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2009年2月

2009年2月27日 (金)

ローマな休日(その2:バルベリーニ広場)

平成21年2月8日早朝。

まだ辺りは暗い。こんな糞早い時間から行動する旅行者はあまりいないだろう。。。ホテルの従業員も、「なんじゃ、こいつら?」という表情であった。

本日のスケジュールはとてつもなくハードだ。さすがにJINの立てた計画なのである。昨夜、いびきの大音響を奏でたJINは、すっかり元気を取り戻している。ポーションでも飲んだか?

まだ暗い街を歩く。

やがて、昨夜も少し見たバルベリーニ広場にやってきた。

バルベリーニの広場から少し離れたところに、「蜂の噴水」がある。

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貝である。蜂ではない・・・

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よく見ると、下側に蜂が三匹いた。

この噴水は、バルベリーニ家出身の教皇ウルバヌス8世の即位を記念して造られた。バルベリーニ家の家紋が蜂なのである。

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バルベリーニ広場である。

ローマの街づくりは、まず広場を作り、それを通りで結ぶのが基本らしい。ということで、ローマは広場だらけである。しかし、日本人感覚からすれば、全然広場に見えないものもある。このバルベリーニ広場も少し小さい。

中央の噴水はトリトーネの噴水である。

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貝殻の上で貝を吹いている親父は、ポセイドンの息子のトリトンである。

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「蜂の噴水」と同様に、こちらにも蜂が彫刻されている。この「トリトーネの噴水」と先ほどの「蜂の噴水」はベルニーニの作品である。このベルニーニという名を覚えておいてほしい。

ベルニーニは、17世紀のバロックの巨匠である。ウルバヌス8世の重用され、サン・ピエトロ大聖堂の大天蓋を手がけた。また、アレクサンドル7世のもとサン・ピエトロ広場の設計もしている。ローマ市街には、彼の作品の噴水が多い。また、彫刻だけでなく、絵も描いている。まさに何でもありのバーリ・トゥード芸術家である。

今回の旅でも彼の作品を嫌と言うほど、見せ付けられた。これはまだ、始まりに過ぎないのだ。。。

   

2009年2月26日 (木)

ローマな休日(その1:出発)

平成21年2月7日から11日にかけて、JINとローマに行ってきた。断っておくが、NKGW氏は私たちの後訪問し、問題を起こした。

そもそも今回、ローマに行くことになった経緯は次のとおりである。JINといつものように海外へ行こうと情報収集していたときのこと、なかなかお手ごろなプランがなく、ニューヨーク行きが半ば決まりかけた。そこで、JINが格安航空券を使って、同じくらいの値段でローマに行けるがどうするかと提案してきた。当然、私の回答はローマであった。西ヨーロッパで最も訪れたかった地であったからだ。

ところが、航空機の空きがなく、苦肉の策で、私は関空から、JINは成田から出発することになった。そう、、、現地集合である。幸い、到着予定時刻は同時である。無事会えるのであろうか・・・

じゃじゃじゃじゃ~、本編始めますよ~

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

平成21年2月7日。朝に地域の仕事があった私は、まだ福岡にいた。仕事を終えると、贅沢にもタクシーで福岡空港へ向う。時間と金で、時間をとったのだ。

福岡空港に到着する。ここから関空までフライトである。出発ロビーから出発を待つ。出発ゲートの位置がおかしい・・・

搭乗が始まる。

いきなり閑散とした階段を下らされる。。。

う~ん、嫌な予感がする。

階段を下ると、日が差した。外である。そうバスである。やれやれ、バスかよ・・・

バスに乗り込み、やがてバスが走り出した。

この飛行機に乗るのか・・・

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プロペラ?

ひょっとして、ボ○バ○デ○ア?

大丈夫・・・?

