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    2005年12月。ホノルルマラソンに出走。人生を変えた旅。
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    飯は不味いが、とにかくお洒落な街と大英博物館、ストーンヘンジ、カンタベリー最高!
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    2007年2月。とにかくカルチャーショックの連続だった。

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2008年12月

2008年12月26日 (金)

博多を歩こう!Ⅲ(櫛田神社)

平成20年12月21日。友人の師匠とクリスマスムード漂うキャナルシティでミッションをこなした後、まだもう一勝負と鼻息荒い師匠と別れ、櫛田神社に寄ってみた。

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博多の祭りといえば、博多祇園山笠である。7月にあるとても荒々しい祭りで、むっさい男たちが、山笠と呼ばれる山車を引き回すのである。よくニュースにも映像が流れる。それにしても、京の都では、コンチキチンと雅な祭りが、西に行けば、こんなにも男臭い祭りになるのは面白い。

で、この博多祇園山笠は、今回訪れた櫛田神社の祭りである。旧社格は、県社であるが、大社揃いの福岡にあって、大宰府、宗像の次くらいに有名な神社である。

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全国にある櫛田神社は、普通、櫛名田姫を祭神とするが、ここの櫛田神社は、大幡大神、天照大神、素盞嗚尊を祭神とする。

元々は、松坂の櫛田神社を勧請したものだが、藤原純友の乱を鎮めるため、八坂神社に祈願したら、平定できたので、八坂神社の素盞嗚尊を勧請したものらしい。

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本殿の手前には、霊泉鶴の井戸なるものがある。なんでも不老長寿の水らしい。

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早速飲む。

しょっぱ、苦っーーーー・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

今まで、不老長寿の水なるものは、いくつか飲んできたが、こんな不味いものは初めてだ。これは、いわゆる冷えた温泉(塩化物泉)だ。

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あまりの不味さにダメージは大きい。しかしながら、参拝する。

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裏手に廻る。摂社で恵比寿宮があった。なかなか古びた鳥居だ。

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山笠が飾ってある。

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裏にも山笠が飾ってある。

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この石は何かな?と思えば、歴代の横綱が石を抱え、奉納したものらしい。力あるよというアピールかな?

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貴乃花じゃないですか!

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この人の名を見ると、ホジルトで温泉治療がしたくなる。

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いまやつぶれたヒキガエルと化した曙師匠・・・

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これは神輿のようだ。

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摂社・末社ご一行様である。

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最奥部には、稲荷神社があった。

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稲荷神社の鳥居をくぐると、なんだか楽しくなってくるのは、私だけだろうか?

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ちょっと期待はずれの拝殿があった。

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おしまい。

2008年12月24日 (水)

香港珍道中(その4:夜景)

沙田からKCR→地下鉄と乗り継ぎ、尖沙咀で下車する。

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いかにも香港らしい町並みが現れた。ネイザン・ロードである。繁華街を抜けるメインストリートである。福岡で言ったら、渡辺通りといったところであろう。ダブルデッカー(二階建てバス)も走っている。今回時間がなくて乗らなかったが、次回は是非乗ろうと思う。こんなことを考えていたら、またリベンジしなければならないところが増えてしまう。。。

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ネイザン・ロード沿いに九龍公園がある。都会のオアシスと言えば、聞こえが良いが、ただの公園である。ベヘリットみたいな妙なオブジェがあった。

糖朝でお粥さんと豆系のスイーツを堪能し、ひたすら南に向けて歩くと、ヴィクトリア港までやってきた。

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クロック・タワーである。昔、ここに九龍鉄道の九龍駅があり、シベリア鉄道を経由して、ヨーロッパまで行けたそうな。。。壮大な話だ。

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さすが、香港の夜景は美しい。100万ドルの夜景だっけ?

ここからスター・フェリーに乗り込み、香港島まで行く。それにしても船まで、オクトパスカードが使えるのは、嬉しい限りだ。

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船からの夜景も最高だ。

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フェリーの中はこんな感じである。

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船着場に到着した。

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しばらく歩くと、立法會大樓があった。かつては最高裁判所だったが、現在は、立法評議会議事堂らしい。歴史的建造物である。

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セント・ジョンズ大聖堂である。極東最古の大聖堂らしい。

このまま、ピークトラムに乗って、ヴィクトリア・ピークで夜景を眺めようかとも考えたが、そろそろ時間的に厳しい。

名残惜しくも、空港に向う。

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エアポートエクスプレス車内にて。

おしまい。

2008年12月23日 (火)

香港珍道中(その3:萬佛寺後編)

延々と続く、黄金仏像ロードをクリアし、いよいよ本堂までやってきた。

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両サイドに並ぶ御仁たちは、とりあえずスルーして、大雄寶殿に入る。

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手前のガラスケースに入っている御仁は、なんと萬佛寺の創始者、月渓法師のミイラらしい。仏様になっても、金ぴかで陳列されるとは・・・。

再び外を見学する。

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なかなかの力作である。千手観音かいな?

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圧巻の九重の塔である。各階に仏様が陳列されている。

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おう!手ぇ長っ!しかも投球モーション中のようだ。

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足長っ!

これって、鬼太郎の妖怪大百科に出てきた足長手長では・・・?

さて、帰るか・・・。

おや?まだ奥があるようだ。

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なんじゃこりゃ?目から手が・・・。えらいことになっとるがなっ!

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強烈だ!一つ一つに突っ込んでいたら、一体どのくらい時間が必要なのだろう。

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おぉ、金ぴか様の修復中だ。貴重なところに遭遇した。プチ感動ものである。

こちらにはいくつかお堂があった。

さて、帰ろう・・・。

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むさ苦しい親父に挨拶し、てくてく来た道を帰る。

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やっぱすごい絵やねぇ

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おう!猿やー!( ゚皿゚)キーッ!!

しかも前の観光客がおちょくるから、めっさ怒っとるやないか~い!

とうとう下山した。

噂どおり、凄まじい寺であった。

!?

????

おい!前のイタリア人っぽいおっさんと、現地人っぽいおばはん!

金ぴか様たちの御前でディープキッスするなーーーー(○`ε´○)

2008年12月21日 (日)

香港珍道中(その2:萬佛寺前編)

黄大仙駅から地下鉄に乗り、九龍塘駅で九広鉄道(KCR)に乗り換える。沙田で降りる。

今回の旅の最大の目的地である萬佛寺に向う。

・・・というか、どっちかわからん。

???早速迷った。

萬佛寺は、非常に有名な珍寺である。珍寺マニア界のお化けサイト、珍寺大道場でも紹介されている。というより、萬佛寺に行こうと考えたのは、珍寺大道場がきっかけだ。

う~ん、道が分からん。諦めるか?否!ここで萬佛寺にいかんかったら、末代までの恥である。全神経を研ぎ澄ます。そのとき、私の珍寺アンテナに反応があった。恐る恐る、歩を進める。おっ!看板発見!

なんか山道なんですけど?本当に合っているのかね?この道は・・・?

それは、いきなり現れた!

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でた~!金ぴかの仏像群!それでは、仏像たちを見ていきましょう。。。

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金ぴかの仏像群が圧巻である。いちいち突っ込んでいたらキリがない。

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乙女チックですなあ。。。どんだけ~

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毎度!何にしまひょ!?

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何の場面なんでしょう?なんかパーデンネンがいる。アホとちゃいまんねん、パーでんねん!ぱぁ~

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右のおっさん、のりのりやねぇ~ヽ(´▽`)/

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これは、羅睺羅尊者であろう。ワシの腹の中には、仏さんがおりまんねんと、腹をかっさばいた阿羅漢である。お釈迦さんの実の息子ですわ。

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おじん、へそに手ぇ、突っ込まれとるけど、大丈夫か?

一見微笑ましいが、唇ひっぱったり、耳たぶ引っ張ろうとしたり・・・。

この後は、凄惨な地獄絵図が繰り広げられるに違いない。

そう、スカルボーズに唇引っぺがされたビューティ・ローデスのように・・・。

後編に続く。

2008年12月20日 (土)

香港珍道中(その1:黄大仙廟)

平成19年1月30日。

長らく低迷を続け、春から福岡に引っ越すことも決まり、なんとなく将来に希望が見えた。よし、いっちょインドにでも行ってやろうと考えた。今回は、インドに行く途中、トランスファーの合間に香港を観光した話である。

♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:

