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    飯は不味いが、とにかくお洒落な街と大英博物館、ストーンヘンジ、カンタベリー最高!
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    2007年2月。とにかくカルチャーショックの連続だった。

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2009年10月

2009年10月30日 (金)

鳥取遭難未遂事件の顛末(その3:三徳山Ⅲ)

投入堂を後にし、下山する。

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馬の背だか牛の背だかを降りる。行きはあまり気にならなかったが、帰りは非常に怖かった。

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いい景色だ。

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三徳山は行きより帰りのほうが危ないという。投入堂に行ったために、達成感に浸ってしまい油断し安いのもあるのだろう。まあ、単純に下り坂が非常に滑りやすいのもあると思うが・・・。

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そんなとこに立っていると危ないぞぉ~

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危険な下り坂はまだまだ続く。

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これが道と呼べるのやら・・・

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ほうほうのていで下りてきた。

入山受付で無事の下山を報告する。

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改修工事エリアでなんとも歴史のありそうな仏像があった。仁王さんかな?

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本堂エリアで無料サービスのドクダミ茶をもらった。苦かった。

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最後に宝物館を見学する。ここには、蔵王権現など貴重な仏像がたくさん展示されている。中でも驚きは、何気なく展示ケースの前に置かれた丸太に体重を預けて仏像を眺めていたのだが、実はこの丸太、投入堂の柱であった。国宝がこんなに無造作に置いてあるとは・・・。

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こうして三徳山三佛寺の見学を終えた。次回はいよいよぎーさんお待ちかねの温泉である。

2009年10月29日 (木)

鳥取遭難未遂事件の顛末(その2:三徳山Ⅱ)

文殊堂を出発する。

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いきなりとんでもない道になった。

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ちょっと足を踏み外せば、がけ下に落ちてしまう。

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かつてここで転落事故が実際にあったらしい。

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しばらく行くと、地蔵堂があった。作りは先ほどの文殊堂に似ている。ここでは休憩を取らず、先へ進む。

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地蔵堂のすぐ近くには、鐘楼堂がある。

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まだ険しい道が続く。

この先の馬の背、牛の背という難所(行きはまったく難所と思いませんでした。)をクリアすると、納経堂が見えてくる。

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納経堂である。

その先には、

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洞窟に収まるように、観音堂がある。

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観音堂の後ろが通り道である。暗いじぇ~(*゚∀゚)=3ハァハァ

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観音堂を抜けると、すぐに元結掛堂がある。

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まもなく投入堂らしい。

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それにしてもこの観音堂だけでもかなり面白いつくりだ。

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観音堂の上は、このように岩山である。

さて、投入堂に向けて歩く。

やがて、投入堂が見えた。

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かなりショッキングなお堂だ。崖にへばりついているようにしか見えない。どうやって入るのかも想像がつかない。一般の参拝客は、お堂には入れないが・・・

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投入堂のすぐ手前には、同じように不動堂がへばりついている。

不動堂に近づいてみる。

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不動堂の基礎もなんとも、落ちないのが不思議な絶妙なバランスだ。

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えらいとこですな~

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不動堂と同じ目線から・・・

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投入堂の基礎である。う~ん、絶妙なバランスですね~

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この投入堂は、平安時代のものだそうだ。こんなものがよく平安の昔から今まで残っているものだ。不思議で仕方ない。

蔵王権現を安置するためのお堂であり、左隣に密かに愛染堂が付随している。

役小角が神通力でエイヤーとお堂を平地から投入れたという伝説から、その名がある。すごい話ですなあ。。。

私もJINも大興奮ではしゃぎまくっている傍らで、タオルを頭から被り、静に体力の回復を待つぎーさん。

「温泉はまだですか・・・?監督・・・」

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さて、下山しますかね。。。

2009年10月28日 (水)

鳥取遭難未遂事件の顛末(その1:三徳山Ⅰ)

平成21年9月22日。ぎーさんとJINと鳥取に行ってきた。目的はあこがれの三徳山三佛寺である。まー、かなり大変であった。

注)表題は大げさです。

でははじまり、はじまり~

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

9月の大型連休(シルバーウィークとかいうらしい)に実家に帰ったさい、いつものぎーさんとJINで鳥取に行くことにした。今回は、JINが車を出し、私は後部座席で眠る人。。。楽だ。

そうこうしているうちに、着いた。

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いきなり長い階段だが、この先の険しい山道を考えると、まだまだ序の口である。

三徳山は修験道の聖地であり、険しい登山道を歩くので、有名である。苦労して行き着いた先には、あこがれの国宝”投入堂”が待っているのだ。

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序の口とはいえ、かなりハードだ。

階段を上ると、いくつか塔頭がある。

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※ぎーさんの希望により、ある部分を隠蔽工作しております。

こちらの数珠を回すと、いいことがあるらしい。

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いよいよ本堂は近い。

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この石仏群はテンションが上がる。

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水琴窟があった。勢い良く水をぶっ掛けると、清清しい音色が響き渡った。

・・・ちょっと、かけ過ぎたか?

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本堂は改修工事中でスルー。。。

ここで、三佛寺の説明をする。

三徳山三佛寺は、天台宗の寺院である。修験道のスーパースター、役小角が修験道の修行場として開いたことが始まりといわれ、子守権現、勝手権現、蔵王権現の三所権現を祀ったらしい。その後、円仁が釈迦如来、阿弥陀如来、大日如来の三仏を祀ったことが、寺名の由来のようだ。

さて、入山受付を受ける。本日は、天候が悪いため、靴底のチェックが行われた。ダメだしが出た場合は、わらじが貸し出されるが、今回は三人ともクリアした。

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タスキを渡され、いよいよスタートだ。

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不浄の者は入っちゃいかんらしい。。。

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完全に登山ですな。

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祠らしきものがあった。

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道がえらいことになった。これは道なのか?

木の根をよじ登れと・・・?

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木にへばりついて、道を進む。両手両足を駆使して、進まなければならなくなってきた。

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やっとこさ、平らなところに上がってきた。大変なところにきてしまった。。。

息つく間もなく、急勾配が・・・

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上を見上げると・・・

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あまりのハードな山道にぎーさんがダウンした。こんなところにほって置くわけにいかないので、ぎーさんの回復を信じて待つ。

なんとか行くことにしたが、明らかに顔が青い。大丈夫かいな?

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超木の根道が続く。

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何やら見えてきた。

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文殊堂である。

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岩に穴が穿たれ、そこに柱が固定されている。

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この上に上るには、チェーンをもって這い上がる。

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恐々と上がった。

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文殊堂の縁側に行ってみる。

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恐っ!

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おっかなびっくりと下を覗く。

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こういうアングルだと恐くないんだが・・・

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JINに唆され、脚をほおりだしてみた。高いところが苦手な私は、下を見ることができない。私があまりにもでかい声で恐怖を訴えたため、周りの人にものすごく気を使っていただいた。感謝ですたい!

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いい景色だ。

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こんなところにお賽銭が・・・

なんか変ですな。

さて、先に進むが、それは次回に続く。

なお、この文殊堂で休憩したことにより、ぎーさんが奇跡の復活を遂げたことを申し添えておく。

2009年10月21日 (水)

八女珍スポ紀行(その2:朧大橋)

朧大橋というものをご存知であろうか?

確か去年、暫定税率云々の話があったとき、政治的な脚光を浴びてしまった橋である。

朧大橋は福岡県八女市上陽町に架かる橋である。

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これだ!

山の中に、この橋がぽつんと佇んでいる。

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せっかくだから、渡ってみよう。

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向こう側に着いた。

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それにしても回りに何もないですな。

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おう!立派な石碑だ。

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こちらの立て看板によると、平成14年に土木学会田中賞を受賞している。

田中豊博士なる人物は、関東大震災からの復興時に数々の名橋を生み出したらしい。

歴代の受賞橋を調べると、そこそこ大きな橋はほとんど受賞している。マニアックすぎて、地元民でも聞いたことない橋もある。

ちなみに、神戸大橋も受賞している。

朧大橋は立派な橋であるが、そこまで行くのに、大層狭い道を通らなければならず、今のままでは、実用度は低いとしかいいようがない。

民○党のKANさんが視察に行った際、元町長さんだかが、この先の道路造りを訴えていたが、どうするんすかねぇ。。。

ところで、私が訪れた際、既にブームは去っていたのか(そもそもブームなんてあったのか?)、あまり人はいなかった。

おしまい。

2009年10月20日 (火)

八女珍スポ紀行(その1:霊巌寺)

平成21年9月13日。

暇だ。そうだ!八女に行こう!

ということで、八女までドライブすることになった。

八女というと八女茶が有名であるが、今回は、別に茶三昧しようという魂胆ではない。

八女には珍スポットがあるので、見に行くことにしたのだ。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

霊巌寺にやってきた。

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ここにはある物体がある。既に見えているのだが、それを見せると、最初からクライマックスなので、あえて触れない。

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石仏が並ぶ。否が応でもテンションが上がる。

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いい仕事してますねぇ~(・∀・)ニヤニヤ

やがて、本堂が見えてきた。

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変なルートから来たので山門を見逃した。

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山門である。なかなか立派だ。

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山門の上は、鐘楼になっている。

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霊巌寺の開基は栄林周瑞という坊様で、この坊様が中国から茶を持ち帰ったのが、八女茶の始まりだとか。。。

見れば、境内は山のほうまで続いている。これは行くしかなるまい!

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千手観音が上り口に祀られていた。

石段を上る。

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お堂があった。

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栄林はんかな?

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お地蔵さんやね。

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ひたすら歩くと、どんどん山道に・・・

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おう!なんかある。

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岩陰に仏像が・・・

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座禅岩とやらがこの先にあるらしい。

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なんか大変な道になってきた。

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・・・・

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まだあるの?ってか、これって一枚岩?

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恐っ!

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あっ!岩の上に・・・!

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最後の上り坂を登る。

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岩の上に栄林はんが・・・

ここで座禅したから座禅岩?

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それにしても絶景ですな。

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なかなか贅沢な座禅場である。

来た道を再び歩く。恐い!

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さらに山道を歩く。どんどん鬱蒼としてきた。蚊がかなりうざい。

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岩陰にワンダーな仏像が・・・

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あっ!ちょっとネタバレ!

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愛の道。。。ヽ(´▽`)/

やっと麓まで降りてきた。最後にネタバレである。この山にはあるありがたい岩がある。

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これだ!

別角度から!

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太いほうが地蔵岩で、細い方が珍宝岩と思われる。

そう!男性器に酷似した岩なのである。

安産祈願に大層ご利益があるとか・・・

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それにしても立派なものをお持ちで・・・

さ、次行こうっと!

2009年10月18日 (日)

関東文化的探求の旅(その15:五百羅漢寺)

いよいよ今回の旅もフィナーレである。最後の訪問地は、目黒の五百羅漢寺である。

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近代的なビルディングに目を疑う。ともかく入場する。

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全然、お寺っぽくないが、実はとても歴史のある寺で、創建は1695年である。

ここが有名なのは、羅漢像である。その数、実に287体、他の彫像も含めると、305体である。

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羅漢像の多くは、羅漢堂に安置されている。江戸時代には栄えた羅漢寺であるが、その後、衰退し、復興したのは、昭和になってからだ。その間に、多くの羅漢像が失われたらしい。当初は、羅漢以外も含めて、536体もあったらしい。昭和56年に、このような近代的なビルディングになった。もうちょっと考えて、復興したらいいのに・・・

羅漢堂の羅漢さんを見ていると、それぞれが様々な表情をしており、大変面白い。寺の情緒はないが、この羅漢像は大したものだ。

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本堂である。

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ここには、本尊の釈迦如来と羅漢さんが勢ぞろいである。なかなか面白い。

羅漢さん以外、特に見るものがないので、五百羅漢寺をでた。江戸時代の羅漢寺には、あのさざえ堂があったらしいので、是非、当時のままの姿を見たかった。。。

こうして、今回の旅を終えた。

2009年10月17日 (土)

関東文化的探求の旅(その14:目黒不動尊)

目黒不動尊までやってきた。

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正式には、泰叡山瀧泉寺という。しかし、そんな名前は全く浸透していない。そもそも目黒という地名は、この目黒不動に因んでいるという説もある。江戸五色不動(目黒、目白、目赤、目青、目黄)の一つである。

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仁王門をくぐると、また石段があった。ちょっとしんどいなあ。。。

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石段の手前、左手に独鈷の滝がある。

滝の前には、不動さんが既にすたんばっている。

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凛々しいお姿だ。水をかけろという意味だろうと思い、水をぶっ掛けた。

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養老孝子像とやらがあった。親孝行の青年が、酒の流れる滝(養老の滝)を見つける話やったけど、岐阜の話でしょ?なんで、目黒に?

この独鈷の滝で水浴びすると、病気が治癒するらしい。寺名はこの滝に由来するのだ。

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えんやこらと石段をのぼり、本堂にやってきた。

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中に入って、不動さんを拝見したが、なかなか立派だった。

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本道の裏に大日如来像が・・・

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さらに裏手の墓地には、江戸時代の儒学者、青木昆陽の墓がある。

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甘藷先生墓と刻まれているのは、サツマイモの普及に貢献したからである。

高校日本史を思い出し、懐かしい。。。

とりあえず、今、芋が食えることを甘藷先生に感謝した。

2009年10月16日 (金)

関東文化的探求の旅(その13:目黒寄生虫館)

Warning!

寄生虫です。きもいです。そういうのが嫌いな人は見ないでください。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

柴又から新宿までやってきた。

新宿中村屋のカレーを食べるためだ。

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インドカリーである。5年ほど前に初めて食ったときは、こんな美味いカレーは食ったことがないと、感動したが、インドで本場のカレーを経験した今となっては、「美味いね。」くらいの感動になってしまった。本当に美味いんやけどね。。。

新宿では、カレーを食っただけで退散した。私には新宿は合わないのである。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

目黒に着いた。目的地は目黒寄生虫館である。

目黒の駅前は人だらけである。寄生虫を見に来たのか?

否、さんま祭りをやっていた。

それからしばらく歩くと、近くの神社がお祭りで、人だかりである。

人を掻き分けて、やっと着いた。 

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目黒寄生虫館とは、1953年に医学者亀谷了氏が私財を投じて設立した研究機関で、世界で唯一の寄生虫の博物館である。

早速、入る。入場料は無料である。非常に良心的なので、心が優しくなり、しっかり募金箱に募金してきた。少ないですがね。。。

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展示スペースは、1Fと2Fである。まずは1Fである。

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こりゃ、何だと思ったら、人体のどこにどういった寄生虫が寄生するかを表したものらしい。

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回虫ですな。回虫といえば、よく、我が父がマクリを飲んで、駆除したおもひでを嬉しそうに語る。我が父は、こういう薬が好きで、人が一杯のところ二杯飲んでいたそうな。マクリといえば、海藻であるが、それに含まれる成分が実は麻痺性毒で、回虫を痺れさせて、駆除するらしい。作用としては、ドウモイ酸と似ているらしい。ドウモイ酸は死人が出るほどの猛毒だが、我が父は危なかったのか?

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ぺらぺらの紙みたいだが、裂頭条虫である。ま、サナダムシですな。

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無鉤条虫である。これもサナダムシの仲間である。

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こっちは有鉤条虫。これもサナダムシ。サナダムシ、好きやな。

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他のスペースを見ると、フタゴムシなるものが。なんか蝶々みたいやなと思っていると、実は、二匹のフタゴムシがくっついているらしい。幼虫のときに出会った相方と一生添い遂げるらしい。素敵な話ですね。ちなみに宿主はコイのようですな。こんなものを館のロゴマークにしているとは・・・

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おぅウマバエやー!キモイ!

ウマの胃に寄生するというハエの幼虫で、胃にびっしりとこいつがくっついた映像を見たことがある。とてもグロい。これに似た仲間でヒトヒフバエの話を昔、TVで見たときは、夢にでてくるくらい、インパクトがあった。

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二階にあがる。

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ここの目玉?日本海裂頭条虫の標本である。ま、サナダムシですな。

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圧巻の全長8.8メートルである。こんなんが人に寄生していたとは、腸って長いんやね。

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おお!アニちゃんじゃないですか!サバの皮と肉の間とか、スルメイカによくいるやつである。こいつを食ってしまうと、胃に穴を開けるので、めちゃくちゃ痛い。数年前、アニサキスと思われる症状に苦しんだことがある。イカをくったら、胃が痛くなった。ずっと痛いわけではなく、不定期に痛くなるのだ。三日ほど我慢したら直った。アニサキスは人には寄生できないので、いずれ胃液で消化されるらしい。

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エキノコックスといったらキタキツネに寄生していて、たまに人体に入ったら死ぬやつじゃ・・・

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他にもサナダムシ類の標本が充実していた。

寄生されて、大事なところが、とっても大変なことになった男性の写真などが展示されており、大変勉強になった。

2009年10月15日 (木)

関東文化的探求の旅(その12:柴又帝釈天)