プロペラが回りだす。

・・・・・眠い。

飛行機前進。

浮いた。

大丈夫そうやね。それにしても独特の五月蠅さがありますな。

1時間足らずで関空に着いた。

出国審査を済ますと、いつもスタバで休憩する。

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ここで、監督やうっちょやQ様に

「ちょっくらローマ的なところに行ってきます」

とメールを送信。

アホQはローマ的などこかに行くと思っていたらしい。。。全く、パスポートが申請から即日交付されると思っていた人は違うね・・・。あと、国内線で東京に行く際、「パスポートいるんですか?」と間抜けな発言もありました。

Q様のことはどうでもいい・・・

やがて、出発時間が近づいた。

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アリタリア航空の飛行機に乗り、いざ出発。それにしても、女子大生風味な女子が多い。卒業旅行か?あるグループに飛行機バックにして写真を撮ってあげた。そこで、フラグが立たないのが私である。

飛行機に乗り込む。私は通路側である。昨年のロンドン行きの際は、真ん中で隣がごそごそ婆だったので、苦労したが、今回はOL風女子二人組なので、大丈夫かな?

離陸時は記憶がない。

やがて、ドリンクサービスがやってきた。私はオレンジジュースを注文した。

OL1:お茶!

客室乗務員:ウォーター?

OL1:お茶で通じるんやね

OL2:ほんまやね

私:(水きよるで・・・(*≧m≦*))

・・・水がやってきた。

OL:(・_・)エッ....?

私:`;:゙;`;・(゚ε゚ )ブッ!!

こういう根性の悪いのが私である。

゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

昨年は、アルコールで酔っ払ったのと、ごそごそのせいで全く眠れなかったが、今年はわりと眠れた。

13時間ほどでローマのフィミウーチノ空港に着いた。

入国審査の順番を待つ。成田から来た団体客が添乗員の説明を受けていた。

「日本からの航空機は、だいたい7番から荷物がでます。」

なかなか有意義な情報であった。

それにしてもJINはもう着いているのだろうか・・・?

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7番の付近を注意深く見る。御仁がいた。

声をかける。ちょっとびっくりしたようだ。無事会えてよかった。。。

ロストバゲージもなく、無事ローマに着いた。

ここからは、レオナルド・エクスプレスでローマの中心的な駅であるテルミニ駅に直行する。これが、ホームである。改札などない。

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チケット(11ユーロ)を購入する。

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この機械にチケットを差し込む。ガチャコンとチケットに印字される。この印字がないと、大変な額を請求されるらしいので、注意しよう。

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電車がきた。落書きだらけで汚い。

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レオナルドの顔が不気味にプリントされている。そういえば、フィウミーチノ空港の別名もレオナルド・ダ・ヴィンチ空港である。

ぎーさんの愛媛県に対する名言「こいつら何でも坊ちゃんや!」を思い出した。

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車内は結構きれいだ。

電車が出発した。空港近くのヒルトンを過ぎると、郊外のせいか明かりがなかった。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

やがて、市街に入ってきたため、明るくなってきた。

テルミニ駅到着。ここからメトロに乗り換える。

電車から降りると、JINはさっさと進む。

私:何の躊躇もなく進んどるけど、確たる自信があるのか?

JIN:胸騒ぎに満ちとるから、大丈夫!

すると、本当に淀みなく、メトロの駅に着いた。この漢(おとこ)は、体内にGPSでも着いとるんか?

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メトロの券売機である。どこまで行っても1ユーロのようだ。かなりリーズナブルである。昨年はロンドンで4ポンド=当時880円相当も払わされたことから考えると、ありがたい。

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駅構内は薄暗くて、汚い。

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ホームもこの通りである。

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電車がやってきた。バルベリーニ駅に到着した。

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なかなか長いエスカレータだ。

手すりを持っていると、あっという間に前傾姿勢・・・

手すりと足元のスピードが全然違うやん!

