ソウル死闘編(その11:昌徳宮Ⅱ)
仁政殿を見学すると、いったん仁政門をくぐって、戻り、さらに肅章門をくぐる。
宣政門である。この奥に宣政殿があるが、門は閉ざされていた。
横手に廻る。この青瓦が宣政殿である。王が日常業務を行うところである。
宣政殿の右隣は、煕政堂である。もともとの便殿は先ほどの宣政殿だが、窮屈という理由から本来、国葬なんかを行う、この煕政堂に王は入り浸っていたらしい。
屋根の上を見ると、西遊記の面々?がここにもいた。
煕政堂の裏側に廻る。
煕政堂の中は、カーペットが敷かれ、シャンデリアがあったりと西洋チックだ。
煕政堂の北側には、大造殿がある。
煕政堂と大造殿は渡り廊下で繋がっているらしい。
大造殿である。昌徳宮の寝殿であり、王妃の生活空間ということだ。
大造殿周辺には付属する建物がいくつかある。その中で、大造殿の右側にある興福軒は、日韓併合条約を決めた場所である。
大造殿の前には、水亀が置いてある。これは、この水に映った自分を見て、火の邪鬼がびっくらこいて逃げるという、火災防止のまじないである。
大造殿の中には、やたら高そうな長椅子が置いてあった。螺鈿というやつか?
大造殿から煕政堂の方向に戻ると、ガイドさんがとある方向を指差した。屋根の壁面に「康」という字が彫られている。縁起がいいとのことだ。
煕政堂に戻ってきた。
煕政堂から東に向かうと、楽善斎のエリアがある。楽善斎は後宮である。
こちらは、楽善斎の裏庭である。
高宗の息子で、李王となった李垠の妃である李方子が最後まで、ここ楽善斎で暮らしたらしい。なんとなくこじんまりしており、くつろげる空間だった。
次回は、昌徳宮後苑を散策する。
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