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伝説の旅ベスト5

  • 第五位:第一次九州遠征(2号線の旅)
    1999年3月に国道2号線を使って、神戸から北九州まで旅をした伝説。帰りはフェリーで松山に上陸し、四国を横断して帰ってきた。
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    2005年12月。ホノルルマラソンに出走。人生を変えた旅。
  • 第三位:英国旅行
    飯は不味いが、とにかくお洒落な街と大英博物館、ストーンヘンジ、カンタベリー最高!
  • 第二位:中欧旅行
    ベルリン、プラハ、ブタペスト、ウィーン、ヴェネチア、アムステルダムと6カ国の都市を主に列車で巡った。飯が美味かった。
  • 第一位:北部インドの旅
    2007年2月。とにかくカルチャーショックの連続だった。

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2009年8月

2009年8月31日 (月)

長崎珍道中(その13:興福寺)

興福寺といっても、今阿修羅ブームを起こしている寺ではない。あっちは奈良である。

ちなみに奈良の興福寺はこちら

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興福寺の山号は、東明山である。日本最古の黄檗宗のお寺で、山門が赤いところから、「あか寺」と呼ばれるらしい。

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1624年に創建されたもので、インゲン豆の隠元さん縁の寺でもある。

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山門をくぐると、斎藤茂吉の歌碑があった。

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本堂の大雄宝殿である。まったく日本のお寺の雰囲気はない。さすが黄檗宗だ。

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こちらは鐘鼓楼である。

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早速本殿を拝観する。

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天井から釣り下がっている瑠璃燈は上海から運ばれたものらしい。

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本殿の左手には、媽祖堂がある。

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媽祖とは航海の神様である。その前には、二つの鬼神がいる。今まで散々揶揄してきたが、「順風耳」と「千里眼」である。順風耳は千里先の風向きを感じ取り、千里眼は千里先を見通し、媽祖を守る役割を持つ。

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やっぱ何かアフレコしたくなるなあ。。。

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他にもいろんな方がいらっしゃる。

再び本殿へ・・・

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いろんな方がおりますえ。。。

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魚~

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三江会所門である。

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門の向こうは、庭だった。

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ちなみに門の敷居が高いのは、豚が入らないようにするための中国の様式だとか・・・

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なかなかエキゾチックなお寺であった。

                

 

 

2009年8月30日 (日)

長崎珍道中(その12:亀山社中資料展示場~若宮稲荷神社)

風頭公園から龍馬通りを歩く。

しばらく歩くと、亀山社中資料展示場が見えた。

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亀山社中とは坂本龍馬が結成した貿易結社であり、海援隊の前身である。この資料展示場は、坂本龍馬に関する資料をいろいろと展示している。せっかくだから見学した。

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龍馬と撮ろうと、勢いがつきすぎて、戸にぶつかった。あわや大惨事であった。

坂本龍馬先生、ごめんなさ~い

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資料展示場のすぐ近くには若宮稲荷神社がある。社中のメンバーがよく訪れたという。

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拝殿の脇には、怪しげな空間が・・・

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でっかい岩の上に祠があった。

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若宮稲荷神社をあとにし、しばらく歩く。

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龍馬のぶーつの像である。このブーツに足を入れ、記念撮影する観光客が後を絶たない。そういう私も・・・

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こちらが亀山社中の跡地である。復元工事の途中であった。

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復元後が楽しみだ。   

         

2009年8月27日 (木)

長崎珍道中(その11:幣振坂~風頭公園)

JINが「ヘイヘイ坂」を歩きたいと言った。

ヘイヘイ坂?

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幣振坂だった・・・

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ただの路地にしか見えない。とりあえず、上って、高台にいきますかね。。。

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なんとなく雰囲気がでてきた。

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坂はやがて階段になった。そろそろ息があがってきた。

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しばらく上ると、ちょうど座りによいサイズの石があった。その名も休み石という。長崎はとても坂の多い街であるが、その坂にはよくこういった石がある。ま、ちょっと休憩ですな。

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ふたたび歩く。

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また休み石があった。

延々と上ると、またまた休み石。

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かなり高いところまできた。

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完全にグロッキーで最後の休み石に到着。

そこからしばらくすると、やっと坂を上り終えた。すっかり汗ミドロになったので、着替えた。

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風頭公園にやってきた。

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坂本龍馬像がでかでかと立っていた。高知の桂浜のやつに比べれば可愛いものか・・・?

