしい。

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本殿は1532年からのもので、熊野古道中辺路最古のものと言われる。桧皮葺の屋根が苔むし、かなり雰囲気がある。でも小っこい・・・

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やたらでかい木が聳え立っていた。ご神木かな・・・?

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別のところにも、やたらでかい木が・・・

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駐車場から眺める景色はなかなかのものだった。。。

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おっ!水車!

ここまで、マニアな私とJINはそこそこ楽しんでいたが、一般人?のじゅんちゃんとまきは別の話で盛り上がるばかりであった。思えば、ここが一番テンション上がってたかな?

さて、次へ行こう。。。

2010年1月 5日 (火)

熊野鼓動不完全制覇(その2:滝尻王子)

バスに揺られて、滝尻までやってきた。

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ここが熊野詣での入り口である。

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ここには滝尻王子という神社がある。滝尻王子前にタクシーが停まっている。おそらく私らの呼んだタクシーだろう。ま、とりあえず、滝尻王子に参る。

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滝尻王子の正式名称は、滝尻王子宮十郷神社という。九十九王子の一つである。九十九王子は、昨今、流行っている?ハニカミ王子とは何の関係もない。熊野詣に際して、修験道によって組織された神社群で、熊野古道紀州路と中辺路にたくさんある。何故王子かというと、修験道の守護神は童子の姿であるという考えがあるらしく、そこから転じて王子なのだそうだ。

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滝尻王子は、九十九王子の中でも特に格式の高い、五体王子の一つである。

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格式は高いが、実は、社殿は前方に見える小さなあれである。

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こんな小さなものとは思わなかった。

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歌碑のようだ。

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社殿は小さいが、境内は何となく厳かな雰囲気に満ちている気がした。

さて、先へ急ぐとする。

待たせていたタクシーに挨拶する。なかなか気のいいおじさんだ。茶屋のアルコール臭いおじさんと談笑していた。ところで、このアルコールオヤジは、有名な語り部らしい。

語り部とは、熊野古道のガイドさんのことである。

私たちが今回の旅の予定を申すと、二人一斉に無謀といわれた。

ま、遅れたし、余計難しいやろうね。

ということで、熊野古道完全制覇は未来に託し、今回はタクシーで掟破りの熊野古道巡りとする。

次回より、アルコール語り部さんとタクシーの運転手さんのチョイスで熊野古道を掻い摘んでいく。

今回の目的は、あくまで熊野本宮と速玉ですからっ!

2010年1月 4日 (月)

熊野鼓動不完全制覇(その1:導入)

平成21年11月22日から23日に、熊野詣に行ってきた。今回は、お馴染み?ふじゅんの会のイベントである。ふじゅんの会のメンバーについては、プロフィールにて紹介している。今年はどんなことになるやら・・・

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11月21日に神戸に帰ってきた私は、いったん実家でくつろいだ後、夜にまきの家に行くことにした。翌日の出発は相当早いため、大阪にあるまきの家に泊まったほうが有利であると判断したからだ。大阪駅に着くと、まきに連絡を取り、長居へ。まきとじゅんちゃんが既に合流していた。まき邸でまき、まき嫁、じゅんちゃんと私でケーキをつつきながら、トークしたあと、就寝した。ちなみにJINは、予定があったため、翌日早朝に神戸を出る。我々とは大阪駅で合流する予定だ。

最初に断っておく。今回の旅は出だしから躓いた。

今回の旅行は熊野大社をメインに、熊野古道を少しでも歩けたらいいなという趣旨である。かなり時間的制約を受けるため、途中をタクシーという掟破りではしょろうとした。このタクシー予約を私がしたわけだが、日曜日のところを土曜日としてしまった。土曜日(21日)に龍神タクシーさんから電話があったので、何事かと思ったら、現場で待ちぼうけを食らわしたことが発覚した。平謝りで翌日にお願いした。これが第一の失態である。龍神タクシーさんにはこの後も、大変お世話になったので、ここに感謝の意を表す。

ところで、21日の昼にJINから預かり物をしていた。熊野古道のガイドマップ等である。これを実家でくつろいだときに忘れた。これが第二の失態である。私の分はちゃっかりザックに入れていたが、じゅんちゃんとまきの分をすっかり忘れていた。大阪で気がついたために、JINに電話し、実家まで取りに行ってもらった。

最後の失態は・・・

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平成21年11月22日。まき邸をでた我々はJINと合流するため、大阪駅にやってきた。ここから快速熊野古道号に乗る予定だ。

・・・

・・・・・・

・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・?

来ないぞ

もうすぐ電車来るぞ

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電車がきちまった。。。

おいおい、どうすんねん。どうしようか迷った挙句、とりあえず、電車に乗り込む。

電車に乗り込むとすぐに連絡があった。やっぱ遅刻したとのこと。。。

これが、第三の失態である。ま、私の失態ではなく、JINのですがね。。。

西九条で電車を降り、JINと連絡調整をする。ここで、じゅんちゃんが元プロのスキルを発揮し、新大阪に戻れば、特急があることを突き止めた。しばらくすると、JINからも新大阪へ行くようメールで指示があった。どうやら同じ対処法に行き当たったようだ。

で、新大阪。。。

特急までは相当時間がある。それまで、気長に待つしかない。

じゅんちゃんが駅で、細かいところをシュミレーションしていると、JINがやってきた。

じゅんちゃんの名言?「しゃーないやん!」が炸裂し、JINを慰めたことで、場が和んだ。ま、今回は、私もまきもパニックで泡食ってただけですがね。

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遅刻したことにショックを受け、うな垂れる?JIN。否全然ショック受けてねぇ。。。

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何か分からん間にトラブルが解決し、途方に暮れるまき。

さて、何で遅刻したかというと、朝電車に乗って、切符を忘れたことに気がついたらしい。で、取りに帰ってたんだと。。。う~ん、今回の旅はサプライズの連続だ。

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新大阪から特急に乗り込む。

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車窓を楽しむ私。

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紀伊田辺に着いた。

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駅前には弁慶像が・・・。勇ましいですな。

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ここから第一目的の滝尻王子までバスに乗る。滝尻王子前では龍神タクシーさんが待っているはずだ。

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