平成21年9月6日。いよいよ今回の旅も最終日である。

最終日は東京をうろうろすることにした。まずは、帝釈天である。

電車を乗り継ぎ、やっと柴又に着いた。柴又に行くのに、こんな苦労するとは思わなかった。

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柴又の駅に着くと、早速寅さん像が出迎えてくれた。否が応でもテンションが上がる。

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しばらく歩くと、いよいよ参道に入った。

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なんだかいい雰囲気だ。

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この店は、映画「男はつらいよ」第1作から第4作まで撮影に使用された店である。もっとも当時の店舗は老朽化したため、建てかえられたようだ。

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だんごを買って、食べてみた。冷えていた。。。

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二天門である。増長天と広目天が安置されている。この二天は平安時代のものらしいが、門は明治のものである。

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二天門をくぐると、早速、帝釈堂がある。もちろん、帝釈天を祀ったお堂である。他にも、四天王のうち、持国天と多聞天がいる(残りの二天は、二天門の増長天と広目天である。)。

柴又帝釈天は寅さんの舞台で非常に有名であるが、ちゃんとしたお寺の名前って、意外と知られていないのではなかろうか。

正式には、経栄山題経寺という名前で、日蓮宗のお寺である。

私も今回調べるまで、知らなかった。笠智衆のイメージしかない。。。

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左手を見ると・・・

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浄行菩薩と、

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ご神水があった。

浄行菩薩に水をぶっ掛けて、旅の無事を今更ながら祈る。

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帝釈堂に行くと、彫刻が見事であった。

帝釈堂内殿の外側にはこのような立派な彫刻が彫られており、彫刻ギャラリーと称し、公開している。せっかくなので、見学する。

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これらの彫刻は、大正11年から昭和9年にかけて彫られたもので、法華経の説話を題材にしているらしい。

いい仕事してますねぇ~( ̄ー ̄)ニヤリ

続いて、庭園を見学する。

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立派な庭だ。

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横山大観が彫刻の下絵で書いたものらしい。

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町の中はまだまだ暑いが、ここだけは、かなり涼しく、すごしやすい。昼寝でもしたい気分だ。

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猿がいた。

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庭園の見学を終えた。ちなみに写真の左手が帝釈堂で、右手が本堂である。帝釈堂が本堂かと思ったら、違うらしい。本尊も帝釈天ではなく、本堂にある曼荼羅らしい。

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帝釈天の見学を終えた。なかなか立派なお寺であった。

柴又駅に着き、ふと見ると、

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子育地蔵なるものを発見したので、ちょっとのぞいてみた。

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人相悪っ!でこっぱち?

次行こうっと・・・

2009年10月14日 (水)

関東文化的探求の旅(その11:山下公園、赤レンガ倉庫)

中華街から少し歩くと、山下公園に出る。

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なんだか顔色の悪いおっさんの像があった。

おっさんかと思ったら、サンディエゴから送られた水の女神ですとな。なんですと!

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山下公園は、遊郭のあった場所に関東大震災の瓦礫を使って埋め立てて造られた公園だそうだ。

右手に留まっている船は、氷川丸といい、日本郵船の貨客船で、戦前から1960年まで現役だった船らしい。

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それにしても東京湾は汚いなあ。。。

’80年代の大阪湾と同じ醤油色の海だ。

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だんだん日が暮れてきた。こういう港の風景は、神戸生まれ、神戸育ちの私にとっては、気が安らぐ空間である。

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ふと振り向くと、変なタワーがたっていた。

マリンタワーというらしい。1961年に建設されたらしい。東京タワー、ポートタワー、京都タワー、通天閣、別府タワー、福岡タワー、名古屋テレビ塔・・・

日本人はタワー好きですな。。。

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ひたすら歩くと、赤レンガ倉庫が見えてきた。

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赤レンガ倉庫である。1号館と2号館がある。こちらは2号館で、明治44年竣工である。

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こちらが1号館で大正2年竣工である。こちら展示スペース等になっている。

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2号館が商業施設となっているので、ウィンドウショッピングを楽しむことにする。

う~ん、オシャレですな。別に買うものはありませんがね。

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フラッペを購入し、やや風のでてきて肌寒い外で食す。もうすぐで赤レンガ倉庫もライトアップされるだろう。それまで、カップルの戯れでも、物欲しそうに眺めながら、待つことにしよう。。。あ、DSでもしよっと・・・

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しばらくすると、かなり暗くなり、ライトアップが美しくなってきた。

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フラッペのせいか、カップルの見すぎで人恋しくなったのか、寒くなってきた。帰ろうっと・・・ヽ(´▽`)/