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何やら「竜馬が行く」の一説が書いてあった。

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竜馬像のあるところから一谷?向こうに展望がある。なかなか絶景だ。

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さて、下山っと・・・               

2009年8月20日 (木)

長崎珍道中(その10:崇福寺)

オランダ坂を歩く。

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実に長崎らしい坂である。石畳といえば、ローマを思い出すJINと私だった。ローマでは、硬い道路により腰が痛くなったものだ。

そのまま思案橋までやってきた。昼食をとることにする。

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思案橋ラーメンで性懲りも無くちゃんぽんを摂取することになった。

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「ばくだんちゃんぽん」とやらを食す。ニンニクびたびたというえげつないちゃんぽんだ。明日の口臭を気にしなければ、実に美味い。ただ、お腹がにんにくの大量摂取に悲鳴を上げ気味であった。

昼食後、崇福寺にやってきた。

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このお寺は、山号を聖寿山といい、黄檗宗のお寺である。黄檗宗といえば、総本山は萬福寺である。黄檗宗は、隠元隆琦により日本に伝えられた中国風味溢れる仏教である。もっとも、この崇福寺は三代目の住職が隠元なのであるが、その以前から唐風の寺だったようだ。

すっかり中華チックな三門をくぐると、階段があった。

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崇福寺は、1629年に長崎在留の中国人(福州)が超然を迎えて開いた寺である。中国人のためのお寺だったため、このようにすっかり中華なのだ。

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第一峰門をくぐる。ちなみに、この何気ない門は国宝である。

大雄宝殿がある。

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大雄宝殿の手前には護法堂がある。このお堂は三つに分かれている。

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関帝堂である。

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観音堂である。

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天王堂である。

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大雄宝殿を正面から眺める。実に勇壮である。さすが国宝である。

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本尊は釈迦如来である。

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本尊の周りには、圧巻の十八羅漢が・・・

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護法堂の隣には鐘鼓楼がある。

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大釜である。飢饉の際、炊き出しに使ったらしい。

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媽姐門をくぐる。

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媽姐堂である。

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どうもすいません!

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なんですくわぁ?

続いて、開山堂である。

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何のための建物だろうと、中に入ると、階段があった。上に上がると、数多くの位牌が・・・

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ご覧のように、海外に来たような錯覚を覚える寺である。実に面白かった。      

   

     

      

2009年8月10日 (月)

長崎珍道中(その9:グラバー園Ⅲ)

グラバー園もいよいよ最後の旧グラバー住宅を残すのみである。

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階段を下りると・・・

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旧グラバー住宅である。1863年に建てられた日本最古の木造西洋風建築物ということだ。オルト住宅、リンガー住宅と同じく、国の重要文化財である。

中に入る前に、グラバー住宅といえばアレというやつを探す。

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あった!

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ハート型の敷石である。触ると、恋愛成就とやらで、やたら女性が集っていた。

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これで、ばっちりやな( ̄ー ̄)ニヤリ

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そろそろ中に入るとしよう。。。

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ありえないくらい背の高い姿見が玄関にある。グラバー氏が巨人だった言うわけではない。この姿見で玄関から入る太陽光を反射させ、室内を明るくする装置なのである。

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倉場富三郎氏である。グラバー氏の息子である。グラバー嫁は日本人なので、ハーフである。トロール漁業を日本に導入した人物で、グラバー図譜の生みの親でもある。

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おぉ!豪勢な料理(レプリカ)である。

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和洋折衷ですなあ・・・

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狛犬である。麒麟麦酒のラベルのモデルといわれている。

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家の中に温室があった。なかなか奇抜な造りだ。

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廊下を歩いていると、天井が開いていた。

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隠し部屋だそうだ。勤皇の志士たちが隠れて密談したとか・・・

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鏡が張ってあり、内部構造が分かる仕組みになっている。一生懸命に内部を見ようとしたが、よく分からなかった。

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台所である。ここの床の煉瓦は、こんにゃく煉瓦というそうな。。。こんにゃくのような形だかららしいが、こんにゃくの形って、明確なものあったっけ?

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なんか鬱蒼としたところを通った。

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グラバーは~んヽ(´▽`)/

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外に出た。さきほどの温室である。

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これにて、旧グラバー住宅は終了である。移動する。

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何やら変わった門ですな。

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レストハウスのあたりで女性たちが這いつくばって何か探していると思ったら、これだった。恋する乙女は怖いですな。一瞬達川のコンタクトを探す、達川と同僚たちかと思った。

完全にグラバー園を制覇したと思っていたら、何やら新しい建物に強制的に入れられた。

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長崎伝統芸能館である。

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長崎くんちの資料を展示しているらしいが、前来た時、こんなんあったっけ?特に必要性は感じなかった。

グラバー園散策終了。   

 

   

 

    

      

   

   

2009年8月 9日 (日)

長崎珍道中(その8:グラバー園Ⅱ)

自由亭の向かいには、泉がある。

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その泉の端には、何やら白い人が立っていた。

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プッチーニ像である。蝶々夫人というオペラがある。ここ、長崎を舞台にしたオペラであるが、そのオペラを作曲したのがプッチーニである。ちなみに蝶々夫人の内容は全く知らない。

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こちらは三浦環というご婦人の像である。蝶々夫人を演じた名女優のようだ。

少し歩くと、泉の向かいには、ないやら立て看板が・・・

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日本最初のテニスコートらしい。全く面影はない。

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こちらは日本最初のアスファルト道路・・・

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泉を抜けると、旧リンガー住宅がある。国の重要文化財に指定されている。中に入る。