香港国際空港(チェクラプコク空港)についた。インドへの経由で降り立ったわけであるが、次の出発まで半日ほど時間がある。当然、香港観光に繰り出す。

それにしても入国審査、人多いな。。。

ぶっきらぼうな入国審査を終え、無事香港入国。空港はランタオ島にあり、九龍や香港島には、エアポートエクスプレスで繋がっている。早速、オクトパスカードを購入し、おっかなびっくり乗った。

おぉ、近代的じゃないですか。。。

♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:

地下鉄を乗り継いで、やってきたのは、黄大仙廟である。

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入り口には、料金箱があり、入場料はとらないが、心付けを入れるようになっている。そんなところでケチっても仕方ないので、1香港ドル入れてやった。

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香港最大の道鏡寺院であり、あまりにも有名であるが、占いのメッカである。多くの日本人観光客も占ってもらうようだが、私の香港の最大目的地はここではないので、しれっと見学するだけである。

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それにしてもものすごい煙だ。やたら煙のでる線香のようだ。おかげで本尊が煙ってまったくわからん。こういうときは煙の少ない毎○香にしてほしいものだ。

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台湾でも見かけたが、中国人の宗教活動って、ものすごいパワーを感じる。

さて、すっかり衣服も燻製になったところで、香港観光最大の目的地に向いますか・・・。

2008年12月13日 (土)

英彦山チャレンジ(その5:小石原焼物紀行)

小石原焼とは、福岡県東峰村(旧小石原村)で焼かれている焼物である。1682年に黒田が伊万里から陶工を招いたことに起源を持つ。大分県日田の小鹿田焼に技術が伝承されており、小鹿田焼とは、姉妹関係である。陶芸家バーナード・リーチに賞賛されたと言う。

英彦山から小石原は結構近い。

ということで、やってきた。

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まずは、小石原焼の歴史から勉強する。小石原焼伝統産業会館にやってきた。それにしても、人気がない。そして、バブリーな建物だ。

中を見学する。

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中では、遺跡からの出土品から現代の作品まで、幅広く展示されている。

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この辺は、江戸時代の出土品がメインのようだ。

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この狛犬はなかなか面白い。一家に一台欲しいくらいだ。

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素焼きからの工程が説明されている。焼物系の博物館って、だいたいこんな感じのような気がする。

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今度は、現代作家たちの作品だ。

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優秀作品の上には、日本各地の焼物産地が図示されている。

いや~、勉強になりましたっと。。。

続いて、高取焼宗家にやってきた。高取焼とは、直方から始まった焼物で、元々、秀吉の朝鮮出兵の折、陶工八山を連れ帰ったことに起源がある。その後、小石原に移り、小石原焼に多大な影響を与えた。

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古っ!

凄い歴史のある家である。

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家の隣には、何故か神社が・・・。

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軒先には、ジャンク品なのか?作品が並べられている。あまりの歴史の重みに少し緊張して、中に入る。

中に入ると、所狭しと作品が並べられている。結構リーズナブルな作品もあり、安心した。八山氏の作品には十二代と十三代のものがある。弟子の作品は、高台のところに高取と書いてあるが、八山氏の作品は八山と書いてある。この辺は、なんか知ったかぶりのおばんが店の人を捕まえて、しゃべっていたので、よく分かった。なんとも面倒くさそうなおばんで、店員さんの表情が曇っていた。まあ、私にはいい勉強になったけど・・・。

すっかり、悦に浸り、お土産でリーズナブルな爪楊枝入れと湯飲みを買って帰った。今、お茶を飲みながら、ブログを書いているが、当然、このとき買った湯のみで飲んでいる。

おしまい。

2008年12月10日 (水)

英彦山チャレンジ(その4:英彦山その他)

英彦山については、当初前後編で書くつもりだった。内容が濃すぎたために、前中後編に変更したが、まだ足りなかった。これは補足である。

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英彦山神宮参拝のあと、じっくり紅葉を鑑賞する。

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英彦山山頂に登っているときは、紅葉するような木がなかったが、麓はところどころ色づいている。一句捻りたいところだが、ノータリンな私には思い浮かばなかった。

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今回、英彦山に来た理由の一つは、英彦山までくれば、いい紅葉が見れるか?と考えたことである。そういう観点から言えば、一応目的は果たせたと言えよう。

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むっ!?