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外に出ると、あいにくの雨である。バルベリーニ広場にでた。

ここからホテルまでてくてく歩く。宿泊先はサヴォイというホテルである。

ローマに行く前に、監督に言うと、ローマに行ったことがないのに、何故か知っていた。さすが、監督である。

サヴォイに着いた。古いがなかなかよいホテルだ。

部屋に着くと、早速晩飯を食いに行くことにした。いつもなら、私がヨレヨレだが、今回はJINがお疲れである。聞けば、仕事とかしてて二日間ほどほとんど寝ていないようだ。

しばらく外をうろつく。

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ボルゲーゼ公園の手前にあるローマの城壁の一部だ。

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なかなかいい雰囲気じゃないですか?

いろいろうろついた挙句、結局、ホテルに近いカフェ・ド・パリという店で食べることになった。

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適当にパスタを頼んだら、所謂、ニョッキというやつらしい。少し塩辛いが、結構美味かった。値段がやや高めだったので、これだけ頼んだが、いざ食べると、かなりボリュームがあった。不思議だ。

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食後はコーヒーを堪能する。カフェ・アメリカーナを注文した。アメリカンかと思いきや普通のドリップコーヒー並みの濃さだった。エスプレッソに慣れたイタリアっ子には、これでも薄いのだろう・・・

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こうして、ローマ初日はあっという間に終わった。

ホテルに帰ると、早めに寝た。JINは珍しくも、疲れ果てて、すぐに寝た。                  

2009年2月24日 (火)

久留米・大宰府寺社巡り(その5:岩屋城跡)

高橋紹運という武将をご存知だろうか?

大友氏の家臣であり、柳川藩初代藩主立花宗茂の実父である。立花宗茂といえば、嫁が立花道雪の娘で、誾千代という。戦○無○2のキャラクターである。最も夫婦仲は悪く、すぐに別離したらしい。

まあ、息子のことを長々と書いたが、高橋紹運は、大友の勇将と名を馳せている。そして、島津との戦いにおいて、壮絶な戦死を遂げたのだ。

その高橋紹運の戦死した場所が、今回訪れた岩屋城である。

かつて、監督と戦国オタ話をしていた際、

監督:ところで高橋紹運が戦死した城はどこでしたっけ?

私:う~ん。ちょっと忘れましたね。

:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+後日

私:この間の城ですけど、調べたら岩屋城でした。

監督:そうそう!

という会話をしていたら、他の友達に大層呆れられたものだ。

前置きはここまでにしておいて、本編に入る。

♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:

観世音寺を見学した後、山に向けて車を走らせる。

ナビと地図と実際の光景を見ながら走り、入り口を見つけた。入り口の反対側に高橋紹運の墓があるはずだ。

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確かにこの辺りに墓があるはずだ。

それらしいのがない。。。

ひょっとして、崖の下のほうにあるのかいな?

監督:これじゃないですか?

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あった。

灯台下暗し。

まさか足元の何の変哲もない石が墓だったとは・・・(゚0゚)

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こういう状態である。高橋紹運も浮かばれんなあ・・・

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さて、城跡を見に行く。

それにしても今日はよく石段を上るなあ・・・

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ちょっとした登山だ。ハイキングシューズを履いてきてよかった。

やがて、道が開けた。

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これが、城跡?何もないんですけど・・・?(´ρ`)ぽか~ん

石碑が一つあるだけである。

「嗚呼壮烈岩屋城址」

豊臣秀吉の九州征伐の直前、島津が筑前に攻め入った。そのときに標的になったのが、この岩屋城である。島津2万の軍勢相手に奮戦するが、最後は自害した。

「 屍をば岩屋の苔に埋みてぞ 雲居の空に名をとどむべき」という辞世の歌を残したらしい。

本当に壮絶なんだが、墓があれじゃ~ねぇ

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いい眺めだ。

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あの特徴的な屋根は九州国立博物館である。

監督:折角だから、岩屋山頂上を制覇しませんか?

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私:ひょっとして、あれが頂上っすかね?

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

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岩屋山登頂成功!

