琉球の雨(その1:首里城Ⅰ)
平成21年10月23日から25日、沖縄にふらっと行ってきた。私自身、初めての沖縄上陸である。これで、経県値が4点も上がる。それでは開幕。
・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆
宿は美栄橋駅から数分のところにとった。初めの目的地は首里城である。首里城へは首里駅までモノレールに乗ることになるが、その前に昼食を取る。
国際通りにある。「かどや」という店にやってきた。
ソーキそばを食った。非常に美味かった。
国際通りを歩き、牧志駅からモノレールに乗る。牧志駅の手前に外国人観光客から道を聞かれた。たどたどしく教えた。
ま、ここは国際通りか?と聞かれただけやからね。
首里駅にやってきた。首里駅からすぐかと思いきや、なかなか歩くハメになった。
やがて、それらしい建物が見えてきた。
なかなか雰囲気ありますね。
何気なく見る。
?
世界遺産でした。
園比屋武御嶽石門という。石門の後ろの森が御嶽である。御嶽(うたき)とは琉球における信仰の聖域のことだ。国王が国内巡回するとき拝礼したり、聞得大君という神女の最高位が就任するとき最初に拝礼するといった、非常に重要な御嶽なのである。
あまりにも人がいなくて、見逃すところであった。皆さん、世界遺産ですよー
やがて、有名な守礼門が見えてきた。
首里城の城郭外にあるが、ま、ここが玄関口みたいなもんかね?二千円札で有名だ。ちなみに「守禮之邦」というのは、「琉球は礼節を重んじる国なんやで!」という意味だ。
ここから首里城に入るのかと思い、「チケットを下さい。」というと、違うかった。ここは総合案内所であった。入り口は、守礼門を戻って、少し山側に行ったところらしい。どうやら変な所から来たので、守礼門を裏からくぐったようだ。(/ω\)ハズカシーィ
歓会門である。
ここから城郭内に入る。
狛犬みたいに座っているが、シーサーか?
歓会門を突破すると、次は瑞泉門である。
門の手前には、泉がある。
龍の口から湧き水が出ているので、「龍樋」という。なかなかきれいな水が流れていた。ちなみに瑞泉門の名は、この泉に由来するそうだ。
何やら意味ありげな石碑が・・・「中山第一」
琉球は統一される前、北山、中山、南山に分かれていた。龍樋の水は中山一という意味でしょうな。
瑞泉門をくぐる。
すぐに漏刻門をくぐる。なんだか漏れそうな名前だが、櫓の中の水時計で時間を測っていたことからついた名前らしい。
また門だ。今度は赤々して、かなりド派手である。
広福門である。
広福門をくぐると、いよいよ御庭に続く奉神門が見える。
ちなみにこの箱庭チックなものは、「首里森御嶽(すいむいうたき)」である。当然、聖地であるが、そんな大層なものに見えない。実際、初めは、ただの植木だと思ったが、あまりにも木がぼおーぼおーで、逆に何かあるのかと気になって調べると、重要な場所だったという次第である。
最後の関門、奉神門に突入する。3つの入り口があるが、真ん中の門は本来、国王など高貴な人しかくぐれない。今は、ここが料金所である。気分だけでも雅に高貴になって入った。
正面が、首里城正殿である。当然、首里城の中心である。赤瓦が琉球っぽい。手前の広場は、御庭(うなー)という。真ん中の道は、国王以外通れない。広場が紅白に染め分けられているのは、官僚が並びやすいようにだとか・・・。ここで、儀式が催されたようだ。
首里城の説明を少しする。尚巴志の三山統一前から中山の城として存在していたようだが、統一後、琉球王家の居城として使用されるようになった。首里城は何度も焼失している。一番最近は、太平洋戦争の沖縄戦中である。現在のものは1992年に再建と、非常に新しい。その後、2000年に世界遺産に登録された。
琉球王国っぽい格好をした係員に南殿に行けと誘導された。
ここから内部を見学できるらしい。次回は内部を散策する。
« 祐徳の旅(その3:清水の滝) | トップページ | 琉球の雨(その2:首里城Ⅱ) »
「沖縄県」カテゴリの記事
- 沖縄で感じたこと(その9:波上宮)(2012.04.16)
- 沖縄で感じたこと(その8:座喜味城跡)(2012.04.13)
- 沖縄で感じたこと(その7:勝連城跡)(2012.04.12)
- 沖縄で感じたこと(その6:沖縄平和祈念公園)(2012.04.11)
- 沖縄で感じたこと(その5:ひめゆりの塔)(2012.04.10)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント