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2009年1月28日 (水)

京都迷宮入りⅥ(その3:化野念仏寺)

化野念仏寺にやってきた。

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化野は「あだしの」と読む。普通は読めない。私も小学生の頃は、「ばけの」だと思っていた。

山号は、華西山で、浄土宗のお寺である。化野念仏寺のメインはこれだ!

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この夥しい石仏・石塔群である。

念仏寺の起源は、スーパースター弘法大師が、五智山如来寺を建立し、野ざらしになっていた遺骸を埋葬したことに始まる。なぜ、野ざらしになっていたかと言えば、化野は、平安京時代、風葬の地とされていたからである。

如来寺は、その後、法然上人の念仏道場となり、華西山東漸院念仏寺と改称し、浄土宗に帰属するようになる。

上の画像のメインの石塔群は、明治時代、化野に散在していた無縁仏を一箇所に集めたものである。 西院の川原という。

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メインの西院の河原以外にも、無縁仏が陳列されている。

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西院の川原を別角度から・・・

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これは、ストゥーパのように見える。納骨堂のようだ。

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お寺なのに、鳥居があるし、形が面白いと思ったが、そもそもインドでは、トラナという門を寺院に作るのは当たり前で、むしろトラナが鳥居の元祖という説もあるようだ。

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竹林が現れた。

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嵯峨野って感じですなあ~(◎´∀`)ノ

きょーと、さがのに吹く風はぁ~

それは、○ぜ○らや!

と、JINに突っ込まれる。

そういや事件起こしましたね∑(゚∇゚|||)

さらに、JINと竹林の七賢について、語り合った。

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竹林を抜けると六角形の石塔が現れた。各面に地蔵菩薩が彫られており、地獄道や人間道と六道がそれぞれ刻まれている。この六体の地蔵に水をかけながら、拝み、六道の苦しみから救っていただこうという趣旨らしい。

早速、水をかける。

ぶちっ!

柄杓の頭が・・・∑(゚∇゚|||)

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

JIN:おっ!?柄杓の頭が水没しとおで・・・

私:うん。腐っとったみたい(*≧m≦*)

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

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竹林の道を再び戻ってきた。

西院の川原の前にある、延命地蔵にて、延命を図る。

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化野念仏寺といえば、夏にある千灯供養が有名である。西院の川原一面に蝋燭が灯るのである。実に幻想的らしい。私は見たことがない。見たことのあるJINは自慢げに語った。

それにしても、中学以来の念仏寺であったが、記憶していたより、小さかった。しかしながら、やはり、インパクトのある光景であった。    

   

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