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2009年7月24日 (金)

長崎珍道中(その2:軍艦島Ⅰ)

文明堂総本店でお菓子を買ったあと、波止場にやってきた。

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まずは、軍艦島ツアーの手続きを済ました。

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時間があるので、少し港を散策する。

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さて、時間になったことであるし、船に乗り込むことにする。

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いよいよ出港である。

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船内はほぼ満員。なかなかの盛況ぶりだ。

軍艦島までしばらくの船旅である。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

そろそろ近づいたので、二階に上がった。

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手前の島の奥に密かに軍艦島が見えてきた。

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軍艦島である。軍艦島の正式名称は、端島である。海底炭鉱があったことから、かつて炭鉱の島として栄えた。最盛期の1960年には、5,267人の人間がこの小さな島に住んでおり、人口密度は83,600人/平方キロメートルと、とんでもないことになっていた。ちなみにこれは当時世界一である。島の容量を明らかにオーバーした人口を保つため、当然、集合住宅は上に伸びた。その結果、島の外観が軍艦「土佐」に似ているということから軍艦島と呼ばれるようになったのだ。1974年に炭鉱が閉山して、以来、無人島である。

閉山後、立ち入り禁止であったが、2009年の4月より観光客の上陸が可能になったのだ。

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いよいよ上陸の時が近づいてきた。

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ドルフィン桟橋と呼ばれる浮桟橋に着岸する。

ドルフィン桟橋に着くと、厳重に係留される。

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ご覧のように、軍艦島そのものにもロープを張り巡らしている。ここまでせなあかんの?

いよいよ上陸であるが、沖合いであることから、結構波が高い。おまけに濡れているので、滑りやすそうだ。気をつけるべし。

無事、ドルフィン桟橋に降りたが、厳密にはまだ軍艦島には上陸していないなあ・・・

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この橋を渡れば、いよいよ上陸である。

上陸した。

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なかなかの廃墟っぷりですな。

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最近作ったらしいトンネルを抜ける。

ところで、船にいるときから、とんでもない間隔の短さでシャッターを押す人が・・・

ここまでくれば、結構うざいですな。。。

やがて、トンネルを抜けた。

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なんか出てきそうですな。

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ツアー客は、いったんこの広場で集合である。三班に別れ、ここを含めて、三箇所を見学する。

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班はこのタグの色で分けられている。

ボランティアガイドの紹介がされ、いよいよ出発である。

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次回へ続く。      

 

    

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