ところで、城跡というのに、石垣一つ残っていないとは・・・

監督:あれが石垣跡じゃないですか?

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この転がった石ころが監督の言うとおり、城の石垣だったのだろうか?

なんとなく無常感を覚え、今回の研修を終わった。

おしまい。   

   

2009年2月22日 (日)

久留米・大宰府寺社巡り(その4:観世音寺、戒壇院)

久留米だけでは物足りないマニアな二人は、大宰府にやってきた。

といっても、太宰府天満宮ではない。

観世音寺という寺である。

大宰府に来ると、天満宮付近の道がえらいことになっていた。さすが、観光名所である。

しかし、我々の目的地は、観世音寺である。駐車場に停めると、大宰府の喧騒が不思議なくらい閑散としていた。

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観世音寺は天台宗のお寺で、山号は清水山である。奈良時代の創建と、かなり由緒正しいお寺のようだが、何故か縁起については、よく分かっていないらしい。本尊は、阿弥陀如来と聖観音である。

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本堂である。

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本尊の聖観音像である。そういえば、正月の「ゆく年くる年」でここ映ってたなあ・・・

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金堂である。こちらには阿弥陀如来が祀られている。

現存する伽藍はこれだけだが、かつては、大伽藍が形成されていたようだ。その頃には、立派な五重塔もあったらしい。

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境内に五重塔の心礎があった。

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こちらの梵鐘は国宝らしい。

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国宝なのに、なんか頑張ったら突けそうである。でも、怒られそうなのでやめた。

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こちらから戒壇院に行ける。

戒壇院とは、正式な僧になるためには戒律を受ける必要があるが、その戒律を授ける施設がこの戒壇院である。奈良時代に鑑真によって設けられた三つの戒壇院のうちの一つである。残りは、奈良の東大寺と栃木の下野薬師寺である。

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かつては隣の観世音寺の伽藍の一つだったのだが、現在は、臨済宗のお寺として、独立している。

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こちらが正門である。

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鑑真和上の供養塔があった。

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えらいちっこい五重塔である。

こちらは、元々観世音寺の一部であったためか、観世音寺以上にミニマムな境内であった。

最後に、観世音寺に帰り、宝物館を見学した。

せっかく来たのだからと入ったのだが、これが意外や意外、かなりのものであった。

馬頭観音像など、5メートル級の大作(重要文化財)がいくつもあった。あまりの内容に、監督は悦に浸り、かなりやばい状態であった。ちょっとあちらの世界に行っていたようだ。(*´д`*)ハァハァ

観世音寺を訪れた際は、宝物館に行くことをお奨めする。ある意味、九博より内容いいかも・・・   

      

2009年2月21日 (土)

久留米・大宰府寺社巡り(その3:北野天満宮)

北野天満宮といっても京都ではない。また、神戸にもあるがそれとも違う・・・

久留米なんです!

:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+

監督とラーメンを食した後、まだ時間があるけど、どうすべかな?と考え、ちょっくら寄ってみた。

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う~ん、ガイド本ではもうちょっと立派に見えたが、結構しょぼい?

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なかなか古そうな鳥居だ。

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妙に真っ赤な楼門が出迎えてくれる。監督は、朱ではない!とご立腹だった。

まあ、わからんではないね。。。いい意味で!

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楼門をくぐる。

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狛鳥?しかも金色?

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こっちは銀ですな。

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天満宮と言えば、牛ですな。。。

ところで、この北野天満宮にはなかなか面白い伝説がある。河童に関する伝説なのだが、

一つは、菅原道真がこの北野の地を訪れた際、河童が現れ、悪戯をするので、手を切り落としたというもの・・・

もう一つは、菅原道真が追手に襲われたのを、河童が手を失いながらも戦い、助けたというもの・・・

なんだが、矛盾した話だが、とにかく道真が河童と縁があったらしい。

この天満宮には、そのときの河童の手が保存されており、25年に一度公開されるらしい。。。是非見てみたいものだ(*´д`*)ハァハァ       

2009年2月20日 (金)

久留米・大宰府寺社巡り(その2:高良大社)

成田山から軽く山道を走り、高良大社にやってきた。

車を停めると、監督の携帯がなった。職場から呼び出しか?