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明治初期の建物らしい。ちなみに、リンガー氏は明治から昭和にかけて活躍したイギリス人実業家である。リンガーハットはこの人の名にあやかってつけたようだ。

旧リンガー住宅の奥には、旧オルト住宅がある。

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玄関の左手の藤棚のようなものが気になる。

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国内最古最大級の木香バラとな!?でかい!ちょっとテンションがあがった。さて、中に入る。

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オルト住宅は、リンガー住宅と同じく国の重要文化財である。石造りの洋館の中で最も大きいものということだ。オルト氏は緑茶貿易で名を馳せたイギリス人実業家である。

外に出た。

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椅子に座り、しばし小休止をすると、散策を開始した。

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さらに奥に進むと、旧スチイル記念学校がある。

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明治20年に建てられた学校である。中には、グラバー図譜等が展示されている。

次回は、いよいよグラバー住宅である。   

 

      

    

2009年8月 5日 (水)

長崎珍道中(その7:グラバー園Ⅰ)

グラバー園とは、旧グラバー住宅をはじめとした西洋館が立ち並ぶ、エリアである。

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ちょうどアジサイが美しい季節であった。

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長いエスカレータを上る。

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初めに見学することになるのは、旧三菱第2ドックハウスである。

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ドックハウス前の池である。

ドックハウス内に入る。

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ドックハウスとは、船が修理のためにドックに入っている間、船員が宿泊する施設である。 明治29年に建てられたらしい。この建物がグラバー園で最も高い位置にあるので、眺めは抜群である。

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二階から海を眺める。

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外に出て、海を眺めると、

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女神大橋が見えた。

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美しい花に心を惹かれつつ、散策する。

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旧ウォーカー住宅である。

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イギリス人実業家、ロバート・ネール・ウォーカーの次男が暮らしていたということだ。明治中期に大浦天主堂のすぐ隣に建てられたらしい。

ということは、そこから移築されたということか?

随分こじんまりしており、大柄な欧州人には、窮屈なのではなかったろうか?

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ウォーカー住宅の向かいは、旧長崎地方裁判所長官舎である。明治16年に建てられたもので、これも移築のようだ。

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少し歩くと、何やら道路から突き出ていた。

明治時代の水道共用栓だそうだ。

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こちらは旧自由亭である。江戸時代の西洋料理屋の建物で、現在は、喫茶店が入っている。

グラバー園散策はまだまだ続く。       

   

 

       

2009年8月 2日 (日)

長崎珍道中(その6:大浦天主堂)

平成21年6月13日。長崎二日目開幕である。本日は、とりあえず、南山手を目指す。

ホテルを出ると、バスで長崎駅まで降りる。そこから、ちんちん電車で大浦天主堂下に着いた。

目指すは、大浦天主堂であるが、その前に・・・

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旧香港上海銀行長崎支店記念館である。明治時代の建物だそうだ。

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さて、大浦天主堂を目指そう。。。長崎らしい坂ですな。

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グラバー坂を上っていると、なんだかメルヘンチックな建物やら、

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とっても長崎チックな神社などが・・・

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いよいよ大浦天主堂が見えてきた。

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かつて、くっぺちゃんとJINと、今回不参加のぎーさんの四人組で訪れたことがある。当時は、教会に行くことなんて無かったので、緊張のせいか、腹が痛くなったが、今回はどうなることやら・・・。

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国宝と石碑に書いてある。そう!大浦天主堂は国宝で唯一の洋風建築物なのである。

入場料を払い、中に入る。

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天主堂に行く前の左手に広場のようなスペースがあった。

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信徒発見のレリーフである。江戸末期に天主堂ができたとき、プティジャン神父が隠れキリシタンを発見したときの様子であろう。当時、キリスト教世界では、日本の信徒発見は大ニュースであったようだ。よくぞ、禁教時代を乗り越えたといったところか・・・

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なんか胸像がありますな。

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さて、天主堂に向かおう。。。

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大浦天主堂の正式名称は、「日本二十六聖殉教者聖堂」である。日本二十六聖人とは、豊臣秀吉に処刑された二十六人の殉教者である。大浦天主堂はかれらに捧げられた教会なのである。

初期の教会堂は、江戸末期に建てられた。その後、増改築がされている。

中に入る。

内部は小さいながらも厳かな雰囲気が漂っている。石造りの海外の教会と異なり、木で要所が作られている。洋風の建築物ながらも和を感じる。作りも派手さは無く、なんとなくワビ・サビを感じる。迫力はないが、いい教会だなあ・・・と感慨に耽るのであった。

さて、外に出る。

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この屋根は、教会堂の向かいにある、旧大司教館である。

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裏手に廻る。

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旧羅典神学校である。国の重要文化財である。

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中はこんな感じである。

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次回は、グラバー園である。           

 

   

    

 

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