あれは、噂のスロープカー?麓の駅から、そんなに距離はないのだが・・・。

せっかく英彦山に来たのだったら、徒歩で上がりたいものだ。

ちょっと麓に向けて歩いてみる。

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財蔵坊とある。修験者の宿坊跡のようだ。

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江戸末期のもので、当時の坊のほぼ全形を留めているのだ。

登山の後の乳酸を貯めまくった足を前に進める。

しばらくすると、銅の鳥居が見えてきた。

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1637年に鍋島勝茂が寄進したもので、国の重要文化財になっている。

胴の鳥居の近くには、霊泉寺がある。

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霊泉寺は、九州西国観音霊場三十三箇所の一番札所になっている。

本堂は結構しょぼい。一番札所になるような名刹には見えない。

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これが本尊?

????

う~ん、微妙。。。(´-д-`)

銅の鳥居から同じ道を通りたくなかった私は、車道を思いっきり歩いて帰った。すぐ近くと思っていたら、全然駐車場に着かないわ、車は恐ろしいわで散々だった。

駐車場の近くで蕎麦を食って、出発した。

2008年12月 8日 (月)

英彦山チャレンジ(その3:英彦山神宮後編)

産霊神社から上は、まるで異世界だ。

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この木の鳥居より上部は、妙に明るい。森林がない。ひょっとして森林限界というやつでは?

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道端には石仏。

しばらく歩くと、異変が・・・!!(゚ロ゚屮)屮

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雪ですやん!

おう!滑る。アイスバーンである。

しか~し!真剣勝負に関係ないわ~щ(゚Д゚щ)カモォォォン

こういうときは、昔培った磯歩きスキルが役に立つ。冬場の磯は、珪藻とか付いてるので、よく滑ったものだ。磯で滑ると、一瞬で視界が空になる。よく頭をぶつけなかったものだ。あと、フジツボで背中を切ったこともある。

ま~、どうでもいい話である。

要するに、地面に対して、できるだけ垂直に足を下ろすと、滑りにくいってだけの話である。

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やっと頂上が見えてきた。

キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!

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上宮である。英彦山神宮によると、これが御本殿である。天保13年に肥前藩主鍋島斉正によって奉献されたものらしいが、ほったて山小屋にしか見えない。

中に入る。戸がなかなか開かなくて、焦ったが、なんとか開いた。

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この穴に賽銭を入れるらしい。

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もっとエキゾチックなものを想像していたのだが、予想外のしょぼさであった。肉体的ダメージのほかに精神的にダメージを食らった。

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周囲を眺める。絶景かな!

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千百何メートルかいな?

さて、下山しますか。。。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

うぉーーーーーーーーーーーーー

加速がついて止まらんばいっ!

やっと落ち着いてきた。産霊神社を越えた辺りで、ご婦人に、

「もう少しで頂上ですか?」

と尋ねられる。

「まだもうちょっとですわ!」

_ノフ○ グッタリ←ご婦人

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

下り坂をそこそこの勢いで駆け下りる。

稚児落しにもめげずに、降りる。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

チェーンの岩場までやってきた。

さすがに躊躇する。

行きはよいよい帰りは怖い。

しっかりとチェーンを握り、後ろ向きにへっぴり腰で下りる。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

いよいよ奉幣殿が近づいてきた頃、明らかに異変が起こった。

全然登山の格好じゃないのに、上宮まで行こうという恐ろしい人種や挨拶をしないマナーの悪い人種が増えた。人が挨拶しとるのに、挨拶せんかいや!皆さん、挨拶はしましょう!(゚ー゚)

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奉幣殿まで降りてきた。腹が減ったし、血糖値が下がったので、ぜんざいを食った。ぜんざい?汁粉?

あっ!小豆の粒が入ってるからぜんざいやね。薄っ!