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横浜って、美しい街ですな。また来ようっと・・・

東京に帰った。

2009年10月12日 (月)

関東文化的探求の旅(その10:横浜中華街)

鎌倉を出発し、横浜までやってきた。

目的は、パシフィコ横浜で開催中の「海のエジプト展」を見るためだ。結構並ばされたが、久しぶりのクリーンヒットで大満足であった。当然、写真などは撮れなかったので、この話は割愛させていただく。

折角なので、横浜をぶらつく。

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横浜といえば、中華街ということでやってきた。今日の晩飯はここやな。

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神戸出身の私には南京街がおなじみであるが、南京街よりもだいぶでかい。

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関帝廟までやってきた。

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関帝廟といえば、三国志の関雲長を祀った廟である。それにしても、劉玄徳の部下に過ぎないはずの雲長が神格化されるのだから、よほど雲長の人格がすぐれており、カリスマがあったということなのだろう。

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参拝客が台湾で見かけた占いをやっていた。

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関帝ですな。日本にあって、台湾か香港に来ているのかと錯覚しそうだ。

関帝廟を見学した後、チャイニーズバーガーを食ったり、珍珠奶茶を飲んだりした。

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飯はお粥で有名なこの店である。

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三鮮粥を食べた。美味かった。

さて、港のほうでも行ってみるか・・・

2009年10月10日 (土)

関東文化的探求の旅(その9:鶴岡八幡宮)

鎌倉駅前まで戻ってきた。

駅前のマクドにて昼食である。鎌倉ならではのものでも食そうかと思ったが、高くなりそうなのでやめた。

このまま戻ることも考えたが、せめて、鶴岡八幡宮だけは行くことにした。

八幡宮に向けて歩いていると、とあるお店で人だかりが・・・

また、宮迫氏と三村氏であった。おんなじコース歩いとるな。

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いよいよ境内に入る。

ちなみ二回目の訪問となる。前回も夏で糞暑かった。

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まずは舞殿である。ここで静御前が舞ったという伝説がある。

おや?今日は結婚式のようだ。

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舞殿の奥の石段を上ると、いよいよ本宮である。

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楼門をくぐると、拝殿がある。かなりの参拝客だ。

鶴岡八幡宮のご祭神は、もちろんの応神天皇と、比売神(ひめがみ)と神功皇后である。八幡さんって、基本的にこの組み合わせなんかな?宇佐八幡もそうでした。。。

京都の石清水八幡を勧請したのが始まりだそうだ。

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お神輿か?

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武内社があった。武内宿禰を祀る神社である。結構至るところに摂社としてある。

ま、武内宿禰といえば、竹内文書を思い出してしまうのは、オカルトマニアの悲しい性か・・・?

今回は、前回入らなかった宝物館に入った。

着物とか武具とかが展示していた。中でも国宝の鎧のレプリカがあった。本物は、大山祇神社にあるらしい。そういや見たことある??大山祇神社は国宝武具のデパート状態ですごかった・・・

鶴岡八幡宮を参拝し終え、一種の義務を果たしたのであった。

鎌倉を出発した。

追伸:八幡宮から帰る際、宮迫氏と三村氏とすれ違った。すれ違いざまに52の関節技をかけられるくらいのニアミスであった。間違ってカンガルークラッチをかけなくて、よかった。 

2009年10月 9日 (金)

関東文化的探求の旅(その8:銭洗弁財天)

銭洗弁財天こと宇賀福神社にやってきた。ご祭神はそう宇賀福神で佐助稲荷神社と同じである。何故、弁財天かというと、いつしか宇賀福神と仏教の弁財天が同一視されたらしい。

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このトンネルを抜けるらしい。なんか凄い・・・

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トンネルの向こうから、何やら物々しい集団がやってきた。なんかの撮影陣らしい。

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トンネルを抜けると、稲荷風の鳥居があった。

「近くの人が、さっき宮迫がいた。」

と噂していた。

さっきのは、TVタレントの宮迫氏がきていたらしい。へぇ・・・

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トンネルを抜けると、最初からクライマックスだった。

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拝殿にお参りする。

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で、こっちの洞窟がメインである。

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この洞窟内が奥宮になっているのだ。

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奥宮内には、湧き水が流れており、この湧き水でお金を洗うと、倍増するという・・・( ̄ー ̄)ニヤリ

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ためしに、財布の全小銭を投入し、洗う。

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頼んまっせ

ふと隣を見ると、ご夫人二人が、お札を洗っていた。それはちょっと・・・

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なんかちっこい鳥居がたくさん架かっている。

この洞窟はかなりのワンダーゾーンですな。

奥宮以外にも境内には摂社・末社がいくつかある。

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七福神社。

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水神さんのようだ。

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境内の散策を終え、次なる目的地に向かう。

これで、私の貯金は溜まりまくり・・・

追伸:途中の喫茶店?の前で、撮影が行われていた。宮迫氏と三村氏であった。リンカーンか?

