下関決闘編!(その2:巌流島決戦!)
巌流島という名は正式な名前ではない。正式には、”船島”という。
巌流島と言えば、宮本武蔵VS佐々木小次郎が行われた舞台と言われている。佐々木小次郎が”巌流”を名乗っていたことから、この巌流島という名がついた訳である。
全国的に非常に有名な巌流島であるが、その実態は、関門海峡に浮かぶ、非常に小さな無人島に過ぎない。そんな巌流島には、唐戸桟橋から渡船がでており、上陸できる。
ということで、巌流島に渡る。
船の様子である。
そうこうしていると、島に着いたようだ。
上陸する。
上陸して、すぐ右側に何やら神社があった。
神社の名前は船島神社らしい。祠の中に石碑が二つある。
左が地神大神、右が龍神大神である。この神社の言われとかは、よく分からないが、なんとなくテンションが上がる、神社仏閣マニアの二人であった。
遊歩道をテクテク歩く。何やら、スポットライトが配置されている。ライトアップでもするのか?何を・・・?
巌流島の碑のところで記念撮影をする。
対岸(下関)に、海峡ゆめタワーが見える。
ちなみに別方向(門司)を見ると、似たようなタワーが建っている。もっとも、こちらはマンションの最上階に展望室があるようだ。 ちなみに、左の山の中に、密かにパコダが見える。私は全然気づかなかったが、監督がいち早く発見した。知る人ぞ知る、北九州の世界平和パコダであるが、監督は少年時代に一度行ったことがあるようだ。今回は行かなかったが、いずれ行く機会もあろう・・・
監督も記念撮影しますよ!
なぜか後ろ向きで妙なポージングをとる監督。ブログにのることを想定してのことらしいので、載せました( ̄ー ̄)ニヤリ
しばらく遊歩道を歩くと、ある物体が見えてきた。
武蔵VS小次郎像である。
小次郎。
武蔵。
なかなか凛々しいですな。
この像の前は、砂浜になっている。ここから上陸したとでも言いたげだ。
ところで、武蔵VS小次郎ももちろん有名なのだが、巌流島と言えば、私や監督の世代にとって、もう一つ忘れてはいけない決闘がある。
猪木VSマサ斎藤である。
ということで、監督とこの巌流島に上陸した、真の目的は、まーくんVS監督の無制限一本勝負をすることなのであった。
試合開始!
両者、チョップの応襲から、力比べへと・・・
監督が力比べでまーくんを押すが、まーくん、負けじとブリッジで切り返す展開。
まーくん、監督の一瞬の隙を突き、ドラゴンスクリュー!
倒れた監督にエルボードロップ。
しかし、監督、回避し、まーくん自爆。
すかさず、監督のフェイバリットホールド、監獄ロック炸裂だ。
まーくん、相当苦しそうだ。
もはやギブアップが思った、そのとき、監督の身体から煙が・・・
試合開始から30分たっていたようだ。
ファイティングSEとして名を馳せた監督は、30分以上闘えないプログラミングを自身にに施してしまっているのだ。
たまらず、監獄ロックを外す、監督に、ナックル・パートを浴びせ、ひるんだところを、コブラツイストに・・・。
監督は、強引に力技で外し、そのままグランドに投げる、ストンピングで思う存分、まーくんを痛みつけた後、無理矢理たたせ、ロープへ投げる。
勢いよく跳ね返るまーくん。そこで、必殺のヒップドロップだあーーー!!!
しかし、まーくん、ヒップドロップを避けると、監督のバックをとり、投げっぱなしジャーマンだぁ~!!!
監督、立てない!試合終了!
まーくんを追い詰めながら、スタミナ切れからの屈辱の敗戦に、打ちひしがれる監督。
勝ち誇るまーくん。
一世一代の勝負に勝利し、そそくさと船で退散するまーくん。
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当然、こんな決闘してませんので・・・
砂浜においてあった船であるが・・・
中は、このようにボウフラでも湧いてそうな水が溜まっていた。
またしばらく歩く。
こちらの石碑は、佐々木巌流之碑である。明治43年に建立された記念碑で、お墓ではない。
非常に小さな島で、上陸して30分ほどで廻ってしまった。では帰るとしよう。
ふと、船着場近くの岩場を見ると、ヒジキが育っていた。
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