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2009年3月 5日 (木)

ローマな休日(その5:ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂)

ところで、JIN君、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世って何やったっけ

こんな疑問を投げかけたのは、5年ほど前だったろうか・・・

ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世と言えば、サルデーニャ王国最後の国王で、カヴールを首相にし、リソルジメントを推進し、イタリア統一戦争の末、遂には、イタリアの統一を果たした初代イタリア王国国王である。

ガリバルディに占領地を献上してもらったり、個人的に棚ボタ的な印象のある国王であったため、高校世界史で習って以来、その甘美な響きのみで、どこの何をした王様がすっかり忘れていたのだ。

ま、結局、当時はJINも忘れていたため、ググったわけだが、そのおかげか、今ではすっかり私の中で有名人である。

前置きはここまでとする。

フォロ群がたくさんあるフォリ・インペリアリ通りを北西に進むと、ヴェネチア広場に出る。そのヴェネチア広場には、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂がある。

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この記念堂であるが、地元では大層評判が悪いらしく、「入れ歯」とか言われているらしい。結構目立つので、ローマの高いところに上ると、結構遠くからでも目撃される。

旅中、何回か、遠くから記念堂を見つけて、

「あっ!入れ歯や!」

と罵った。

Img_2450

貝殻を頭に被ったおっさんが悩殺セクシーである。

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フォリ・インペリアリ通り沿いに先ほどのフォロ群が見える。

朝飯抜きでここまできた。そろそろお腹もすいてきたので、飯を食いにいく。

途中、フォロ・ロマーノが見えた。

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インペリアリ通りの反対側は、フォロ・アウグスト等である。

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結局、フォロ・ネルヴァ近くのバールでパニーニとカプチーノを堪能した。

バールはバーのことであるが、日本で言うバーとはイメージが違う。日本で言うところの喫茶店がバールである。このことについては、また詳しく紹介する。

次回は、フォロ・ロマーノに潜入する。 

   

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