2009年10月 8日 (木)

関東文化的探求の旅(その7:佐助稲荷神社)

江ノ島から再び江ノ電に乗り、鎌倉まで戻ってきた。

佐助稲荷神社に行くことにする。

あともう少しというところ、、、

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これかっ!?

と思ったが、これは下社の様子だ。

暫く歩くと、入り口が現れた。

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お稲荷さんといえば、この嬉しそうな鳥居の数々である。私は神社の中では、稲荷社が一番好きだ。理由はこの鳥居にある。中でも伏見稲荷が一番すきなのだが、まあ、どうでもいい。。。

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やっと石段を上りきった。

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拝殿前に楽しげなオブジェがあった。

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拝殿である。

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こっちにも楽しげなオブジェが・・・

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まだ奥がある。

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奥社である。

さて、佐助稲荷神社であるが、縁起は次の通りである。

源頼朝が伊豆に配流されていたころ、宇賀福神が夢枕に現れ、平氏を討つべしと告げたそうな。で、鎌倉幕府を開いたときに、この佐助稲荷と銭荒弁財天を建て、この神を祀ったそうな。ちなみに、伊豆にいる頃の頼朝は、佐殿と呼ばれおり、佐殿を助けたことから、佐助・・・

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こんな岩の隙間にもお狐様が・・・

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境内の至るところに、苔むした小さな社と狐像があり、かなり幻想的である。なかなかワンダーゾーンであった。

2009年10月 1日 (木)

関東文化的探求の旅(その6:江の島岩屋)

江島神社奥津宮から石段を下る。あまりの長さに、帰りはこれを上るのかと考えたら、憂鬱になった。

やがて海が見えた。

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海岸線を暫く歩くと、岩屋の入り口が見えてきた。

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岩屋とは、波の侵食でできた洞窟のことである。岩屋は古くから信仰の対象とされていたそうで、スーパースター弘法大師様来訪の際には、弁天様が降臨したとか・・・

とりあえず、中に入る。

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入ってすぐの洞窟は何やら、賑やかに展示がされている。

なんとなく、あそこを思い出した。これはヤバゾーだヽ(;´Д`ヽ)(ノ;´Д`)ノ

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岩屋は第一岩屋と第二岩屋に分かれているそうで、まずは第一岩屋に行く。

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蝋燭を渡された。

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そんなに暗いところに行くのかしら?

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おう!こりゃ、暗いわ。ってか、蝋燭の明かり、あんま役に立ってないよん

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あっ!?なんかいた。

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左手の石が、「日蓮の寝姿石」らしい。

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???そうか!?

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またなんかいはった。

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なんか祠らしきものが・・・

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蝋燭を返した後、いったん外に出る。

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続いて、第二岩屋である。

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こっちは少し明るいか?

奥から何やら物音がする。しかも、不気味な明かりが・・・

ひょっとして、地獄か?地獄なのか!?

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龍でした。しかも蛍光スーパーボールみたいな小石がド派手に・・・

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フラッシュを焚くと、結構間抜けである。

やれやれと外に出た。

第二岩屋から第一岩屋の間で海を眺めると、気になるものが・・・

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亀石らしい。さっきなかったか?

説明が気によると、相当古いもので、弁財天信仰のため誰かが彫ったものとのことである。

弁天に亀って関係あるの?

調べると、弁天→龍が使い≒竜宮→亀が使いという構図があるらしい。強引だ。

岩屋を出て、岩屋前に広がる磯を散策する。たくさん親子連れがきていた。

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タイドプールにスズメダイがいたが、写真には写らなかったようだ。

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相模湾のヒジキ。

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セイヨウハバノリと思われるものを発見。

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イガイの群集。

磯を眺めて、なんとなく黒潮域だなあと感じた。

さて、戻るとするか・・・

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