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2009年6月 1日 (月)

下関決闘編!(その5:日清講和記念館)

赤間神宮のすぐそばに日清講和記念館がある。

明治28年、春帆楼というふぐ料理屋で日清戦争の後始末、日清講和会議が開かれた。そのときのセットを展示している施設なのである。

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てくてく歩いていると、伊藤博文と陸奥宗光の胸像が・・・

Img_3253

こちらが記念館である。ま、せっかくだから入る。

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こんな風に椅子が並んでいるだけである。

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当時の様子が描かれている。

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伊藤博文と陸奥宗光の席である。

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こっちが清国代表の李鴻章の席である。

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日清戦争というと、日本と清の戦争を意味するが、実は清側が戦争に参加していたのは、李鴻章の私軍である。つまり、李鴻章軍VS日本軍という構図なのである。逆に言えば、李鴻章だけに頼るほど、清が脆弱化していたという見方もできるのでは?

ところで、日清戦争といえば、「まだ沈まぬや定遠は・・・」という名文句がある。

元阪神監督藤本定義が優勝戦線でこの台詞をつぶやいたとかつぶやかないとか・・・

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記念館の前の道は、李鴻章道とかいうらしい。。。

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何の変哲もない生活道路なんだが・・・

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今回の視察はこれでおしまいであるが、最後に門司に渡り、門司レトロで焼きカレーを食べたことを記しておく。

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