甘党ではない私でも、このぜんざいは少ししゃびしゃびである。もうちょっと甘みが欲しかった。

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おう!何だ?この集団は。。。

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松尾山のお田植祭とある。修験道のお祭りらしい。福岡県指定無形民俗文化財に指定されている。今から祭りかと期待していると、もう終わったらしい。残念である。

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奉幣殿も昼過ぎになり、結構人が増えている。そういえば、ここから上宮まで行って帰ってくるまでに1時間半かからなかった。結構ハードに攻めてしまった。途中、抜いた覚えは腐るほどあるが、抜かれた覚えは全くない。

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奉幣殿の敷地の一角にひっそりと梵鐘がある。神仏習合時代の名残を色濃く残しており、非常に興味深い。

さて、英彦山神宮であるが、もうちょっとおまけがつく。次回に持越しである。

2008年12月 6日 (土)

英彦山チャレンジ(その2:英彦山神宮中編)

英彦山神宮上宮への道は、奉幣殿の右手にある鳥居と石段から始まる。

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ここから、片道2.2キロメートルの道のりである。まずは、軽やかに石段を駆け上がる。

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奉幣殿のすぐ上には、下津宮がある。建速須佐之男命(スサノオ)、神武天皇、大国主命と三大英雄が挙って祭られている。こんなちっこい所に・・・。さぞかし、群雄割拠、天下三分の計の修羅場がこの中で繰り広げられているのだろう。

下津宮から、さらに山道を登る。

おう!水溜りが・・・。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

途中で爺を追い抜いた。もうグロッキーで冥途が見えているらしい。

!!(゚ロ゚屮)屮

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これを上れと・・・!

まさかチェーンで岩登りをさせられるとは・・・(;´д`)トホホ…

今日、上るまで、英彦山を舐めてました。。。

ええ~い!チェーンなんか使わなんもんね~(# ̄З ̄)

軽やかなステップで岩を攻略する。

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おう!

今度は倒木か!

Bダッシュからのしゃがみ抜けで、倒木を攻略する。

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熱戦の合間に見る景色は美しい。( ̄ー ̄)ニヤリ

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なんかえらい道どす。。。

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なんと絶妙なバランスであろうか・・・?海外の寺でこんなんなかったっけ?

う~む、どすこいっと鉄砲をしてみたいが、下界で大惨事が起こりそうなので、やめた。

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またまだ上りは続く。

この辺りから、気づいたことがある。

すれ違う人々が必ず挨拶をしてくれるのだ。尾瀬縦走を思い出す展開だ。

そうか!私は軽く参拝するつもりだったが、これは結構、本格的に登山なわけね。そういや皆登山の格好をしている。私は、かろうじてハイキングシューズを履いていた。おかげで山道も苦にならない。

私は、すれ違う人々、そして私に追い抜かれる人々に元気をよく挨拶をしていった。

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またチェーンかい!

チェーンなんて使わんもんね~

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中津宮があった。ご祭神は、市杵嶋姫命(いちきしまひめみこと)・多紀理毘売命(たぎりひめのみこと)・多岐津毘売命(たぎつひめのみこと)である。宗像三女神ですな。

宗像大社辺津宮より

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おぉっと!

走って、ジャンプして、着地の瞬間に、レバーを下に入れて、Aボタン。。。スライディングキックで、倒木を攻略だ。これで、ショットガンがなくてもビギーマンを倒せる。

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道端には、お地蔵さんか?石仏が祭られている。

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白樺?なんか九州の山っぽくないね~

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ありがたいね~

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寒いと思ったら、ちょっと雪が残っている。気温低くとも、私のハートは燃えている。ふるえるぞハート! 燃えつきるほどヒート!! おおおおおっ 刻むぞ血液のビート! 

山吹き色の波紋疾走!!

ま、単に運動して熱かっただけですがね(´,_ゝ`)プッ

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稚児落とある。佐賀藩主鍋島清久が幼少の頃、上宮の参拝の帰り、ここから転落したそうな・・・。しかしながら、九死に一生スペシャルのように奇跡的に助かったそうな。。。ほんで、これは彦山権現の霊験のおかげであると、以降崇拝したという。。。めでたし。めでたし。

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昔、この崖からまーくんが落ちたそうな・・・。まーくんは、奇跡的に助からなかったそうな。まーくんは天に昇り、十二の試練を乗り越えて、最強のサーバントになったそうな。。。その後、地上に戻り、貌利太仁亜を治めたまーくんは、法王に逆らって、土地を没収され、欠地王と呼ばれた、以降、まーくんの名を継ぐものはいなかったという。。。

いや、落ちたらあかんがな!

