京都迷宮入りⅥ(その5:滝口寺)
祇王寺の隣?には、滝口寺がある。
滝口寺は、浄土宗の寺で、山号は、小倉山である。そう小倉百人一首の小倉山である。藤原定家は、小倉山の麓の時雨亭で、和歌を選んだそうな・・・。
ところで、滝口寺は、元の名を往生院三宝寺といい、祇王寺と同様、廃寺となっていたものを、明治時代に再建したものだ。後に記す滝口入道にちなんで、滝口寺と名づけられた。
それにしても閑散としている。
入り口にすぐ近くには、新田義貞の首塚がある。北陸で敗死した後、三条川原でさらし首になっていたのを、義貞妻が盗み、小倉山に葬ったとか・・・
延々と山道を歩かされる。
しばらくして、本堂が見えてきた。
う~む、寺に見えませんな。なんか古民家みたい・・・
本堂に上がり、外を見てみた。
今の時期は、あまり景色がよくないらしい。
滝口入道(右)と横笛(左)の木像である。
滝口入道は、元は、斎藤滝口時頼といい、平重盛の侍であった。ある日、花見で女官横笛の舞を見て、一目惚れする。それで恋文を送ったりするようになるが、親父がそれを知り、
「色を知る年か!」
と、一喝した。
で、いろいろ自問自答の末、時頼は、出家してしまう。。。
時頼の出家を聞いた横笛が、悲観にくれ、時頼を探し、往生院までやってくる。
横笛は滝口入道に居留守を使われるわけだが、路傍の石に歌を書き、去ったと言う。
横笛はその後、出家し、早死に・・・
滝口入道は、出世したという・・・
横笛の歌石があるというので、探すと、ありました。
この記念碑がそうかと思うと、その右奥にあるのが、そうらしいですな。画像が半分切れている。失敗だった。