ソウル死闘編(その10:昌徳宮Ⅰ)
昌徳宮の正門、敦化門である。昌徳宮は1405年に離宮として建てられた。この敦化門は1415年に建立された。昌徳宮自体は文禄の役のときに焼失しているが、この門は唯一 焼失せずに残った建物である。韓国最古の門とも言われている。
チケットを購入すると、門の前で足止めを食らう。
昌徳宮は、文化財保護のため入場が制限されている。時間制のツアーに必ず参加しなければならないのだ。もっとも木曜日は自由拝観日らしい。とにかく日本語ツアーの時間まで待つ。
いよいよツアー開始だ。日本語が堪能なガイドさんに連れられ、出陣である。
石橋を渡ると、正面に進善門がある。この門には、申聞鼓が設置されており、一言物申したい民は、この申聞鼓を打つべしということだが、実際は、門兵が見張る敦化門を通り、この申聞鼓を打つなど、不可能だったようだ。で、結局、王に直訴する場合は、王の行列に飛び込んだらしい。
進善門の前の石橋は、錦川橋という。ガイドがこの橋の袂に守り神がいるというので、覘く。
この謎の生物は、ヘテという。主に火災除けらしい。
こっちは亀だ。亀の寿命の長さにあやかっているのかな?王朝も末永く続くようにみたいな感じかいな。。。
進善門を抜ける。
仁政門をくぐる。
仁政殿である。昌徳宮の正殿で、重要な国家儀式などを行うところである。当然、ここにも徳寿宮や景福宮と同じように品階石が並んでいる。
屋根の上に、ちっこいのが並んでいる。ガイドさんの説明によると、守り神の一種で、西遊記の登場人物を表していると言われているらしい。前から、三蔵法師、孫悟空、・・・
徳寿宮でうっちょと球児が悩んでいた謎が解けた。
ぞろぞろと歩く。まさにドラクエ状態。。。
なかなか美しいですな。
中を覘く。ここに王様が座ったのでしょうな。。。
いい天井してますな~
仁政殿を見学したところで、次回へ続く。
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