それにしても崖といやあ崖やけど、結構普通の崖やねぇ。

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関銭の跡とある。ここで、ありがたいから通行料寄越せと、迫ったそうな。。。ここからは、えらい人も馬やかごを下車したそうな。。。

いやっここまで、すごい山道やったんやけど、馬とかかごとか来れるの

やがて、森が開けた。

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産霊神社である。ご祭神は、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)・玉依姫(たまよりひめ)・熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)である。

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ここから上宮はもう少しである。次回に続く。

2008年12月 3日 (水)

英彦山チャレンジ(その1:英彦山神宮前編)

平成20年11月23日。三連休の中日。

22日に仕事をし、三連休の残り二日でぷりっと長崎でも行ってやろうかと考えていたが、24日が大雨の予想だったので、回避した。

で、代案として、かねてから懸念していた英彦山を攻略することにした。

英彦山に着くと、無料駐車場は満車であった。こんなに英彦山って、大人気なの?仕方ないので、有料駐車場に停め、出発した。

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英彦山といえば、ご存知!日本三彦山の一つである。

あとの二つは、弥彦山(新潟)、雪彦山(兵庫)である。

そういうしょうもない三大は置いておく。英彦山は、羽黒山(山形)、大峰山(奈良)に続く、修験道の聖地である。その英彦山信仰の中心である、英彦山神宮を目指す。

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まずは、英彦山中腹にある奉弊殿を目指す。

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この何の変哲もない空き地は、報恩寺跡らしい。報恩寺は、亡くなった山伏等を弔う寺だったようだ。

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宝篋印塔がある。江戸時代(文化)の頃のものらしい。神社の前に仏教遺跡が点在していることから、神仏習合の面影が色濃く残っている。

横道に入る。

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紅葉がなかなか美しい

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旧亀石坊庭園である。なんでも雪舟が作った庭と伝えられているらしい。でも、結構荒れ果てている。ちなみに坊とは、この場合、修験道の宿坊のことである。寺の坊は、坊さんの住まいである。

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再び、奉幣殿を目指す。

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おじん、おばんがチアノーゼに陥る中、軽やかに石段を駆け上がる。

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摂社があると思いきや、密かに維新志士の墓地がある。

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最後の石段を駆け上がった。

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後ろを振り返ると、かなり上ってきたことが分かる。

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奉幣殿である。国指定重要文化財になっている。

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とりあえず、お参りする。

英彦山神宮は、旧官幣中社で、天忍穂耳命(アメノオシホホミ)を主祭神とする。天照大神に葦原中国平定を命令されるが、途中で引き返すへタレ?である。中国には、子供の瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に行かせた。

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天之水分神(あめのみくまりのかみ)とある。龍神のようだ。かつて、修験行者が水筒に入れた水で、圓通の滝という岩の谷間から流れる滝を水源としている。不老長寿の水らしい。

ところで、ここで英彦山神宮は終わりではない。まだ序の口、始まりに過ぎないのだ。

山の頂上に上宮がある。ここから片道約2.2キロメートルを登山しなければならないのだ。次回は、英彦山神宮後編:まーくん遭難、九死に一生スペシャル(嘘)をお送りする。

2008年12月 1日 (月)

佐賀ぶらり旅(その3:高伝寺)

佐賀藩主鍋島家の菩提寺、恵日山高伝寺にやってきた。

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1552年、鍋島清房により創建された曹洞宗の寺である。

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立派な山門である。

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山門を抜けると、すぐに本堂がある。

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本堂から山門を眺める。

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鍋島家と竜造寺家の位牌が安置されているらしい。

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織部燈篭という。別名キリシタン燈篭といい、へうげもの古田織部の考案とされているらしい。何故、織部がキリシタン?と調べると、そういう説があるらしい。さらに、キリシタン燈篭というのも、その斬新なデザインから隠れキリシタンの礼拝物に違いないという説があるからで、眉唾な話らしい。

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本堂の裏手に廻る。

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一面の墓地は、鍋島家と戦国大名龍造寺家の墓である。最後の佐賀藩主鍋島直大が散在していた鍋島家先祖の墓と龍造寺の墓を集め、整備したのだ。

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龍造寺初代の遠祖、季慶の墓で、西行法師の叔父らしい。マニアックだが、立派な墓だった。

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左側が戦国大名、龍造寺隆信の墓である。これぞ、九州三強の一人である。大友を破る金星を挙げたが、島津の前に敗れ去った。それにしても、戦国のビッグネームを前に感動を覚える。

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すっかり戦国ロマンに酔いつつ、帰福した。

おしまい。

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