紛らわしくも違った。ドキドキである。後は、監督がすぐに娘に会いたくならないことを祈るだけである。

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少年野球チームが何やらトレーニングがてら参拝に来ていた。

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長い石段を上ると、楼門が見えた。

高良大社は、国幣大社で筑後一宮という大変由緒正しい神社である。

それにしてもいつから梅が枝餅は久留米の名物になったのか?

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拝殿である。それにしても寒い。結構吹雪いてきた。

高良大社のご祭神は、高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)、八幡大神、住吉大神である。八幡大神と住吉大神はあまりにも有名だが、高良玉垂命とは?

その正体は結構論争になっているらしい。武内宿禰説やら藤大臣説やらあるらしい。

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こちらが本殿である。神社建築としては、九州最大らしい。日本最大って、どこかしらん?

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裏手に恵比須社があった。

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これがえべっさん?

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さらに裏側に洞穴があり、なんだろうと調査すると・・・

ただの洞穴だった_| ̄|○

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久留米の街が一望できる。やはり結構街ですな・・・

高良大社を参拝した後、久留米市街に帰ってきた。

大龍ラーメンでラーメンを食った。

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美味かった

   

2009年2月17日 (火)

久留米・大宰府寺社巡り(その1:成田山久留米分院)

平成21年1月11日。

監督と久留米の成田山を見に行くことになった。監督の職場から呼び出しがかかるかもという精神的制約と監督が愛娘の顔を見たくなる時間的制約を受けながらの現場視察となった。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

成田山久留米分院にやってきた。

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成田山久留米分院は、千葉にある成田山新勝寺の分院で、昭和33年に開山したものだ。ここの魅力は、その珍寺っぷりで、珍寺大道場でも紹介されている。

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長い石段の途中で、私の珍寺レーダーが反応した。何かあるぞ!

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これじゃない!もっと凄いものがあるはずだ。

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ありました!不動さんじゃ~

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本題に戻る。石段を上り終えると、本堂がある。左奥にそびえる御方は、ひとまず置いておいて、本堂にお参りする。線香の煙が目に染みるぜぇ(。>0<。)

ここまでは普通なのである。では、ワンダーゾーンにいざ参らん

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・・・・・・・・・

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平和の鐘である。

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屋根は美しいステンドグラス張りになっていた。

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何やら縁起が良さそうである。

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なんかインドでよく見たようなヒンドゥー寺院がある。日本唯一・平和大仏塔極楽殿というらしい。なんでもブッダガヤーの仏塔のぱくりらしい。

入ってみた。

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お釈迦様の生誕から入滅までの軌跡が勉強できる。

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なんか日本全国どこにでも仏舎利ってあるけど、お釈迦さんの骨って随分量があるんやねヽ(´▽`)/

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おう!お釈迦様か?

監督曰く、この仏像は日本のものではない・・・

東南アジアチックですな・・・

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続いて、こちらの親方に入りましょうかね・・・( ̄ー ̄)ニヤリ

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救世慈母大観音様の回りには、羅漢様たちが鎮座しておられる。私は羅漢には思い入れがある。特に、香港の萬佛寺などでは、興奮しまくりであった。この思いを監督に伝えても、呆れられるだけであった。

羅漢は置いといて、じゃじゃじゃじゃ~、観音様の中に、入りますよ~(*´д`*)ハァハァ

内部はなんとも殺風景なコンクリート打ちっぱなし建築だ。

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上を見上げると、延々と螺旋階段が延びている。

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とにかく上ろう。上がどんなことになっていようとも・・・

そういえば セント・ポール大聖堂でも延々と玉葱を上ったなあ・・・

と懐古してしまった。

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途中ではパネルで地獄などが勉強できる。

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やっと膝まで着たようだ。

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やたらお経が鳴り響いており、怪しい雰囲気を醸し出していると思っていたら、こんな所にスピーカーがあった。

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左手ですな・・・

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ここで永代供養もしているようだ。

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今度は右手・・・

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

それにしてもかなり疲れてきた。監督も5グラムくらいスリムになったようだ。

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ネックスって・・・(´~`)。゜○

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?なんだこの小部屋は・・・?

