ソウル死闘編(その7:景福宮Ⅰ)
平成21年10月4日。二日目開幕である。
朝ホテルを出る。ちょっとコンビニであまり美味しくないサンドイッチを買い食いした後、景福宮に向けて歩く。ホテルからはほぼ真北に約1kmなので、かなり近い。
町の外気は少し肌寒く、半袖Tシャツではいささか寒い。。。
途中の世宗路の交差点で、妙な建物を発見した。高宗即位40周年記念碑を守る建物で、碑閣という。即位40年は、大韓帝国の初代皇帝になるなどがあったために、記念したものらしい。
広い道のど真ん中に像が立っていた。
李舜臣将軍像である。李舜臣といえば、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、ほぼ負け状態から勝利に導いた英雄である。
そこから暫く歩くと、光化門(工事中)が見えてきた。光化門は景福宮の正門であるが、現在、復旧工事中である。復旧後にまた見てみたいものだ。復旧すれば、ここから入場することになるだろうが、今まだ工事中なので、入り口は景福宮の東側にある(光化門は南)。
景福宮は李氏朝鮮初代の李成桂が建立した王宮である。1395年創建であるが、文禄の役の際、全焼している。その後は、昌徳宮が正殿になり、270年間再建されなかったのだが、高宗の父、興宣大院君が1865年に再建した。韓国併合以降は、建物の大部分が取り壊され、朝鮮総督府が置かれた。
東に向けて歩くと、東十寺閣があった。今は道路に取り残されているが、もともとは景福宮の施設で、物見櫓のようなものである。
いよいよ景福宮に入る。
入って暫く歩くと、チケット売り場があった。チケットを買おうとすると、どうやらクレジットカードが使えるようだ。というわけでカードでチケットを購入した。後ろからうっちょに、この様子を目撃されていたようで、後で、「300円未満のものによくカード使いますね。」と呆れられた。ま、記念ですな。明細が楽しみだ。ちなみに、私は1ドルの水を買うのにカードを使ったことがある。
興礼門である。ここを抜けると有料ゾーンである。なんかシスター軍団がいるのが、気になる
勤政門である。景福宮の正殿である勤政殿に繋がる門である。光化門、興礼門、勤政門と三つの門が一直線に並んでいる。
勤政門の前には鳳凰のレリーフがあった。そういえば、徳寿宮には龍のレリーフがあった。
勤政殿である。重要な国家儀式などにしか使われない景福宮の正殿である。
徳寿宮と同じように品階石があった。
こんな感じで品階石が並んでいる。
なかなかゴージャスな天井だ。
二匹の龍が天井にあった。
勤政殿を見学したところで、次回へ続く。
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