ローマな休日(その9:フォロ・ロマーノⅢ、コンスタンティヌスの凱旋門)
あまりにも好奇心に身を任せ、パラティーノの丘を散策したため、なかなかフォロ・ロマーノに帰ってこられなかったが、なんとか帰ってこられた。
前々回にも紹介したティトゥスの凱旋門である。伝染病の蔓延時に自ら看護の陣頭指揮にあたったため、自らも感染し、死亡した善良な皇帝である。しかしながら、エルサレム攻略の英雄ということで、ユダヤ人にとっては、悪人なのかな・・・?
マクセンティウスのバシリカである。先ほどは、高台から見たが、近くまでやってきた。マクセンティウス帝により308年に起工し、コンスタンティヌス1世が312年に完成させたバシリカである。他のバシリカとは建築様式が異なり、皇帝浴場に似ているらしい。
内部にこの六角形のグルグルがあった。これは、ひょっとして、ス○ラー電○波を防ぐために・・・?
それにしても観光客が増えてきた。我々が到着した頃は、先客は二組くらいであった。しかも、やたら日本人が増えている。
日本人が続々と来る中、フォロ・ロマーノを出た。
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フォロ・ロマーノを出ると、すぐに「コンスタンティヌスの凱旋門」が立っている。
コンスタンティヌスの凱旋門の北東には、かの有名なコロッセオがある。
コロッセオについては、次回潜入するとして、コンスタンティヌスの凱旋門に戻す。
コンスタンティヌスの凱旋門は、コンスタンティヌス帝がマクセンティウス帝に勝利した記念に315年に建設された。ディオクレティアヌスのローマ四分割統治のあと、マクセンティウスの蜂起により混乱したが、それを収めたのがコンスタンティヌスである。ローマ市民の大喝采の中、ローマ入りを果たすのだが、当のコンスタンティヌスは、ローマを見捨て、コンスタンティノポリスを建設した。
さらに、コンスタンティヌスは、ミラノ勅令により、キリスト教を公認した皇帝である。まさに西洋史にとっては、とんでもなく意義深い業績を成し遂げた人物なのである。
ま、薀蓄はここまで、じっくり見ようっと・・・
内側には、戦士たちの彫刻が施されている。なんとなく、インド門を思い出した。おっと、インド門は、「まーくんの旅日記」で書いてなかったな。。。また、インドの話は書きますよっと!
さて、コロッセオに行きますかね。。。
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