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本当に小部屋だった。外の景色がやたら小さな小窓から見れるというだけであった。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

頂上に着いた。

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どっかで見たような釈迦像があった。

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そして、小部屋・・・

苦労した割には、これだけ・・・?( ̄○ ̄;)!

監督と途方に暮れる。。。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

気持ちを切り替えて、下界に到達した。

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仏像が出迎えてくれる。

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みんなオラに少しづつ元気を分けてくれっ!!!

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そのまま光明閣とやらの地下に繋がっており、ここでは、歴史やら鉱石やらの勉強ができる。

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笹川さん?競艇の宣伝で昔ありましたねぇ・・・ヽ(´▽`)/

さらに地獄極楽館につながっている。

この地獄が大層素晴らしかった。電動で人形が切り刻まれ、叫喚が鳴り響く光景を、是非動画をアップさせたかったが、あいにく撮影禁止だった。

私:監督、是非娘さんときてくださいよ・・・( ̄ー ̄)ニヤリ

監督:絶対泣き叫びます。

おう!リアル阿鼻叫喚か・・・?

八大地獄が紹介されていたが、順番が妙だった。初めに黒縄地獄があったが、初めは等活でしょう?

こんなマニアックな突っ込みに答えてくれるのは、監督くらいなものだ。

ところで、飲酒は最低叫喚地獄(四つ目)である。私も監督もお酒は苦手だが、全く飲まないことはないので、死後は叫喚地獄行きということになる。殺生・盗み・邪淫と横並びなのは納得いかないが、酒で失敗するような人はまず大叫喚地獄行きなので、注意してくだちい( ̄▽ ̄)

最後に極楽館はこれだけだった。

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う~ん、パラダイス            

              

2009年2月 5日 (木)

京都迷宮入りⅥ(その9:天龍寺)

天龍寺にやってきた。といっても裏口から入ってしまったので、先に庭を見ることになった。

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望京の丘とやらに登ってみた。

う~ん。。。あんまり景色良くない?

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多宝殿である。昭和9年の建物である。

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庭池(曹源池)が見えてきた。

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庭に面してある建物が大方丈である。明治32年の建物である。

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天龍寺と言えば、この庭である。夢窓疎石の作である。天竜寺は、幾度も消失したため、伽藍のほとんどは、明治以降の建物である。それにもかかわらず、世界遺産に登録されている理由は、この庭としか言いようがない。

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★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

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普通はこちらから先に入る。ここから本堂参拝が始まるのだ。ちなみにこの建物は、庫裡である。

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中に入ると達磨の絵があった。

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天龍寺の正式名称は、霊亀山天龍資聖禅寺で、臨済宗天龍寺派大本山である。後醍醐天皇の菩提を弔うため、足利尊氏が夢窓疎石を開山として創建したものである。

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天龍寺の名の由来は、尊氏の弟である足利直義が保津川で金龍が舞う夢を見たかららしい。寺の建立のために、天龍寺船という元との貿易船が仕立てられたことは、名高い。

前述のとおり、天龍寺は、今まで、何回も燃えている。応仁の乱やその他諸々である。一番最後が蛤御門の変のとばっちりを受けた。で、明治以降の建物ばかりなのである。

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後醍醐天皇の木造である。書院にある。

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天龍寺を後にした。

♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:

渡月橋の近くで、ちょっと休憩をする。

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琴きき茶屋の桜餅である。桜の葉で包まれたほうは、あんなしである。

つまり、もち米オンリーである。

実は、子供の頃、家族で湯豆腐を食べに来た時に、偶然見つけた店なのである。このあんなし桜餅がなかなかうまくて、今までいろんな友達に薦めてきた。あいにく好評を得ている。

JINと舌鼓を打つ。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

四条河原町まででてきた。

弥次喜多という甘味屋で、ぜんざいを食す。

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美味い!

