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2009年5月29日 (金)

下関決闘編!(その4:赤間神宮)

赤間神宮は、旧官幣大社である。

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このド派手な門は、水天門という。竜宮城を模しているらしい。

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水天門をくぐると・・・

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拝殿である。ちょうどこのとき、結婚式をやっていた。めでたいことだが、参拝するとき、新郎新婦を拝むような気がして、非常に違和感を感じる。

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水に浮くように、内拝殿がある。

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ところで、この赤間神宮であるが、壇ノ浦の戦いで入水した安徳天皇を祀る神社である。もともとは、阿弥陀寺という寺があり、そこに埋葬され、御影堂が建てられたのが、由緒である。明治維新の神仏分離で廃寺し、赤間社となったのである。

ところで、この赤間神宮、かつての阿弥陀寺は、なんと「耳なし芳一」の舞台である。

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境内の隅に芳一堂がある。

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芳一像である。

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悩ましげである。

芳一堂のすぐ近くには、壇ノ浦の戦いで敗れた平家一門が合祀されている七盛塚がある。

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何が何かわからん!知将知盛はどこじゃー!

監督:これを見ればいいんですよ。。。

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ちゃんと、誰がどこか表示されている。

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監督:そんなことより、猛将教経ですよ。

八艘飛びの被害者である。

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平経盛ですな。

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左が教盛で、右がご存知、知盛である。碇を担いで入水したエピソードは有名である。

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高浜虚子の句碑がある。

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漁陽とかいう俳人の句碑らしい。

一度、拝殿まで戻ってきた。

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結婚式の喧騒もすっかり治まった。

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八咫鏡というと三種の神器の?

伊勢神宮のあるんじゃ?

鏡は壇ノ浦の戦いで沈んだものを回収したとされているので、ただでさえ胡散臭いのだが、この赤間神宮のものは岡山で八咫鏡が発見されたものを奉納したということで、さらに怪しいものだ。

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このちっこいのは、天神社ということだ。

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八幡宮である。

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さらに奥も続いている。

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大連神社である。大連にあったご神体を運んで、祭ったらしい。

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稲荷神社もあった。

   

 

   

   

 

   

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