JINには、冗談で亀山をお奨めしたが、本当に頼んでしまった。!!(゚ロ゚屮)屮

この甘味魔人がっ!(´-д-`)

京都第6弾おしまい。    

2009年2月 4日 (水)

京都迷宮入りⅥ(その8:野宮神社)

実に嵯峨野らしい竹林を抜ける。

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野宮神社(ののみやじんじゃ)にやってきた。

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野宮神社といえば、縁結びの神様として、女子には大層人気である。京都では、地主神社、安井金比羅宮と並び称されるのではなかろうか。

鳥居は、「黒木の鳥居」と称し、樹皮がついたままである。古代の鳥居の形式ということだ。

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野宮神社の旧社格は村社である。ご祭神は野宮大神(天照大神)である。野宮とは、伊勢神宮の斎王(伊勢神宮に使える巫女で、未婚の皇族だった。)が、伊勢に行く前に禊を行ったところらしい。

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願い事はやはり良縁???

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野宮大黒天とある。こちらが縁結びの神様らしい。でも、何で?

とにかく拝んどきまひょ( ̄ー ̄)ニヤリ

妙な絵馬を見つけた。

○○○(←企業名)の外山さん(仮名)にお金のかからない女の子と永遠に結ばれますように・・・

外山さん、元カノが浪費家やったんかね?がんばれよ。

   

2009年2月 2日 (月)

京都迷宮入りⅥ(その7:御髪神社)

二尊院の次は、天竜寺にでも行こうかしらと歩いていると、気になる神社を見つけた。

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池の畔に佇む、日本唯一の頭と髪の神社、その名も御髪神社である。

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確か、数年前に、くっぺちゃんとJINと嵐山を訪れた際、同じノリで立寄ったはずだ。

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13世紀の武士、藤原采女亮政之(うねめのすけまさゆき)という人物を祀っている。

何でも親父さんが、日本最古の髪結職だそうで、この政之も大層ご出世されたそうだ。

境内には、どこかで聞いたことのある、髪の毛に関する企業の名が目立つ。

髪の毛の薄そうな誰かさんに、ご利益がありますように・・・(´-д-`)

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髪塚があった。

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それにしても、この神社は、やけに猫が多い。なんでかねぇ・・・ 

さ、次に行こっと・・・

2009年2月 1日 (日)

京都迷宮入りⅥ(その6:二尊院)

二尊院にやってきた。天台宗のお寺である。

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数年前にくっぺちゃんとJINと紅葉の季節に来て以来だ。

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門をくぐって、すぐの所に、撮影台があった。しかも、固定されているかと思いきや、脱着でき、移動可能である。

で、この撮影台を使って、撮影してみた。

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紅葉の季節ならば、この参道の木々が黄色に輝き、たいそう美しいのだが、この季節では・・・

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門くぐる。

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本堂である。

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本堂に上がる。この二尊院は、正式名を、「小倉山二尊教院華台寺」という。二尊院の二尊とは、本尊である、釈迦如来と阿弥陀如来が並んで祀られていることにちなんでいる。

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普通、本尊と言えば、如来級が一体に、脇侍がつくものだが、このように、如来が仲良く並んでいるのは、相当珍しいだろう。

仏像マニアには、よだれタラタラものだろう。しかし、私のような珍寺マニアには、電光ファンキー仏像のほうが魅力的だったりする。

ちなみ、鎌倉時代の春日仏師の作だそうで、重要文化財である。

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最後に、弁財天堂を見て、二尊院を後にした。       

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